2022年4月25日月曜日

日本は自国の“黒歴史”への反省なくしてロシア非難はできない(三枝成彰氏)

 日刊ゲンダイに連載(毎土曜日)されている「三枝成彰の中高年革命」のコーナーに23日、「日本は自国の“黒歴史”への反省なくしてロシア非難はできない」とする記事が載りました。

 そこでは「時代の変化に真っ先に対応しなければいけないのが為政者のはずだが、プーチンは流れに逆行し、多くの市民を自らの妄想の道連れにしようとしている」と、プーチンを非難する一方で、「プーチンを非難するなら、まずは自国の過去に目を向け、私たちもかつてのあやまちを反省し、心から謝罪すると一言おいてから向き合うべきだ」と述べています。
 記事では日本以外に、アメリカ(とドイツ)がかつて行った蛮行を具体的に挙げていますが、冒頭で「みじんも後ろ暗いところなくロシアを批判できる国は、どれほどあるのだろうか?」と述べています。
 考えてみればロシア(当時はソ連)も第2次世界大戦時、ナチスドイツの侵攻を受けて、いずれ敗北するだろうと周囲が傍観していた中でそれを撃退したのですが、そのときに1200万人とも2000万人ともいわれる人命を失ったのでした。
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三枝成彰の中高年革命
日本は自国の“黒歴史”への反省なくしてロシア非難はできない
                          日刊ゲンダイ 2022/04/23
 ロシアのウクライナ侵攻に対して世界中が非難囂々(ごうごう)だが、みじんも後ろ暗いところなくロシアを批判できる国は、どれほどあるのだろうか?
 まず日本。中国戦線では中国軍の死者は130万人、民間の死傷者は2000万人にのぼるという。そして(日本は)敗戦までに、軍人・軍属・民間人を含め400万人もの犠牲者を出した。現在も110万柱の遺骨が収集されず、かつての激戦地に置き去りにされたままだ。
 アメリカは開拓当時、ネーティブアメリカンなどの先住民の居住地を幾多の戦争で平らげ、自国の領土として支配した。1846年からの米墨戦争でメキシコに勝つと、併合済みのテキサスのほか、カリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラドを自国領とした。スペインとの米西戦争(1898年)ではスペイン領だったフィリピン、グアム、プエルトリコを得て、キューバを保護国にしている。これらは侵略戦争ではないのか?

 1941年からの太平洋戦争は日本の真珠湾攻撃が契機だが、アメリカは事前に知っており、第2次大戦に参戦する理由をつくるため、わざと攻撃を許したともいわれる。ルーズベルト大統領は「欧州の戦争には参戦しない」と公約に掲げて当選したにもかかわらずだ。挙げ句に日本に2度の原爆投下を行い、広島と長崎を壊滅させ、多くの人たちを被爆させた。
 その後は朝鮮戦争、ベトナム戦争を経て、2003年からのイラク戦争だ。911テロ(これ自体にアメリカ陰謀説がある)をきっかけとしてイラクに大量破壊兵器保有の疑いをかけ、爆撃を行ってフセインを殺したが、結局何の証拠も出なかった。
 この戦争はイラクが原油取引の決済をドルからユーロに変えようとしたことへの制裁だったともいうが、事実ならば犠牲者たちは浮かばれない。
 ドイツも旧ナチス時代、600万人ともいわれるユダヤ人を虐殺し、ヨーロッパ中に消えない傷痕を残した。ユダヤ人を含む被害者の総数は2600万人に及ぶ。

 3月2日の国連総会では193カ国中141カ国がロシアへの非難決議に賛成票を投じた。賛成した国の多くは「すねに傷持つ身」である。ロシアと大差ない行いをしてきた国もあるだろう。もちろんロシアが現にウクライナで行っている軍事侵攻は明白な非人道的行為であり、最大級の非難をされてしかるべきだが、同時に、自国の“黒歴史”とも呼ぶべき過去の非道への反省も欠かすことはできないと思う。

 “戦争の世紀”から“共生の世紀”へ──。20世紀から21世紀にかけて大きく世の中が変わったことにプーチンは気づいていない。男性はマッチョでいられず、体形やムダ毛を気にして化粧もするようになった。中性的なタレントが人気となり、女性が政治や経済の要職に就いている。それが現代だ。何もかも、プーチンが妄想する「大ロシア」の頃とは様変わりしている。それなのに、いまだマッチョイズムを信奉し、力での解決を是として愚行に踏み切ったのだ。彼は21世紀に蘇ったヒトラーである。完全に裸の王様だ。
 時代の変化に真っ先に対応しなければいけないのが為政者のはずだが、プーチンは流れに逆行し、多くの市民を自らの妄想の道連れにしようとしている。
 そんな過ぎた時代の“強きリーダー”を演じ続けるプーチンを非難するなら、まずは自国の過去に目を向け、「私たちもかつてのあやまちを反省し、心から謝罪する」と一言おいてから向き合うべきだ。自戒と反省を踏まえての非難であれば、その時こそ大きな説得力を持つだろう。
 プーチンの行いは、21世紀に決して許されるものではない。