2022年4月23日土曜日

対ロシア一方的非難の扇動 寛容をかなぐり捨てたリベラル(世に倦む日々)

 日本には、ロシアのウクライナ侵攻に対して、「ロシアもウクライナ(あるいは米国)もどっちもどっちだ」という主張は許されないという雰囲気があります。いわゆる「西側」の中でも米国追従ぶりでは英国に次いでいる日本なので、当然そうなるのかも知れませんが、世に倦む日々氏は、それは「ロシアに対して不寛容に徹せよと叫号している」ことに他ならないとして、「寛容の思想と複眼の理性がリベラルの本質ではなかったのか」と問い、それでは犯罪者の「犯行理由の説明に耳を貸す必要はないと言っているのと同じ」ではないかと指摘しています。説得力があります。

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どっちもどっち論叩きと一方的非難の扇動 – 寛容をかなぐり捨てたリベラル
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マスコミは相変わらずCIA御用オールスターズが出ずっぱりで、戦争プロパガンダのシャワーを切れ目なく撒いている。一方、ネットの言論空間の方は、右と左が斉唱で「どっちもどっち論」叩きに血道を上げ、「ロシアを一方的に非難せよ」と咆吼の声を上げている。ヒステリックな絶叫の嵐が一段とボルテージを上げている。ロシア側の言い分に耳を傾けるな、正義は一つだ、一億火の玉だと、まるで戦前日本のような集団狂気への盲従が半強制されている。

「ロシアを一方的に非難せよ」という主張は、要するに、ウクライナ・西側のプロパガンダを全て真実だと信じ、それに疑念を抱くなということだ。マスコミが散布し放射する戦争プロパガンダを鵜呑みにし、ロシア寄りの言論や情報は一切排除せよという意味だ。各自が競馬の遮眼革を装着した精神状態になれと説き、ロシアに対して不寛容に徹せよと叫号している。そんな暴論を左翼リベラルの国会議員が吐き散らかして扇動している。リベラルとは寛容の意味ではなかったのか。寛容の思想と複眼の理性がリベラルの本質ではなかったのか

この戦争がロシアの侵略戦争であり、国連憲章違反の主権侵害であり、国際法上正当化できる余地はないとする見地は、私も同じであり、それは何度も述べてきた。法的なロシアの立場はギルティで、留保や両論はなく、すでに決定済みの事項である。だが、刑事裁判で有罪になった被告人にも、犯した暴行傷害事件において原因と事情があり、裁判の審理過程で斟酌され、量刑の加減に響くことは屡々ある。親の介護に疲れて魔が差した事件では、殺人犯である子に温情判決が下される場合も多い。

「ロシアを一方的に非難せよ」という主張は、首を絞めて親を殺した子は残虐で極悪な殺人鬼であり、犯行理由の説明に耳を貸す必要はないと言っているのと同じだ。親の介護で疲れるのは誰でも同じで、そこに惻隠の情の差し挟みなど無用と切り捨てる思考停止の薦めと同じである。今回、ロシアにも言い分がある。この侵略戦争の背景と構図がある。まず、マスコミと右翼左翼は、この侵略戦争が不意に突然始まったかのように図式化し、そのフィクションを前提に議論するが、実際には昨年10月にゼレンスキー政権がドローン攻撃で火蓋を切っている

さらに遡れば8年前から戦争は始まっていて、ロシア側の言い分では、極右ネオナチの暴力によって東部ドンバスのロシア系住民が迫害を受け、多数の犠牲者が出ているという主張がある。その一端は、フランス人記者アンヌ=ロール・ボネルの現地取材によって確認され、証拠として提示・報告されている。マスコミ論者は、8年前からロシアの侵略戦争が始まっているという見方で決めつけるが、ロシア側の主張と見解では、ウクライナ東部南部に暮らすロシア系住民の命を救う、やむを得ない正義の防衛行動となる

つまり、正当防衛の立論がされている。ロシア側の言い分に正当防衛の論理と契機があることに、寛容を旨とするはずのリベラルは注意を向ける必要があるだろう。東部ドンバス住民の防護と救援というのは一つの具体的で直接的な根拠づけだが、さらに大きな見取図において、ロシア側には二つの根本的な正当防衛の理由立てがある。すなわち、今回の軍事行動を必然化せしめた国家安全保障上の動機がある。あらためて整理要約しよう。その第一は、NATOの東漸と脅迫への対抗である。この点については多弁は無用だろう。

が、マスコミと右翼左翼の論調では、NATOの東漸への危機感などプーチンの被害妄想に過ぎぬという結論になっている。被害妄想という四字熟語が繰り返し報道番組で論(あげつら)われ、プーチンの危機感は根拠のない不当で不毛なものという断定が刷り込まれている。果たしてそうだろうか。私は違うと思う。その認識は誤りであり、差別と偏見が滲んだ悪質なプロパガンダだと思う。私が提出する反証の証人はG.ケナンだ。生前、ケナンはNATOの東方拡大を「最も致命的な誤り」だと批判して政策の撤回を求めていた。

ケナンの警告は慧眼の予言となって的中した。軍事同盟であるNATOの敵はロシアであり、ソ連に続いてロシアを封じ込め、ロシア連邦をソ連と同じ運命に追い込むことがNATOの神聖目的に他ならない。ロシアが脅威を感じて身構えるのは当然だろう。加えて、そこには、NATO東漸と軌を一にしたカラー革命の連続が存在した。2000年のユーゴのブルドーザー革命、2003年のグルシアのバラ革命、2004年のウクライナのオレンジ革命。いずれもCIAが絡んだ謀略であり、2012年の反プーチン巨大デモもカラー革命の未遂事件である。NATO東漸はカラー革命の連発とセットの動きだった。

ロシア側の正当防衛の言い立てを根拠づける第二の要素、すなわち国家安全保障上の脅威の二つ目は、ウクライナのネオナチ勢力の跳梁と挑発である。ナチスの表象と実体がロシアでどのような意味を持つかは、最近のマスコミの解説でも十分理解できるところだろう。ウクライナのネオナチの問題は、何度も書いてきたので重複は避けるが、その猛毒の組織が国境の隣の兄弟国で暗躍し、政権を壟断し、CIAに支援され、軍事訓練され、ロシア系住民を迫害しているとなると、国家安全保障上の必要からロシアはそれを簡単に見逃せない。

そのことは、前にも書いたが、韓国や中国にとって、自衛隊が靖国神社に集団参拝する図がどう映るかという問題と等置される。中国は前の戦争で2000万人の犠牲者を出した。その犠牲の上にPRC(⇒中華人民共和国)の建国の基礎がある。抗日解放の原点がある。現在、日本では、8月15日の靖国参拝は季節の風物詩になり、政治的な嫌忌と警戒の視線を向けられないイベントになった。クレンジング(政治漂白)された。だが、中国や韓国の人々にはその表象改造(=ゴマカシ)は通用しない。それは、中国と韓国の国家安全保障上の重大な懸念材料となる。ロシアも同じで、ウクライナのネオナチは国家の脅威なのだ。

ロシアが正当防衛と違法性阻却事由を言い得る根拠があるとして、その第三の要素は、遠藤誉も批判するとおり、直前でのアメリカの挑発と誘導である。この戦争についてアメリカの責任を正面から指弾する論者は多く、J.ミアシャイマーとE.トッドがその論陣を張っている。危機が本格化した12月以降、バイデンはプーチンに対して「侵攻しろ、早く始めろ」と無益な嗾(けしか)けを続けた。それがあまりに露骨なので、ゼレンスキーは二度も釘を刺し、煽り過ぎるなと制止をかけた場面があった。アメリカの態度は問題で、プーチンの戦争発動を呼び込む流れを作った点は否めない

アメリカは、ウクライナのNATO加盟を棚上げしようとしたのか、容認しようとしたのか、そこが曖昧なままだった。プーチンの前にニンジンをぶら下げて操り、痺れを切らさせていた。NATO加盟は認めないと決断していれば、大団円となり、この戦争は起きずに済んだ。他方、ゼレンスキーの側にも責任がある。昨年10月のドローン先制攻撃は言うに及ばず、それ以上に、ミンスク合意の履行をゴネて怠業していた過誤は大きい。アゾフ大隊に脅されていた可能性もあるけれど、大統領の権限で果敢に実行していれば、この戦争は未然に避けられた。マクロンに何度も催促されたのに、ゼレンスキーは愚図って履行に踏み出さなかった。

ロシア側の正当防衛の論理と立場にばかり焦点を当ててきたが、無論、この戦争の最大の責任者はプーチンである。この点を、プーチンがなぜ戦争を始めたかの第四の要素として総括しよう。独裁者を長く続けたプーチンは、ある種の老害になっていて、周囲からの諫言助言を聞いて明晰な判断ができる指導者ではなくなっていた。一部上場の大企業のワンマン会長などにありがちなパターンだ。プーチンの判断の最大の誤りは、2月時点のウクライナ軍の戦力を過小評価していたことであり、同時にロシア軍の戦力を過大評価していたことである。そこが失敗に繋がった

純軍事的観点から言えば、電撃侵攻して瞬時にキエフを落とすのなら、ウクライナ軍の軍備が整わない、そしてロシア軍兵士も「演習」で疲労していない、年末年始に決行すべきだった。タイミング(時機)の選択と設定は戦略の最重要要件である。ジャベリンとスティンガーが大量供給され、偵察衛星の監視態勢も万全に配置され、英米軍事顧問団とCIAによる迎撃作戦の構想が仕上がる2月下旬まで、プーチンはブリンケンの時間稼ぎに付き合っていた。実際のところ、軍事侵攻をせずとも、外交でウクライナのNATO加盟阻止は実現できていたはずなのだ。プーチンは短期でキエフ攻略が可能と安易に計算し、地上部隊を広域分散させて攻撃する愚を犯してしまった。

兵力集中攻撃は戦法の鉄則なのに、ロシア軍の実力を過信してそれをしなかった。2月下旬の時点で、おそらく、クレムリンのスタッフ全員が侵攻に反対だったのだろう。侵攻後の軍の士気が高まるはずがない。以上、四つの側面から「なぜプーチンが戦争を始めたのか」の全体像を整理した。思考停止せずにリベラルは考えてもらいたい。寛容で慎重な考察と意見こそがリベラルの正論なのだから