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2017年11月29日水曜日

29- 柄谷行人氏の護憲論にうなづく(天木直人氏)

 新党憲法9条の党首である天木直人氏が、27日の毎日新聞の「そこが聞きたい」のインタビュー記事で柄谷行人氏が述べた「憲法9条の存在意義」等に大いに共鳴したことを、メールマガジンで明らかにしました。

 天木氏は、柄谷氏の9条論を次の3点にまとめています。
1.憲法9条は単にJHQから押し付けられたものではなく、日本人自主的に選択したもので、いわば『文化』である。
2.長い戦国時代の後、戦争を否定する徳川幕府体制が生まれ、国内だけでなく、東アジア一帯の平和が実現され徳川の平和と呼ばれ徳川の文化こそが9条の精神を先取りしたものであった。
3.9条『戦争放棄』は単なる放棄ではなく、国際社会に向けられた『贈与』と呼ぶべきもので、贈与によって日本は無力になるわけではなく、国際世論を勝ちとるものとなる。

 天木氏は、「素晴らしい言葉まさしく憲法9条の存在意義がこれらの言葉の中にある。私が考えていることと同じ事が語られている」と述べています。

 元になった毎日新聞のインタビュー記事も併せて紹介します。
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柄谷行人(からたにこうじん)さんの護憲論にうなづく
天木直人のメールマガジン 2017年11月27日
(阿修羅 投稿 市村 悦延 より転載)
きょう11月27日の毎日新聞で、文芸評論家であり思想家の柄谷行人(からたにこうじん)さんが語っていた。
「そこが聞きたい 憲法9条の存在意義」というインタビューの中で答えていた言葉だ。
 その中に、私が考えていることと同じ事が語られていた。

 ひとつは押しつけ憲法であっても、それを日本人が受け入れたことこそ重要であるということだ。
「・・・確かに9条は連合軍総司令部(GHQ)に押しつけられたものです・・・しかし、9条がGHQに強制されたことと、日本人がそれを受け入れたことは矛盾しません。実際、GHQが憲法9条の改正を言って来たのに当時の吉田茂首相はそれをしりぞけました。
 まず外部の力による『戦争の断念』がありました。それが良心を生み出し、それが『戦争の断念』を一層求めたのです。
 その意味で9条は日本人による自主的な選択です。いわば『文化』です・・・」と。

 二つは明治維新に対する次の如き評価だ。
「・・・長い戦国時代の後、戦争を否定する徳川幕府体制が生まれ、国内だけでなく、東アジア一帯の平和が実現されました。『徳川の平和』と呼ばれています。武士は帯刀しましたが、
刀は身分をあらわす象徴であり、武器ではなかったのです。徳川の文化こそが9条の精神を先取りした『先行形態』です。
 ところが、明治維新後に日本は徴兵制をはじめ、朝鮮半島を植民化し、中国を侵略しました。
9条が根ざしているのは、明治維新以後、日本人がやってきたことに対する無意識の悔恨です・・・」
 ちなみに天皇と徳川幕府の関係を次のように語っている。
「・・・徳川家康は天皇を丁寧に扱いました。天皇を否定したら、他の大名が天皇を担いで反乱を起こすに決まっていたからです。
 徳川は天皇を祭り上げて、政治から隔離した上で、徳川幕府体制の中に位置づけました。それは戦後憲法における『象徴天皇』の先行形態だと言えます・・・」

 三つ目は9条が国際社会に果たす役割だ。
「・・・9条にある『戦争放棄』は単なる放棄ではなく、国際社会に向けられた『贈与』と呼ぶべきものだと思います。贈与された方はどうするか。例えば、どこかの国が無防備の日本に攻め込んだり脅迫したりするなら、国際社会で糾弾されるでしょう。
 贈与によって日本は無力になるわけではありません。それによって、国際世論を勝ちとります。贈与の力は軍事力や経済力を超えるものです・・・ 具体的には日本が国連総会で『9条を実行する』と表明することです。これは、第二次世界大戦の戦勝国が牛耳って来た国連を変え、ドイツの哲学者カントが提唱した『世界共和国』の方向に国連を向かわせることになると思います・・・」
 素晴らしい言葉だ。まさしく憲法9条の存在意義がこれらの言葉の中にある。


そこが聞きたい
憲法9条の存在意義 ルーツは「徳川の平和」 思想家・柄谷行人
毎日新聞 2017年11月27日
 10月の衆院選で与党の自民、公明両党に希望の党、日本維新の会を加えた「改憲勢力」が3分の2を上回る議席を獲得したことで、今後、国会での憲法改正論議が本格化しそうだ。焦点は平和憲法の代名詞となってきた9条。安倍晋三首相は自衛隊の存在を明記したいと考えている。私たちは9条の恩恵を受けてきたのか、それとも束縛されてきたのか。9条の存在意義を思想家の柄谷行人さん(76)に聞いた。【聞き手・南恵太、写真・宮本明登】

--自民党は衆院選で「9条への自衛隊明記」など憲法改正4項目を公約に掲げて勝利しました。今後、憲法改正が進むと見ますか。
 これまで自民党は「憲法9条はそのままにしておいて、自衛隊を認める」という「解釈改憲」でやってきました。衆院選に際して9条を変えると言ったのは安倍首相が初めてです。ただし、自衛隊を公認する条文を憲法に付け加えるだけだというわけです。しかし、衆院選で3分の2以上の議席を取っても、国民投票になると、ただではすみません。もちろん、安倍首相はそれを予期しているでしょう。「改憲ではない。加憲だ」という説明で国民投票を乗り切れると考えているようです。

 しかし、それによって、事実上の憲法改定ができるか。「国の交戦権はこれを認めない」という9条の条文が残る以上、「加憲」は今までの解釈改憲と同じようなものです。憲法上、自衛隊は海外で戦争をすることは許されません。軍事同盟の言い換えである集団的自衛権も現行憲法では認められません。このような状態を本当に変えたいのであれば、安倍首相は堂々と憲法の改定を主張すべきなのです。しかし、それはできません。もしそうしたら、国民投票で負けますから。

--なぜ、国民投票で改憲が否決されると思われるのですか。
 9条は日本人の意識の問題ではなく、無意識の問題だからです。無意識は潜在意識と同一視されていますが、違います。潜在意識は教育や宣伝によって操作することができます。無意識はオーストリアの精神分析学者、フロイト(1856~1939年)の言う「超自我」==だと考えるべきです。超自我は意識を統御するものです。9条は日本人の戦争経験から来たものですが、意識的な反省によるものではありません。従って、教育や宣伝で変えることはできません。もし、9条が意識的な反省によるものであったなら、ずっと前に放棄されたでしょう。

--9条が日本人の無意識の中に根付いているのはなぜですか。
 確かに9条は連合国軍総司令部(GHQ)に押し付けられたものです。当時、GHQのマッカーサー元帥は天皇制を維持しなければ日本で大きな反抗が起こると思っていました。(象徴天皇制と国民主権を規定した)憲法1条を制定するため、当時のソ連などに「日本は変わったのだ」という説得材料としての9条でした。

 しかし、9条がGHQに強制されたことと、日本人がそれを自主的に受け入れたことは矛盾しません。実際、GHQが憲法の改定を言ってきたのに当時の吉田茂首相はそれをしりぞけました。まず、外部の力による「戦争の断念」がありました。それが良心を生み出し、それが「戦争の断念」を一層求めたのです。その意味で9条は日本人による自主的な選択です。いわば「文化」です。

--日本の歴史の中に9条を生み出す土台があったのでしょうか。
 長い戦国時代の後、戦争を否定する徳川幕府体制が生まれ、国内だけでなく、東アジア一帯の平和が実現されました。「徳川の平和」と呼ばれています。武士は帯刀しましたが、刀は身分を表す象徴であり、武器ではなかったのです。徳川の文化こそが9条の精神を先取りした「先行形態」です。ところが、明治維新後に日本は徴兵制を始め、朝鮮半島を植民地化し、中国を侵略しました。9条が根ざしているのは、明治維新以後、日本人がやってきたことに対する無意識の悔恨です。

 付言すれば、憲法1条のルーツも徳川時代に始まっています。徳川家康は天皇を丁重に扱いました。天皇を否定したら、他の大名が天皇を担いで反乱を起こすに決まっていたからです。徳川は天皇を祭り上げて、政治から隔離した上で徳川幕府体制の中に位置付けました。それは戦後憲法における「象徴天皇」の先行形態だと言えます。

--現行憲法の1条と9条の関わりをどう見ますか。
 1条と9条には相互依存的な関係があります。現在の天皇、皇后は9条の庇護者(ひごしゃ)になっています。天皇は日本国家の「戦争責任」を自ら引き受けることによって、皇室を守ろうとしていると言えます。つまり、9条を守ることは1条を守ることにもなるのです。かつては「1条(天皇)のための9条(戦争放棄)」でしたが、現在では「9条のための1条」へと地位が逆転しています。

--9条が国際社会で果たしている役割は何でしょうか。
 9条にある「戦争放棄」は単なる放棄ではなく、国際社会に向けられた「贈与」と呼ぶべきものだと思います。贈与された方はどうするか。例えば、どこかの国が無防備の日本に攻め込んだり脅迫したりするなら、国際社会で糾弾されるでしょう。贈与によって、日本は無力になるわけではありません。それによって、国際世論を勝ち取ります。贈与の力は軍事力や経済力を超えるものです。

--北朝鮮情勢が緊迫する中、そうした考え方は「現実離れしている」と反論されそうです。
 現実には、自衛隊を持っている日本は9条を「実行」していません。だから、北朝鮮にも大きな脅威を与えています。しかし、9条を実行すれば状況は違ってきます。具体的に言えば、日本が国連総会で「9条を実行する」と表明することです。それは、第二次世界大戦の戦勝国が牛耳ってきた国連を変え、ドイツの哲学者、カント(1724~1804年)が提唱した「世界共和国」== の方向に国連を向かわせることにもなると思います

聞いて一言
 押し付けられた憲法9条を日本国民が変えようとしなかったのはなぜだろう。戦争に対する国民の反省にその理由を求めるなら、戦争を知らない戦後世代が増えるにつれて9条支持は弱まるはずだが、そうはなっていない。柄谷さんは国民の無意識に主因を見いだし、「9条が強制されたことと、日本人がそれを自主的に受け入れたことは矛盾しない」と説明する。では、9条を受け入れた無意識を精神分析することはできるのか。論理的な結論を導き出すのは難しいかもしれないが、「9条を考える材料」が提供されている。

■ことば
 超自我
 フロイトの精神分析理論の主要概念。良心や理想に照らして自我の活動を統制する精神構造の一つ。柄谷さんは「フロイトは両親や社会のような『外』から押し付けられたものではなく、自らの攻撃欲動が外に向けられた後、内向して形成されると考えた」と解釈している。
 世界共和国
 カントが自著「永遠平和のために」で提唱した世界秩序構想。永遠平和を実現する方策として(1)共和制国家の樹立と維持(2)自由な諸国家による「平和連合」の制度化(3)「世界共和国」の形成--を挙げた。理念上は世界共和国が望ましいが、暴力や権力による強制なしには実現することが困難なため、「消極的な代替物」として諸国家連合が提示されている。構想は国際連盟の創設に影響を与えた。

■人物略歴
からたに・こうじん
 1941年兵庫県生まれ。東京大大学院修士課程修了後、69年文芸評論家としてデビュー。法政大教授、近畿大教授、コロンビア大客員教授などを歴任。近著に「憲法の無意識」(岩波新書)。