2023年10月11日水曜日

11- ガザの戦争ー誰も〝非対称″や〝二重基準″とも呼ばなくなった

 世に倦む日々氏が掲題の記事を出しました。
 日本のメディアはハマスの攻撃を非難する論調が強く、悲劇の民であるパレスチナ人民への理解を示さないことに対して強い違和感を表明しています。
 そもそもパレスチナ人民はウクライナの樹立に伴ってそれまで住んでいた土地を追い立てられた人たちであるのに対して、イスラエルは追い立てた側の人たちです。
 両者を軍事力で比較すればハマス側は手製のロケット砲くらいしか作れないのに対して、核兵器さえ所有できるイスラエルは屈強な軍事国家なので、全く比べ物になりません。
 現実にこれまでもイスラエル軍は「草刈り」と称して、徹底的な空爆の後 数年経ってガザ地区が復興し終わった頃にまた徹底的な空爆を行うことを繰り返してきました。周囲が無関心であった筈はありませんが、何しろイスラエルのバックには米国がついているので他国はどうすることも出来ませんでした。
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ガザの戦争 No one even calls it "asymmetric" or "double standard" anymore
        ( 誰も〝非対称″や〝二重基準″とも呼ばなくなった
                      世に倦む日日 2023年10月10日
ハマスによる攻撃が7日に始まり、ガザが空前の空爆を受けるようになって4日。ずっとネットに張り付いて事態を追いかけている。マスコミがほとんど報道しないので、ネットで情報を探して状況を探った。7日、米英ではテレビ局が2時間の特別番組を編成して現地からの刻々を伝えていたと言う。日本ではジャニーズ問題ばかりで、TBS報道特集は1時間の特集枠をジャーニーズで埋めて日下部正樹がご満悦だった。X(ツイッター)の検索で情報を見ると、飯山陽と高安カミユなる人物のポストばかりがずらずらと並び、おぞましいパレスチナ叩きとイスラエル支持の言説ばかりが溢れていた。そして、飯山陽と高安カミユに賛同する者たちによるパレスチナ罵倒がそれに続いていて、まともな情報を日本語で仕入れるのは難しかった。洗脳の池だった。

やむなく、Xの検索欄に「Israel Palestine」と二語を入れ、英語の情報を見て状況を手探りするところとなった。日本語だけだと何も分からない。pro-Israel⇒親エスラエル のプロパガンダしか目に入らない。そこで思ったのは、日本社会というものの世界の中での価値劣化だ。円安現象と繋がる。例えば、ベトナムから技能実習生で日本に来ている若者の情報環境を想定してみよう。英語のスキルはないけれど日本語の能力は身についていたとする。今回の情勢について知ろうとして、日本語でX(ツイッター)で情報収集したらどうなるか。ミャンマーやインドネシアからの留学生・技能実習生でも同様の想定ができる。この場面を考えただけでも、国際社会の中で日本語は全く無意味で無価値な言語だと分かる。無駄で、知らない方がいいくらいだ。愚劣なプロパガンダしか頭に入らない。

円安とは、まさにこういう問題だろう。覚えて損するのが日本語だ。おそらく、昔はそうではなかった。筑紫哲也や久米宏や国谷裕子がキャスターを務めていた頃は、当時はSNSは存在しないが、日本のテレビ報道は信頼性と公平性が高く、彼らの日本語による報道は英米マスコミが流す英語情報と比較して品質水準に優れていた。まさにトヨタやホンダの自動車製品の競争優位性と同じだったと思われる。つまり、英語だけでなく日本語も身につけておいた方が、中国人留学生にとってはお得で有意味だったのである。そういう時代だった。世界の中で日本語には価値があった。Xでの飯山陽と高安カミユの汚穢ポストの氾濫を眺め、それに群がって吠える翼やリベラルの愚衆を見て、私の内側は真っ黒に毒々しく重く爛れて塞ぎ込む。気力を失う。痰壺同然の世界。これが円安の現実だ。

Xの英語検索で情報を眺めると、果たして、やはり世界には公平性が担保されていた。イスラエル兵がパレスチナの子どもを強引に拉致連行する映像が上位に出てくる。イスラエル兵が、パレスチナの若者を冷酷に射殺する映像も出て戦慄させられる。ニュースステーションで嘗て何度も見た、壁際に追い詰められた父親と少年が助けを求めているのに、無抵抗なのに、イスラエル兵の一斉射撃で少年が殺される残酷な映像も上がっていて、久しぶりに目にするところとなった。8日には、シカゴやNYでパレスチナ支持のデモが起きた様子を伝える動画も上がった。私はただ無作為に「Israel Palestine」を検索して浮上するポストを見ているだけだ。英語のXの空間はマスコミとは景色を異にする世界中に、パレスチナを支持する者、マスコミが伝えない真実を知りたい者が多くいることが分かる

欧米マスコミの報道は、日本以上にバイアスがかかっているはずで、ハマスとパレスチナに対する憎悪と敵意で煮え滾った言論空間になっているだろう。だが、それなのに、NYやシカゴやSFでパレスチナ支持のデモが起きている。アメリカ市民がイスラエル支持で一色だったら、Xのポストの閲覧数やアルゴリズムの処理の結果が、あれほどイス/パレでイーブンになる道理がない。アメリカ各都市でのパレスチナ支持のデモの絵を見ると、イスラム教徒の移住者だけが集結したのではなく、元から住む白人の参加も少なくない様子が看取される。特にNYのデモを撮った朝日新聞(中井大助)の一枚は秀逸で、中央最前列で目を落とす女性の姿は説得的だ。素晴らしい構図であり、フォトジャーナリズムの佳作である。寡黙で孤独な女性の姿が、どれほど世界中の良心的な人々に共感と勇気を与えるだろう。

NYらしい絵。これがあるからNYだと思わせ、さすがにアメリカは違うと納得させ感動させられる。X検索のタイムラインには、ユダヤ教徒がパレスチナ支持のプラカードを持ってデモする動画や、パレスチナ国旗を携えて連帯声明を発する動画が、この4日間途切れることなく目に入って来た。NYの碁盤の目の路上には、黒い帽子と上下の服と長い髭のユダヤ教徒が実に多く歩いている。あの姿そのまま。映画を観ている気分になり、こんなにも多いのかと日本人は驚かされる。そのインテリ風の正真正銘のユダヤ教徒が、イスラエルの国旗を燃やしていたり、pro-Israel の市民と街頭で討論している動画が上がっている。英語のXタイムラインを一日中眺めるうち、自然と、ポールの名作『アイルランドに平和を』の歌詞が浮かび、Great Britain を United Statesや European Union に置き換えるパロディの着想となった。

もう一つ、ジョンの名曲『The Luck Of The Irish』をパロディして、Irish を Palestinian に、English を Japanese に置き換えようと試みたが、詩的想像力が乏しく言葉が並ばなかった。簡単にパロディできない深く難しい歌でもある。念頭に浮かんだのは、ガザの子どもたちが毎年海岸で行っている凧揚げの恒例行事で、東日本大震災を慰霊するイベントの風景である。パレスチナ人(だけでなく中東の人々)は日本が好きだ。親日意識が基底にあり、日本への期待がある。凧揚げして遊ぶ、日本のような平和で豊かな国を夢見る、純粋無垢なガザの子どもたち。「天井のない監獄」の環境と緊張をいっとき忘れ、無邪気に遊ぶ子どもたち。その絵を思い、飯山陽と高安カミユに追従してガザ殲滅を吠える日本語の扇動群を見て、何と何と日本人は罪深い民族なのだろう、ゴミ捨て場がふさわしい民族になったのだろうと嗚咽の気分になった

変わり果てた日本。変わり果てて行く日本に身を合わせてついて行けない自分。今回のハマスによる民間人無差別殺戮のテロについて、それを正当化はできないけれど、その行動しか彼らに選択の余地がないのだという認識と説明は、9日の報道1930で高橋和夫が専門家の言葉で語っていた。私も高橋和夫の解説と同意見であり、同じ立場であり、付け加える内容は何もない。イスラエルのガザ攻撃とそれに対する抵抗はずっと見てきた。私自身は、できればハマスではなく穏健なファタハが、ガザを含むパレスチナ全体を統治するのが望ましいと考える立場だった。が、9・11事件とイラク戦争を機に急速にイスラエルとアメリカが極右化し、2004年にヤシンとアラファトが殺された後、2006年の選挙でハマスが勝利を収めた過程には理を認めざるを得ない。そこから後の残酷で悲惨な進行は、本当にパレスチナには気の毒だった。

それ以前は、日本を含む西側のメディアと政府は、国により濃淡はあったけれど、パレスチナに対して内在的で、医療物資の人道的支援なども行っていた。それを促す同情的な報道や報告も多かった。テレ朝のニュースステーションは、ハマスに対しても内在的に報じていた。だが、2008年末のガザ侵攻から空気がすっかり変わり、ハマスとパレスチナにはテロリストのレッテルが貼られ、イスラエル軍の空爆でどれほど民間人と子どもの犠牲者が出ても誰も咎めなくなった。2014年のガザ侵攻では、日本のマスコミはイスラエルを支持する立場で報道していた。国連憲章と国連人権宣言が有名無実化し、その実効性が根本的に失われたのは、2000年代後半からのパレスチナ問題を契機にしてのことだと私は考える。イスラエルはパレスチナに対してどんな暴力も許され、合法化され正当化される世界に変わった。

各国からのパレスチナへの支援は止まり、細くなり、イスラエルは好き放題に挑発し、パレスチナの抵抗を口実にガザ攻撃を繰り返した。真綿で首を絞めるように、パレスチナの屈服と殲滅への回路に持ち込み、強奪と挑発と虐殺と殺戮を繰り返してきた。イスラエルには共存の意思は全くない。西岸地区は、日本のマスコミ報道では、国連決議に沿った形式的な領域が色塗りされて説明されるが、実際は、どんどんイスラエルの入植が進み、骨粗鬆症の如くの地図となり、パレスチナ人の居住区は消滅して行っている。マスコミが無視していたから、われわれはそれに気づくことがなかった。2000年代前半は、TBSやテレ朝が、NHKが、西岸地区でのイスラエルの無法で暴力的な入植を非難する報道をしていたのだ。パレスチナの居住区の消滅は、パレスチナ人が自ら退去したわけではなく、嫌がらせや暴力で無理やり追い出された結果だ

この問題は、教室のいじめと同じだと私は思う。今は、いじめを受けたら学校に来なくていいよとか、他に学ぶ場所があるよという「問題解決」の論理と制度になっている。対処療法として政府はそういう「仕組み」を整えた。その論理と制度の是非は別にして、それが整備される前は、いじめられた生徒が自殺という最後の選択をする前に、いじめる側に抵抗する姿があった。今は、抵抗はしなくていいよという話になっている。ハマスのロケット砲は、そういう性格を持っていた。でも、日本のいじめを受けた生徒はどこか別の居場所をあてがわれても、ガザの人々にはそれは与えられない高橋和夫は7日の番組で、「自分もガザに生まれていたらテロリストになっていただろう」というイスラエルの前首相の発言を紹介し、今回のハマスの民間人無差別テロの意味を説いた

でも、もう「非対称」という言葉さえ誰も言わなくなった。「ダブルスタンダード」の語も。