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2015年10月1日木曜日

01- 連合政府・選挙協力の提案 社民党 生活の党は全面的に合意

 
 日本共産党が行った戦争法廃棄のための国民連合政権の樹立と選挙協力の提案については、28日の段階で社民党と生活の党とは全面的に合意できたということです(民主党とは協議を継続中)。
 「晴耕雨読」に掲載された萩原一彦氏の記事を抜粋して紹介します。
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小沢「基本の話が大切。今は枝葉の話まで詰めなくてもいい。原則の共有が大切」    https://twitter.com/reservologic 
萩原 一彦  2015年9月29日 
(晴耕雨読より抜粋転載)
志位和夫 https://twitter.com/shiikazuo  (2015年9月28日)
 
社民党・吉田党首と会談
 私から「国民連合政府」について説明。
 吉田党首は「たいへん大胆で踏み込んだ提案を頂いた。前向きに受け止めて、積極的な選挙協力が出来るように、しっかり議論を進めていきたい」「さまざまな困難はあろうが、連立政権の方向性も賛同する」。
たいへん心強いスタートです。
 
生活の党・小沢代表と会談。
 私は「国民連合政府」について説明。
 小沢代表は「従来の方針を大転換した共産党の決断を高く評価する」「手を携え選挙に勝ち、政権を打ち立てるという目標に向かって、自分も努力したい」。
 両党が全面的に合意に至ったことは、本当に嬉しいことです。
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IWJウェブ速報 https://twitter.com/IWJ_sokuhou  
 
共産・志位委員長との会談を終えた生活・小沢一郎代表が会見。
 共産党の提案に基本的な理解を示し、「共産党は全選挙区に候補者を立ててきた。
その従来の方針を転換し、安倍政権に変わる新しい政府を作るため力を合わせようという話。大胆な決断を評価する」
 
民主・岡田代表などは「連合政府はハードルが高い」としているが、これについて小沢代表「連合政府は野党が力を合わせ、選挙で勝った上での話。大義の旗として連合政府を掲げることについて、とやかくいうことではない」と指摘した。
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共産党志位委員長、小沢一郎氏との会談後の会見。
 「提案した3点について完全合意した」
 「連合政権への共産党の入閣も小沢氏はオーケーと」
 「各党の温度差については自分が言うべき立場ではない。ただ、話し合いは始まった」
 「政策の不一致は横に置く。置き方はいろいろ」
 「政党内部への干渉はしない」
 
 共産党志位委員長、小沢一郎氏との会談後の会見。
 「実効あらしめようとするなら、安保法案反対でいっしょに戦った5政党、会派とできるだけいっしょにやりたい」
 「衆院任期満了まで待つ気はない。すみやかな解散総選挙へ追い込んでいく」
 「不一致点を横に置くの意味は現状を動かさないということ」
 
 共産党志位委員長、小沢一郎氏との会談後の会見。
 「安保法案廃案という大きく重要な点で各党一致点が見いだせれば、暫定的に他の政策を横に置くことは可能だと思っている」
 「いつごろまでとは言えない。できるだけすみやかに」
 「焦らずに粘り強く誠意を持って話し合っていきたい」
 
 共産党志位委員長、小沢一郎氏との会談後の会見。
 「小沢氏との会談では、圧倒的多数の国民の野党よまとまれという民意に答えて立憲主義の危機という認識に立って私たちも変わらなければならないという共産党の意思を伝えた。小沢氏からは高く評価すると言われ、心強い思い」
 
 志位和夫氏氏記者会見終了。

2014年3月12日水曜日

11日の各紙社説

 東日本大震災3年目の11日の各紙は、社説に「大震災3年」に関する社説を掲げました。
 特に北海道新聞は9~11日の3日間連続の、また高知新聞は10~11日の2日間連続の社説を掲載しました。
 
 東京新聞と北海道新聞の社説(北海道新聞は「上」のみ)を紹介します。
 
 北海道新聞の「中」以降は道内のことに主力を置いているので割愛しますが、以下のような驚くべき内容が含まれています
 北海道の太平洋沖を震源とする巨大地震ほぼ500年間隔で起きているので、「次」の大地震は切迫している。道は2012年の浸水域などの見直しで津波高を最大35メートルとし、その結果日本海側とオホーツク海側を含めると45万人もの人が津波に襲われる浸水域に暮らしていることが分かったが、過去3年間、「南海トラフ」と「首都直下」大地震に政府は重点置き南海トラフ地震の避難困難地域では、すでに避難タワーやシェルターの建設が進められているのに、道にはその緊張感は感じられない。
 道は犠牲者数や経済に与える打撃など被害想定の改定を急ぎ、市町村も対策を加速すべきだ
  
 下記の社説の見出しをクリックする本文にジャンプします。
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3・11から3年 死者の声に耳傾けよ                  東京新聞 
専門超える知を集め想定外なくせ                     日経新聞
大震災から3年 「フクシマ」は今も続く                 南日本新聞 
大震災から3年 風化させず再生を考えよう         宮崎日日新聞
原発事故被害 第三者の目で総ざらいを             西日本新聞 
大震災3年 原発事故の教訓直視せよ                山陽新聞 
原発事故と再稼働/とても認められる状況でない   神戸新聞 
大震災3年  被災地の現実見えているか             京都新聞 
福島の3年 復興を見据え続ける                      信濃毎日新聞 
震災3年  「福島の今」 を見つめよう             高知新聞 
震災3年 上 生活の再建はこれからだ                同上 (3/10)
大震災3年 下 住民の命を守るもっと危機意識を持って             北海道新聞
 
(社説) 3・11から3年 死者の声に耳傾けよ
 東京新聞 2014年3月11日
 津波の国に住みながら、われわれは、先人の経験を風化させてはいなかったか。大震災の悲しみを忘れず、未来に向けて死者の声に耳を傾けたい。
 故・吉村昭さんの著書「三陸海岸大津波」(文春文庫)に、印象に残る一節がある。
 三陸海岸の羅賀(らが)(岩手県田野畑村)での出来事である。
 はるか眼下に海を望む丘の中腹に立つ民家。一八九六年の明治三陸大津波を知る当時八十五歳の古老は、家の中に漂流物があふれていた、と振り返った。
◆風化する惨事の記憶
 その話を聞き、取材に同行していた田野畑村長が「ここまで津波が来たとすると…」と驚きの声をあげたというのである。
 この本が「海の壁」の原題で出版されたのは一九七〇年。その時すでに、地元でも、惨事の記憶は風化しつつあったのだろうか。
 文庫版のあとがきとして、吉村さんは、その羅賀で二〇〇一年に講演した際のエピソードを書き加えている。
 「話をしている間、奇妙な思いにとらわれた。耳をかたむけている方々のほとんどが、この沿岸を襲った津波について体験していないことに気づいたのである」
 明治の大津波では羅賀に五十メートルもある津波が押し寄せた、という話をしたところ、沿岸市町村から集まった人々の顔に驚きの色が浮かんだのだという。
 羅賀の高台には、明治の大津波で海岸から運ばれたと伝えられる巨石があった。一一年三月十一日の津波は、その「津波石」と集落を再びのみ込んだ。
 親も子もない。助けを求められても、立ち止まらずに逃げろ…。「津波てんでんこ」は、三陸の悲しくも重要な教訓である。
 「われわれは明治、昭和の大津波と同じことをしてしまった」と三年前を振り返ったのは、名古屋市で先月開かれたシンポジウムに招かれた岩手県釜石市の野田武則市長である。
 大きな揺れが収まって三十分ほど。いったん避難した後、家族の安否などを心配して自宅に戻った大勢の市民が津波にのみ込まれてしまった。「平時には冷酷に聞こえる『てんでんこ』だが、その教えは実に正しかった」
◆犠牲多かった市街地
 野田市長の率直な講演は示唆に富む。「犠牲者が多かったのは、沿岸部ではなく、海の存在を忘れがちな市街地だった」「防潮堤や防波堤は高くなるほど危ない。海が見えなくなるからだ」
守るよりも、まず、迷わず逃げよ。平成の三陸大津波の犠牲者が残した教訓も、結局は、明治、昭和と変わらぬ「てんでんこ」だったのではないか。国土強靱(きょうじん)化が海の脅威を視界から遮ることにつながるとすれば、このまま突き進んで大丈夫なのだろうか。
 よく知られるようになった岩手県宮古市重茂姉吉(おもえあねよし)地区の「高き住居は児孫の和楽/想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)/此処(ここ)より下に家を建てるな」と刻まれた古い石碑。
 その地では、三年前の大津波で住宅被害が一戸もなかった。死者の声を風化させなかったことが後の人々を守った好例である。
過去に繰り返された津波の被害や到達地点を伝える石碑や古文書は、紀伊半島沿岸部など南海トラフ巨大地震の大津波が予想される地域にも数多く残されている。
 同じように関東、東海地方でも、一七〇三年の元禄地震津波の犠牲者を供養する千葉県山武(さんむ)市の「百人塚」など、房総半島や伊豆半島にいくつもの津波碑が建てられている。
先人たちが石に刻んで後世に残そうとしたメッセージを再確認する試みが、東日本大震災を機に、各地で始まっている。
 その土地で何が起きたのか。将来、何が起きうるのか。逃げるべき場所はどこか。よそから移り住んだ人にも、一時的に立ち寄る人にも、先人の経験を共有できるようにする工夫を歓迎したい。
 こうした津波碑は漢文など古い文体で書かれている上、物理的に風化していたり、こけむしていたりで判読の難しいものが多い。
◆巨大津波に備えよう
 例えば南海トラフ地震の津波想定域にある三重県志摩市阿児(あご)町の「津波遺戒碑」。だれにでも分かるように、地元の自治会が内容説明の看板を碑の隣に設置した。碑には、一八五四年の安政東海地震の津波で百四十一戸が流失し、十一人が溺死した被害状況とともに「後世の人が地震に遭った際は、速やかに老人、子どもを連れて高台に逃げよ」と刻まれていた。
 人間は忘れるからこそ前進できるという考え方もあるが、東日本大震災で、また多くの犠牲者を出してしまった事実は重い。なぜ、命を救えなかったのか。悲しみを忘れることなく、死者の声にあらためて耳を傾けたい。
 
<大震災3年>上 遅れ目立つ復興 被災者救えぬ政治の怠慢
北海道新聞 2014年3月9日
 東日本大震災から3年がたつ。 
 死者は1万5千人を超え、なお2600人が行方不明だ。地震、津波に東京電力福島第1原発の事故が加わり、約27万人が避難生活を余儀なくされている。 
 一部の被災地では高台移転のための用地造成や復興公営住宅の建設が始まった。だが、仮設住宅にまだ約4万5千戸が入居している。大災害の傷痕は生々しい。 
 復興の歩みは遅く、被災者が安心できる日はまだ遠い。にもかかわらず国の政策に失速が見られるのはどうしたことか。 
 被災地を置き去りにして日本の再生はあり得ない。震災復興が国の最重要課題だと再認識し、全力で取り組まなくてはならない。 
■隠せなくなった矛盾 
 「時間の経過とともに、くさいものにフタをして自分の方向に進もうとしている。被災地にいるとそれが見えてしまう」。岩手県陸前高田市の戸羽太市長は仮設庁舎の小さな市長室で語った。 
 被災地の苦悩を尻目に、安倍晋三政権は独善的な政策を進める。大企業を優遇して復興法人税を前倒しで廃止し、公共事業重視が資材高騰と人手不足をもたらした。 
 集団的自衛権の行使容認に動く首相の姿は、被災地の人々から見れば「復興を担う子供たちの未来に、戦争が起きるかも知れない状況をつくっている」ように映る。 
 震災直後に比べ復興への熱意が冷めかけているのではないか。復興予算は相次ぐ流用で底を突きつつあり、財源探しが必要な状況に陥っている。国の政策と震災復興との矛盾は隠せなくなってきた。 
 福島県では民家の庭に放射能で汚染された土砂が散在する。中間貯蔵施設の建設場所が決まらないから行き場所がない。最終的にどう処分するか見通せないので中間貯蔵施設受け入れも決まらない。 
 一番大事な問題を後回しにしたまま、目先の事象に対応しようとするから根本的解決にならない。「くさいものにフタ」とはこうした現実逃避を指すのだろう。 
■肝いりの課題に軸足 
 震災復興が進まない背景を探ると、視野が狭く内向きな政治の姿が見えてくる。 
 安倍首相は復興を最優先課題に掲げて就任した。だが現実には経済政策で国民の支持を取り付けた上で、解釈改憲や積極的平和主義など自ら肝いりの政治課題に突き進もうとしている。 
 国論を二分する問題で国民的合意を追求しない。一部の勢力に頼れば政権を維持できると考えるからだ。そこには国全体の利益を図ろうとする視点が足りない。 
 その首相を、野党暮らしに懲りた自民、公明両与党が支える。震災時に政権の座にあった民主党も現政権批判に鋭さがない。 
 未曽有の大災害に既存の制度で対応し国民の信頼を損ねた官僚組織は、今ある権限にしがみつく。経済界は東京五輪をアベノミクスの「第4の矢」だと称賛し、ビジネスチャンス獲得に余念がない。 
 指導的立場にある人たちが自分の利益を優先する姿勢をとれば、社会への影響も避けられない。 
 被災地との「絆」を大切にする気持ちが薄れ、外国人をののしるヘイトスピーチや無差別に人を襲う通り魔事件など、ささくれ立った社会現象が増えている。 
 日本全体を重苦しい空気が覆っている。これは国民の多くが震災直後に目指した国の姿ではない。 
■分散型社会の実現を 
 教訓を見失ってはいけない。 
 大震災がえぐり出したのは、地方の犠牲の上に大都市が成り立つというこの国の構造的な問題だ。分散型社会の実現は震災後の日本にとって大きな課題と言える。 
 高い確率で首都直下地震が予想されている。だが国の対策はインフラ強化などハード面に偏っている。首都機能の移転が急務だが具体化しない。安全対策を怠った震災前の原発のありようと同じだ。 
 既存の権限を地方に渡さない中央省庁主導の行政と、官僚に依存した政治の打破が不可欠だ。大胆な発想で未来を切り開くことが肝心である。 
 震災前に逆戻りするかのような政治の現実があるために、いまだに多数の被災者が避難を強いられ、震災関連死も増えている状況が続いている。どう見ても異常だ。危機は去っていない。 
 「被災地に寄り添う」という言葉をいま一度思い起こす必要がある。自分だけ良ければいいという考えを抑え、人と人との結びつきを基盤とした社会をつくりたい。 
◇     ◇ 
 震災から11日で3年。わたしたちがなお直面する課題は何か。3回にわたり考える。
 
 

2014年3月11日火曜日

東日本大震災から3年

 東日本大震災から3年避難者は全国で約26万7000人で、9万7000人の被災者がいまだに仮設住宅暮らしを余儀なくされています。
 日本世論調査会が、1~2日に実施した全国面接世論調査結果では、「震災復興は進んでいない」と考える人たちが8割近くに達しました。
 
 天木直人氏は9日付けの同氏のブログ「逃れられない安倍首相の大震災・原発被災に対する無策の責任」で、世論調査の結果は「ズバリ安倍政権の震災復興に対する不満無策に対する国民批判のあらわれ」であるとして、安倍政権は「民主党の大失敗のおかげで、通常では得られないはずの多数を得た近年まれにみる強い政権その気になれば何でも出来るのに、解釈改憲とか、歴史認識の見直しとか、不要・不急の個人的政策に国民から与えられた権力を乱用し、肝心の震災復興・原発対策については取るべき策をとろうとしない。原発政策に至っては、再稼働ばかりに走って、被ばく者救済や除染や汚染水対策については無策の極みだ」と、痛烈に批判しました
       2014年3月10日震災復興などについて全国面接世論調査 
http://yuzawagenpatu.blogspot.jp/2014/03/blog-post.html
 
 東日本大震災から満3年目になる11日、岩手日報は、岩手県内には今なお3万人以上が仮設住宅での生活を余儀なくされていることを報じ、しんぶん赤旗は、8割以上の被災者が仮設を出る見通しが立たないこと「失業中」が依然として32%生業再建は「めどがたたない」「あまり進んでいない」合わせて78%であることなどを報じています
 
 福島県などの被災県から栃木県内への避難者は、把握できただけで3044人に上っているということです。在宅避難者との合計では約1年前の3052人から人減りました
 
 また群馬県に避難した人たちは1529人で、今も群馬県の公営住宅や親戚宅などで避難生活を余儀なくされています
 
 天木直人氏は11日にも、自身のブログで、3年目にようやくまわってきた那須塩原の自宅の除染が、庭に大きな穴を掘ってまわりのごみを埋めて終わりという半日作業で終わったことを伝え、何一つまともな復興策が出来ていないなか、犠牲者の追悼と復興を国内外に発信するための祈念施設を税金を使って岩手、宮城、福島に一か所ずつ建てるという方針に対して、そんなことではなく、3・11は被災民すべてが救済される時まで、被災民の苦しみ、悲しみと、怒りに思いをはせ、その苦しみ、悲しみ、怒りを共有する日にしなければいけない」と訴えました。
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3・11を追悼や復興祈念の日に終わらせてはいけない
天木直人 2014年3月11日
 私が住んでいる栃木県那須塩原は、津波被害こそ無縁であったが、福島原発事故による放射能汚染のホットスポットだ。毎時0.3マイクロシーベルト前後の数値は三年前とほとんど変わらない。いまごろになって市当局の除染作業が我が家にも及んだが、まわりのごみを庭に大きな穴を掘って埋めて終わりという半日作業で終わった。これが除染の実態だ。
 
 津波被災地の住民や福島原発事故から避難を余儀なくされている福島住民の苦しみとは比べるべくもないが、それでも3・11の当事者のはしくれだ。それに免じて私はこう声を上げたい。
 3・11は被災民すべてが救済される時まで、被災民の苦しみ、悲しみと、怒りに思いをはせ、その苦しみ、悲しみ、怒りを共有する日にしなければいけないと。
 
  私は3・11直後に書いた。今度の大震災からの復興は、これまでの支配体制にゆだねている限りは決して成し遂げられないと。この大災害をきっかけに日本の権力構造を根本的に変えなければいけないと。それから三年、復興が進まないことは見事に的中したが、旧来の支配体制、権力構造は微動だにしなかった。敗戦後もなお戦前の支配体制がそのまま責任を取らずに戦後に引き継がれたこととまったく同じだ。この国の政治家と官僚による支配体制は、これだけの大震災と未曾有の原発事故が起きたと言うのに、無策のまま権力の座にあぐらをかいたままだ。復興増税までしておきながらそれを有効に使えず、おまけに流用までして恥じない。いまなお非常事態の生活を強いられている人たちや、被ばくの不安から逃れられない人たちの苦しみ、悲しみと怒りはいかばかりであろうか。
 
  政治家と官僚の責任は大きい。なかんずく安倍政権の責任は大きい。民主党の失政を目の当たりにし、その反動で絶対多数を手にし、その気になれば何でもできる強い政権を手にしておきながら、1年3か月以上たっても何一つまともな復興策が出来ていない。それどころか犠牲者の追悼と復興を国内外に発信するための祈念施設を税金を使って岩手、宮城、福島に一か所ずつ建てるという。
 福島原発事故の収束に至っては、汚染水垂れ流しのままに原発再稼働を言い出す始末だ。
 
  漫才のセリフではないけれど、いま怒らなかったら怒る時はない。3・11を追悼や復興や絆の日に終わらせてはいけない。被災民や被ばく民の苦しみ、悲しみと怒りが完全になくなるまで、それを日本の国民がひとしく共有し、無策の政治家官僚に対して声を上げる日にし続けなければいけないと思う (了)
 
 
岩手県内、今なお仮設3万人超 東日本大震災3年 
岩手日報 2014年3月11日
 本県を含む三陸沿岸に未曽有の被害をもたらした東日本大震災から11日で3年となる。県総合防災室のまとめでは県内の死者は5111人(震災関連死439人を含む)、行方不明者は1142人。今なお3万人以上が仮設住宅での生活を余儀なくされている。
 
 (岩手)県によると、1月末現在、応急仮設住宅に2万5942人、民間賃貸住宅などを使った「みなし仮設」に7757人が入居、計3万3699人が仮住まいという状況だ。
 進まない恒久住宅の確保。被災者生活再建支援金の申請状況からみる個人住宅の再建率(1月末現在)は33%にとどまる。災害公営住宅も全県で6038戸の整備が予定されているが、完成したのは7・7%の467戸にすぎない。
 
 県内では500万トン以上発生したがれきの処理が3月末で終了の見込み。「復旧」が一段落し、県は2014年度からを本格復興期間と位置付ける。災害公営住宅の整備率を14年度までに35%、15年度までに82%へ。高台移転や区画整理などで約8千戸分の供給を予定する宅地の造成を14年度までに15%、15年度までに55%まで進めたい考えだ。
 
 
きょう東日本大震災3年 本紙「300人実態調査」被災者環境深刻な悪化
「仮設から移れない」57% 生業の再建困難63%
しんぶん赤旗 2014年3月11日
 「次の住まいの見通しはたたず、仮設から出られない」―。多くの人々の命と生活の基盤を奪った東日本大震災から3年。避難者は全国で約26万7000人で、9万7000人の被災者がいまだに仮設住宅暮らしを余儀なくされています。本紙は岩手、宮城、福島の3県で「被災者300人実態調査」を行い、暮らしの状況や要望を聞きました。震災3カ月以来6回目となる調査ですが、住まいや生業(なりわい)・雇用の再建はほとんど進まず、事態が悪化、深刻化している実態が浮かび上がりました。(東日本大震災取材班)
 
 実態調査は、記者が仮設住宅、借り上げ住宅、仮設商店街などを訪ね、被災者300人に直接聞き取りました。内訳は岩手県98人、宮城県103人、福島県99人。
 
 8割以上の被災者が仮設を出る見通しが立たないことが明らかになりました。今年中に仮設を出て次の住まい(自宅再建や災害復興公営住宅への入居など)に移れるかとの質問に、「移れない」57%、「わからない」27%が計84%に上りました。
 移れない理由は、公営住宅建設の遅れが37%、自宅再建資金の不足が14%などでした。
 宮城県南三陸町で被災し、仙台市の仮設住宅で暮らす女性(77)は、「公営に入りたいけど今年中に完成せず、入居できません。抽選なので入れるかどうか」と心配そうに話しました。
 
 生業と雇用の再建も遅々として進んでいません。就労状況は「失業中」が依然として32%。生業再建は「めどがたたない」63%、「あまり進んでいない」15%で合わせて78%です。
 自宅兼店舗を津波で失い、仮設商店街で書店を経営する岩手県釜石市の男性(60)は、「もとの土地に再建したいが、市のかさ上げ計画が進まず、気力もうせてきた。今度オープンするイオンに市内最大の書店ができる。影響は避けられない」と語ります。
 
 住宅や生業の再建に対し、「個人財産の形成になるから支援しない」とする国の姿勢を転換し、公的支援を復興の原則にすべきと思うかとの問いに、「おおいに思う」60%、「少し思う」26%が計86%に上りました。
 岩手県山田町の仮設住宅で暮らす女性(59)=パート=は、「被災者が家を建てられなければ結局は国や県が困るのでは。つまらないものを建てるより、国はこういうところにお金を出してほしい」と訴えました。
 
避難者、栃木県外から3044人 大震災3年 勧告2市継続中
下野新聞 2014年3月11日 
 東日本大震災発生から11日で丸3年。(栃木県消防防災課の2月末時点のまとめによると、福島県を中心とした被災県から県内への避難者は、把握できただけで3044人に上った。最大5市3町13地区(158世帯472人)に出されていた避難勧告は、矢板と大田原の2市3地区(16世帯47人)で継続中だが、年度内の終了を目指して復旧工事が進んでいる。県内の被害住宅は7万5705棟となった。
 
 居住先の市町に登録する「在宅避難者」は1188世帯2947人。県別では福島県が1129世帯2842人で全体の96%を占めた。宮城県49世帯85人、岩手県9世帯19人、茨城県1世帯1人だった。避難先の市町では宇都宮市が364世帯895人で最多。那須塩原市が171世帯419人、小山市が123世帯253人で続いた。
 このほか病院や特別養護老人ホームなど医療機関や老人施設に97人が避難している。在宅避難者との合計では約1年前の3052人(2013年3月5日時点)から8人減った
 
東日本大震災きょう3年 1529人 今も避難生活 群馬県内 
上毛新聞 2014年3月11日
 東日本大震災は11日、発生から3年を迎える。東日本大震災の被災者は福島県を中心に1529人(5日時点)が今も、群馬県の公営住宅や親戚宅などで避難生活を余儀なくされている。高濃度の放射性物質を含む指定廃棄物は最終処分場の建設計画が遅れ、7市村が計1186トンを一時保管。一部の野生鳥獣肉などは出荷が制限されたままだ。原発事故の影響は続いている。