2026年8月6日木曜日

令和8年熊本地震と酷暑の中の棄民行政禍-ナショナル・ミニマムの防災対策を(世に倦む日々)

 世に倦む日々氏の掲題の記事を紹介します。
 同氏は、10年前に熊本地震がありその2年後に真備町の水害が起きた後、段ボールのベッドやプライバシーを守る間仕切りがマスコミで喧伝され、改善に向けての取り組みに期待感を持てる気配が漂うようになったのに、実際は何も改善されず、避難所はテントなし、間仕切りなし、簡易ベッドなしのいつもの雑魚寝スタイルという実態は今回も不変であったことに怒っています。何よりも10年前の熊本地震で災害関連死が特に大きく注目された熊本で、自治体行政や県議市議たちが体育館へのエアコン設置予算を却下してきた事実は理解不能の事態でした。
 避難所の環境が最悪で雑魚寝が継続されるままになっているのには政治的な理由があるとして、新自由主義の「自助・共助」のイデオロギーが政策路線として定着し、防災行政の基本と全般を規定し拘束しているためだとしています。
 いまや新自由主義の自己責任の原理が政府省庁から自治体まで一貫していて、災害時の被災者支援について、政府は面倒を見ない。生存確保と健康維持と生活再建は、政府に甘えず自前でやれという前提になっているそれが故に日本の防災政策は外国の災害対応と差が出るのであり、差が開くのだと述べます
 エアコンのない避難所で雑魚寝し、日中は炎天下、被災家具の片づけや罹災証明の入手に追われ、どうやって高齢者が熱中症から身を守ることができるのでしょうか。本来、気温40度という酷暑自体が災害であり、そこに高齢者を水なしエアコンなしの環境条件で置いておくことが異常なことです命は地球よりも重いという名言を思い出すべきです。
 世に倦む日々氏は、熊本の旅館・ホテルは6.5万泊(9億円)分のキャンセルを受けているという実態に鑑み、国がそれを借り上げて、高齢者や基礎疾患を持つ者から優先して一時的に移動避難させればよいのであり、その措置を果断に行えば災害関連死を防ぐことができるので、政府は発災2日目か3日目に決定して公表し、希望者を車両送迎すればよかったと述べます。実に簡単なことで卓見です。
 また、本来 公立小中学校の体育館のエアコン設置が地方では20%以下という現実は間違っていて放置してはいけない。防災拠点たる指定避難所には一律でエアコンが必須だし、間仕切りも簡易ベッドも必須で、水や食料の備蓄も必須である。そうなっていない現状は放置すべきではなく一刻も早く法律を整備し、全国避難所へのエアコン設置を義務付けるべきで、予算を箇所付けし、履行状況を厳しくチェックするべきだと述べます。

 そして、「今誰も、災害時の非人道的で国際水準に甚だしく劣る日本の対応を見て、そこに憲法25条の人権保障を根拠とした批判を当てなくなった。『健康で文化的な最低限度の生活』の防衛陣地からの要求や異議を聞かなくなった。憲法25条の概念は、9条と並んで憲法の二本柱に等しい崇高な宝物なのに」と嘆きます。
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令和8年熊本地震と酷暑の中の棄民行政禍 ー ナショナル・ミニマムの防災対策を
                       世に倦む日日 2026年8月4日
7/28、熊本で震度7の地震が発生。大きな被害を出し、一週間が経過した時点にある。発災以降、被災地は気温35度を超える猛暑日が続き、現在もその熱波と炎暑の禍が続いている。7/28 から 7/31 まで4日間、地震の影響で停電となり、被災地ではエアコンが使えなかった。九電による復旧作業は完了したという報告になっているが、それは道路上の電柱の配電線までの復旧工事であり、各住戸への引込線すべてが回復したわけではなく、8/2 時点でも停電状態にある家庭の存在がテレビで紹介されていた。気温35度でエアコンなし水なしで4日、5日、6日、、それがどれほど過酷な生存環境だろう。テレビでは通常「一日中一晩中エアコンをつけっぱなしにして下さい」と言っている。そうしないと熱中症になるからだ。東京では(23区内のみの集計だが)猛暑日が続いた 7/21 から 7/25 までの間に55人が熱中症で死亡している。現時点では表面に浮かび上がってないが、被災地で人々がどれほど深刻な健康被害の危機に直面していることだろうか。

7/28 に一報を聞いたときから、避難所がどうなるのかが気になった。が、マスコミはそこから3日間、ずっとイオンモールのガス爆発事故にのみ報道の関心と資源を集中させ、八代などの被災地にカメラを向けなかった。避難所を取材しようとしなかった意図的に報道から捨象している方針が透けて見えた。翌朝 7/29 のXに、Xが避難所関連の情報をタイムラインから排除していると疑念を抱くポストが上がっていた。それを陰謀論と一蹴できないほど、今回のXには被災者系の発信が少なく、いつもの災害時のX(Twitter)と様子が違っていた。マスコミと同期するようにやたらイオンモール関連の意見や反応が多く、宇城や八代に無関心だった。いつもならマスコミ報道とは異なる情報の世界がXに出現し、話題となり、マスコミの隠蔽体質を暴露しつつSNSの真価を発揮する。東日本大震災時の原発事故情報が典型だった。今回、Xに政府から指示が下りていたのか、真相は不明だが、もうそこまで情報統制が来ているのかと恐怖を覚える戦争が近いのだ

送電が止まり、被災地の人々は車のエアコンで命を守るべく、ガソリンスタンドに殺到していた。一日以上経ってようやく避難所が開設されたが、冷房設備がなく、テントもパーティションも簡易ベッドもなく、トイレに不安があり、そんな劣悪な環境よりも車の中や自宅の方を被災者は選択したようだった。2日目から3日目にかけて、ようやくXでも避難所に視線を向ける議論が活発になり、熊本の公立小中学校の体育館のエアコン設置率が20.9%という数字に反響が集まった。と同時に、共産党だけが議会で懸命に体育館のエアコン設置を要求した経緯とか、自民などがエアコン設置を不要としてきた政治の歪な真実が明らかとなった。10年前に大きな地震を経験し、何より、災害関連死の問題で特に大きく注目された熊本で、自治体行政や県議市議たちが体育館へのエアコン設置予算を却下してきた事実には衝撃を受ける。熊本は全国でも暑い土地だ。もし真夏に次の地震に襲われたらという想定を、なぜ首長や議員らは考えなかったのだろう。信じられない

7/30 あたりから、ようやく新聞社が避難所を撮った写真を配信し始め、テントなし、間仕切りなし、簡易ベッドなしの、いつもの雑魚寝スタイルで被災者が体育館に詰め込まれている様子が分かってきた。相変わらずのジャパニーズ・フォーマット。唖然とする。避難所の雑魚寝については、何度も何度も、災害の度に不備が指摘され、人権上衛生上の問題が言われて非難され、改善が必要だと槍玉に上げられてきた。今回はどうだろう、まさかと思っていたが、やはり雑魚寝様式が踏襲されていた。改善されてない。10年前に熊本地震があり、その2年後に真備町の水害が起きた後、段ボールのベッドやプライバシーを守る間仕切りがマスコミで喧伝され、改善に向けての取り組みに期待感を持てる気配が漂うようになった。が、2年前の2024年元旦に能登半島地震が起きたとき、避難所環境はむしろ劣悪になっている状況が分かって暗澹とさせられた。実際は何も改善されてなかった。そして、マスコミが取材を避け、避難所をなるべく映さないように変わっていた

なぜ日本は避難所の環境が最悪で、雑魚寝が継続されるままなのか。それには政治的な理由がある。意図的に政権と政府がそうしてきたのだ菅義偉が首相就任前に堂々と宣言した図を想起すべきだが、「自助・共助」のイデオロギーが政策路線として厳然と定着し、防災行政の基本と全般を規定し拘束しているのである。新自由主義の自己責任の原理が政府省庁から自治体まで一貫しているのだ。災害時の被災者支援について、政府は面倒を見ない。生存確保と健康維持と生活再建は、政府に甘えず自前でやれという前提になっている。高齢者医療含めた社会保障政策の全領域にわたって、弱者は保護せずの鉄則が正義化され、その主張を前面に掲げた政党が選挙で支持され政権を運営している。なので、災害時に政府は前面に出ない。自衛隊も真面目に救助に動かない。救援に前向きなフリだけ狡賢く演出して、マスコミと国民の前で点数稼ぎするだけだ。要するに、日本の防災政策は棄民政策が実態であり本質なのだ。だから外国の災害対応と差が出るのであり、差が開くのだ

NHKの夜のニュースは、被災地の人々に対して、熱中症にならないよう注意して下さいとか、周囲を見守って下さいと何度も何度も呼びかけている。こうすれば熱中症を防げると言い、濡れタオルで首の両側を拭けとか、日陰で休めとか、トイレを心配して水飲みを控えるなと言っている。専門家を登場させ、気休め同然の一般論を講釈している。トイレを心配するなと言っても、断水で流す水がなければどうしようもないではないか。そもそも、NHKが垂れているような方法で熱中症を防止できるのなら、日本で熱中症患者の発生はゼロだろう。「日中は外出するな、エアコンはつけっぱなしで、こまめに水分補給を」と繰り返しテレビで警戒警報を鳴らし、国民が厳重注意してその勧告に従っている中、東京都23区だけで一日に15人も20人も熱中症の死亡者が出るのである。それだけ日本の夏の気温と湿度は高く、熱中症になりやすい過酷な環境だ。被災地は断水で、給水車の順番を待つ長い行列に並ばないといけない。高齢者だけの世帯は自ら水汲みする必要がある

エアコンのない避難所で雑魚寝し、日中は炎天下、被災家具の片づけや罹災証明の入手に追われ、どうやって高齢者が熱中症から身を守ることができるのだろう。NHKを含めた被災者向けのテレビ報道(政府からのメッセージ)はあまりに欺瞞的で、聞いていて噴飯で堪えられない。私自身も、今年7月初めから軽い熱中症の後遺症が出て、体調不良に悩まされている。熱中症と自律神経の異常は大きな関係があるらしく、年をとると体温調節が難しくなり、熱を体外に逃がしにくい身体生理になるようだ。そして睡眠不足という厄介な症状に襲われる。環境を変えてPCを見ずに何日か生活を送ると、睡眠が元に戻って頭痛も消える。が、再びPCに集中して一日中Xタイムラインを追いかける日常に戻ると、元の木阿弥で悪化する。気温が下がることで一息つける。高齢者の夏は多くがこんな感じだろう。スマホに隷属して視神経と脳を侵され続けている若年層は、高齢者になったとき、さらに熱中症に罹りやすい体質になるのではないか。気温も今より高い環境だろうから

という個人的事情もあり、宇城市や八代市の高齢者を見て、いたたまれない気持ちになる。本来、気温40度という酷暑自体が災害であり、そこに高齢者を水なしエアコンなしの環境条件で置いておくことが異常なことだ。「健康で文化的な最低限度の生活」を大きく逸脱した、地獄の環境に放置して責め苦を与え続けているのと同じである。まるで人体実験と同じだ。虐待と陵辱だ。いじめ加害を幇助する教室の教師と同じだ。NHKの夜9時のニュースで、熱中症にならないよう気をつけて下さいと言っている広内仁と野口葵衣を見て、731部隊の医者と看護婦の悪魔の冷酷を想像してしまった。厚労省の医系技官は、現時点から1週間後にどれだけ災害関連死者が出るか、シミュレーションして推計を出しているだろう。国家情報局は、そのデータを中国との戦争時の避難住民政策に活用して、戦場となった沖縄や各地での対策のマニュアルの資料にするのだろう。水がない、食料がない、電気がない、ガソリンがない。熊本の被災地は、まさに1945年8月の戦禍の地そのもの

地震の影響で、熊本の旅館・ホテルは6.5万泊(9億円)分のキャンセルを受けている。国がそれを買い上げて、被災地の高齢者を、基礎疾患を持つ者から優先して一時的に移動避難させればよいのであるその措置を果断に行えば災害関連死を防ぐことができた発災2日目か3日目に決定して公表し、希望者を車両送迎すればよかった。簡単なことではないか。それから、断水の問題については給水車を増やせばいい。ネットで調べると、全国の水道事業体が保有する給水車は1330台存在する。このうち3分の1の400台を動員すれば、自衛隊が出している49台の8倍の規模を展開できる。つまり、給水車に並ぶ被災者の人数と時間を8分の1に減らせる。首相権限で即刻指示を出せば済む措置だ。熊本には地下水の湧き水が豊富にある。九州には日田天領水や財宝など飲料水のビッグビジネスがあり、水資源には事欠かない。不足しているのは給水ビークルだけだ。なぜ給水車を増やさないのか。被災地に集中させないのか。自衛隊の宣伝プロモーションに活動を独占させているのか

NHKのニュースを見ていたら、7/31 だったか、世田谷にある熊本料理店の店内が取材され、富裕層っぽい女性がいかにも高そうな馬刺しを賞味し「食べて応援」を言っていた。その隣の男が「熊本にしょっちゅう行かなきゃ」と軽薄な口調で言っていた。草津や登別の予定を黒川に切り替えるのだろう。NHKが用意した台本で短い映像を制作している。NHKが富裕層に向けて、被災地を応援する貴族の温情の消費行動を促している。日本はこんな国になった。被災地の被災者は切り捨てられ、高齢者は熱中症で災害関連死する予備軍の枠に入れられ、人体実験のビッグデータのサンプルとされ、「お気の毒でした」の言葉だけが送られる。富裕層はそれをテレビで見て「食べて応援、旅して応援」の勘違いな自己満足の消費に精を出す。被災者の不幸を肴にして消費欲を満たす。自助と共助の災害対応。ボランティアばかりをクローズアップし、国の責任は問わない。国の責務の所在は消し隠し、高市と自衛隊の宣伝だけを放送する。そのことについて批判も糾弾もない。欺瞞と逸脱への怒りがない。

本来、公立小中学校の体育館のエアコン設置が、東京が92%で、大阪が50%で、地方が20%以下で、全国平均が23%という現実は間違っているのだ。放置してはいけない問題だ。公立小中学校の体育館は9割以上が地域の指定避難所になっている。災害の襲来は季節を選ばない。場所も選ばない。だから、防災拠点たる指定避難所には一律でエアコンが必須だし、間仕切りも簡易ベッドも必須で、水や食料の備蓄も必須である一刻も早く法律を整備し、全国避難所へのエアコン設置を義務付けるべきで、予算を箇所付けし、履行状況を厳しくチェックするべきだ。その防災設備の性能や備品の品質には差をつけてはいけない。憲法の日本国民は平等で、権利に差はないのだから。等しく税金を払って日本国を支えているのだから。防災行政で享受する国民の福利は、全国等しくナショナル・ミニマムが貫徹されなくてはいけない。これは当然の常識だが、新自由主義が標準的な思想として人々に内面化された今では、社会主義の理念に聞こえることだろう

憲法25条の生存権はどこへ行ったのか。今、誰も、災害時の非人道的で国際水準に甚だしく劣る日本の対応を見て、そこに憲法25条の人権保障を根拠とした批判を当てなくなった。「健康で文化的な最低限度の生活」の防衛陣地からの要求や異議を聞かなくなった。憲法25条の概念が日本人から消えている。9条と並んで憲法の二本柱に等しい崇高な宝物なのに