世に倦む日日氏が掲題の記事を出しました。
同氏は、9/2に参政党の国会議員団がスパイ防止法制定に向けた勉強会を開き、9/11に国民党がスパイ防止法案について検討するワーキングチームの初会合を開き、9/16に維新がスパイ防止法制定への議論に着手することを発表した…と書き出し、この動きに弾みをつけたのが9/8の石破辞任の政変であり、立民党はまだ党としての立場と方針を明らかにしていないものの9/11に行われた新人事では辻元清美や長妻昭の名前が消え、幹事長が小川淳也から安住淳に変わっていることに言及しています。
そして5/27に高市早苗がスパイ防止法の制定を石破首相に提言し、「自民党の参院選公約にせよ」と要求した際に、岩屋外相が人権への配慮の一般論を政府見解として示し、政権における防波堤の役を務めてきたことを挙げ、スパイ防止法を政治の観点から見たとき、ハト派の路線と姿勢が顕著だった石破政権が挫折した意味と影響はきわめて大きいと述べます。
* 岩屋外相は9/17にはイスラエル軍のガザ地上侵攻に対し、「許容できない。強く非
難する」とする談話を発表しました。
れいわ新選組はスパイ防止法に反対する立場から8/1に質問主意書を提出し、「日本をスパイ天国だと考えてない」とする政府答弁書を引き出しました。それなのに参政党などは「日本はスパイ天国だとあげつらってスパイ防止法の制定を主張していますが、『スパイ防止法は戦前の治安維持法と同じであり、反戦の声を封殺して言論の自由を奪うことが真の目的』です。そのことを百も承知の上でSNS等で国民を騙しながら法の制定に奔ろうとしているのは恐ろしい話です。
記事は1978年11月に統一教会が機関紙「世界思想」を通じてキャンペーンを始めた「スパイ防止法制定3000万人署名国民運動」を起点とするスパイ防止法制定の試みが民主勢力の反対で潰されてきたために、2013年に安倍首相がそれに代わる「特定秘密の保護に関する法律」を世論の反対と野党の抵抗を押し切って強行採決で成立させた経過を述べます。
そして戦前の治安維持法第1条の「国体を変革すること」や「目的遂行の為にする行為」が、どのようにも拡大解釈され、言論弾圧・思想統制の武器となって猛威を奮ったことを明らかにして、スパイ防止法は、事実上の言論封殺と思想統制を、刑事法制化して国家的に機能させ、公安警察が捜査し公訴して刑罰を与えるシステムに変えるのであると警告しています。
1925年に制定された治安維持法が上記1条の拡大解釈で牙を剥いて市民に襲いかかったのは1931年の満州事変が始まってからでした。
SNSなどでの甘言に決してたぶらかされるべきではありません。
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スパイ防止法をめぐる政治情勢 - 高市、 参政、 維新、 国民、 立民? 公明?
世に倦む日日 2025年9月18日
石破茂が失脚した後、総裁選レースが始まってマスコミの空間が埋まっている。が、自民党の宣伝には全く興味がわかず、関連ニュースを見ていない。アメリカではMAGA派の若手活動家が銃撃された。この事件は関心を惹くけれど、特に深堀りして観察する気にはならない。普通の日本人ならそうだろう。内田樹が、アメリカで内戦が勃発する状況をひどく心配してやっている。どうしてそんなに親身になって気にかけてやるのかと鼻白む気分になる。3年前、ウォルター・バーバラの問題作が話題になったとき、内田樹はアメリカのレジリエンス(⇒回復力)の能力を称揚し、分断しても復元して成長するアメリカへの信頼を唱えていた。当時の大越健介など日本マスコミの対米盲従派と列を一つにした態度で、アメリカを礼賛する〝安心理論”を日本左翼にエバンジェリズム(⇒福音伝道)していた。わずか3年で、アメリカは建国以来の本来的復元力を喪失したのだろうか。楽観論から悲観論へ、ずいぶんコロコロ認識が変わるものだ。
関心が向かうのは、スパイ防止法の情勢やトランプ「投資」80兆円の財源についてである。9/2、参政党の国会議員団がスパイ防止法制定に向けた勉強会を開き、議員がその様子をXで報告している。塩入清香の投稿には「法制局の方にご協力頂き」とあり、内閣法制局の官僚が参席している事実が確認できる。9/11、国民民主党がスパイ防止法案について検討するワーキングチームの初会合を開き、法案を作成する作業を始動させた。与野党に協議を呼びかける構えだ。玉木雄一郎は、参院選前からスパイ防止法を公約に掲げる旨を明言していた。9/16、日本維新の会がスパイ防止法制定への議論に着手することを発表、他党との法案の共同提出の意向を示している。マスコミは報道の表面に取り上げないが、9月に入ってスパイ防止法の政治が勢いよく進行している。この動きに弾みをつけたのが、9/8 の石破辞任の政変であることは言うまでもない。
5/27 に高市早苗が石破茂にスパイ防止法の制定を提言し、自民党の参院選公約にせよと要求した後、外相だった岩屋毅が慎重姿勢を表明、人権への配慮の一般論を政府見解として示し、政権における防波堤の役を務めてきた。スパイ防止法の政治の観点から見たとき、ハト派の路線と姿勢が顕著だった石破政権が挫折した意味と影響はきわめて大きい。石破おろしを成功させ、右翼側はスパイ防止法を一気呵成に射止めるべく、陣触れの法螺貝を吹いて怒涛の攻勢に出ている。現時点で、自民党総裁選でスパイ防止法がどう議論されるのかされないのか不明だが、おそらく新総裁が決まった10月以降、永田町政局の重要テーマとして浮上するに違いない。長く政治を見てきた目から弱気に印象を言えば、もう6-7割方勝負がついている感を否めない。焦点は立憲民主党の動向だが、水面下で国民民主や維新が中枢に接触して、野田執行部を調略する懐柔工作を続けているだろう。
共産党はスパイ防止法に反対している。れいわ新選組も、スパイ防止法に反対する立場から 8/1 に質問主意書を提出、「日本をスパイ天国だと考えてない」とする政府答弁書を引き出した。問題は立憲民主党で、現時点で党としての立場と方針を明らかにしていない。が、内部で検討してないはずがなく、極秘裏に対応を協議しているだろう。9/11 に行われた新人事を見ると、辻元清美や長妻昭の名前が消え、幹事長が小川淳也から安住淳に変わっている。野田佳彦の独断が効く体制に切り換えていて、テレビの政策討論に出る党の顔から辻元清美と長妻昭を消した。国民民主や維新との調和や連携を強める意図と動機からのシフトだと想定される。辻元清美と長妻昭を置いておくと、報道1930やプライムニュースでスパイ防止法の討論となった際、左寄りの発言を漏らしそうで不安だと、そう野田佳彦が思惑して一掃したのではないか。野田佳彦や安住淳の本心はスパイ防止法に賛成だろう。が、党内には反対の旗幟の左派もいる。立憲民主党の態度が焦点だ。
スパイ防止法の政治のキーマンの一人は松原耕二で、この男がどうアドミニ(⇒管理)するかも要注目のポイントである。もう肚を決めて戦略を固めているかもしれず、野田佳彦の出方を待っているようにも見える。野田佳彦と相談している可能性もある。立憲民主が賛成となれば、番組で特集して騒ぐ必要もなく、永田町が決めた既成事実として粛々と流し、世論調査の数字を出して終わりだ。松原耕二と堤伸輔が懸念しているのは、立憲民主の党内が二つに割れ、左派が反対の声を上げ、国民の反対世論を大きくした場合の展開だろう。そのときは、2013年の秘密保護法や2017年の共謀罪の政治対立と抗議運動が再び惹起される事態が出現する。実際、スパイ防止法は戦前の治安維持法と同じであり、反戦の声を封殺して言論の自由を奪うことが真の目的だから、反対運動が国民的規模で盛り上がってもおかしくない。むしろ今からデモが頻発して当然で、黙過している現状こそおかしい。
スパイ防止法の政治の今後を予想して不吉になるのは、3年前の敵基地攻撃能力の政治が再現される不安と予感からである。思い出しても意外で戸惑うほど、何の批判も反対も出なかった。無風で松原耕二の政治番組を通過し、デモもなく文化人の反発もなく、閣議決定が素通りしてしまった。信じられない光景だった。敵基地攻撃能力の決定と配備を阻止するため、嘗ての野党はどれほど気勢を上げて奮戦しただろう。どれだけ攻防のエネルギーが国会論戦で費やされ、何度も(革新側が反動政府を)押し返してきただろう。国民的議論の鍔迫り合いを繰り返し、いつも危ないところで、危機一髪でそれを回避してきたのだった。敵基地攻撃能力は、消費税と並んで、戦後の日本政治史の重要な争点の一つであり、言わばわれわれの政治の財産である。それが3年前、音一つ立てず、掠り傷一つもなく、岸田政権の下で実現となった。松原耕二は討論の演出もしなかった。それに対する不満すら出なかった。
実は、スパイ防止法がまた、敵基地攻撃能力と同じであり、長い間、何度も何度も、保守反動の自民党政権が国会で法案成立を狙い、革新野党が国民世論の支持を得てそれを阻止してきた政策であり政治争点なのだ。まず重要なのは、戦後日本においてスパイ防止法の制定に最初に動き、政界工作を始めたのが統一教会(勝共連合)であるという事実である。1978年11月、統一教会は機関紙「世界思想」を通じてキャンペーンを始め、「スパイ防止法制定3000万人署名国民運動」を開始する。翌1979年2月、勝共連合と自民党タカ派議員が中心となり、宇野精一を議長とする「スパイ防止法制定促進国民会議」を設立、全国の自治体議会に働きかけるなどの活動を始める。この団体は現在も活動を継続していて、HPを開設して積極的に発信している。この時期、私と同世代の者は記憶が鮮明だと思うが、全国の大学キャンパスに根を張った原理研究会が勧誘被害を頻発させ、行方不明者を出して大問題になっていた。松下政経塾が立ち上がったのが1979年である。
1985年、中曽根内閣の下、6月に自民党が議員立法で「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」を国会提出。が、当時は革新野党の勢力が強く、またマスコミも健全で反対世論が大きかったため、自民党内に反対する議員が出現、通常国会で採決できず継続審議となり、秋の臨時国会でも審議未了で廃案となった。反対議員の一人に1期目河本派の村上誠一郎がいる。谷垣禎一、大島正森、鳩山由紀夫、白川勝彦も党内反対派のメンバーだった。この年は戦後40年の年だったが、政治家にもマスコミ人にも、治安維持法の経験と恐怖の記憶が生々しく生きていたと言える。翌1986年、第二次中曽根内閣は法案再提出を目論むが、党総務会が国会への提出は見送る進行となる。この時期、独断専行を強める中曽根康弘と個性の強い有力党人が集まる総務会との間で緊張関係があり、全会一致が原則の総務会で了承が得られなかった。党で一任されて見送りを決めたのは政調会長だった伊東正義で、日本パレスチナ議員連盟会長も務めていた宏池会の幹部である。
その後、自民党は方針を変え、スパイ防止法をストレートに成立・制定させるのではなく、テクニカルな中身を少しずつ別の法律に入れて制度化するようになり、小泉政権下の2001年の自衛隊法改正時に「防衛秘密」規定を新設し、かねてより狙っていた目的の一部を実現した。また、第二次安倍内閣の下で2013年10月には「特定秘密の保護に関する法律」が提出され、世論の反対と野党の抵抗を押し切って強行採決で成立させた。官房長官は、辺見庸から「特高顔」を揶揄された菅義偉。今から12年前の出来事だが、私も何度か国会周辺の反対集会に出かけ、プラカードを持った頭数の一人となり、その報告をブログに上げた。参院本会議で可決成立したのは 12/6 夜で、議員会館前の銀杏並木が街灯に映え、眩く黄金に輝く景色だったのを思い出す。都心の夜の風が心地よかった。古舘伊知郎の報ステも岸井成格のNEWS23も、秘密保護法には断固反対の論陣を張った。マスコミの世論調査は各社とも反対が圧倒的多数の結果で、日テレですら反対が賛成の2倍を超えていた。
9/11 にスパイ防止法のWT会合を開いた国民民主の議員は、「敵対勢力の不透明な活動から民主主義を防衛」することを立法目的として説明している。この目的は法文の冒頭に書き込まれるかもしれない。その場合は戦前の治安維持法とそっくり同じ法律になる。「民主主義」とは何なのか、「民主主義を防衛する」とはどういう意味か、定義が問題になり、混乱し、情勢の中で一方的に拡大解釈する可能性が大だからである。例えば、いま私が書いている記事の主張も、民主主義に敵対する行為に該当すると決めつけられ、処罰の対象になる恐れがある。治安維持法がそうした性格の法律だった。治安維持法第1条は、「国体を変革することを目的として結社を組織し(略)又は結社の(略)指導者たる任務に従事したる者」に死刑・無期もしくは5年以上の刑を科し、「結社の目的遂行の為にする行為を為したる者」に2年以上の有期刑を定めている。が、この「国体を変革すること」や「目的遂行の為にする行為」が、どのようにも拡大解釈され、言論弾圧・思想統制の武器となって猛威を奮うのである。
国民民主のWTの議員は、その暗黒の歴史を知ってか知らぬか、堂々と「民主主義の防衛」が目的だと言っている。法が施行されれば、何が民主主義かを判断し、何が民主主義に敵対し民主主義を侵害する行為なのかを判断するのは当局のフリーハンドになるのだ。極論だが、例えばSNSの投稿で、ファーウェイのAI技術やSMICの半導体技術を高く評価したり、BYDのEV車の性能を称賛して推薦したら、それは「民主主義の脅威である敵対勢力の不透明な活動」と見做されかねないし、現に今でも右翼はそうした誹謗中傷を活発に行い、中国の製品や技術を正しく評価する日本の言論を排除している。ネットの匿名右翼だけでなく、政治家もその種の発言を繰り返し、学者や著名な論者も電波上で連発している。福島原発事故の放射能汚染を恐れて日本産の食料品輸入を制限する動きに対して、国民の健康を考えれば当然の措置だと一言でも言うと、右翼から袋叩きされる。「汚染水」という言葉を使うと「中国のスパイ」だと指弾される。
スパイ防止法は、そうした言わば自主的な、自粛と萎縮で押さえ込む事実上の言論封殺と思想統制を、刑事法制化して国家的に機能させ、匿名右翼が誹謗中傷して苦痛を与える私刑ではなく、公安警察が捜査し公訴して刑罰を与えるシステムに変えるのである。今回、懸念を覚えるのは、「認知戦」という概念がここ数年間にまかり通っていて、思想犯罪の構成要件が固められる気配が漂いつつあるからである。憲法は「内心の自由」を保障していて、国家は個人の内面に手を突っ込んではならない。だが、認知戦という軍事概念の濫用によって、自由な言論が、戦争の攻撃や防御の手段の一つとして意味転換してしまう。本人の主観とは無関係に軍事的イデオロギー的な色を塗られる。上で例示した非政治的な議論や言動は、そのまま国防と治安のレベルで監視される対象になり、すなわち「中国を利する認知戦のスパイ工作員行為」と認定されてしまう。私は以前から、この視角で「認知戦」論に異議を唱えてきたが、憲法学者から声が聞こえてこないのが残念だ。
1925年に制定された治安維持法が、拡大解釈で牙を剥いて市民に襲いかかるのは、1931年の満州事変が始まってからだった。検挙と取締りの範囲は、法が目的とした共産主義者に止まらず、無縁な宗教団体や自由主義者に広がり、庶民が戦争に批判的な言辞を漏らしただけで、通報され摘発され連行され、警察署内の取調べで特高刑事から苛烈な暴行・拷問を受けた。一晩拘留されて釈放されるのが通常だった。『少年H』とか『キネマの天地』とか、そうした実態を描いた映画やドラマは無数にある。広範な庶民層が恣意的な法運用の対象になり、見せしめリンチの被害者になっていたからこそ、特高が徹底的に嫌われ、戦後に告発・糾弾されたのである。自由主義者の河合栄次郎も治安維持法で命を落とし、創価学会の牧口常三郎も獄死させられた。上の部分で、立憲民主党がスパイ防止法の焦点だと書いたが、本当に鍵を握るのは公明党かもしれない。9/10 に斎藤鉄夫が「連立は保守中道の方と」と牽制したのは、スパイ防止法への懸念が念頭にあるからだろう。
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。