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2020年7月24日金曜日

24- 槇原敬之氏の薬物所持初公判でマスコミが報じなかったこと

 21芸能人槇原敬之氏の覚せい剤等の所持に関わる初公判が行われ、メディア槇原氏が起訴の内容を認めたうえで、「音楽活動に関わる方々やファンの皆様に対し、本当に申し訳なく思っています」と謝罪したと報じました
 そう報道されるとあたかも槙原が最近まで覚せい剤や危険ドラッグを使用しており、そのことをすべて認めたかのような印象を受けますが、事実は全く違うということです。

 そもそも起訴事実は危険ドラッグと覚せい剤の「所持」容疑だけで、「使用」については、槇原自身も公判で「ここ数年使っていません」と否定しているし、使用を裏付ける証拠は何も出なかったす。
 しかも所有していたとされている時期も2018年3月と4月ということで、所持量も「ラッシュ約64.2ミリリットル」と「覚せい剤約0.083グラム」などの微々たるものでこれで「所持」罪になるのかというレベルです。

 なぜそんなことで起訴されたのかについては、「逮捕時に大々的に報道されて、不起訴では格好がつかない。それで槙原にプレッシャーをかけて強引に認めさせた」ということではないかと見られています。
 しかし起訴された方は、そのために芸能活動を中断され、かつ将来性も奪われるわけです。決して放置できる問題ではありませんn。
 ところで今回も暴走したのは例の警視庁「組対5課」で、かつて毛髪からも痕跡が見つけられず、覚せい剤の使用が確認されないまま、逮捕起訴された沢尻エリカさんのケースに瓜二つです。

 LITERAは、薬物捜査に詳しい全国紙社会部記者
「組対5課が薬物捜査の手法をどんどんエスカレートさせたのは3〜4年前からで、ASKAのときや沢尻エリカのときは逮捕後に警察のやりすぎとしか思えない問題が噴出した。ところが、マスコミ、とくにワイドショーはその部分を一切批判せずに、むしろ逮捕された芸能人のほうを叩き続け、世論もそっちに流れた。あれで、組対5課が味をしめてしまったんですよ」
という言葉を紹介しています。

 メディアは、残念ながらここでも警察や検察の横暴を批判し阻止する役目を果たしていません。
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槇原敬之の初公判でマスコミが報じなかったこと…マッキーは覚せい剤使用をきっぱり否定、警視庁組対5課の無茶な捜査も明らかに
LITERA 2020.07.22
 昨日21日、槇原敬之の初公判が行われ、メディアやネットには、こうしたタイトルの報道があふれた。報道によれば、検察は論告で「20歳ごろに薬物を使い始め、覚せい剤に手を出すようになった」「(過去に)有罪判決を受けたにもかかわらず、使用を繰り返した。社会に与えた影響も計り知れない」と非難。槇原は起訴の内容を認めたうえで、「音楽活動に関わる方々やファンの皆様に対し、本当に申し訳なく思っています」と謝罪したという。
 しかし、これ、完全にミスリードだろう。こうした報道だけを見ていると、あたかも槙原が最近まで覚せい剤や危険ドラッグを使用しており、そのことをすべて認めたかのような印象を受けるが、事実は全く違うからだ。
 そもそも、槇原が起訴されたのは危険ドラッグと覚せい剤の「所持」容疑だけで、「使用」については、槇原自身も、今回の公判で「ここ数年使っていません」と否定している。
これが言い逃れなどでないことは起訴状をみればわかる。検察は論告では「使用を繰り返した」などと主張したようだが、起訴状では「使用」については一切書いていないのだ。
「覚せい剤の『使用』容疑で起訴なんてできるわけがない。2月に槇原を逮捕してから、警視庁組対5課は徹底して捜査をしたが、結局、自宅から危険ドラッグのラッシュが出てきただけで、使用を裏付ける証拠は何も出なかったわけでしょう。尿検査だって簡易鑑定でも、本鑑定でもあらゆる違法薬物に反応がなかったわけですしね」(警視庁担当記者)

 しかも、「所持」容疑もこれで罪になるのか、というレベルだ。起訴状によると、槙原は、東京都港区のマンション一室で「ラッシュ 約64.2ミリリットル」と「覚せい剤 約0.083グラム」を、渋谷区の自宅で「ラッシュ 約3.5ミリリットル」を所持していたとされている。しかし、覚せい剤などが見つかった港区のマンションのほうは2年以上前に槙原が仕事部屋として借りていた場所で、所有していたとされている時期も、2018年3月と4月なのだ。
 2018年3月といえば、周知のように、当時、槙原の所属時事務所の代表で公私にわたるパートナーだったA氏が覚せい剤所持および使用で逮捕されている。しかし、このとき、槇原について警察は使用も所持も立証できず、A氏は単独所有、単独使用で有罪判決を受けた。
 今回は、そのA氏逮捕の際に、A氏が出入りしていた部屋で押収された覚せい剤などが槙原の所有だったとされたのである。
 一方、渋谷の自宅に所有していたとされる「ラッシュ 約3.5ミリリットル」は今年2月、逮捕時のガサ入れで発見されたものだが、これも2年以上前にA氏から入手したのを処分に困り、持っていたにすぎない。
 槇原自身も今回の公判で、所持していた理由についても“こういうものを捨てるときは気を付けたほうがいいと聞いたことがあり、手元に置いていた”“新しいパートナーに見つけられてはいけないという意識から、鍵のついたセーフティーボックスに入れて隠していた”と証言している。しかも、このラッシュは2007年に販売が規制され、2014年から所持・使用も禁止となっただけで、少し前まで合法だったものだ。

「所持」についても槇原は争う覚悟で父親に宣言していたが、警察にプレッシャーをかけられ…
 そういう意味では、今回の初公判で明らかになったのは、マスコミが喧伝する「やはり槙原は覚せい剤を繰り返し使っていた」というものではまったくない。むしろ「やはり警視庁は槙原の事件で無茶な捜査をしていた」「その無茶苦茶な捜査を検察は強引に起訴した」ことがはっきりしたというべきだろう。
 実際、本サイトは槙原が逮捕された直後から、この捜査に疑義を唱えていた。2年も前の薬物事件、しかも別の容疑者の単独所有で決着している事件の押収薬物を今頃になって所有していたことにして逮捕するなんて、一事不再理の原則に反するありえない話だからだ。しかも、A氏は逮捕直前に、槇原から事務所代表を解任されるなど関係を解消されたことでトラブルになっていた。物的証拠もないままそんな関係性の人物の証言だけで逮捕に踏み切れるなら、恨んだ相手をいくらでも陥れることが可能になってしまう。

 当時、全国紙の警視庁担当記者は、その裏側をこう明かしていた。
「組対5課にいまも槙原が覚せい剤をやっているという情報があったが、なかなか確たる証拠がつかめなかった。それで、元パートナーのA氏が2018年に逮捕された際の押収薬物を槙原の所有だったことにして、無理やり逮捕に踏み切ったというわけです。組対5課はとにかく逮捕すれば、尿検査、ガサ入れで覚せい剤をいまもやっている証拠をつかみ、自白に追い込めると踏んでいたようです。ところが、結局、尿検査はシロ、周辺捜査でも何も出なかった。それでしようがなく、そのまま2018年の件と、逮捕のガサ入れで見つかった危険ドラッグだけで起訴することになった。しかし、2018年の件は実際に誰のものかははっきりせず、槙原がA氏のものだと主張すればくつがえす材料はない。普通なら起訴できるような話じゃないんですが……」
 
 実際、槙原も当初は全面的に争うつもりだったのではないかといわれている。槇原敬之の父親も「女性自身」(光文社)3月30日号の取材に対し、逮捕数日後に槇原本人に接見したとき様子をこう語っていた。
「息子は憔悴しているどころか、とても元気そうでした。そして私に『僕はやってない。だから、心配しないで……』とはっきり言ったんです。本人から直接、その言葉を聞けてホッとしてね。息子の言うことを信じてあげようと思うのは、どこの親も同じ。それで『わかった。それやったら(警察の方に)しっかりと調べてもらい!』と言って帰ってきました」
 
 しかし、結局、槇原は所持を認め、起訴された。
これだけ大々的に報道されて、不起訴では格好がつかない。それで、槙原にプレッシャーをかけて強引に認めさせたんじゃないでしょうか。今回の逮捕時に出てきたラッシュの件で相当攻めたようです。今回のラッシュも残っていただけとはいえ法律違反ではあるので、下手に容疑を否認すれば拘留され続ける可能性もある。それで槙原も、2年前の所持を認めざるをえなかったんでしょう」(前出・警視庁担当記者)

警視庁組対5課の強引な薬物捜査 批判せず宣伝に手を貸すマスコミが警察を調子付かせた
 いずれにしても、槙原の逮捕は明らかな違法捜査であり、起訴も不当である可能性が高い。そしてそのことは、今回、初公判に検察が提出した起訴状からはっきりしたのである。
 しかし、マスコミは裁判になってもこうした捜査や起訴への批判は一切やらず、その内容をミスリードして逮捕時と同じように「槇原はやっぱり覚せい剤を繰り返し使用していた」かのように印象付けたのだ。
 まったくその警察べったりには呆れるが、こうしたマスコミの姿勢こそがいまの警察の強引な薬物捜査をつくりだしたともいえる。薬物捜査に詳しい全国紙社会部記者が「組対5課は完全に調子に乗っている」として、その理由をこう解説する。
「組対5課が薬物捜査の手法をどんどんエスカレートさせたのは3〜4年前からで、ASKAのときや沢尻エリカのときは逮捕後に警察のやりすぎとしか思えない問題が噴出した。ところが、マスコミ、とくにワイドショーはその部分を一切批判せずに、むしろ逮捕された芸能人のほうを叩き続け、世論もそっちに流れた。あれで、組対5課が味をしめてしまったんですよ」
 以前の記事でも指摘したが、芸能人の薬物汚染と、警察国家化・道徳ファシズムのグロテスクな合体による不当捜査、不当起訴の横行と、どちらが危険なことなのか。国民はもう一度考え直してみるべきではないか。 (林グンマ)

2020年4月7日火曜日

黒川検事長の定年延長「撤回を」 日弁連会長が声明

 日弁連会長は6日、黒川弘務検事長の定年を延長した閣議決定の撤回を求めるとともに、検察官の定年の63歳から65歳への引き上げや、内閣の恣意的な定年延長を認める検察庁法改正案にも反対する声明を出しました。声明文を下に掲示します
 声明は、これまで検察官に定年延長が適用されないと解釈されていたのは「人事への政治の恣意的な介入を排除し、独立性を確保するため」であると指摘し、その解釈を変更し黒川氏の定年を延長したことは「三権分立を揺るがすもの」と批判しました。

 共産党の山添拓議員は2日の参院法務委で、黒川弘務検事長の勤務延長に関連して、国家公務員法の勤務延長を検察官にも適用できるとした解釈変更の検討にあたり参考にした資料には、検察官にも勤務延長を適用すべきだとする文献や、森雅子法相が繰り返し述べてきた社会経済情勢の変化を示す資料もなかったことを法務省に認めさせました。
 また、森法相が「検察官の能力も個人差がありうるから、検察官は上司の指揮監督に服する」と答弁したことに対して、山添氏は「だからこそ、検察上層部の人事に官邸が介入するのは大問題だ」と指摘しました。
 しんぶん赤旗の記事を併せて紹介します。
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官邸の人事介入危険 検事長定年延長に山添氏
しんぶん赤旗 2020年4月6日
 日本共産党の山添拓議員は2日の参院法務委員会で、安倍政権が強行した黒川弘務東京高検検事長の勤務延長に何の根拠もないことを明らかにし、検察人事に政権が関与する危険を告発しました。
 法務省は、国家公務員法の勤務延長を検察官にも適用できるとした解釈変更の検討にあたり参考にした資料を提示しました。しかし、山添氏の追及で、川原隆司刑事局長は資料の中に検察官にも勤務延長を適用すべきだとする文献や、森雅子法相が繰り返し述べてきた社会経済情勢の変化を示す資料もなかったことを認め、解釈変更の根拠がなかったことが明らかになりました

 それでも森法相は「業務の性質上、退職等による担当者の交代が当該業務の継続的遂行に重大な障害が生ずることが一般の国家公務員と同様だ」と強弁しました。
 山添氏は、「この検察官でなければならない事件を想定することは許されるのか。同じ法と証拠の下では同様の終局処分が行われるべきだ」と強調しました。その上で山添氏は「証拠の収集をどこまで行うのかなど検察官により差が出る。権力に疑惑がかかっているときにどこまで捜査を徹底するか、そのさじ加減は検察官次第だ」とただしました。
 森法相は「ご指摘のとおり個々の検察官は法と証拠に基づき不偏不党を旨とする。他方、検察官の能力も個人差がありうるから、検察官は上司の指揮監督に服する」と答弁。山添氏は「だからこそ、検察上層部の人事に官邸が介入するのは大問題だ」と指摘しました。


検事長の勤務延長に関する閣議決定の撤回を求め、国家公務員法等の一部を改正する法律案に反対する会長声明

政府は、本年1月31日の閣議において、2月7日付けで定年退官する予定だった東京高等検察庁検事長について、国家公務員法(以下「国公法」という。)第81条の3第1項を根拠に、その勤務を6か月(8月7日まで)延長する決定を行った(以下「本件勤務延長」という。)。 

しかし、検察官の定年退官は、検察庁法第22条に規定され、同法第32条の2において、国公法附則第13条の規定により、検察官の職務と責任の特殊性に基づいて、同法の特例を定めたものとされており、これまで、国公法第81条の3第1項は、検察官には適用されていない。 

これは、検察官が、強大な捜査権を有し、起訴権限を独占する立場にあって、準司法的作用を有しており、犯罪の嫌疑があれば政治家をも捜査の対象とするため、政治的に中立公正でなければならず、検察官の人事に政治の恣意的な介入を排除し、検察官の独立性を確保するためのものであって、憲法の基本原理である権力分立に基礎を置くものである。 

したがって、国公法の解釈変更による本件勤務延長は、解釈の範囲を逸脱するものであって、検察庁法第22条及び第32条の2に違反し、法の支配と権力分立を揺るがすものと言わざるを得ない。 

さらに政府は、本年3月13日、検察庁法改正法案を含む国公法等の一部を改正する法律案を通常国会に提出した。この改正案は、全ての検察官の定年を現行の63歳から65歳に段階的に引き上げた上で、63歳の段階でいわゆる役職定年制が適用されるとするものである。そして、内閣又は法務大臣が「職務の遂行上の特別の事情を勘案し」「公務の運営に著しい支障が生ずる」と認めるときは、役職定年を超えて、あるいは定年さえも超えて当該官職で勤務させることができるようにしている(改正法案第9条第3項ないし第5項、第10条第2項、第22条第1項、第2項、第4項ないし第7項)。 

しかし、この改正案によれば、内閣及び法務大臣の裁量によって検察官の人事に介入をすることが可能となり、検察に対する国民の信頼を失い、さらには、準司法官として職務と責任の特殊性を有する検察官の政治的中立性や独立性が脅かされる危険があまりにも大きく、憲法の基本原理である権力分立に反する。 

よって、当連合会は、違法な本件勤務延長の閣議決定の撤回を求めるとともに、国公法等の一部を改正する法律案中の検察官の定年ないし勤務延長に係る特例措置の部分に反対するものである。 
 2020年(令和2年)4月6日 
日本弁護士連合会
会長  荒  中 

2020年3月24日火曜日

罪を仕立て自殺に追い込んだ財務省、特捜

 関西財務省職員の赤木俊夫氏が残した「遺書」と「手記」を発表した「週刊文春」は、発売当日に50万部が完売されたということです。如何に世間が注目したがが分かります。
 伊東 乾氏が、JB press(Japan Business Press)に「罪を仕立て自殺に追い込んだ財務省、特捜(上)」を発表しました。世上発表されている文書とは一味ちがう文書です。
 財務省もそうですが、ここでも検察特捜部が秋木氏の自殺に決定的な役目を果たしています。実にやり切れない思いがします(続編は追って紹介します)。
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罪を仕立て自殺に追い込んだ財務省、特捜 (上)
伊東 乾 JB press  2020/03/22
「・・・森友学園を巡る公文書改ざんに関与させられて追い詰められ、心を病み、2018年3月7日自ら命を絶った」
 赤木俊夫氏の「手記」が明らかになった現時点で、上のように記すほど、手ひどい間違い、さらには「タチの悪い省略」はない、と言わざるを得ません。
 報道によれば、確かに赤木氏は精神科の加療を受け、以前とは別人のようになってしまったとのことです。
 しかし、精神科の加療を受けつつ自殺(未遂を含む)した人を身近にもつ一個人として思うのは、これはいわゆる、疾病に基づく「発作的・衝動的な希死念慮」ではないということです。
 冷静な意識を最期まで保ったままの、覚悟の自殺、「憤死」と呼ぶしかない、凄まじい最期だった。
「心を病み」「自ら命を絶った」などという安っぽいマスメディアやライターが濫用する、手垢のつきまくった文字の並びは、その本質を何一つ伝えないことに、怒りを禁じえません。
 週刊文春3月26日号は「完売」したとのことで、水で薄めたようなネットメディアで関連の報道を見る方もおられると思います。
 事実、私も3連休に入るまで、コロナ回りを含む公務の新しい雪崩に襲われ、元NHKの大阪日日新聞、相澤冬樹さん渾身の記事を読むまで、ことの本質にぼやけた誤解を抱いていました。
 一体何があったのか?
 赤木氏の遺書というべき「手記」ならびに相澤氏のルポルタージュで示された「新事実」に即して、ありうべからざる腐敗の構造を確認してみたいと思います。

仕立て上げられた「実行犯」
 まず出来事を簡潔に、年表形式の箇条書きにまとめてみましょう。
2017年
2月 8日 大阪府豊中市・木村市議の裁判で「森友学園への国有地売却問題」が明るみに。
2月17日 安倍晋三首相による、妻を含む関与を否定する国会答弁
2月24日 佐川理財局長「交渉記録はない」国会答弁
2月26日(日曜)赤木氏、午後4時半に登庁し、1回目の改竄に、断る余裕もなく無理やり参加させられる。
3月7日頃 2回目の改竄。最終的に改竄は3~4回に及ぶ。
4月11~13日 会計検査院・特別検査(第1回・合格せず第2回が6月に行われる)
6月23日 人事異動の内示。赤木氏以外の全員が配置転換、赤木氏のみが残される。かつ、森友問題関連の資料がすべて処分されてなくなっていた。

・・・ここから、赤木氏を巡る客観的な状況、ならびに心身の容態は急変していきます
6月28日 18:30 特捜部来庁(赤木氏のメモそのまま)
 問題の土地取引があったとき、赤木氏は当該部署に配置されていません。したがって、土地の取引そのものについては何も知りません。
 知っているのは「改竄」だけで、これについては、極めて不本意ながら「実行犯」にさせられてしまっていた・・・。
 この悔悟と慚愧、そして、どのような絵を描かれてしまったかを知ったときの絶望と恐怖は、私も国立大学教官という特殊な形ですが、会計検査を含む公務員の日常を長年知るものとして、言語に尽くせないものを感じます。
 また、このあたりの記載が、マスコミ全般にきちんとなされていないことに、強く疑問を持ちました。
 はっきり書いているのは、同様の案件で刑事訴追され、執行猶予付きの有罪判決を受けた経験のある畏友・佐藤優くらいもので、どこかぼやけた記載ばかりを目にします。

精神を追い詰めた検察・事情聴取
 赤木さんの手記からの、箇条書きに戻りましょう。

2017年
6月28日 18:30 特捜部来庁(赤木氏のメモそのまま)
 特捜検事がやって来ても、5日前の人事で他の担当者はみな異動してしまいました。示すべき資料は何もない。すべて知らない間に処分されてしまった。
 そして、その状況で「財務省担当者」としての全責を負わされ、根掘り葉掘りやられたことが、容易に想像がつきます。
 検事の方は、財務省の巨悪を裁くつもりだから、一切値引きをしないでしょう。
 しかし、その矢面に立たされているのは、本来の不正土地取引は全く知らず、ただ改竄という悪事に期せずして手を染めてしまった赤木さん一人です。
 私はこの一連の手記記載を、3月19日の深夜から20日にかけて読みました。
 そして、オウム真理教事犯、とりわけ地下鉄サリン事件との並行性に、胸潰される思いを持ちました。
 教団は、様々な小悪事に、そもそもは悪気のなかった「幹部」たちを次々と巻き込んでいきました。そして、共犯になってしまった・・・という罪の意識もろとも、さらに重大な犯罪の片棒を担がせるのに悪用しました。
 その典型が「坂本弁護士一家殺害事件」であり「地下鉄サリン事件」にほかなりません。
 ご存じの方はご存じのように、私の大学時代の同級生がサリン実行犯にさせられましたが、いま赤木さんの置かれた立場を念頭に、実行犯という人たちがどういう目に遭っていたか、日本社会全般によく考えてもらいたいと改めて思うのです。
「私は貝になりたい」などといっても、いまの若い人には通じないと思います。
 第2次世界大戦中、軍事行動や作戦の立案者ではなく、否応なく命令に従った兵士たちが「BC級戦犯」として責任を押しつけられ、理不尽な裁判の末に死刑に処せられ、それで事件は解決したことになり、作戦参謀などは命ながらえ、国会議員などに復権したりもする・・・。
 辻政信が典型的と思いますが、そういう、最悪の意味で典型的・日本的な構図が、ここでも繰り返されているのではないか・・・。
 オウム事件もそうです。サリンを撒かされた実行犯たちは、決してあの犯罪の計画者ではなかった。最も重い責任を問われねばならないのは、悪事の絵を描き、犯罪を計画した黒幕です。
 刑法の團藤重光先生は、刑事司法が復讐の具になることなく、変化する状況に即応して社会を守り高める文化の器となることを、終生強調され続けられました。
 そのような刑事司法であるべきです。再度、赤木手記の同じ個所に立ち戻ってみましょう。

2017年
6月28日 18:30 特捜部来庁(赤木氏のメモそのまま)
 これ以降、赤木さんは目に見えて元気がなくなっていったとのことで、7月15日には精神科を受診、うつ病と診断された。
 7月19日に夫婦で外食したときは、震えが止まらず顔色が真っ青だった・・・。
 こう書くと、病気の症状のように読めてしまうけれど、ここにあるのはそんな曖昧な話ではない。
 自分自身も加担させられてしまった公文書の改竄という現実と、それを捜査にやって来た特捜刑事、それを一人で応対せねばならなかった。
 これは、端的に言えば、組織として検察に、自分が人身御供に出されていると理解するしかない状況です。
 少し後に赤木さん自身が書いたメモから引用すれば
「これまでのキャリア、大学すべて積み上げたものが消える怖さと、自身の愚かさ」「まさに生き地獄」
 自分がいままで培ってきた三十数年のすべて、プライドも、経験も、苦学して卒業した大学も、すべてが失われる、自分の人生が壊れてしまう、そういう現実に対する恐怖であり、絶望であり、震えであり顔面蒼白であると理解する必要があります。
 赤木さんはその翌日、7月20日に病気休暇に入りました。

「検察シナリオで犯罪者は作られる」
 その検察からの接触は、病気休暇から「休職」扱いにシフトした後の11月17日に、職場を通してありました。
 赤木さんは震え上がっていたと、今回裁判の原告である奥さんが語っています。
 ドクターストップがかかっていたのに、12月25日には「久保田検事」から携帯に電話があり、20分にわたって事実上の聴取が行われ、赤木さんの精神は最悪の状態に追い込まれました。
 当該部分を引用しておきます。
「ぼくは職番に復帰したら検察に呼ばれる。検察は恐ろしいとこや、何を言っても思い通りの供述を取る。検察はもう近畿財務局が主導して改竄したという絵を描いている」
「そのストーリーから逃げられない。ぼくが何を言っても無理や。本省の指示なのに最終的には自分のせいにされる。ぼくは犯罪者や」
 財務省本省が絵を描いたのは間違いありません。
 しかし、実際に追い込んでいったのは、実は検察の捜査だった。
 いま強行されつつある、おかしな検事長の停年延長は、クロをシロにする可能性を国会でも指摘されていますが、シロをクロにすることもできる、とんでもない状況が何を生み出したか、よく見ておく必要があるように思います。
 2018年3月2日 朝日新聞に「改竄」の報道が出ました。
 赤木さんは直後から数回、自殺未遂の行動を繰り返し、5日後の7日に、ついに既遂(きすい)となってしまいました。
 しかしこの自殺を「心を病んで」と表現することに、冒頭にも明記したように、私は強い違和を感じます。
 疾病に伴う発作的な行動には、認知のゆがみが伴うことが少なくありません。
 しかし、いま残された赤木さんの手記を通読するなら、そこにあるのは、正確極まりない現実の認識だけであって、現実認識にゆがみなど一切見出すことができません
「最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ。手が震える。恐い。命 大切な命 終止符」
 ここにあるのは、あえて不名誉な犯罪者の汚名を潔しとせず、自裁する武士の覚悟にも近い極限の「覚悟」であって、精神を病んで自殺するといった表現では到底表すことができません。
「正気の憤死」ではないでしょうか。
「葉隠」の佐賀にルーツを持つ筆者のバイアスを除くとしても、狂った役所などとは比較にならないほど、正常で健康な精神が、あり得ない現実に耐えることができなかったというべきではないのか?
「手記」にはまだ多くのヒントが記されていると思いますので、それについては続稿で検討したいと思います。 (つづく)

2020年3月15日日曜日

水銀摂取者にも「他の疾患可能性」と全員の訴え退ける 水俣病 福岡高裁

 1956年5月1日に熊本県水俣市で公式発見された水俣病は、有明海などの魚介類を摂取することで引き起こされた大規模な「有機水銀」中毒症でした。
 原因が有機水銀(排出元はチッソ水俣工場)であることを熊本大学が1959年に突き止めましたが、当時政府が組織した委員会はそれを認めず、チッソはその後も約9年間、有機水銀を含む工場排水を有明海に流し続けました。
 厚生省がようやく有機水銀が原因であると認めたのは1968年で、それまで何も知らなかった住民は水銀で汚染された魚介類を摂取し続けたため、水俣病患者は膨大な数に達しました。
 当時日本は重化学工業の発展段階にあり、チッソが製造するアセトアルデヒドは塩ビの可塑剤として極めて重要な物質であったため、政府はチッソを操業停止にしたくなかったのであり、重化学工業を発展させるために住民を犠牲にしたといえるのでした。

 政府はその後も、複数の症状を示さなければ水俣病とは認められないとする「認定条件の改悪」を行って、患者と認定されることを妨害しました。しかし司法では一つの症状であっても認定するという動きなどもあり、政府は2014年3月感覚障害だけでも認定可能としました。ところが同時に水銀摂取と症状の因果関係の立証に客観的な資料を求めるとしたため、半世紀以上も前に有機水銀の摂取したことを証明することは当然困難で、実質的には殆ど改善に当たらないものでした。

 政府の「救済」策から漏れた「水俣病被害者互助会」の8人がチッソと国を相手取って起こした訴訟の二審で、福岡高裁は「史上最悪」といわれる判決を出しました。

 熊本日日新聞と西日本新聞の記事を紹介します。
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水俣病互助会訴訟 救済漏れ黙認する判決だ
熊本日日新聞 2020年3月14日
 県に水俣病の認定申請をして認められなかった「水俣病被害者互助会」の8人が、原因企業チッソと国・県を相手取って損害賠償を求めた訴訟の控訴審で、福岡高裁は原告全員の請求を棄却した。一審の熊本地裁判決は3人を水俣病と認めていたが、二審は原告側の全面的な敗訴となった。原告は上告する方針だ。

 8人は水俣病が公式確認された1956年前後に不知火海沿岸で出生。メチル水銀に汚染された魚介類を幼少期に食べたり、胎児期に母体を通じて取り込んだりしたとして、熊本県や鹿児島県に認定申請した。しかし認められず、司法の場に救済を求めていた。
 判決によると、福岡高裁は原告が水俣病かどうかを判断するにあたり2013年4月の最高裁判決を踏襲。患者ごとに魚介類を食べた状況と症状などとの関係を「総合的に検討」すべきだとの立場をとった。
 8人にはメチル水銀の摂取状況が分かる「頭髪水銀値」の測定結果などが残されていなかった。このため居住歴、日常の食生活、家族の罹患[りかん]状況などを基に、高濃度の水銀汚染を受けたかを考慮。それに起因した手足の感覚障害などの症状があるかを判断した。うち6人には家族に認定患者がいないことなどから、多くのメチル水銀を摂取したとは言えないとした。一審で水俣病とされた原告の1人については、出生時のへその緒の水銀値が高く、父母らも水俣病と認定されているが、感覚障害との因果関係を認めなかった
 判決は水銀摂取の有無を判定するにあたり、家族の認定状況などのほか、頭髪水銀値などを重視している。だが、原告らを含む多くの被害者にそうしたデータが残っていないのは、行政がやるべき調査をしなかったせいだ。そのことで被害者が不利になるとすれば、あまりに酷で、これまでの水俣病訴訟の判例からも大きく外れた判断ではないか。水俣病事件の歴史的経過をきちんと踏まえた判決とは思えない

 水俣病認定を巡っては、1970年代以降に何度も裁判で争われ、救済範囲が狭すぎることが指摘されてきた。13年の判決を含め、最高裁も2度にわたり、行政から認定されなかった患者を水俣病とすることを妥当としている。
 にもかかわらず、国は認定基準を改めることなく、かたくなに現行制度の運用を続けてきた。
 その結果として生まれた何万人という未認定患者に対し、1995年に政府解決策、2009年に特別措置法による救済策がなされたが、その線引きから外れた人たちによる裁判も全国5カ所(新潟水俣病含む)で続いている。

 認定制度と救済策の二段階にわたる救済漏れが黙認され続ける限り、今後も紛争が続くのは間違いない。さらに言えば、救済の遅れを招いたのは被害の全容解明の調査が行われていないせいでもある。国・県とチッソはその責任を改めて自覚し、一刻も早く救済漏れを解消するべきだ。


「人と思えぬ」まさかの全員敗訴 水俣病賠償訴訟、福岡高裁
西日本新聞 2020/3/14
典型症状切り捨て「何が水俣病か」
 まさかの「全員棄却」に、誰もが言葉を失った。13日の福岡高裁判決は、一審熊本地裁が患者と認めた佐藤英樹原告団長(65)ら3人も含め、全員を「水俣病ではない」と切り捨てた。幼少期から原告たちを悩ませた感覚障害などは水俣病の典型症状とされてきた。「私たちが水俣病でないなら、何が水俣病か-」。提訴から12年超。「史上最悪」の判決に、原告たちは「この12年がまばたきするうちに消えた」と憤り、そして涙を落とした。
 「水俣病のいろんな症状は幼少からあったと訴えてきたのに」。全員勝訴を期して臨んだ判決の後、佐藤さんは、うつむいた。
 漁師だった祖母と両親は認定患者。祖父も劇症型水俣病とみられる症状で亡くなった。幼少期から毎日のように、取れたての魚介類が食卓に並んだ。振り返れば幼少期から、こむら返りなどに苦しんできた。
 しかし判決は、佐藤さんの高濃度のメチル水銀摂取は認める一方、感覚障害は「アルコール性ニューロパチー(長期のアルコール常用者にみられる感覚運動障害型の末梢(まっしょう)神経障害)の可能性がある」などと指摘、総合的に検討し「水俣病と認めるには足りない」と結論付けた。
 へその緒のメチル水銀値も示していた佐藤さん。「子どものころから酒を飲んでいたというのか。本当に総合的に判断した結果なのか」。国の意向を忖度(そんたく)したかのような内容に不信感を募らせた。

 一審では水俣病訴訟史上で過去最高の賠償額1億500万円を認められていた原告の大堂進さん(60)は体調不良が続き、法廷に足を運ぶこともできなかった。一審に続き棄却された西純代さん(67)は涙ぐみ「こんな不当な判決、大堂さんに伝えられない」と思いやった。
 佐藤さんと同様に「感覚障害があるとしても複数の他の疾患の可能性がある」とされた緒方博文さん(63)は「人が出したとは思えない判決。私たちが水俣病でないと言うなら、どんな人が水俣病か示してほしい」と訴えた。公式確認から64年。車椅子で判決を聞いた倉本ユキ海さん(65)は「だから水俣病は64年たっても解決しないんだ」。懸命に言葉を絞り出した。
 闘いは最高裁に移る。「みんなが認められないと笑えない」。地域が、住民たちが味わってきた苦しみから目を背けさせないために。原告たちは全員勝訴を諦めない。(吉田真紀)


【解説】認定基準明確にせず 水銀の摂取者にも「他の疾患可能性」
西日本新聞 2020/3/14
 胎児、幼児期にメチル水銀の汚染被害を受けたとする原告8人全員の請求を退けた13日の福岡高裁判決は、どのような症状が水俣病かという基準を明確に示さず、原告らが訴える症状を「他の疾患による可能性がある」として切り捨てた。行政による厳格な認定基準を前に、司法に望みを託した未認定患者にとっての救済の道を閉ざしかねない判断といえる。

 水俣病を巡っては、国が1977年に感覚障害や運動失調など複数症状を認定患者の要件とする厳しい基準を提示。患者と認められなかった多くの人が裁判を起こし、司法は国の判断基準よりも幅広く被害を認めてきた経緯がある。
 未認定患者らが国と熊本県に賠償を求めた関西訴訟の最高裁判決(2004年)や、熊本県の女性=故人=が県に患者認定を求めた訴訟の最高裁判決(13年)は、感覚障害だけでも水俣病と認める判断を続けた。司法は柔軟な姿勢を示し、国の厳格な基準に疑問を投げかけた
 国は14年3月、感覚障害だけでも認定可能とした一方、水銀摂取と症状の因果関係の立証に客観的な資料を求める新指針を関係自治体に通知した。
 この通知の直後にあった一審熊本地裁判決(同月)は、国の新指針に沿ったかのような判断を示す。同居家族の認定患者の有無を大きな判断材料に、3人は患者認定したものの、5人については請求を棄却した。
 控訴審で原告側は、漁業に依存していた当時の食生活や不知火海の広範囲が汚染された歴史など、水俣病の実態についての立証にも力を入れた。典型症状である感覚障害について、裁判官の理解を得やすくするため検査結果を客観化。阪南中央病院(大阪)の医師2人は、重りを使って感覚の程度を数値化し、検査によるばらつきを補った。
 しかし、高裁判決は医師の診断結果を採用せず、「かえって評価を誤りかねない」とまで指摘。高濃度の水銀摂取を認めた原告でさえも、他の疾患の可能性を理由に請求を退けた
 「今までの裁判で積み上げてきたものを無にする、とても許せない判決。都合のいい国の証拠だけを採用しているとしか思えない」。原告側の康由美弁護士は痛烈に批判した。
 高裁判決は、患者認定や補償対象を広げつつあった司法の流れにブレーキをかけた。司法は患者認定が難しい「第2世代」の被害実態を改めて直視し、幅広い救済へと導くべきだ。(村田直隆、鶴善行)

2020年3月6日金曜日

06- 黒川高検検事長の違法な任期延長に抗議する法律家団体の共同声明

 黒川弘務東京高検検事長の定年延長について、弁護士や学者で作る9つの団体が共同で会見を開き、「延長は違法で検察行政を崩壊させるものだ」として、定年延長の撤回と黒川氏の辞任を求める抗議声明を発表しました。

 声明は「検事総長は、政治権力の検察への不当な介入を防ぐ防波堤で、歴代自民党政権も総長人事に介入することは厳に慎んできた。長年の法解釈を無視し、官邸の独断で行われたもので与党や検察庁の中からも異論が噴出している」と指摘し、定年延長を認めた閣議決定の撤回と黒川氏の辞職を求めています。

 森法は3日、参議院予算委で「まるで官邸の人事介入であるかのような疑念があるが、全く事実無根だ。法務大臣として適切に人事を行った」と述べましたが、彼女のやったことは安倍首相の小間使い役であって、法匪と呼ぶにも値せずに「法無大臣」が相応しいとされています。
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東京高検検事長黒川弘務氏の違法な任期延長に抗議する法律家団体共同声明
2020年3月5日
社会文化法律センター      共同代表理事  宮里 邦雄
自由法曹団               団長  吉田 健一
青年法律家協会弁護士学者合同部会    議長  北村  栄
日本国際法律家協会           会長  大熊 政一
日本反核法律家協会           会長  佐々木猛也
日本民主法律家協会          理事長  右崎 正博
明日の自由を守る若手弁護士の会 共同代表 神保大地、黒澤いつき
秘密保護法対策弁護団      共同代表 海渡雄一、中谷雄二、南典男
共謀罪対策弁護団        共同代表 徳住堅治,海渡雄一,加藤健次,
                     南典男,平岡秀夫,武井由起子
1 はじめに
 2020年1日31日の閣議決定で、2月7日で63歳を迎え検察官を定年退官する予定であった東京高検検事長の黒川弘務氏の任期が半年間延長されることになった。認証官である検事長はもちろん、検察官が定年を超えて勤務を続けた前例はない。
 この人事は、黒川氏を、8月14日に65歳で定年退官となる稲田伸夫検事総長の後任に充てる目的といわれている。黒川氏は、かねてから菅官房長官と懇意であり、政権の中枢に腐敗事件の捜査が及ばなくするための人事ではないかとの疑惑が指摘されてきた。
 報道によれば、2016年夏、法務・検察の人事当局は次の次の検事総長候補として林真琴法務省刑事局長を法務事務次官に就ける方針だったが、官邸から黒川氏を法務事務次官にするよう強く求められ、押し切られた。官邸は1年後にも林氏を事務次官とする人事を潰し、黒川氏を留任させた、とも報じられており(雑誌「ファクタ」1月号)、今回の事態は、官邸による検察・法務人事への介入の総仕上げといえる。
2 当初の法務大臣の説明
 検察庁法22条は、検事総長は65歳、他の検察官は63歳に達した時に退官すると定めている。
 ところが森雅子法務大臣は1月31日午前の閣議後の会見で、黒川氏について「検察庁の業務遂行上の必要性に基づき、引き続き勤務させることを決定した」と述べた。その法的な根拠は国家公務員法の81条の3であるとし、「その職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずる」場合に該当するとして、定年を延長したとの説明であった。
 そして森法務大臣は、2月3日の衆議院予算委員会で、国民民主党渡辺周議員の質問に対し、「検察官は,一般職の国家公務員であり,国家公務員法の勤務延長に関する規定が適用され」るという解釈を示した。
3 検察官に国家公務員法の定年・定年延長制度の適用はない-閣議決定は違法
 1947年に制定された国家公務員法にはもともと定年制度がなく、社会情勢の変化の中で、1981年になって初めて定年制(国家公務員法81条の2)及び定年延長制度(同法81条の3)が導入された。しかし、同じ1947年に制定された検察庁法は、検察官は63歳に達した時に定年退官することを当初から規定し(検察庁法22条)、旧裁判所構成法時代には存在した定年延長制度を規定しなかった
 国家公務員法の定年制度は、「他の法律に別段の定めのある場合を除き」適用できると定められている(国家公務員法81条の2)。この「別段の定め」の一つが検察庁法22条である。検察官の定年は検察庁法によるのであって、国家公務員法によるものではない。従って、国家公務員の定年延長制度は、そのまま検察官に適用される関係にはない(検察庁法32条の2参照)。
 何よりも、国家公務員一般に定年制がまったくなかった時代に、検察官について定年制が設けられたという事実は、検察官の定年制は国家公務員の定年制とまったく別の趣旨・目的で設けられたことを意味する。検察官の定年制は、検察官が刑事訴訟法上強大な権限を持ち、司法の一翼を担う準司法的地位にあるという、その職務と責任の特殊性に鑑み、検察官の人事に権力が恣意的に介入することを防ぐ趣旨を含むと解される。従って、検察庁法が制定されてから34年後に定められた国家公務員一般の定年延長制度が、検察官に適用されることはあり得ない。
 そして、1981年の国家公務員法改正時、政府も検察官について国家公務員法の定年延長の定めは適用されないとする解釈をとっていたことが、当時の政府答弁、政府文書によって明らかになっている。すなわち、2月10日の国会審議では、1981年に政府委員(人事院任用局長)が上記解釈の答弁をしていた事実を山尾志桜里議員が指摘し、2月24日には、この1981年の政府答弁の根拠となる文書(想定問答集)が1981年10月に総理府人事院(当時)によって作成されていたことが、野党共同会派の小西洋之議員の国立公文書館での調査により判明した。
4 安倍首相の「解釈変更」答弁後における法務大臣・人事院の支離滅裂な対応
 2月10日、上記山尾議員の指摘を受けた森法務大臣は、1981年の人事院の解釈について、そのような解釈は把握していないと答弁した。しかし、2月12日、人事院の松尾恵美子給与局長は、1981年の人事院の解釈につき「現在まで同じ解釈を続けている」と答弁した。
 ところが、翌13日の衆院本会議で安倍首相は、「検察官の勤務(定年)延長に国家公務員法の規定が適用されると解釈することとした」と答弁した。
 この安倍首相の答弁後、法務大臣や人事局長は、これと辻褄を合わせるため、以下のとおりの支離滅裂な対応を繰り返したのである。
 まず、2月19日の衆院予算委員会で、人事院の松尾恵美子給与局長は、「現在」とは1月22日のことだった、「言い間違えた」と答弁した。2月20日には、森法務大臣は、法務省が法解釈変更の経緯を示した文書について、「部内で必要な決裁を取っている」と答弁したが、同日、上記文書に日付がないことが判明し、翌21日の予算委理事会で法務省と人事院は、日付を証拠づける文書はないことを明らかにした。ところが、法務省は同日深夜、文書に関し「口頭による決裁を経た」と突然発表し、森法務大臣の答弁との整合性を取った。同月25日に森法務大臣は記者会見で、「口頭でも正式な決裁だ」と表明し、同月27日の衆院本会議では法務大臣の虚偽答弁を理由に不信任決議案までが出される事態となった。
 これら一連の政府の対応は、1月31日の黒川検事長の定年延長についての閣議決定が、法務省や人事院の正規の決裁も経ないまま長年の法解釈を無視し、官邸の独断で行われたものであったことを白日の下に晒しただけでなく、法務省・人事院が、安倍首相の答弁を取り繕うため支離滅裂な辻褄合わせに狂奔する姿を露呈したものであり、もはや法治主義の崩壊と言うべき事態である。
 今からでも、人事院、法務省、内閣法制局、内閣官房の間で、いつどのようなタイムラインで、どのような協議がなされたか、あるいはなされていないのか、国会の場での検討が求められる。
5 検事総長の人格識見こそが検察への政治介入の防波堤である
 検察庁は行政機関であり、国家公務員法の規定に基づいて、その最高の長である法務大臣は、検察官に対して指揮命令ができる。しかし、検察庁法14条は、法務大臣の検察官への一般的指揮権は認めているが、具体的事件については、検事総長のみを指揮することができると定めている。
 検察の独立性を守るのは最終的には指揮権発動を受ける可能性のある検事総長の識見、人物、独立不羈の精神に帰着する。だからこそ、検察組織は検事総長に清廉で権力に阿(おもね)らない人材を配し、政治権力による検察権に対する不当な介入の防波堤を築こうとしてきた。そして、歴代自民党政権も、検事総長人事は聖域として、前任の検事総長の推薦をそのまま受け容れてきた。これに介入するようなことは厳に慎んできたのである。いま、安倍政権によって、その秩序が壊されようとしている。
6 政府与党、検察庁内からも噴出した異論
 2月15日、中谷元・元防衛大臣は、国政報告会の公の発言の中で、「(黒川氏が)検事総長になるのではないかと言われております。私が心配するのは、三権分立、特に司法は正義とか中立とか公正とか、そういうもので成り立っているんですね。行政の長が私的に司法の権限のある人をですね、選んで本当に良いのかなと。一部の私的な感情とかえこひいきとかやってしまうと、本当に行政も動かなくなってしまう。権力の上に立つ者はしっかりと、その使い方を考えていかなくてはならない。」と安倍官邸の人事に苦言を呈した。
 2月19日の検察長官会同において、静岡地検の神村昌通検事正は、検察庁法で定められた「指揮権発動」についての条文を読み上げたうえで、「今回の(定年延長)ことで政権と検察の関係に疑いの目が持たれている」「国民からの検察に対する信頼が損なわれる」「検察は不偏不党、公平でなければならない。これまでもそうであったはず」「この人事について、検察庁、国民に丁寧な説明をすべき」との趣旨の意見を述べたと伝えられる。現職検事正による覚悟の発言である。
7 閣議決定の撤回と黒川検事長の辞職を求める
 このように、検察と司法の危機は白日の下にさらされ、検察と与党の内部からまで異論が続出する事態となっている。黒川氏が検事総長に任命されても、その職務を全うすることは困難である。この人事が正されなければ、検察行政は麻痺状態に陥ることは避けられない。これは、「常に公正誠実に,熱意を持って職務に取り組まなければならない。」、「権限の行使に際し,いかなる誘引や圧力にも左右されないよう,どのような時にも,厳正公平,不偏不党を旨とすべきである。」という「検察の理念」(2011年制定)を心に刻んで誠実に職務を遂行している検察庁職員に対する冒涜でもあると言わなければならない。
 我々は、司法の一翼を担う弁護士及び学者の集団として、内閣に対して、違法な定年延長を認めた閣議決定の撤回を求める。また、黒川氏に対して、当初の定年のとおり退官すべきものであったとして直ちに辞職することを求める
 この問題は、日本の司法と民主主義の根本にかかわる重大事である。もし、内閣と黒川氏がこのような穏当な解決に応じないとすれば、我々は、心ある検察官、与野党の政治家、メディアなどとともに一大国民運動として、検察の独立を含む民主主義を復活させるまで闘いつづける決意を明らかにするものである。
以上