2022年4月17日日曜日

17- 遠藤誉の抵抗と不抜 - 戦争プロパガンダ中毒の解毒剤を求める悲鳴の声(世に倦む日々)

 世に倦む日々氏が「遠藤誉の抵抗と不抜 - 戦争プロパガンダ中毒の解毒剤を求める悲鳴の声」とする記事を出しました。以下に紹介します。
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   (4月15日) ウクライナ戦争の責任はアメリカにある! 米・仏の研究者が(遠藤 誉氏)
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遠藤誉の抵抗と不抜 - 戦争プロパガンダ中毒の解毒剤を求める悲鳴の声
                          世に倦む日々 2022-04-16
4月13日、遠藤誉の「ウクライナ戦争の責任はアメリカにある!」という記事が出た。E.トッドとJ.ミアシャイマーの所論を紹介し、この戦争は「ロシアとウクライナの戦争」ではなく「ロシアとアメリカ&NATOの戦争」だとあらためて断言している。その正論を発したことで国内でバッシングを受けていたが、トッドとミアシャイマーの2人が同じ主張をしたので意を強くしたと、そういう旨が率直に書かれている。

いま世の中は、「知性」でものごとを考えることを許さず、「感情」で発信することしか認められない。まるで戦時中、大本営発表に逆らう者は非国民と言わんばかりだ。

私は遠藤誉と政治的立場を異にするが、この意見に大いに共感する。本人の胆力に感心する。悲痛な叫びに聞こえる記事から想像すると、体制派保守言論人で影響力のある彼女のところには、相当な締めつけが来ているのに違いない

マスコミの戦争プロパガンダの反復は、日を追う毎に毒の濃度を増していて、最早取りつく島がない。報道1930のプロパガンダは、一度ウソを言ったあと、そのウソを前提にさらに猛毒のウソを積み重ねる放送を続けていて、手の施しようがない段階に至っている。最早、ロシアヘイトという領域をはるかに超えており、オウム真理教のサティアン空間そのものだ。堤伸輔は自身が垂れる歪曲への衒いがなくなっていて、どんどん捏造の乱発に踏み込み、ウソを自己の信念に固めている。

4月14日の放送では、選挙で選ばれたヤヌコビッチを「独裁的な大統領」だと言った。事実は、CIAに後押しされたクーデター(マイダン革命)で大統領職を奪ったのがポロシェンコである。体制転覆の暴力革命を推進し、新体制を保全する暴力装置となったのが、ネオナチのアゾフ大隊である。この事実認識は、侵攻前までは世界の - 特にリベラルの中で - 当然の共通認識だった。堤伸輔が自分の発言(プロパガンダ)の責任の前に正座させられるのはいつだろうか。それとも、責任を問われる日は永遠に来ないのだろうか。

マスコミだけでなく、ネットでもヒステリックな戦争プロパガンダの絨毯爆撃が手抜きなく行われている。細谷雄一とか篠田英朗とかが、目を血走らせて「陰謀論者」叩きに狂奔している。とても学者と呼べないような、下品で読むに堪えない攻撃的な文章を連日並べている。「ロシア寄り」と見做した者を探し見つけて血祭りに上げる掃討戦に精を出している。これもCIA指令の作戦(世論戦)の一部で、戦時だからさもありなんとも思うが、日本という静かな国の言論の一般基準から照らして、あまりに暴力的で凶悪な印象が否めない。

今回の侵攻をめぐる論壇で、日本にはミアシャイマーのような権威のある大物の反対派はいない。マイケル・ムーアのような、良心と良識を守ろうとする者の支えとなるような、エッジの利いた発信をする有力な知識人は存在しない。誰もいない。にもかかわらず、細谷雄一や篠田英明などのヒステリーは度を超えたボルテージで噴出し氾濫している。細谷や篠田のような右翼だけでなく、木下ちがやのような左翼も右翼に劣らぬ狂気と憎悪剥き出しで、「反米陰謀論者」の摘発と罵倒に血道を上げている。

なぜこのような思想現象が起きているのだろう。実際、ツイッターのタイムラインを見ると、確かな事実として、今のマスコミの戦争プロパガンダの洪水に辟易としている者が多くいる事情が窺える。プロパガンダの中毒に対して悲鳴を上げている市井の声が渦巻いている。それは小さくならない。どれほどマスコミがロシアとプーチンを悪魔化し、強力にだめを押しても、まるで自然現象のように反発が生じ、ロシア悪魔化の戦争プロパガンダが成就・完遂しない。ネットを含めた完全な日本の国論としてセメント化できない。

不思議だなと思いつつ、そこに一つの政治学的な仮説を直観した。日本人は、何より村八分を恐れる民族である。疎外されること、孤立することを極端に嫌い、周りの顔色を覗い、自分も他の衆と同じ位置にいることを確認して安心する傾向と属性を持っている。日本人は歴史始原的な一体性と等質性を持った民族だと丸山真男は言った。その法則性が常に諸々全般に行き渡り、したがって、今回のロシアのウクライナ侵攻の問題でも、マスコミの報道と論評は一つであり、異論は全く存在しない

この言論風景は、日本の思想的特質を考えれば、さほど不自然なものではなく日本らしい情景と言える。日本のコミュニティでは、ミアシャイマーのような反骨の言論者はシンボリックに登場しない。だが、しかし、日本社会の全員が、マスコミが日々轟発させ圧搾する戦争プロパガンダに賛同し、感化され帰一しているかというと、決してそうではない。抵抗の呟きは無名匿名者によって日々発信され、絶えず息づき、むしろ、上からのシャワーに対して反感と不信の態度を強めている状況に見える。細谷雄一などが血眼になって制圧を試みるほどに、効果は逆に出ている。

日本人は穏健な中庸を好む民族であり、自己が異端になることを恐れる。そのネイティブな真ん中指向の性質が、西側一辺倒で過剰で露骨きわまりない戦争プロパガンダにどうしても馴染めないのだ。同意できないのだ。ウクライナの政権がネオナチだという見方は世間の一般認識だった。それが一夜でひっくり返り、その言説はロシアのプロパガンダであり、それを信じる輩は「陰謀論者」だという定義に変わった。アゾフ大隊がネオナチのテロ組織だという了解も常識事項だった。公安調査庁までが公式にエンドース(⇒裏書保証)していた。だが、それが一夜で覆り、公安調査庁のHPは削除された。

いわば文化大革命の進行である。マイルドな中庸での安定を好む日本人は、その文化大革命について行けないのだ。その過激な環境変化に心理的に順応できず、中庸と良識の自己主張をするのである。そして、それが、遠藤誉のような絶叫になって発出されるのだ。戦争と流血を好まない日本人は、橋下徹や玉川徹の厭戦白旗論の方向に頷く。だが、テレビに出る防衛研の専門家や番組キャスターは、ウクライナが戦争に勝利することが平和だと言い、もっとウ軍に武器を送れと言う。マリウポリのウ軍に最後まで戦えと檄を飛ばす。祖国の主権が命だと唱え、自由と民主主意の価値観の普遍性のドグマを説教する。

日本人は、健全な中庸の位置でありたいが故に、今のプロパガンダの嵐を異常で有害と感じるのであり、戦争プロパガンダの極で日本が一つになることに生理的な拒絶感をもよおすのに違いない。今のマスコミの論調では不具合すぎ、コミットして一つにはなれないのである。日常の中で価値を選択し判断して生きている一人一人が、これでいいのだろうか、偏りすぎではないか、戦争にのめり込みすぎではないかと、そう心の底で思っている。真ん中でありたいが故に、慎重さとバランス感覚を求め、今のファッショ的風潮に尻込みしている。日本人は一色に染まりやすい民族だが、今度の問題では一色に染まっていない。無理がある

今回、不思議な現象はもう一つあって、西側の戦争プロパガンダに抵抗する勢力に、明らかに右と左が存在する事実である。例えば、日本では、右翼の一水会がその論陣を張って注目を集めている。遠藤誉も右だ。元陸将補の矢野義昭の議論もそうである。矢野義昭の話は、南京大虐殺を否定している点で到底肯けない極右の代物だけれど、今回の侵攻とその背景については正しい認識が整理されている。アゾフ連隊がCIAの関与で作られたネオナチ組織だと認めている。軍事解説の中身も、小泉悠などとは比較にならないほど理路整然として正確だ。

日本で右と左に抵抗の核があるように、フランスも同様の如くで、ルペンの直言が小気味がいい。13日の会見で「NATOの統合軍事機構から離脱したい」と自主独立外交の持論を述べている。過去のインタビューでは、その理由として、「NATOはソ連と戦うために作られたからです。今日、ソ連は存在しません」と喝破していた。13日の発言は、24日の決選投票を前にして、左派票(メランション票)の獲得を意識してのものだろうが、選挙前に正面からNATO脱退を言い、この戦争での中立的立場を言うということは、フランスでも右と左に抵抗の核がある証左だろう。