掲題の2つの記事を紹介します。
「防衛費を被災地にまわせ」は長周新聞の「コラム狙撃兵」による記事です。
同氏は、地球を覆う十数枚のプレートのうち4枚が重なっている日本列島はまさに地震の巣窟であるとし、熊本地震は事態としてはまさに有事で、国が全面的に身を乗り出して対応すべき局面であるのに、「為政者はその対応があまりにも鈍感で、いつも被災者や被災地にたいして棄民政策という冷淡な仕打ちがくり返されている。東日本大震災、熊本地震、能登半島地震で見てきた現実は、いつも個人の自助努力に丸投げして棄民する政府の姿なのである」、そして「いつも震災関連死の方が直接死の10倍近くに膨らむというのは、震災対応の非情さをあらわしている。米軍需産業にくれてやる10兆円があるのなら、そっくりそのまま被災地の再建に振り向け、まず絶望の淵に立たされている被災者すなわち国民を守るべきである」と断じます。
「なぜ被災対応は進化しないの? 生活安全保障」の後回し もう我慢ならない」は、三輪記子弁護士によるシリーズ「それ、当たり前のことですか?」のコラム記事です。
三輪氏は、酷暑も地震も可能な限りマクロな観点からの備えもすべきであるとして、その責任を負う政府や自治体がその責任を果たしているのかについて、それを追及すべき多くの報道が「被災地はこんなに大変です」という情報止まりであると嘆き、
「どうして避難所の環境が改善されないのか。どうして多くの人が相変わらず体育館で雑魚寝をしているのか。どうして『防衛費』にはすぐに大金を出すのに、市民の生活安全保障(たとえば避難所になるべき体育館のエアコンや段ボールベッドの備蓄など。これに限らない)は後回しになっているのか」と指摘します。
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防衛費を被災地にまわせ
長周新聞 コラム狙撃兵 2026年7月31日
10年の時を経て再び熊本で震度7の大きな地震が起こり、いまのところ死者35名、重傷6名となっていることが国のまとめで明らかになっている。地震に起因したイオンモール熊本のガス爆発や日本製紙八代工場の崩れた煙突などの目立った被害の他にも、押しつぶされた家屋や1階がぺしゃんこになったビル、崩れた橋の歩道橋、つなぎ目がずれた高速道路インターの高架橋等々、まだまだ把握しきれていない被害の一端が次々と伝えられている。およそ3万戸が停電し、8万4000戸で断水が発生。夏真っ盛りの酷暑のなかでの地震だけに熱中症などの二次被害が広がることも懸念されている。避難先の学校体育館といっても空調の整備率は12%そこらで追いついておらず蒸し風呂状態。そのためにエコノミークラス症候群に気をつけながら車中泊で熱帯夜を過ごしている避難者の様子が伝えられる。地震という避けがたい災害によって、それまで当たり前だった当該地域の人々の暮らしがひっくり返っているのである。事態としてはまさに有事で、国が全面的に身を乗り出して対応すべき局面である。
2011年の東日本大震災から2016年の熊本地震、2024年の能登半島地震とこの十数年で震度7クラスの巨大地震が立て続けに起こり、日本列島は地震の周期に入っているとされる。震度7クラスではないまでも、全国各地で割と大きめな地震は頻発しており、北海道や東北地方にはじまって九州地方にいたるまで、それぞれの箇所で要注意と目されてきた活断層は活発に動いているのが実態だ。地球の表面を覆っているプレート(岩の板)が日々運動して数百年という時間軸でひずみが蓄積し、あるタイミングで境界部分がずれて元に戻ろうと跳ね上がったりすることで地震は起こる。地球を覆う十数枚のプレートのうち四枚が重なっている日本列島はまさに地震の巣窟ともいえる“地震列島”である。九州地方は阿蘇山や桜島といった活火山、巨大なマグマ溜まりが発見されている鹿児島県南部沖の海底火山「鬼界カルデラ」などの動きとも連動した巨大地震の脅威にさらされている地域でもある。そして西日本一帯は東海・東南海・南海地震が連動したM9クラスの超巨大地震が発生したとしても不思議ではない状態とされ、すでに当該自治体では後方支援も含めて四国に渡っていく救援体制や自衛隊が兵站を築く拠点、死体安置所となる体育館なども指定され、具体的な想定がやられているほどである。
日本列島で暮らす以上、地震は避けがたい天災である。伝わっている歴史的書物を見てもわかるように、地震・津波によっておびただしい被害を被りながら、そのたびに先人たちは復興して暮らしを取り戻してきた。問題は、現代のようなはるかに豊かで発展しているはずの日本社会において、為政者をしてその対応があまりにも鈍感で、いつも被災者や被災地にたいして棄民政策という冷淡な仕打ちがくり返されていることである。救援物資も赤十字の募金も個人の善意に依存したところでたかがしれているわけで、国をして「心配するな! 国がついているぞ!」と全面的に生活再建への支援を惜しみなく実施することがどんなに被災者や被災地を勇気づけるかである。しかし東日本大震災、熊本地震、能登半島地震で見てきた現実は、いつも個人の自助努力に丸投げして棄民する政府の姿なのである。
国民の生命と安全が脅かされている――。天災もまた有事である。防衛費が年間10兆円超えして「ミサイルを配備して国を守る!」などとうそぶく前に、目の前で国民が直面している有事にたいして惜しみない支援を実施して、その生命と安全を守ること、安心して生活再建に取り組めるよう潤沢な支援を実施することが優先される。地震や津波で暮らしがままならなくなり、いつも「震災関連死」の方が直接死の10倍近くに膨らむというのは、震災対応の非情さをあらわしている。米軍需産業にくれてやる10兆円があるのなら、そっくりそのまま被災地の再建に振り向け、まず絶望の淵に立たされている被災者すなわち国民を守るべきである。 吉田充春
三輪記子 それ、当たり前のことですか?
なぜ被災対応は進化しないの?「生活安全保障」の後回し もう我慢ならない
日刊ゲンダイ 2026/08/03
(記事集約サイト「阿修羅」より転載)
熊本で大地震が発生しました。お見舞い申し上げます。日本では、線状降水帯からの豪雨災害、地震による災害、土砂災害などがあちこちで起こり、「災害列島」であることは誰の目にも明らかです。
日本に住む限り、いつどこでどんな形で被災するか分かりません。今や「酷暑」も災害級で「目の前の暑さにどう対応するか」ばかり注目されがちですが、暑さについてはもっと根本的に、気候変動にどう対処するのか? が、政治的課題になるべきではないでしょうか。
もちろん、目の前のことも大切だけど、科学技術は日々発展しているわけだし、可能な限りマクロな観点からの備えもすべきでしょう。「マクロな観点からの備え」という意味では、その責任を負うのは政府や自治体です。政府や自治体はその責任を果たしているのかについて、チェックすべきは政治家自身、メディア、市民です。自省すべきリーダーは「やってる感」ばかり気にしている様子で残念この上ないですし、責任追及すべき多くの報道が「被災地はこんなに大変です」という情報止まりです。
どうして避難所の環境が改善されないのか。どうして多くの人が相変わらず体育館で雑魚寝をしているのか。どうして「防衛費」にはすぐに大金を出すのに、市民の生活安全保障(たとえば避難所になるべき体育館のエアコンや段ボールベッドの備蓄など。これに限らない)は後回しになっているのか。多くの行政職員の方が現場で頑張っているのを私自身知っているけれど、もっともっと被災対応は進化し、深化できるのではないか。
これは「予算配分」の問題で、やはり政治家の問題でしょう。どうしてここまで政治家に甘いのでしょうか。それは私たち市民が「我慢」を美徳とし、「自助」を賛美しているからではないでしょうか。もちろんこれらを美徳とし、賛美することを全否定するつもりは毛頭ないけれど、「わがまま」と言って他者の「権利主張」を阻害するのはもうやめにして、みんなそれぞれ、あるいは時に連帯して「権利主張」し、自分自身の権利でなくても権利主張する人を支えることを新しい「当たり前」にしませんか? 災害時は個人の尊厳(憲法13条)が損なわれがちですが、それは「当たり前」のことではありません。いつまでも被災やそれに伴う災害の責任を個人のものにしてはいけません。
三輪記子 弁護士
1976年、京都市生まれ。東大法学部卒、立命館大法科大学院修了。2010年に弁護士登録。コメンテーターとしてテレビなどのメディア出演のほか、「弁護士三輪記子のYouTubeチャンネル」などネットでも発信。
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。
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