2021年11月13日土曜日

13- 瀬戸内寂聴さんが生前語っていた護憲と反戦(LITERA・しんぶん赤旗)

 作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんがが9日、心不全で亡くなりました。99歳でした。

 瀬戸内さんは24歳で夫の勤務地の北京で敗戦を迎え、その翌年徳島に引き上げました。この戦争体験が後年の護憲・反戦運動のベースになりました。
 28歳のとき、夫と正式に離婚し上京、働く傍ら作家を目指しました。
 1956年、34歳で処女作「痛い靴」を発表、翌年「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞しました。その受賞第1作の『花芯』が、ポルノ小説であるとの批判にさらされて、数年間、文芸雑誌からの執筆依頼がなくなり、『講談倶楽部』『婦人公論』その他の大衆雑誌、週刊誌等で作品を発表しました。
 51歳のとき井上光晴との恋愛関係を清算するために、今東光の所属している天台宗の尼僧になりました(最終的な僧位は権大僧正)。
 2011年の福島原発事故後は反原発運動も始めました。(以上ウィキペディアなどより)

 LITERAが、瀬戸内さんを追悼するために17年8月15日の記事を再掲しましたので、以下に紹介します。
 しんぶん赤旗が「きょうの潮流」で瀬戸内さんを取り上げていますので併せて紹介します。
 また、瀬戸内さんが福島原発事故の翌年5月北海道電力泊原発3号機の運転継続に抗議する市民団体のハンガーストライキに参加した際のNHKの記事を紹介します。
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瀬戸内寂聴が生前、語っていた護憲と反戦…「美しい憲法を汚した安倍政権は世界の恥」と語り、ネトウヨから攻撃も
                             LITERA 2021.11.12
 作家で僧侶の瀬戸内寂聴が9日、心不全で亡くなった。99歳だった。
 すでに多くのメディアが報じているとおり、波乱万丈な恋愛経験や旺盛な執筆活動、あるいは世間からバッシングを受けた著名人にも手を差し伸べるなど、晩年に至っても文壇にとどまらず幅広く活動してきた。
 しかし近年の瀬戸内寂聴といえば、忘れてはならないのは、反戦・反原発にまつわる活動だろう。
 著書や講演などで、繰り返し自身の戦争体験を語り、戦争の恐ろしさを忘れつつある日本に警鐘を鳴らし続けた。
 たとえば2017年に95歳のときに出版したエッセイ集『生きてこそ』(新潮新書)では、自身の過酷な引き上げ体験を語るとともに、〈戦争時の体験のない政治家たちによって運営されている戦後七十年の日本の行方が、日々不安でならないのは、死齢に達した老婆の妄想にすぎないのであろうか〉と危惧していた。
 2015年に安倍政権が憲法違反の安保法制を強行成立させた際は、胆のうがんを患うなど満身創痍の体調だったが、たびたび集会やデモに参加。
 そのため、ネトウヨからもたびたび「ババアは死ね!」「戦争反対というなら中国に言え!」「金をもらって集会に出ている」などという卑劣な攻撃を受けてきた。産経ニュースは、国会前で「すぐ後ろに軍靴の音が聞こえる」と命がけで訴えた寂聴を揶揄し、〈聴こえるはずのない音におびえる?「幻聴人」〉などとバカにしたこともある。
 しかし、瀬戸内はネトウヨの攻撃にもまったく怯むことはなかった。安倍政権と安保法制について「美しい憲法を汚した安倍政権は世界の恥です」「安倍晋三首相と、与党議員たちが強行採決した安保法案は、日本国民を世界中で死なせ、家族を不幸にし、国まで滅ぼすものだと思います」(「女性自身」2015年8月4日号)と痛烈批判したこともある。
 現在の岸田文雄首相は極右タカ派の安倍晋三・元首相と違ってハト派を標榜していることから希望的観測も見られるが、岸田政権は防衛費増額や敵基地攻撃能力保有も否定していないし、改憲の動きすら見せている。もちろん、違憲状態の安保法制を廃止するような動きなど一切ない。
 戦争体験者が次々と鬼籍に入り、戦争反対の声がかき消されていくなか、本サイトでは瀬戸内寂聴の戦争や憲法に対する発言をたびたび記事にしたことがある。そのうちのひとつである2017年8月15日の記事を以下に再録するので、あらためてご一読いただきたい。 (編集部)

瀬戸内寂聴が語る戦争体験と反戦、憲法への思い「美しい憲法を汚した安倍政権は世界の恥」
 2017年8月15日は72回目の終戦記念日となる。しかし戦後70年以上の時を経て、戦争の記憶と反省が失われつつある。テレビや雑誌などメディアでも、戦争の記憶を語り継ぐための企画は年々少なくなっている。そんな風潮に抗い自身の戦争体験を語る、仲代達矢、桂歌丸、市原悦子らの声を、本サイトでは紹介してきた。
 もうひとり、熱心に自身の戦争体験を語り、戦争の恐ろしさを忘れつつある日本に警鐘を鳴らし続けているのが瀬戸内寂聴である。瀬戸内は新刊エッセイ集『生きてこそ』(新潮社)のなかで、自身の戦争体験についてこのように語っている。
〈北京で中国古代音楽史の研究をしていた夫は三十一歳にもなって、突然北京で応召した。まだ誕生日も迎えていない女の子をかかえ、私は初めて戦争のむごさを、身をもって思いしらされた。夫が出征して二ヵ月すぎた時、何の予告もなく夫は無事に帰ってきた。
 着の身着のまま子どもだけかかえて帰国してみれば、故郷の徳島の町はまる焼けになっていて、母は防空壕で焼け死んでいた。夫の家も焼けて姑は義兄の住む愛媛に移っていた。焼け跡に父と姉で手造りで建てた家がぽつんとあった。私たちは親子三人そこへ居候するしかなかった。二人の男の子を残し、出征した義兄は、ソ連へつれていかれたとシベリアからハガキが一枚来ただけだという。知人の家でもさまざまな苦難に耐えていた〉
 無事に引き揚げられはしたが、故郷では家も家族も失ってしまった。防空壕では母だけでなく祖父も亡くなっていた。そして終戦の日には〈日本人は皆殺しにされるだろうと、その夜は一睡もできなかった〉(前掲『生きてこそ』)という。
 そういった悲惨な体験をしているからこそ、子どもや孫の世代に同じような経験をさせたくないという思いが強い。そのために、彼女はメディアを通して、先の戦争でいかに人々がつらい思いをしたかということを伝えてきたのだが、そういった活動と反比例するように、現在この国は着実に先の戦争で得た反省を無きものにし、再び戦争ができる国へと生まれ変わろうとしている。瀬戸内寂聴はそういった傾向を危惧している。
〈戦争時の体験のない政治家たちによって運営されている戦後七十年の日本の行方が、日々不安でならないのは、死齢に達した老婆の妄想にすぎないのであろうか〉(前掲『生きてこそ』)
 この文章のなかで瀬戸内の頭に想起されている〈戦争時の体験のない政治家たち〉のひとりは、いうまでもなく安倍晋三だろう。事実、瀬戸内寂聴はかつて「美しい憲法を汚した安倍政権は世界の恥です」と痛罵したこともある。

瀬戸内寂聴「"戦争法案"を押し通した安倍首相の神経は理解しがたい」
 それは、「女性自身」(光文社)2015年8月4日号でのこと。このインタビューのなかで瀬戸内寂聴はさらにこのように語っている。
「安倍晋三首相と、与党議員たちが強行採決した安保法案は、日本国民を世界中で死なせ、家族を不幸にし、国まで滅ぼすものだと思います」
「これだけ国民に反対されていることを自覚しながら、"戦争法案" を押し通した安倍首相の神経は理解しがたいですね」
 安保法制に反対する文化人・芸能人のなかでも、ここまで強い調子で安倍首相を非難できる人間はそう多くないだろう。そして、瀬戸内はこうまで言い切っている。
「多くの国民が安保法案に反対したという事実、そして安倍首相と政府与党がどれだけ横暴なことをしたのかという事実は、歴史に刻まれます」
 安倍晋三のような首相ができあがったのも、それに共鳴する人間が増えたのも、ひとえに国民が戦争の恐ろしさを共有できなくなっているという状況が根底にあるのは間違いない。
 先月に亡くなったばかりの、聖路加国際病院名誉院長・日野原重明氏もまた同じような危機感を抱いていたひとりだった。彼は、高齢者が健康的で活発な生活を送るためのサークル「新老人の会」をつくり、現在では1万人以上の会員を擁する組織となっているが、瀬戸内寂聴も参加するその会でつくった本について彼女はこのように語っている。
〈日野原重明氏提唱の「新老人の会」というのは、七十五歳以上の元気で前向きな生き方のできる老人たちの集まりである。その人たちは戦争体験者なので、余生は戦争の記憶を綴り戦争を知らない若者に伝えたいと念願して戦争体験記の本を出した。それは真面目な立派な記録だけれど、今の若者たちにどうやってそれを読ませるかが問題である〉(前掲『生きてこそ』)
 また、そもそも、体験として戦争を語ることのできる人がどんどん減ってきてしまっているという問題もある。たとえば、水木しげる、永六輔、大橋巨泉、野坂昭如、ペギー葉山、野際陽子など、ここ数年だけでも戦争体験を盛んに語り継いでいた文化人や芸能人がどんどん鬼籍に入ってしまっている。
 だからこそ、いま語り残される戦争の記憶はとても重要なものであり、そこで語られる証言を我々は胸に刻み込むべきだろう。(編集部)


きょうの潮流
                      しんぶん赤旗 2021年11月12日
 命をかけた行動でした。6年前の6月、安保法制に反対する国会前の集会に93歳になる瀬戸内寂聴さんの姿がありました。
 重い病気からの病みあがりにもかかわらず、寝てはいられないと車いすで上京。最近の日本は自分が身をもって体験した戦争にどんどん近づいている、人間の一番悪いことを二度とくり返してはならないとマイクを握りしめました。
 若い世代の将来を心配しつつ、ともに声をあげる若者に希望を見いだしていました。「青春とは恋と革命」だといつも。悩みながらも、己の信じる道を歩んでほしい。それは、自身の生き方にも重ねた思いだったのでしょう。
 みずからを偽らず、隠さず、後ろを振り向かず、思うがまま走りつづける。66歳年下の秘書、瀬尾まなほさんが寂聴さんの魅力を語ったことがあります。戦争も核も原発も地上からなくしたいと、書くだけでなく行動してきた作家。その言動にどれだけの人が励まされ、救われてきたか。
 己の利を忘れ、人の幸せのために尽くす「忘己利他(もうこりた)」の教え。これを政治の世界で貫いているのが共産党と信頼をよせ、選挙のたびに応援してくれました。私と共産党は同じ年にうまれ、ことし数えで百歳になることを喜んで。先の総選挙の際も本紙日曜版に登場し、野党共闘にエールを送ってくれました。
 生きることは愛することだと、平和や自由、女性の社会進出を求め、命の限りを燃やした99年の生涯。自身の墓碑に刻む言葉は決めてあったそうです。
「愛した 書いた 祈った」


瀬戸内寂聴さんらが反原発を訴え
                         NHKニュース 2012-05-02
作家の瀬戸内寂聴さんらが、東京・霞が関の経済産業省の前で、原子力発電所の運転再開に反対する市民団体の活動に加わり、原発のない社会作りを呼びかけました。
経済産業省の前では、先月17日から市民団体が関西電力大飯原発の運転再開に反対するハンガーストライキを続けています。
 この活動を支援しようと、2日午前、作家の瀬戸内寂聴さんや澤地久枝さん、ジャーナリストの鎌田慧さんらが訪れました。法衣に「再稼働反対」と書かれた鉢巻きをつけた瀬戸内さんは、集まった人たちに、「広島と長崎に原爆を投下された日本からは原発を絶対になくさないといけません」と話しました。そして、原発の再稼働に向けた政府の動きについて、「何を考えているのかと思った。これまでにないくらい日本の状態は悪くなっている。私のようなおばあちゃんが訴えることで、多くの人に関心を持ってもらいたい」と話しました。
瀬戸内さんは、去年、原発事故が起きたことを受けて、講演や著作を通じて原発のない社会作りを呼びかける活動を続けています。市民団体のハンガーストライキは、国内で唯一、運転を続けている北海道電力泊原発3号機が運転を停止する今月5日まで続く予定で、瀬戸内さんたちは2日夕方までハンガーストライキに参加するということです。