2022年9月30日金曜日

世紀の愚行でわかったこと 安倍政治を否定できない自民党政権の絶望

 岸田政権は、国葬問題ですっかりミソをつけました。しかしそれはキッカケであって岸田政権の無為無策の数々がクローズアップされ、世論がすっかり不支持に向かったのでした。
 折しもアベノミクスの大破綻が明らかになりました。それは何と言っても安倍氏の責任なのですが、同時にそれを擁護してきた自民党の責任でもあります。
 10月3日に始まる臨時国会では国葬、旧統一教会、物価高、東京五輪汚職等々、追及される材料に事欠きません。
 特に統一教会問題では、茂木幹事長の言葉とはウラハラに、やはり安倍氏を軸にして自民党とべったりの関係にあったことが明瞭になりました。ところがこれだけ国民の大批判を浴びても、自民党が教会と決別するのかがいまだに見通せません。その辺りにまさに自民党の「限界」があるのでしょう。
 日刊ゲンダイが「 ~ 安倍政治を否定できない自民党政権の絶望」とする記事を出しました。
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世紀の愚行でわかったこと 安倍政治を否定できない自民党政権の絶望
                         日刊ゲンダイ 2022/09/29
                       (記事集約サイト「阿修羅」より転載)
 いやはや、予想通りと言えばいいのか。
 27日、東京・千代田区の日本武道館で強行された安倍晋三元首相の国葬のテレビ中継を見ていて、正直、日本人であることを恥ずかしいと感じた国民も少なからずいただろう。
 国全体が悲しみに包まれ、厳粛な雰囲気の中で行われた故エリザベス女王の国葬と比べて、あまりにもグダグダで、ショボかったからだ。
 エリザベス女王の国葬では、参列者はもちろん、棺を乗せた車を沿道で見送る人々も静かに弔意を表していた。ところが、安倍の国葬の参列者の中には、祭壇に掲げられた安倍の遺影をバックにスマホで自撮りしてSNSに投稿したり、自席で居眠りしたり……。しまいには、献花を終えたとみられる人の怒声や、「儀仗動かして!」「(バスを)出して!」などと進行にテンヤワンヤになっているスタッフの金切り声がそのまま中継で流れる場面もあった。
 もはやドタバタ劇と言っても過言ではなかった国葬。日本政府の熱烈ラブコールに応じて参列した海外の要人たちも、「これがG7の国葬なのか」と呆れ、疑問を抱いたに違いない。

安倍国葬とは議会制民主主義の葬式
 もっとも、こういうみっともない事態になったのも当然の流れと言っていい。新聞、テレビは「賛否割れる国葬」などと報じているが、各メディアの世論調査では6~7割が反対。つまり、「割れる」なんてレベルじゃなかった。
 野球の試合に例えれば、どう見ても「コールドゲーム」なのに「拮抗したゲーム」などと報じられているようなもの。ついでに言えば、ルール無視の八百長試合で大惨敗しているチームのくせに、まるで勝っているかのごとく試合を続けているのだから、球場全体が怒りに包まれるのも当たり前。そんなパチモン国葬が厳粛な雰囲気になるはずがない。
 岸田首相は安倍の国葬について、「敬意と弔意を国全体として表す国の公式行事」と説明してきたが、「国の公式行事」であるならば、当然、国会の同意や主権者である国民の理解は不可欠だろう。「閣議決定で決めちゃったから」などと強行していいわけがない
 自民党の萩生田政調会長は27日の国葬後、「閣議決定の手続きに間違いはなかった」「国民に国葬に取り組む政府の思いが上手に伝わらなかった」と釈明していたが、そうじゃない。そもそも一内閣の閣議決定で何事も強行する強引な政治手法そのものが大間違いなのだ。
 国会を開かず、やっと開いたと思ったら、少数野党の意見には全く耳を傾けず、議論を軽視し、歴代内閣が築き上げてきた憲法や法律の解釈を「閣議決定」の名のもとにあっさりと変える。「世紀の愚行」とも言うべき今回の安倍国葬で分かったことは、醜悪な「安倍(アベ)政治」が、安倍亡き後の今もなお続いているということだ。
 衆院事務局に30年余り勤め、55年前の吉田茂元首相の「国葬」に関わった経験を持つ元参院議員の平野貞夫氏がこう言う。
「反対世論を無視し、野党の意見も聞かない。法的な根拠もない。国会の同意もない。そんな状況で強行された葬儀のどこが国葬と言えるのか。安倍氏の国葬とは、日本の議会制民主主義の葬式。もっと踏み込むのであれば、自民党の生前葬と言っていいかもしれません」

臨時国会の追及材料は国葬、旧統一教会、物価高、東京五輪汚職
「石が流れて木の葉が沈む」「無理が通れば道理が引っ込む」──。
 第2次安倍政権以降、うんざりするほど見せつけられてきた民主主義破壊の「アベ政治」。黒を白という説明など、できっこないのに無理筋の屁理屈をこね上げ、自分たちに都合のいいように論点をずらし、「やる」と決めたら憲法や法解釈のねじ曲げもへっちゃらで、何が何でも突き進む独裁
 結局、安倍の国葬も同じで、岸田は最大派閥「安倍派」の保守系を取り込みたい、政権の基盤を安定させたいという私利私欲で突っ走った。
 もちろん最初から「やる」と勝手に決め、理由は後からどうとでもなると考えていたのだろう。
 国葬で安倍を美化礼賛し、神格化する声が高まれば、政府の姿勢に反対を示す世論を封じ込められる上、これまで以上に好き勝手にできる。おそらく、岸田の思惑はそんなところだったろう。
 だが、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)との癒着問題が浮上。算段が狂ったために慌てて、「民主主義を守り抜く」「弔問外交」といった詭弁でゴマカさざるを得なくなったのだ。
 現職の総理大臣でも、参院選候補者でもない男が、テロとは異なる「個人的な恨み」を買って銃殺される事態となった根本的な原因は何だったのか。
 今後、二度と同様の惨劇が起こらないようにするため、政権与党、公党として、どう取り組むべきなのか。岸田が本気で「民主主義を守る」と言うのであれば、今こそ与野党の垣根を越えて事件と向き合い、問題点をあぶりだし、改善策を打ち出すべきだろう。だが、政権にそんな姿勢はみじんも感じられない。

「アベ政治」を礼賛する「腐ったリンゴ」議員
 松野官房長官は28日、衆参両院の議院運営委理事会にそれぞれ出席し、臨時国会を10月3日に召集すると伝達。7月の参院選後、初の本格論戦を迎えることになるが、例によって国葬と同様、ダラダラと詭弁を弄して乗り切る考えではないか。国民生活を苦しめる最大の元凶となっているアベノミクスという亡国の金融緩和策も続けるに違いないだろう。
 絶望的な気分になるのは、そんな「アベ政治」を否定する声が自民党内からほとんど聞こえてこないということだ。
 国葬に対しても、意地を見せたのは、安倍を「国賊」と呼んで欠席した村上元行革担当相ぐらい。あとは「腐ったリンゴ」の言葉ではないが、「安倍レガシーをしっかり継承していきたい」(萩生田)、「安倍氏は、その場で理解は得られなくても、後で『よく決断した』と言える判断を次々された」(甘利前幹事長)などと、いまだに言い放っているからクラクラしてしまう。
 こんな調子じゃ、国葬や旧統一教会の問題で岸田が追い込まれ、総理・総裁の座を降りたとしても、次の総裁もこれまた「アベ政治」を引き継ぐお気に入りを後継に選ぶのだろう。まさに国民にとっては、これまでの暴政が永遠に続くことになるわけで、もはや政権交代以外に政治と経済をまともに戻す手だてはないのではないか。
 政治評論家の小林吉弥氏がこう言う。
「岸田政権は当初のもくろみが外れ、国葬強行によって世論から受ける逆風を強めることになりました。臨時国会では、国葬、旧統一教会、物価高、東京五輪汚職……など、野党が追及できる材料がこれまでにないほど、そろっている。まさに政権交代の絶好のチャンスと言っていいかもしれません。野党の本気度が問われています」
「検討する」と言うばかりで、霞が関官僚の間で「遣唐使」などと揶揄する声が出始めた岸田を首相の座から引きずり降ろし、今こそ「アベ政治」に終止符を打つべきだ。