2013年8月3日土曜日

ワイマール憲法下でなぜナチス独裁が実現したのか

  麻生氏の「ナチス憲法」に関する発言が国際的な非難を浴びているなか、2日付の時事通信に「民主政体でなぜ独裁?=『ナチス憲法』Q&A」と題する、極めて時宜に適った記事が掲載されました。

 麻生氏は講演で、はじめにヒトラーは民主主義によってきちんとした選挙で多数を握って出てきたんですよ。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください」、という趣旨のことを述べています。
 それ以後の論理の展開は目茶目茶で当然非難の的になるべきものですが、ドイツ国民が国政選挙で、ヒトラーのナチス党を比較第1党に選んだこと自体は間違っていません。 

 それではナチス党はなぜ躍進できたのでしょうか。
 当時ドイツ国民は、第1次世界大戦で負わされた莫大な賠償の返済で喘いでいました。それを少しでも救済すべく、戦勝国から賠償の支払い期間を60年間に延長してもよいとする「ヤング案」が提案されて、「社会民主党」政権はそれを受け入れました。しかしドイツ国民の多くはそれは60年間も戦勝国の「奴隷」になるものであるとして、全国規模で反対運動が起こりました。
 ヒトラーはその流れに乗って1932年3~4月の大統領選に立候補しました。大統領選では現職のヒンデンブルクに敗北しましたが、その直後に行われた国会議員選挙で、ナチス党は議席数を2倍に伸ばして、比較第1党(議席率は4割未満。第2党は共産党)に躍進しました。
 
 その後首相の座を射止めたヒトラーは、まず下記の犯罪的な手法で「全権委任法(=授権法)」を制定しました。
 「全権委任法」は国会の立法権を行政府に委ねるというもので、憲法規定ないものであったため、その成立には議員の/以上の出席で/以上の賛成を要しました
 その要件をクリアするためにナチス政権は、まず反対する議員は拘束し欠席した議員出席とみなすという特例法」を制定して、強引に全権委任法を成立させました。

 ヒトラーはその全権委任法と、ワイマール憲法が認めていた「危機に際して国家元首の権限を拡大する緊急命令発布権』」とにより、あの恐るべき絶対的権力を掌握しました。

 全権委任法の成立の経過は政権与党による暴挙(=犯罪)そのもので言語道断ですが、「緊急命令発布権」の方は憲法に規定されていた「合法的」なものでした。
 
 実はそれと全く同じ条項が自民党改憲案にもあります。
 「第9章 緊急事態」の99条「緊急事態の際には内閣は法律と同等の政令を制定できる」がそれで、いわゆる「非常時大権」に当たります。
 ナチスの事例は改めてその条項の危険性を認識させてくれます。

 以下に時事通信の記事を紹介します。
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民主政体でなぜ独裁?=「ナチス憲法」Q&A
時事通信 2013年8月2日
 麻生太郎副総理兼財務相のいわゆる「ナチス憲法」発言が物議を醸している。
 ドイツは第1次世界大戦(1914~18年)の敗北に伴って帝政が崩壊し、当時の欧州の中で最も進歩的な民主政体とされるワイマール共和国が成立した。その進んだワイマール憲法下で実施された選挙で、ヒトラー率いるナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)が第一党の座を獲得し、独裁体制へ突き進むわけだが、麻生氏が言うような「ナチス憲法」といったものは存在しなかった。ナチス政権の下でも、ワイマール憲法は形骸化しながらも残っていたのであって、「ナチス憲法」に取って代わられたわけではない。

 どうしてヒトラーはそんな民主的な憲法の下で、独裁体制を構築できたのだろうか。
 1933年1月のヒトラー内閣成立直後の3月、国会で「全権委任法」が可決された。これは政府に立法権を委ねる法律で、ヒトラーはこれによってワイマール憲法を無視し、大統領の承認や国会の制約も受けずに国を支配することが可能になった。当初は時限立法だったが、更新が繰り返され、ナチス独裁に正当性を与える法的根拠となった。全権委任法は、国会議席の3分の2以上の賛成がなければ成立できない法律だったが、ヒトラーの政治工作によって圧倒的賛成多数で可決された。

 ナチスはユダヤ人迫害も法律にのっとって実行していったのか。
 その通り。全権委任法成立後、ナチスはユダヤ人迫害のための法律を次々に施行した。同法成立直後の4月には、非アーリア系(ユダヤ人)の公務員らを強制的に退職させる法律も制定された。ユダヤ人の社会権・生存権を否定する立法・政令は枚挙にいとまがないほどだ。反ユダヤ立法の最たるものは35年のニュルンベルク法で、ドイツ人との結婚を禁じるなどユダヤ人からあらゆる権利を剥奪した。

 全権委任法がヒトラーの暴走を許したわけだね。戦後のドイツはこの教訓をどう生かしているのだろうか。
 ワイマール憲法は実質的に、全権委任法の成立を可能にしていたと同時に、危機に際して国家元首の権限を拡大する緊急命令発布権を認めていた。これらがナチス独裁に道を開いたワイマール憲法の大きな弱点だった。その反省から、戦後のドイツ基本法(憲法)は為政者への全権委任を認めていない。また、改憲は連邦議会の3分の2以上の賛成で可能と規定されているが、基本的人権や三権分立の保障を定めた条文の改正は決して認められていない