2022年8月23日火曜日

国葬を決めた岸田政権が見落としている重要な論点(半田滋氏)

 軍事ジャーナリストの半田滋氏の記事「安倍元首相の『国葬』を決めた岸田政権が見落としている『重要な論点』 ~ 」が、現代ビジネスに載りました。

 衆院法制局は、「法律の根拠がなくても行政権は発動できるのか」との問いに対し、国民の権利を制限し義務を課すような場合は必ず法律の根拠が必要だが、それ以外の事項については必ずしも法律は必要ではないという「侵害留保説」に立っ回答をしました。しかしそれは国民の権利義務に関係しないような事項でも、国家にとって重要な意思決定、あるいは国民にとって重大な関心のある事項については法律の根拠が必要とする「重要事項留保説」や全ての行政の活動には、その根拠となる法律の規定が必要とする「全部留保説を無視したものだと半田氏は批判しました。
 また国葬で問題になる「内心の自由」については、国や地方の公務員も日本国民である以上侵害されてはならないが、最高裁は「君が代」を起立斉唱しなかった教師に対して「職務命令」による「良心の自由」間接的制約は合憲という判決を出しているので、岸田政権が弔旗掲揚、黙祷に踏み切れば、政府機関はもとより、地方自治体、公私立学校、会社が一斉に半旗を掲げ、一斉に黙祷することになり、教師が黙祷すれば、学生・生徒・児童も自己の意思とは無関係に弔意を表すよう求められるのは確実なので、最終的に政府による弔意の強制はすべての国民に向けられることになるとしています。
 容易に想像できるできることで、国民の多数が反対する中で岸田政権は敢えて国論を2分する国葬に踏み切ろうとしています。
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安倍元首相の「国葬」を決めた岸田政権が見落としている「重要な論点」 不透明なまま進めるつもりか
                     半田 滋 現代ビジネス 2022/08/20
反対多数にもかかわらず…
岸田文雄政権が閣議決定した安倍晋三元首相の「国葬」について、報道各社が行った世論調査は「反対」「評価しない」との意見が多数を占める事態になっている実施しても国民の多くから支持されず、残念な結果となる可能性が高いのではないか。
弔意を表すことに異論はないだろう。だが、8年8カ月に及んだ長期政権を振り返れば、一方的な憲法解釈の変更による安全保障関連法の制定、まったく成果を上げなかった北方領土交渉、北朝鮮による拉致問題などに加え、モリカケサクラといった政治の私物化への批判は止むことがない。
予定される「国葬」は9月27日、日本武道館で実施される。内閣法制局の「憲法関係答弁例集(天皇・基本的人権・統治機構等関係)」(2017年10月)によれば、「国葬とは『国の意思』により、『国費』をもって、『国の事務』として行う葬儀をいう」(『』は筆者)とされ、3つの要件を定義している。
閣議決定によると、安倍氏の国葬は「国において」「国費を支弁」して行うとあり、「国の意思」を除く2要件は説明している。これは戦前の国葬令が無効化された後、唯一国葬となった吉田茂元首相の場合の閣議決定と変わりない。
「国の意思」については、後述するとして、必要とされる国費について、政府は9日の野党合同ヒアリングで「警備費を除いて2億円弱」と説明した。時代が違うとはといえ、吉田氏の国葬約1804万円と比べ約10倍だ。

      現代ビジネス 歴代首相の葬儀にかかった国費(衆院法制局の資料より)
ただ、その後、内閣・自民党合同葬儀となった橋本龍太郎、宮澤喜一、中曽根康弘各氏らの国費負担分が約5割で約7500~8300万円だったのと比べて、飛び抜けて高額とはいえない。ただし、今回は10割負担だ。
インターネット版「女性自身」は、昭和天皇の大喪の礼では警察官3万2000人が動員され、当時の警備費用は24億円だったこと、また、今上天皇の即位礼正殿の儀では警察官約2万6000人が導入され、警備関係費用としては28億5000万円がかかったことから、武道館の借料、献花などを合計すると、少なく見積もって総額36億5500万円になるという試算を示している。
明治憲法下の国葬は、神道形式で実施された。吉田氏の場合、本人はクリスチャンだったが、無宗教形式が採用され、安倍氏も無宗教形式で行われることになっている(緒方林太郎衆院議員の質問主意書に対する8月15日の答弁書)。

弔意が強制されるのか?
国葬の当日、何か強制されるのだろうか。
吉田氏の国葬に際し、政府は、弔旗掲揚、黙祷、半休、行事の自粛を各役所、学校、会社に対して求めたのに対し、安倍氏の国葬の場合、弔旗掲揚、黙祷は「検討中」、半休、行事などの自粛は「考えていない」と回答(中谷一馬衆院議員の質問主意書に対する8月15日の答弁書)しているが、何ともあいまいだ。
安倍氏国葬の当日、国民が喪に服すよう求められるとすれば、憲法19条が保障する「内心の自由」を侵すことになりかねず、それゆえに「検討中」なのだろうか。

     現代ビジネス 吉田元首相などとの「葬儀のあり方」の比較(衆院法制局の資料より)
国や地方の公務員も日本国民である以上、「内心の自由」を制限されることはないはずである。しかし、最高裁は「君が代」を起立斉唱しなかった学校教師(地方公務員)に対する判決で、「職務命令」による「思想良心の自由」に対する間接的制約について、制約の必要性・合理性が認められるとして憲法19条違反にはあたらないとの判断を示している。
「検討中」とされる弔旗掲揚、黙祷について、最終的に政府が「実施」に踏み切るとすれば、政府機関はもとより、都道府県庁、市町村役場、公私立学校、会社が一斉に半旗を掲げ、一斉に黙祷することになり、教師が黙祷すれば、学生・生徒・児童も自己の意思とは無関係に弔意を表すよう求められるのは確実だろう。
結局、政府による弔意の強制はすべての国民に向けられ、安倍氏の死去を悲しみ、哀悼の誠を捧げるよう迫られるのではないだろうか。

あいまいな法的根拠
そもそも法的根拠もなく、閣議決定だけで国葬を決めてよいはずがない。
岸田首相は内閣府設置法4条3項33号に内閣府の所掌事務として国の儀式に関する事務に関することが記されており、国葬は行政権に含まれると主張する。
18日に行われた立憲民主、共産、れいわ新選組、社民などの野党合同ヒアリングで衆院法制局が示した資料によると、法学の世界では「法律の根拠がなくても行政権は発動できるのか」との問いに対し、国民の権利を制限し、義務を課すような場合は必ず法律の根拠が必要だが、それ以外の事項については必ずしも法律は必要ではないという考え方の「侵害留保説」がある。岸田政権はこの説を根拠にしているようだ。
必ずしも国民の権利義務に関係しないような事項でも、国家にとって重要な意思決定、あるいは国民にとって重大な関心のある事項については法律の根拠が必要とする「重要事項留保説」や全ての行政の活動には、その根拠となる法律の規定が必要とする「全部留保説」は見向きもされなかったことになる

透明性がないままの決定
岸田首相は安倍氏の国葬を発表した7月14日の記者会見で次の通り述べた。
「安倍元総理におかれては、憲政史上最長の8年8か月にわたり、卓越したリーダーシップと実行力をもって、厳しい内外情勢に直面する我が国のために内閣総理大臣の重責を担ったこと、東日本大震災からの復興、日本経済の再生、日米関係を基軸とした外交の展開等の大きな実績を様々な分野で残されたことなど、その御功績は誠にすばらしいものであります。
外国首脳を含む国際社会から極めて高い評価を受けており、また、民主主義の根幹たる選挙が行われている中、突然の蛮行により逝去されたものであり、国の内外から幅広い哀悼、追悼の意が寄せられています。
こうした点を勘案し、この秋に国葬儀の形式で安倍元総理の葬儀を行うことといたします。国葬儀を執り行うことで、安倍元総理を追悼するとともに、我が国は、暴力に屈せず民主主義を断固として守り抜くという決意を示してまいります。あわせて、活力にあふれた日本を受け継ぎ、未来を切り拓いていくという気持ちを世界に示していきたいと考えています」

ここから読み取れる国葬3要件のうちの「国の意思」は以下の通りだろう。
憲政史上最長の8年8カ月、首相を務めたこと、(2)各分野で大きな実績を残したこと、(3)国際社会で高い評価を得たこと、(4)選挙中の蛮行により死去したこと―。

(1)は定量的な基準であり、(2)~(4)は定性的な基準といえる。国葬はこれらを組み合わせた「総合的な判断」であり、抽象的といわざるを得ない。
そのような判断を1人の公明党出身閣僚を除けば、安倍氏と同じ自民党出身の閣僚20人程度が集まる閣議で決めて公平性・透明性が担保されたとは到底、思えない
「国の意思」が恣意的にならないようにするには、より客観的な評価が必要である。
例えば、文化功労者の選定は「文化の向上発達に関し特に功績顕著な者」(文化功労者年金法1条)について、30人以内で構成される文化審議会が選考した候補者の中から文科相が決定する文化勲章は文化勲章令にもとづき、文科相が文化審議会に設置された文化功労者選考分科会に属する委員全員の意見を聴いた上で候補者を首相に推薦し、閣議で決定する
上記のような第三者による判断が不可欠なのではないだろうか。

野党は18日、国葬や元統一教会の問題、物価高、新型コロナウイルス「第7波」などについて、質疑が必要だとして憲法53条に基づく、臨時国会の招集要求書を衆参両院議長に提出した。当然である。
日本国憲法に基づけば、内閣が行政権を執行する(65条)のは当たり前としても、内閣は国会に対して連帯責任(66条3項)を負う。一方、国会は国権の最高機関(41条)であり、全国民を代表する組織(43条)であって、衆参両院には行政監視機能(62条)がある。
これらの条文に照らせば、内閣の意思決定課程に国会が関与することが求められている。国葬をめぐる国会審議は不可欠だろう。