世に倦む日々氏が掲題の記事を出しました。
この記事の特徴は、日中戦争が起きればどうなるかを考察した点でしょう。
それは通常のTV解説者や軍事専門家は決して行わないことです。彼らは日中戦争には至らないと思っているのかも知れませんが、もしも日中戦争が勃発したときの日本国民の悲惨さには想到しないか、あるいは想到していても国民には隠そうとしているのであれば極めて無責任です。
世に倦む日々氏は、12/7のサンデーモーニングでのコメンテーターの畠山澄子氏と斎藤幸平氏の発言内容が、日中戦争の危機に対して「あきれるほど呑気で鈍感」であったとして、二人とも学力試験は成績抜群であろうに「中国と戦争が始まったらどうなるかを想像できていない。中国と戦争になる心配を本気でしていない」ことに先ず意外感を表明し、「優秀な若い二人があまりに緊張感がないので、私は疲労し脱力する」と述べます。
そして「日中戦争はイデオロギー戦争の性格を明確に持ち、国家を構成する全成員が敵となる戦争なので、残忍で徹底した殲滅戦の様相を帯びてしまう。犠牲者数がきわめて多くなる」と述べ、「高市が発言を撤回せず、中国との緊張を高めて攻勢をかけられている図は、停戦講和による早期収拾という判断ができず、一撃挽回の機会を狙い続け、祈祷で皇祖皇宗の霊力にすがり、無益な時間稼ぎをして犠牲と損失を大きくした、過去の戦争の昭和天皇と軍部を想起させる」、「この緊張と対立を本当に沈静化させたいのなら、高市が発言を撤回することだ。そうでなければ、戦争への間違った道を進み続ける。破局に至る」と断じます。
これこそは高市氏の依怙地にして無責任、そして幼稚な発想の対極にあるものです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
中国軍機によるレーダー照射 - 沈静化させると言いつつ遂に軍事的緊張まで
世に倦む日日 2025年12月9日
12/6 午後、沖縄本島南東の公海上で中国軍機が自衛隊機にレーダー照射する事件が発生した。小泉進次郎が 12/7 未明に会見して発表、高市早苗も同日午後に視察先からマスコミの前で中国を非難、今週(12/7-13)はこの問題で沸騰する様相となっている。高市発言が 11/7 に飛び出した後、マスコミは高市に対する擁護と支持でほぼ一色に染まり、何度も世論調査を打って高市発言の「正当性」をセメント化してきた。この政治を既成事実化してきた。と同時に、この問題への対策として「時間をかけて沈静化させるべき」と言ってきた。高市発言の問題が勃発して1か月になるが、マスコミ論者はずっとそう言い続けた。それを見ながら私は、ずいぶん都合のいいことを言っているなとテレビの前で苛立った。テレビは一方通行の媒体なので、反論の声はスタジオのマイクに届かない。相手がいる問題なのに「時間をかけて沈静化」の収束法がどうして通用するのだろう。
自分勝手な絵に描いた餅だ。11/18 に上げた記事で、高市早苗が撤回を拒み続けた場合は「軍事的圧力のフェーズに移行」するだろうと私は見通しを述べていた。「尖閣沖に海軍の艦隊を並べて示威する」と例を挙げ、緊張を高めるだろうと予想した。その前に、遼寧に接近した空自戦闘機へのロックオンという、いわば前段的な軍事威嚇の局面が到来した。中国軍側からすれば、軽いジャブ的な対抗措置の発動であり、自衛隊と日本政府への最初のメッセージの発信だろう。中国国防部は 11/14 に報道官談話を発表し、「日本が台湾海峡の情勢に武力介入すれば、中国人民解放軍の堅固な防備の前に頭を割られて血を流し、無残な代価を払うことになる」と強い言葉で抗議していた。いきなり尖閣沖に海軍艦隻が出現する進行にならなかったのは、11/24 にトランプが習近平に電話し、緊張の拡大を諫める外交に出たからだ。しかし、高市は発言を撤回せず、日本は高市発言の正当化で固まっている。
七割がた戦争になる。戦争へ一歩ずつ近づいている。高市政権はまさしく安倍政権のコピーであり、近隣諸国との関係を破壊し、軍事衝突する方向へ政治を進めていく。前回、韓国海軍の駆逐艦から空自の哨戒機がレーダー照射を受けたのは、2018年12月の出来事で、第2次安倍政権下の事件だった。同年10月末に元徴用工の問題で韓国大法院が判決を出し、日韓で紛争が勃発したが、そのとき、全て解決済みだとして賠償和解を拒否する日本側を領導したのが安倍晋三で、今回同様、マスコミが安倍政権の応援団となって韓国叩きの熱狂を扇動していた。韓国が左派の文在寅政権であった点も重なり、安倍晋三と右翼の韓国憎悪は激越で、それがまた韓国世論を刺激して日本批判の空気を加熱させ、その延長線上にレーダー照射事件が発生した。翌19年になっても沈静化せず、安倍政権は元徴用工問題への対抗措置として半導体材料の輸出規制を実施、韓国では日本製品不買運動が猛然と展開された。
7年前と同じパターンだ。前回の安倍晋三を元凶とする日韓の紛争は、アメリカが緩和修復に動いたのと、20年初めから世界を覆ったコロナ禍の影響で水入りになって自然消滅を迎えた。今回は仲介に動く第三国がいない。また、台湾という爆弾の存在がある。同じレーダー照射の軍事的インシデント(⇒大事故一歩手前の事態)だが、危機の深刻度は7年前よりもはるかに大きい。前回はたしか、海自重鎮の香田洋二が知己の韓国海軍幹部に直接電話をかけ、対話してエスカレートを防いだとマスコミで内幕を語っていた。韓国軍と自衛隊とはその意思疎通のチャネルがあった。中国軍と自衛隊の間にそれを期待するのは無理だろう。高市は発言を撤回しない。突っ張れば突っ張るほどマスコミが持ち上げて支持率が上がる。その構図が日本国内にできていて、高市は自衛隊に「毅然と対応」を指示している。両国の上層部で妥協と調整がないまま、現場が中国軍に対して「毅然と対応」すれば、それは自動的に摩擦を増進させる行動の選択となる。
高市早苗はマスコミの扇動と大衆の支持に浮かれ、戦争のリスクを顧慮せず猛進している。「時間をかけて沈静化させる」という路線と展望は、マスコミで常套句となって流布されてきた問題解決策だけれど、高市の頭の中も同じなのだ。高市は、発言を撤回せず粘り腰で時間稼ぎしていれば、中国も手をこまねいて対抗措置の行使を諦める、いずれどこかで妥協してくると、そう安易に踏んでいる。それは客観的に甘すぎる認識であり、見通しとして誤った判断に違いない。だが、高市と周辺はそう思っていない。過去の安倍晋三の中国や韓国とのトラブル史を踏まえた上での経験法則であり、安倍晋三と同じ強気で突破できると確信しているのだ。おそらく、杉山晋輔や市川恵一や谷内正太郎や兼原信克がそう指南し、高市を輔弼しているのだろう。この「沈静化」の収拾案は、マスコミが撒き、右翼化した国民が思い描く空虚な幻想であると同時に、高市官邸の基本方針なのである。嘗ての日米開戦前の日本指導部を彷彿とさせる。
毅然と開き直っていれば冷却化する、マスコミの神輿に乗っていれば大丈夫、反対する左翼は少数異端で無力、共産中国などいずれ崩壊の運命、アメリカの抑止力があるから中国は簡単に軍事行動できない、等々。そういう高を括った認識の下で高市官邸は動いている。これこそトゥキディデスの罠に嵌った主観的錯覚だろう。陥穽に落ちた進路のゴールには、開戦と全面戦争と総力戦の結末がある。七割がた戦争になるという予測は、決して悲観的すぎる見方とは思わない。高市早苗は「台湾有事=日本有事」を信念化しているし、そもそも台湾有事はアメリカの国家戦略で、そのためにクアッドが構築推進されてきた。FOIPの「理念」が成功する絵とは、台湾が国連に復帰し、共産中国が崩壊するアジア世界の実現に他ならない。それと何より、日本国内に戦争を止める力がない。「七割がた」という悲観論に俯く理由の第一はその点にある。高市発言から1か月の政治過程を見たが、憔悴するしかない。90年前は、弾圧されつつ反戦派が生きていた。
気骨ある日本人が生きていて、治安維持法で逮捕されながら、迫害と暴力禍の中で戦争反対の運動に身を挺していた。今はまだ治安維持法(スパイ防止法)が制定されてもいないのに、言論の自由が保障された社会環境なのに、強い反戦の声が上がらず響きが湧き起こらない。声が小さい。渾身の抵抗と絶叫がない。それが不思議だ。12/7 のサンモニでの畠山澄子と斎藤幸平のコメントを聞いたが、あきれるほど呑気で漫然とした鈍感な反応と意見だった。中国と戦争が始まる恐怖に怯えていない。中国と戦争が始まったらどうなるかを想像できていない。中国と戦争になる心配を本気でしていない。想像力の欠如なのか、知識の不足なのか、そこらのネットの若者と同レベルで止まっている。広島・長崎の犠牲者の実態とか、ガザで虐殺される人々の地獄とか、そうした戦争の悲惨については精神を内在させ、正確に認識し、言葉として表現されるのに、中国との戦争のリアルがイメージされていない。その戦争の現実と真剣に向き合っていない。観念的抽象的に捉えている。
他人事的だ。畠山澄子と斎藤幸平が語る台湾有事は、庶民に襲いかかる戦争(徴兵・戦死・飢餓・空襲・地上戦・原爆)の恐怖と繋がるものではなく、呼ばれたテレビ番組でそれらしい解説を上げてコメンテーターの役割を果たす、日常の政治空間の言説と論点の一つでしかないようだ。ガザの地獄が明日の日本の現実になるという発想の契機が、論理的な思考回路が、畠山澄子と斎藤幸平の内側にはないのだ。ガザの地獄と台湾有事とは無関係の問題で、二つは遮断されているのである。二人とも学力試験は成績抜群で、私などよりはるかに知能優秀なエリートなのに、何故、ガザの地獄と台湾有事が結びつかず、危機感と焦燥感に媒介された感想が発言されないのだろう。本来、戦争の悲劇と邪悪に対して最も敏感な感受性を持ち、それを説得的な言霊にして全身で訴えて、聞く者に感銘を与えるのが畠山澄子の資質と魅力だった。それが視聴者の期待であり、視聴率の中身となる価値(使用価値)であるはずだ。優秀な若い二人があまりに緊張感がなく等閑なので、私は疲労し脱力する。
中国の経済力と軍事力は巨大で、最先端技術でもアメリカに比肩する実力を持ち、「世界の工場」たる製造業と開発力を有している。日本もGDP世界第4位の先進国で、自衛隊の近年の武装の高度化と充実度は著しい。軍事費に年11兆円も注いでいる国は、アメリカ・中国を除けば他にないだろう。中国と日本が軍事衝突した場合、力の差を考えても戦争が長引くことは間違いなく、一方が他方を圧倒できる力関係にない。そしてアメリカが、中国との間で核弾頭搭載ICBMを撃ち合う第三次世界大戦の破滅を恐れ、同盟国日本への後方支援から徐々に手を引く推移になれば、力の均衡は中国優勢となり、現在のロシアとウクライナのような関係になって戦局が進むだろう。ここで考察のポイントに挙げなくてはいけないのは、中国と日本との戦争はイデオロギー戦争の性格を明確に持つことであり、長谷部恭男がルソーの『戦争法原理』を引いて述べたように、相手国家の根本的な価値観の打倒を目的とする点である。国家体制の崩壊が狙われ、したがって無条件降伏が目標となる。妥協が容易でない。
イデオロギーの戦争は、国家を構成する全成員が敵となる戦争で、すなわち残忍で徹底した殲滅戦の様相を帯びてしまう。犠牲者数がきわめて多くなる。独ソ戦がそうだったし、朝鮮戦争とベトナム戦争がそうだったし、イラン・イラク戦争もそうだった。共匪討滅戦が主目的の日中戦争もそうだった。現在の日本人の中国共産党への憎悪は凄まじく、また、日本人の主観としての「共産主義に支配された愚かな、公共道徳心がなく金銭と私欲だけの価値観の中国人」への差別と侮蔑も甚だしい。リスペクトがない。そこから考えると、一旦戦争に突入してしまえば、戦況が悪化しても、生活が極貧になっても、徴兵と戦死で家族を失っても、日本人は国家と右翼に付き従い、ずるずる最後まで止めることができないのではないか。中国軍優勢の戦況が固まった場合、戦争だから当然、日本側がやめたくても簡単にはやめられない。中国側の求める講和条件を吞まなくてはいけない。敗戦となれば、戦争を始めた政治家や煽った論者は責任をとらされる。
だからこそ、指導部とその周囲の軍国支配者は最後まで、神風が吹く一縷の望みにすがって(ゼレンスキー的に)戦争を継続するのであり、最後の最後の土壇場でアメリカに脱出するのである。その負け戦の図が、今のマスコミや国民の中でどれだけ想定できているのだろうか。高市が発言を撤回せず、中国との緊張を高めて攻勢をかけられている図は、停戦講和による早期収拾という判断ができず、一撃挽回の機会を狙い続け、祈祷で皇祖皇宗の霊力にすがり、無益な時間稼ぎをして犠牲と損失を大きくした、過去の戦争の昭和天皇と軍部を想起させる。二重写しで重なる。この緊張と対立を本当に沈静化させたいのなら、高市が発言を撤回することだ。そうでなければ、戦争への間違った道を進み続ける。破局に至る。
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。