しんぶん赤旗に掲題の2つの記事が載りました。
生活保護基準の大幅な引き下げは憲法25条*の生存権に反するとして、全国の利用者が国と自治体を訴えた「いのちのとりで裁判」の上告審判決で、最高裁第3小法廷は27日、保護基準引き下げを「違法」とする初の統一判断を示しました。
判決は、厚労省が保護基準引き下げで物価下落率を使った「デフレ調整」は社会保障審議会の生活保護基準部会などによる検討を経ておらず、専門的知見の裏付けを認められないとしたうえで、厚労相の判断の過程・手続きには過誤、欠落があり、生活保護法違反だと認定しました。国に対する損害賠償請求は棄却しました。
小池晃・共産党書記局長は記者会見で、12年の総選挙で政権に復帰した自民党が生活保護費10%削減を選挙公約に掲げていたことで、第1次安倍政権が公約実現という結論ありきの保護費削減だったと指摘しました。国は今回の統一判断を受け止めて、現在係争中のものも含め、全ての原告の訴えを受け入れて裁判の終結を図るべきで、生活保護費が減額された全ての受給者に対しても、全面的な救済措置を講じるべきだと述べました。
生活保護費の10%削減は、当時 弱肉強食の新自由主義全盛での中で「生活苦」とは全く無縁の自民党の二世、三世議員たちが決めた憲法違反の施策でした。
*第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び
増進に努めなければならない。
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生活保護費減額は違法 最高裁統一判断
自公政権の施策断罪 原告利用者の勝訴確定
しんぶん赤旗 2025年6月28日
生活保護基準の大幅な引き下げは憲法25条の生存権に反するとして、全国の利用者が国と自治体を訴えた「いのちのとりで裁判」の上告審判決で、最高裁第3小法廷(宇賀克也裁判長)は27日、保護基準引き下げを「違法」とする初の統一判断を示しました。2014年から全国29都道府県で1000人超がたたかうなかでの「画期的判決」(原告弁護団)です。
厚労相判断に過誤・欠落
宇賀裁判長が判決を読み上げると、法廷の傍聴席の支援者から安堵(あんど)のため息が聞かれました。最高裁前では、弁護団が「司法は生きていた」「勝訴」と書かれた紙を掲げました。集まった原告、支援者らは大きな歓声を上げました。
判決は、厚生労働省が保護基準引き下げで物価下落率を使った「デフレ調整」には合理性がないと指摘。同調整は社会保障審議会の生活保護基準部会などによる検討を経ておらず、専門的知見の裏付けを認められないとしました。そのうえで厚生労働相の判断の過程・手続きには過誤、欠落があり、生活保護法違反だと認定しました。
判決は、国に対する損害賠償請求を棄却しました。一方、宇賀裁判長は「反対意見」で、利用者が最低限度の生活を満たせない状態を9年以上にわたり強いられてきたとして、「精神的損害を慰謝する」必要性を指摘。少なくとも1万円以上の請求を認めるべきだとしました。
上告審の対象になった二つの訴訟のうち、名古屋訴訟原告の千代盛学さんは「感無量です。政治家には二度とこうした訴訟が起きないよう求めたい」と述べ、大阪訴訟原告の小寺アイ子さんは「勝つと信じていたけど、判決を聞くまでは足はがくがくでした。皆さんのおかげです」と涙ながらに語りました。
名古屋訴訟原告弁護団の内河惠一団長は、保護基準引き下げは12年の総選挙での自民党選挙公約を厚労省が実行したものだと批判し、「判決は、利用者の実態に思いをはせ、人間的な配慮がなされた。国に対し、利用者が生活を回復する努力をしたい」と述べました。大阪訴訟弁護団の小久保哲郎事務局長は「完勝と言える」と語りました。
大阪高裁判決(23年4月)では原告の請求を棄却。一方、名古屋高裁判決(23年11月)では、保護基準引き下げを違法として減額決定を取り消し、国に慰謝料を命じました。
生活保護費減額は違法 最高裁統一判断
国は謝罪と被害回復 政策抜本見直し早く
しんぶん赤旗 2025年6月28日
小池書記局長が会見
日本共産党の小池晃書記局長は27日、党本部で記者会見し、政府による生活保護費の削減を違法とした同日の最高裁判決を受け、次のように述べました。
◇
画期的な最高裁としての統一判断だと思います。「いのちのとりで裁判」で最高裁が統一判断を下して、原告が勝訴しました。原告、弁護団、そして関係者のみなさんのご努力に心から敬意を表したいと思います。
今回の判決は、2013~15年に自公政権が強行した最大10%の生活保護費削減に対して、司法が国の措置を違法と断じる統一判断を下したもので、極めて大きな意義を持つと考えます。
最高裁の統一判断は、保護費削減に際して、厚生労働省が用いた指標が、統計や専門的知見との整合性を欠く上に、専門家の部会に諮ることもなく、厚労省の独断で実行された。このことが何重にも不当であり、違法な手法によって行われたということを断罪しています。
当時、厚労省がここまで強引な保護費削減、保護基準引き下げを実施した背景にあったのは何か。2012年総選挙で政権に復帰した自民党が、生活保護費10%削減を選挙公約に掲げていたという事情があったということは、多くの識者も指摘しているところです。安倍政権の公約実現という結論ありきの保護費削減だったということは明らかだと思います。
国は今回の統一判断を受け止めて、現在係争中のものも含め、全ての原告の訴えを受け入れて、裁判の終結を図るべきです。原告全員に謝罪して、速やかに減額決定を取り消して、被害の回復を図るべきです。
違法な保護基準削減の被害は、原告以外の全国の受給世帯にも及んでいます。保護費が減額された全ての受給者に対しても、全面的な救済措置を講じるべきだと考えます。
なぜこのような違法行為が国によって行われたのかについても、原告を含めた当事者も参加する検証機関をつくって、徹底検証と再発防止を図ることも重要だと思います。
今回の裁判と判決は自公政権が進めてきた生活保護の減額政策、社会保障費削減政策の問題点を根本から問うものになっています。来たるべき参院選挙でも大きな争点にしていきたいと考えています。
湯沢平和の輪
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。
2025年6月30日月曜日
生活保護費減額は違法 最高裁統一判断 自公政権の施策断罪 原告の勝訴確定
食料求め「死の旅」 ガザ やまぬ配給所付近への攻撃
28日~29日付のしんぶん赤旗にガザに関する3つの記事が載りました。
1・食料求め「死の旅」 ガザ やまぬ配給所付近への攻撃
2・病院爆撃 軍が占拠 ガザ 英国人医師,本紙に語る
3・発砲「群衆追い払うため」 イスラエル紙に兵士証言
1:ガザでの食糧配給所は以前はUNRWA:国連パレスチナ難民救済事業機関が400カ所ほどを運営していましたが、いまでは米国運営の3カ所のみになりました。
しかしそこで食料を受け取るには「半数が命を落とすという危険」を冒さないと「飢えた子どもたちに食料を持ち帰れ」ません。文字通り「死の旅」です。
そして「死の旅」の最終段階の配給所に辿りつけたとしても、実際に配給物を手にするためにはそこで「奪い合いと弱肉強食の世界」が繰り広げられるということです。
ガザ住民のアルカファラナさんの体験談が載りました。
2と3もガザの実態の報告です。
併せて「耕助のブログ」の記事「私たち全員を殺す前にネタニヤフを止めろ」を紹介します。
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食料求め「死の旅」ガザやまぬ配給所付近への攻撃
しんぶん赤旗 2025年6月28日
【カイロ=米沢博史】イスラエル軍は、イスラエル・ガザ地区の食料配給所付近で、食料を求める人々を射殺し続けています。ガザ当局が25日夜に発表したところでは、米国支援の「ガザ人道財団」が5月27日に食料配絵所を開設して以降、配給所付近で殺害されたのは549人、負傷したのは4066人、不明者は39人を数えます。この配給所に食料を受け取りに行くことはどれほど危険なのかー。ガザ市西部の住民モアタズ・アルカファラナさん(38)が25日、SNSを通じてその体験を語ってくれました。
ガザ市西部の住民 モアタズ・アルカファラナさん
私は、飢えに苦しむ家族8人のために、ガザ市西部のアズハル大学の避難所から南部ラファにある「米国支援センター」(食料配給所)に向かいました。それは半数が命を落とすといわれる「死の旅」でした。
犠牲祭(イスラム教の祭日)の前日、5日午後8時に出発し、35キロ以上の距離を夜通し歩き、翌朝2時半ごろ、ハンユニスの南西端に到着しました。
イスラエル軍の検問所に近づくと、拡声器で「支援センターは閉鎖された。帰れ」と告げられました。しかし、経験者によれば、これは人々を追い返すための策略だということで、私はその場にとどまりました。
銃撃
再び近づいたところ、今度は「3分以内に立ち去らなければ撃つ」と脅され、その言葉が終わる前から銃撃が始まりました。
叫び声が響き渡る中、銃声と弾丸が飛び交いました。若者たちが銃撃の合間を縫って負傷者を近隣の国際赤十字の施設まで運びましたが、途中で射殺される人もいました。
私たちは恐怖と悲しみの中、海岸へと避難し、砂の上で夜を明かしました。翌朝6時45分、再び激しい銃撃が始まり、私たちは地面に伏せました。軍用機の音も聞こえました。
私の心にあったのは、「死ぬこと」よりも、「子どもたちに食料を持ち帰れないこと」への恐れでした。飢えた子どもたぢが、私の帰りを待っているのです。
午前8時、銃撃が一時やんだ隙に、経験者が「今だ!」と叫び、私たちは配給所に向けて突入を開始しました。隠れていた場所から一斉に走り出し、2キロ以上の距離を全力で駆け抜けました。
倒れている負傷者や遺体を目の当たりにしながらも、誰も立ち止まることはできません。後ろから押し寄せる群衆に踏み倒されたり、銃撃を受けたりする危険があり、命がけで走るしかありませんでした。
イスラエルと米国の兵士たちは、映画さながらの装備で銃を構え、威嚇射撃を続けていました。私たちは丘を登り、物資のある場所へと殺到しました。そこでは奪い合いと弱肉強食の世界が広がっていました。
脱出
私は何とか食料袋を手に入れ、「死の地」から脱出しました。中身を確認すると、豆2・5kg、小麦粉2kg、パスタ4kg、ゴマペースト1kg、調理油1ℓ、塩2kg、缶詰2個が入っていました。
私は涙が止まりませんでした。このわずかな食料のために、私は命を賭け、負傷者を助けることもできなかったのです。みじめな「暗黒の犠牲祭」でした。
病院爆撃 軍が占拠 ガザ 英国人医師,本紙に語る
しんぶん赤旗 2025年6月29日
【カイロ=米沢博史】パレスチナ・ガザ地区で先月末まで医療活動を行ってきた英国のビクトリア・ローズ医師に25日、現地の様子を電話で聞きました。
ビクトリア・ローズ医師
私は英国の慈善団体「IDEALS」の整形外科医として、2019年以降、何度もガザを訪問し医療支援を行ってきました。
私がガザに行く理由は三つあります。目撃者として実態を伝えるため、現地の医師を支えるため、そして整形外科医として命を救う役割を果たすためです。
戦争開始後も3回、ガザに行きましたが、直近の訪問(5月)がもっとも厳しいものでした。私の到着日には、欧州軍が占拠しました。どこもかしこも瓦礫(がれき)の山で、別世界に迷い込んだようでした。
南部のテント村には百万人以上が劣悪な環境で生活しています。下水処理も清潔な水もなく、3月以降、援助物資はー切届いていません。以前は、国連の各種機関やNGOが医療や衛生支援を行っていましたが、今は完全に停止しています。
住民の体重は大幅に落ち、子どもたちも年齢に対して小柄でやせています。気力も落ち、「死んだほうがまし」だと語る人が何人もいました。イスラエル軍がミルクの搬入を許可しないため、私がナセル病院にいた間にも60人の乳児が亡くなりました。これは明確な国際法違反です。
家族の誰かを失った人はほぼ全員に上り、手術中、この子どもの患者が家族で唯一の生存者だと聞かされることも珍しくありません。手足を失った子どもが一人でその障害と向き合わなければならないのです。
現在、「ガザ人道財団」(GHF)の食料配給所は3ヵ所に限られています。その周辺で食料を求める人が銃撃され、多くの死傷者が発生しています。
イスラエル軍の発表はいつも事実と異なります。私は救急室に道ばれた15人の遺体を目の前にしながら、イスラエル軍が「誰も撃っていない」と発表するのを聞きました。その日、ナセル病院には銃創の患者が200人も運び込まれました。これだけの火力がある武器を持つのはイスラエル軍しかありません。撃たれた人も、「GHF側の人に撃たれた」と□々に語っていました。
交戦規定が守られていません。世界は政治以前の問題として、民間人の大量虐殺を止めなければなりません。
発砲「群衆追い払うため」 イスラエル紙に兵士証言
しんぶん赤旗 2025年6月29日
【カイロ=米沢博史】イスラエル紙ハーレツ(電子版)は27日、「ガザで人道支援を待つ非武装の市民に、イスラエル軍が意図的に発砲」と題する記事を掲載し、軍の将校や兵士たちが、脅威が存在しないにもかかわらず「群衆を追い払う」目的で発砲するよう命じられたという証言を紹介しました。
記事によると、配給所は朝の1時間だけ開設され、開所前や閉所後に群衆を追い払うため、発砲が行われます。ガザ市民は、配絵所がいつ開くのかを知らされていません。そのため発砲が開所と閉所の合図のような役割を果たしています。
兵士たちは、「ガザには非戦闘員はいない」と繰り返し教え込まれており、非武装の市民に対して、敵兵と同様に、重機関銃やグレネードランチャー (擲弾〈てきだん〉発射器)、迫撃砲など、考えられる限りの火器を実弾で使用していると証言しています。
記事は最後に、軍はイスラム組織ハマスの妨害から食料配給所を守る活動を行っているにすぎないと強弁する軍報道官のコメントを載せています。
ガザでの戦闘停止を求めるイスラエルの団体「人質のための兵士たち」は同日、声明を発表し、人道支援を受けに来た市民への発砲は違法な命令だと主張。兵士は従ってはならず、命令を下した指揮官は投獄されるべきだと訴えました。
私たち全員を殺す前にネタニヤフを止めろ
耕助のブログNo. 2577 2025年6月28日
Stop Netanyahu Before He Gets Us All Killed
by Jeffrey D Sachs and Sybil Fares
ほぼ30年にわたり、イスラエルの首相ベンジャミン・ネタニヤフは中東を戦争と破壊の道に導いてきた。この男は暴力の火薬庫だ。彼が主導してきたすべての戦争を通じて、ネタニヤフは常に「大戦争」を夢見てきた:イラン政府を打倒し、政権を転覆させることだ。彼が長年望んできた戦争がまさに始まったばかりだ。ネタニヤフを止めなければ、私たちは皆、核の終末戦争で殺されるかもしれない。
ネタニヤフの戦争への執着は、彼の過激な師匠であるゼエヴ・ジャボティンスキー、イツハク・シャミル、メナヘム・ベギンに遡る。古い時代の人々はシオニストは目的を達成するために必要なあらゆる暴力 — 戦争、暗殺、テロ — を用いるべきだと信じていた。
ネタニヤフの政治運動の創設者たちである「リクード」は、イギリス委任統治下にあったパレスチナ全土の排他的なシオニスト支配を主張した。1920年代初頭のイギリス委任統治開始時、イスラム教徒とキリスト教徒のアラブ人は人口の約87%を占め、ユダヤ人人口の10倍の土地を所有していた。1948年時点でも、アラブ人はユダヤ人の約2倍の人口を占めていた。それでも、リクードの設立憲章(1977年)は「海とヨルダン川の間にはイスラエルの主権のみが存在する」と宣言した。現在では反ユダヤ主義と非難される「川から海まで」というスローガンは、実はリクードの反パレスチナ派の合言葉だった。
リクードの課題は国際法と道徳の両方が求める2国家解決を無視した、明白な違法性を持つ最大主義的な目標をどのように追求するかだった。
1996年、ネタニヤフと彼のアメリカ人顧問たちは「クリーン・ブレイク」戦略を考案した。彼らは、地域平和と引き換えにイスラエルは、1967年の戦争で占領したパレスチナ領土から撤退しないことを主張した。代わりにイスラエルは、中東を自らの好みに合わせて再編成する。重要なのは、この戦略は、これらの目標を達成するための米国を主要な勢力として想定していたことだ。つまり、パレスチナに対するイスラエルの支配に反対する政府を解体するために、地域で戦争を仕掛け、米国はイスラエルの代理として戦争を戦うよう求められた。
クリーン・ブレイク戦略は9・11以降、米国とイスラエルによって効果的に実行された。NATO最高司令官ウェズリー・クラークが明らかにしたように、9.11直後、米国は「5年間で7カ国の政府を攻撃し破壊する」計画を立てていた。それらはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、イランだった。
最初の戦争は2003年初頭、イラク政府の打倒だった。米国がイラクで泥沼化したため、さらなる戦争の計画は延期された。それでも、米国は2005年のスーダンの分裂、2006年のイスラエルのレバノン侵攻、同年エチオピアのソマリア侵攻を支援した。2011年、オバマ政権はシリアに対するCIA作戦「ティンバー・シカモア」を開始し、イギリスとフランスと共に2011年の空爆キャンペーンを通じてリビア政府を転覆させた。今日、これらの国々は廃墟と化し、その多くは内戦に陥っている。
ネタニヤフは、ポール・ウォルフォウィッツ、ダグラス・ファイト、ヴィクトリア・ヌランド、ヒラリー・クリントン、ジョー・バイデン、リチャード・パール、エリオット・アブラムスなど、米国政府内のネオコン同盟者たちとともに、公然と、あるいは裏で、これらの選択的戦争を熱狂的に支持してきた。
2002年に米国議会で証言したネタニヤフはイラクでの悲惨な戦争を擁護し、「サダムとサダム政権を排除すれば、この地域には非常に大きな好影響が及ぶことを保証する」と宣言した。さらに、「隣国イランに住む人々、若者たち、そして多くの人々は、そのような政権、そのような専制君主の時代は終わったと口々に言うだろう」と続けた。また、彼は議会で「サダムが核兵器の開発を目指し、その開発を進めていることは、まったく疑いの余地がない」と虚偽の証言もした。
「新しい中東」を再構築するというスローガンは、これらの戦争のスローガンとなっている。それは1996年に「クリーン・ブレイク」で初めて提唱され、2006年にコンドリーザ・ライス国務長官によって普及した。イスラエルがレバノンを残酷に爆撃していた際、ライスは次のように述べた:
ここで私たちが目撃しているのは、ある意味で、新しい中東の誕生の苦しみであり、私たちが何をするにせよ、古い中東に戻るのではなく、新しい中東へと前進し続けていることを確信しなければならない。
2023年9月、ネタニヤフは国連総会で、パレスチナ国家を完全に抹消した「新しい中東」の地図を提示した。2024年9月、彼はこの計画をさらに詳細に説明し、中東の一部を「祝福された地」とし、レバノン、シリア、イラク、イランを含む部分を「呪われた地」と表現し、後者の国々での政権交代を主張した。
イスラエルのイランに対する戦争は、数十年にわたる戦略の最終段階だ。私たちは、過激なシオニストが米国の外交政策を操作してきた数十年の集大成を目撃している。
イスラエルのイラン攻撃の前提は、イランが核兵器の取得寸前だという主張だ。しかしイランは数十年にわたる米国の制裁の終了と引き換えに核オプションを放棄するため、繰り返し交渉を呼びかけてきた。
1992年以来、ネタニヤフとその支持者は、イランが「数年間で」核保有国になると主張してきた。1995年、イスラエル当局者と米国の支援者は5年というタイムラインを宣言した。2003年、イスラエルの軍事諜報局長は、イランが「2004年夏までに」核保有国になると述べた。2005年、モサドのトップは、イランが3年以内に核兵器を製造できると述べた。2012年、ネタニヤフは国連で「最初の核爆弾に必要な濃縮ウランを調達するまで、数ヶ月、あるいは数週間しか残されていない」と主張した。そして、このパターンは繰り返されてきた。
この30年以上にわたる期限の変更は予言の失敗ではなく、意図的な戦略の表れだ。これらの主張はプロパガンダであり、常に「存在の脅威」が存在している。さらに重要なことは、ネタニヤフがイランとの交渉は無駄だと偽って主張していることだ。
イランは、核兵器を望んでおらず、長い間交渉の準備をしてきたと繰り返し述べている。2003年10月、最高指導者アリ・ハメネイ師は、核兵器の製造と使用を禁じるファトワ(イスラム法上の見解)を発令した。この裁定は、2005年8月にウィーンで開催されたIAEA会議でイランが公式に引用し、以来、核兵器開発を阻む宗教的・法的障壁として言及されている。
イランの意図に懐疑的な人々にも、イランは独立した国際的な検証に基づく交渉による合意を一貫して主張してきた。これに対しシオニストロビーは、いかなる合意にも反対し、米国に対し、制裁を維持し、制裁解除と引き換えにIAEAの厳格な監視を認める合意を拒否するよう求めてきた。
2016年、オバマ政権は、英国、フランス、ドイツ、中国、ロシアとともに、イランとの間で「包括的共同行動計画(JCPOA)」に合意した。これは、制裁の緩和と引き換えに、イランの核開発を厳格に監視する画期的な合意だった。しかし、ネタニヤフとシオニストロビーの執拗な圧力の下、トランプ大統領は2018年に合意から離脱した。予想通り、イランがウラン濃縮を拡大すると、米国自身が放棄した合意を破ったとして非難された。二重基準とプロパガンダは明白だ。
2021年4月11日、イスラエルのモサドはイランのナタンズ核施設を攻撃した。攻撃後、イランは4月16日、交渉の切り札としてウラン濃縮をさらに拡大すると発表し、JCPOAのような合意の再交渉を繰り返し求めた。しかし、バイデン政権はすべての交渉を拒否した。
トランプは2期目の就任当初、イランとの新たな交渉開始に合意した。イランは核兵器の放棄とIAEAの査察を受け入れると約束したが、民間目的でのウラン濃縮の権利は留保した。トランプ政権は当初この点に同意したように見えたが、その後方針を転換した。以来、5回の交渉が行われ、双方は毎回進展を報告してきた。
第6回交渉は6月15日(日)に開催される予定だった。しかしその代わりに、イスラエルは6月12日にイランに対して先制攻撃を開始した。トランプは政権が今後の交渉について公に発言している最中に、米国がこの攻撃を事前に知っていたことを認めている。
イスラエルの攻撃は交渉が進展していた最中だけでなく、二国家解決を推進する国連パレスチナ会議の開催予定日の数日前に実施された。この会議は現在延期となっている。
イスラエルのイラン攻撃は、米国と欧州がイスラエル側、ロシアとパキスタンがイラン側に加わる全面戦争にエスカレートする危険性がある。複数の核保有国が対立し、世界が核の破滅に近づく状況が間もなく訪れる可能性がある。終末時計は1947年の設立以来、最も近い89秒前になっている。
過去30年間、ネタニヤフと米国の彼の支持者は、北アフリカ、アフリカの角、東地中海、西アジアにまたがる4,000キロメートルに及ぶ地域を破壊または不安定化させてきた。彼らの目的はパレスチナ支援政府を転覆させることでパレスチナ国家の設立を阻止することだった。世界はこのような過激主義よりも、もっと良いものを受け取るに値する。国連加盟国の180か国以上が2国家解決と地域の安定を求めている。それは、イスラエルが違法かつ過激な目的を追求するために、世界を核の破滅の瀬戸際に追い込むよりもはるかに理にかなっている。
https://scheerpost.com/2025/06/17/jeffrey-d-sachs-stop-netanyahu-before-he-gets-us-all-killed/
NATO会議首相欠席 突然の判断、自民から批判 防衛費増の議論を懸念か
新潟日報に掲題の記事が載りました。
石破首相は24日~26日の北大西洋条約機構(NATO)首脳会議への出席を突然取りやめました(NATOのパートナー国「IP4」の日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドのうち、韓国とオーストラリアのトップも参加を見送りました)。それに対して自民党から、覇権主義的行動を強める中国をにらみ欧州との安全保障連携の強化を図ってきた外交方針にそぐわない対応だと批判が出ているということです。
日本が米国の意向に沿って隣国の中国と事ごとに対立する必要はないし、そもそもNATOは、米国が1949年に、「ソ連」を敵対国として欧州と結んだ軍事同盟で本来はソ連が崩壊した時点で消失すべき同盟でした。
岸田前首相はそんなパートナー国「IP4」に嬉々として参加しましたが、それは大いなる勘違いで、米国から防衛費=米国兵器の購入費の莫大な増額を要求されるのがオチです。
NATO首脳会議は25日、加盟国の防衛支出を35年までにGDP比5%とする新目標に合意しました。政府高官は26日「結果として首相が出席せずに良かった」と述べたということですが、まさにその通りです。いまや経済的にも劣等国に落ちぶれた日本が、無理に米国に尻尾を振る必要などありません。
併せて新潟日報の記事「ウクライナ和平を悲観 トランプ氏、ゼレンスキー氏と会談 仲介『中東よりも困難』」を紹介します。かつてミンスク合意で西側首脳らから騙されたプーチンが、曖昧でいい加減な内容でウクライナ終戦に踏み切る筈はありません。
トランプにノーベル平和賞受賞への希望があると取り沙汰されています。和平に取り組むこと自体は良いことですが、トランプのやり方はあまりにも「雑」でイランが反発するのは当然のことです。
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NATO会議首相欠席 突然の判断、自民から批判 欧州との安保強化方針にそぐわず 防衛費増の議論を懸念か
新潟日報 2025年6月27日
石破茂首相が北大西洋条約機構(NATO)首脳会議への出席を突然取りやめた判断に自民党から批判が出ている。覇権主義的行動を強める中国をにらみ、欧州との安全保障連携の強化を図ってきた外交方針にそぐわない対応のためだ。首脳会議ではトランプ米大統領が求める加盟国の防衛費増額が協議される予定だったため、日本も議論に巻き込まれかねないとの懸念も判断に影響したとみられる。
政府は20日、首相が24~26日の日程でオランダ・ハーグを訪れNATO首脳会議に出席すると発表した。日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランド4カ国はインド太平洋地域におけるNATOのパートナー国「IP4」を構成。IP4加盟国にトランプ氏やNATOのルッテ事務総長も加えた多国間首脳級会合を開く方向で調整していた。
ところが米国は21日、トランプ氏のIP4会合欠席を関係国に伝達。韓国の李在明大統領やオーストラリアのアルバニージー首相が参加を見送る中、石破首相も出発前日の23日朝に出席取りやめを決定した。代理で岩屋毅外相が各会合に参加した。
NATO首脳会議には、ロシアがウクライナを侵攻した2022年に当時の岸田文雄首相が初めて出席。欧州とインド太平洋の安保は不可分だとして連帯を訴えた。以降、毎年参加を重ねていただけに、自民中堅は「協力関係を深め、今年も参加に向けて準備していたのに見送る理由が理解できない」と疑問を呈した。
首脳会議は25日、加盟国の防衛支出を35年までに軍関連インフラの整備費などと合わせて国内総生産(GDP)比5%とする新目標に合意した。政府高官は26日「結果として首相が出席せずに良かった」と述べた。
NATO首脳会議への主な出欠
日 本 | 石破茂首相 | 欠席 |
オーストラリア | アルバ二ージー首相 | 欠席 |
韓 国 | 李在明大統領 | 欠席 |
ニュージーランド | ラクソン首相 | 出席 |
米 国 | トランプ大統領 | 出席 |
ウクライナ | ゼレンスキー大統領 | 出席 |
青字はIP加盟国
ウクライナ和平を悲観 トランプ氏、ゼレンスキー氏と会談 仲介「中東よりも困難」
新潟日報 2025年6月27日
【ハーグ共同」トランプ米大統領は25日、北大西洋条約機構(NATO)首脳会議が開かれたオランダ・ハーグでウクライナのゼレンスキー大統領と会談した。終了後に記者会見し、ウクライナ侵攻の和平仲介は、中東の紛争よりも困難との認識を示した。「正直、もっと早く終わると思っていたので驚いている」と述べ、早期の和平実現に悲観的な見方を示した。
トランプ氏は「中東での紛争を12日間で終わらせ、インドとパキスタンを電話で緩和させた」と主張。トランプ氏は就任前、1日でウクライナの戦争を終わらせると豪語していた。会見で就任から既に5カ月が経過したと指摘され「プーチン(ロシア大統領)は予想以上に手ごわい」と弁解した。
両首脳の対面会談は4月下旬にバチカンで実施して以来、約2ヵ月ぶり。会談は約50分間続き、ゼレンスキー氏は通信アプリに「停戦や和平を協議し、米国製の防空兵器購入や無人橋の共同生産の可能性についても話し合った」と投稿した。
一方、トランプ氏は会見で、停戦について踏み込んだ議論はしていないと説明。「戦争はロシアにとっても良くない。プーチンは戦争を終わらせたいと思っている」と述べ、今後話し合う考えを示した。ウクライナ人記者に防空システム「パトリオット」売却について聞かれ「一部を提供できるかどうか検討する」と答えた。