2021年11月18日木曜日

デタラメ経済政策「アベノミクス」が招いた悲惨な結末(高野孟氏)

 ジャーナリスト高野孟氏が、「アベノミクスは一体どこへ行ってしまったのか?/中心ブレーンだった学者もまともに総括できない虚妄の経済学」との記事を出しました。

 デフレ脱却にはこれしかないとして浜田宏一東大名誉教授をブレーンにして、大々的に宣伝して始めたアベノミクスでしたが、いつになってもデフレ状態のままでした。大企業や投資家は大儲けをしたものの庶民はより貧しくなった9年間が過ぎ、安倍首相は1年前に退場しました。
 しかし健康を理由に退場したもののその実態は判然としないままで、当人は直ぐに病魔?を克服して健常人として復活しましたが、大々的に謳いあげて国費を522兆円も投じた挙句幻に終わった「アベノミクス」の総括は一切ありません。
 では522兆円は何処に行ったのか、高野氏は通貨は発行したもののそれは日銀の構内から外には出ていないとして、その仕掛けを分かりやすく解説しています。
 目下は政府所有の「上場投資信託(ETF)」「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」も見掛け上の「プラス益」を計上していますが、それは国の資金で株価を維持しているからで、中国も顔負けの国家資本主義状態にあるというのが、アベノミクスというデタラメ経済政策の悲惨な結末であるとしています。
 忘れてならないのは、いまもその手法の手仕舞いが出来ずにいる(政府が株の買い支えを止めることを察知した瞬間に投げ売りが始まり大暴落を招く)ことで、株の大暴落を防ぐためにひたすらこれまで通り資金を供給し続けるしかない状態にあるということです。
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“中国も顔負け”な日本のデタラメ経済政策「アベノミクス」が招いた悲惨な結末
                     高野孟 まぐまぐニュース 2021.11.16
                         『高野孟のTHE JOURNAL』
金融緩和、財政政策、成長戦略を「3本の矢」として、安倍政権のもとで進められたアベノミクス。株価の上昇や企業利益の大幅増等をもって「成功」とする向きもある一方で、我々庶民はその恩恵にあずかれた実感に乏しいというのが現状です。では、識者はアベノミクスについてどのような評価を下しているのでしょうか。今回のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』では著者でジャーナリストの高野孟さんが、アベノミクスは「経済学というより詐欺師的な心理操作ゲームの発想が裏づけとなっていた」として、そもそもの大元となる部分の“犯罪性”を指摘。その上で「現在の日本に必要なのは、アベノミクスの出発点にまで遡った徹底総括である」との見方を示しています。

 ※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2021年11月15日号の一部
  抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:高野孟(たかの・はじめ)
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

アベノミクスは一体どこへ行ってしまったのか?/中心ブレーンだった学者もまともに総括できない虚妄の経済学

アベノミクスの中心イデオローグで安倍政権の内閣官房参与も務めた浜田宏一=東京大学名誉教授が11月12日付毎日新聞夕刊の「特集ワイド」に登場し、アベノミクスの中心目標だった2%の物価上昇が達成できなかったことについて、「僕は物価目標の未達は国民にはマイナスではないので気にしない」と言い放ったのは驚愕した。

「この道しか無い」と宣言したのに
もはや皆さんの記憶も薄れているかもしれないが、安倍晋三首相(当時)は浜田らのアドバイスを受けて、日本経済が陥っていた停滞を「デフレ」と認識し、デフレと言えばモノが余ってカネが足りない状態を指すのであるから、日銀をして「異次元金融緩和」に踏み切らせ、カネをどんどん印刷して日銀を通じて世の中に供給させればいいとし、「この道しか無い」という毛筆のフリップまで得意げに掲げて記者会見した。
しかも、その効果はたちまち現れて、1~2年中に2%程度のインフレが実現して経済は好循環を取り戻すという楽観的な見通しが想定された。どうしてそうなるのかと言えば、これは浜田というよりノーベル賞経済学者のポール・クルーグマンが大元なのだろうが、「一時的な財政出動」や「紙幣の大量印刷」によってカネをじゃぶじゃぶにすれば、人々は金持ちになったかのように勘違いし、しかも近々インフレがやってきて金利が上がりそうだから、今のうちに住宅を買ったり車を乗り換えたり大きな買い物をしてローンを組んだ方が得かもしれないという心理に追い立てられて消費がブンブン回り始めるという、「騙しのテクニック」のような、経済学というより消費者を弄ぶ詐欺師的な心理操作ゲームの発想が裏づけとなっていた。
当時から私は、これは「ブードゥー(お呪い)経済学」で、こんなものにノーベル賞を与えたのはノーベル財団の恥だと正面切って異を唱え、とりわけ為政者の都合で人為的に物価を吊り上げて国民を騙したり脅したりして消費に駆り立てるなどもってのほかだと主張した。しかし、浜田や安倍はそれが景気回復への道筋なのだと信じて突っ走った。
 ※ 文末にINSIDER No.812のクルーグマン批判を添付する
その張本人の浜田が、今になって「物価目標の未達は国民にマイナスではないので気にしない」とはどういうことだ。それさえ達成すれば魔法のように日本経済が蘇るかのように言って掲げた「2%の物価上昇」は、実現しようとしまいとどうでもいいようなことだったのか。実現しなかったことで国民にマイナスを与えなかったのでむしろよかったということなのか。ふざけた話である。

日銀が供給した522兆円のお札はどこへ
アベノミクスの《第1の矢》は異次元金融緩和で、これは確実に実行された。日銀が供給するカネの総額はマネタリーベースで、黒田東彦が日銀総裁に就いてアベノミクスが発動された2013年3月には135兆円だったのに対し、8年間で522兆円も増えて21年8月で約約5倍の657兆円に達した
あれれ?日銀がお金を刷ってじゃぶじゃぶにすればインフレになるんじゃなかったんでしたっけ。そうすると人々が勘違いして競って消費に走るんじゃなかったんでしたっけ。そんなことは何も起きていない。そすると522兆円は一体どこへ行ってしまったのか。
結論から言うと、驚くべきことに、日銀の構内から外へ出ていないのだ。
日銀がマネタリーベースを増やすと言っても、ヘリコプターでお札をバラまくわけには行かないから、まずは国債を買う。しかし日銀が直接に市場から買い付けることはできないので、市中銀行が持っている国債を買い上げてその代金を各市中銀行が日銀内に置いている「日銀当座預金」に振り込む。
日銀当座預金は、本来は、各銀行がイザという場合に備えた準備金を積んでおくところだが、日銀と各行とのやりとりにも使われる。日銀がどんどん国債を買って日銀当座預金が増えても、その大部分は金利が付かないどころか、後には一部は逆金利をとられて置いておくと損になるような意地悪までなされたから、各行は居たたまれずにカネを引き出して投資や融資に回そうとするので、それを通じてマネタリーベースの増分が世の中に出回るはずだと想定された。が、そうはならず、13年3月にはわずか総計47兆円しかなかった各行の日銀当座預金は、8年間に494兆円も増えて542兆円にまで膨れ上がった
マネタリーベースが522兆円増えたのに、各行が日銀内の口座に置いているマネーが494兆円も増えたということは、それが基本的に日銀の構内での自閉的なやりとりに終わっているということである。

人口減少社会の到来で需要そのものが減少
どうして各行が日銀口座からカネを引き出さないのかと言えば、話は簡単で、資金需要がないからである。
水野和夫=法政大学教授が言うように、16世紀以来の資本主義のグローバル化はすでに「終焉」し、全世界的に過剰生産状態に立ち至っていて、モノが余っているのは日本だけでない先進国共通の現象である。それに加えて日本では、どの先進国よりも早く「人口減少社会」が訪れてきていて、国土交通省の推計によれば、2050年には総人口が9,515万人、その40%が高齢人口であるという状態に至ることは避けられない。2006年の総人口1億2,777万人をピークとして、日本はとっくにその坂道を転がり始めていて、だから需要は確実に減少していくのである。
その根本的な構造問題に目を向けることなく、金融的マジックで人々の心をたぶらかして見せかけだけの好景気を幻視させようとしたところに、アベノミクスの誤りというには余りにも酷い犯罪性があったのである。
そういうわけで、国債発行残高は13年3月には744兆円であったのが、21年8月までに313兆円増えて1,056兆円に達したが、その増えた分をどんどん買い進めたのは日銀で、その結果、日銀の国債保有残高は21年7月末で534兆円と、国債全体の半分超となった。
国債を買っただけでは間に合わないと見た日銀は、株式にも手を染め、13年から本格的に買い漁りを始めた。ここでも、直接に市場で個別銘柄を買い付けるという乱暴なことはできないから、「上場投資信託(ETF)」を買うのだが、この額が20年末で簿価で36兆円、時価で52兆円の巨額に達し、国内株式の最大保有者となった。結果、日銀が発行済み株式の5%以上を保有する有力株主となっている1部上場企業は何と395社にもなった。
日銀が国内最大となる前のNo.1は「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」で、その保有高は47兆円。この年金ファンドも公的機関であるから、日本の株式市場は日銀のGPIFを合わせて約100兆円分もの国家的資金に支えられていることになる。国債市場も株式市場も、さらに言えば為替市場も財務省を通じて円安に誘導されてきたことも含めれば、国債・株式・為替の3大市場が国家管理下にある中国も顔負けの国家資本主義状態になってしまったというのが、アベノミクスというデタラメ経済政策の悲惨な結末なのである。

GDPも縮小し始めて覚悟すべき「小日本」
経済の動向を捉える基本指標であるGDPを国際比較するにはドルベースで見なければならないが、アベノミクスの始まりの2013年には、名目GDPが米国16.8兆、中国9.6兆に対して日本5.2兆ドルであったのに対し、21年のIMF予測は、それぞれ22.9、16.9、5.1である。米国も何のかのと言って伸び続け、中国は21年に8年前の米国と同じ経済規模に達しようというのに、日本は独り8年前から横這いないしやや縮減という有様である。
アベノミクスが間違っていたから日本が縮小過程に入ったのではない。日本はすでに社会構造的に縮小過程に入っているというのにそれを不況だとかデフレだとかの景気変動現象だと誤認して、無理矢理に成長軌道に戻そうとしたが、やはりそうはならなかったということである。
そこまで遡って掘り下げて初めて、この国はどこへ向かって歩むべきかを考え始めることができるはずで、その方向は端的に言えば「小日本主義」だろうと私は思う。ところがこの間、自民党総裁選で語られたのは小泉~安倍~竹中流の「新自由主義」に対する「新しい資本主義」で、どうもその新しい資本主義は「分配」にもう少し力点を置くという意味らしいことは判った。次に総選挙で語られたのは、野党第一党が「分配」というならこちらが本家で、「分配なくして成長なし」と言い立てたのに対して、岸田が「いや、やはり成長なくして分配はない」と応えたりして、結局のところ双方とも「成長」への道を競い合っている有様である。

こういう焦点のボヤけた低レベルの議論にしかならないのは、アベノミクスをそもそもの出発点にまで遡って徹底総括するということがなされていないからで、それをすれば、人口減少社会に相応しい、量的に拡大はしないけれども質的に充実した暮らしぶりを実現するための構想の競い合いになっていくのではないか。

<参考>
● アベノミクスは終わった…海外主要メディアによる「死刑宣告」を比較
(メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2021年11月15日号より一部抜粋・文中敬称略。全文はメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』を購読するとお読みいただけます)

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早稲田大学文学部卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。現在は半農半ジャーナリストとしてとして活動中。メルマガを読めば日本の置かれている立場が一目瞭然、今なすべきことが見えてくる。