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2014年2月11日火曜日

都知事選の結果はキチンと総括を

 脱原発を望む都民たちから熱心な統一の働きかけがあったにもかかわらず、脱原発2候補分裂したままで行われた都知事選は、投票日に東京地方を襲った大暴風雪投票率大幅に下がったことも作用して、自公の推薦する舛添氏が当選しました。
 安倍首相は「原発即時ゼロを主張する候補は大差で敗れた」という言い方をしました。
 この都知事選勝利を受けて、安倍政権沖縄県名護市長選での敗北の影響を修復し、「数の論理」による横暴な政治運営を加速させる可能性が高まりました。 
 
 こうした波及効果を考えるにつけても、反政権側が候補者を統一するという問題は、今後の為に深く総括される必要があります。勝たなくても政党勢力の「地歩が固まればそれでよし」とするのは違っている筈です。
 
 海外メディアは「原発問題が今回の都知事選のメインイシュー」と報道しましたが、日本のマスメディアはそうではありませんでした。
 都庁記者クラブで行われた出馬の記者会見は、舛添候補には厳しい質問をしませんでしたが、細川候補に対しては徹底してネチネチ追及しました宇都宮候補は警戒するには当たらないと見たのでしょう。マスメディアの都知事選報道の姿勢を端的に示したものでした。
 そして衆院選、参院選に続いて都知事選でも、マスメディアの誘導する通りの結果になりました。 
 
 9日、舛添氏の当確が発表された直ぐ後会場に現れた細川候補は、開口一番マスメディアと原子力村を批判し、「原発が争点に取り上げられなかった。原発を争点にさせまいとする力が働いていた」、と無念さをにじませました。
 実際ユーチューブを見ると細川氏の街頭演説はどこでも大盛況でしたが、「街頭の熱気と結果」には大がありました。熱気が票に結びつかなかったのは、メディアによる争点そらしのためでした。政府・与党とそれに追随するメディアが、都知事選で原発問題が争点になるのを避け、無視した結果でした。
 
 共同インタビューに臨んだ宇都宮氏も細川氏同様マスコミを強く批判しました。「1080万人の都民がいる。メディアはこれからの選挙戦の扱いを考えて欲しい。民主主義の危機を感じる。都民にきちっとした情報を届けるのがメディアの役割だ」
 
 東海村村長村上達也氏は、都知事選脱原発を訴えた細川宇都宮両氏が敗れたのを受けて、「極めて残念。東京都民は目先の経済だけを追い、歴史的な大きな間違いを犯した都民は東京電力福島第一原発事故を忘れ、平和憲法の精神を壊そうとする安倍政権を支持した」と、強く批判しました
 
 東京新聞と田中龍作ジャーナルの記事を紹介します。
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都知事選 「目先の経済追う 歴史的過ち」 東海村前村長が批判
東京新聞 2014年2月11日
 首都圏唯一の原発の日本原子力発電東海第二原発が立地する茨城県東海村の前村長村上達也氏(70)は、九日投開票された東京都知事選で脱原発を訴えた細川護熙(もりひろ)、宇都宮健児両氏が敗れたのを受けて、本紙の取材に「極めて残念。東京都民は目先の経済だけを追い、歴史的な大きな間違いを犯した」と強い口調で批判した。「都民は東京電力福島第一原発事故を忘れ、平和憲法の精神を壊そうとする安倍政権を支持した。東京が日本を駄目にしていく」とも述べた。
 
 村上氏は「脱原発をめざす首長会議」の世話人を務める。都知事選では、同じく脱原発を訴えた宇都宮氏を「脱原発の正統派」としながらも、「好き勝手しようとする安倍政権の暴走にブレーキをかけるには、勝てなければ意味がない」と細川、小泉純一郎両氏の元首相連合を支援した。
 
 宇都宮氏に「脱原発票が分裂した二〇一二年の衆院選のように悲しませないでほしい」と訴えるメッセージを送り、「歴史的な決断」を求めて、細川氏への一本化を要請したことを明かした。
 
 今後の国のエネルギー政策について、「師匠(である小泉氏)を倒した安倍首相は、もう怖いものなしだろう」と、なし崩し的な原発の再稼働を憂慮する。
 村上氏は東海村の村長を四期務め、昨年引退した。在任中の福島第一原発事故で、脱原発の姿勢を明確に。二〇一二年四月、「脱原発をめざす首長会議」の設立に加わり、地元首長としては異例とも言える廃炉の主張を通した。 (林容史)
 
【都知事選】「舛添に入れて子供が徴兵されても泣くんじゃないぞ」
田中龍作ジャーナル 2014年2月10日
 「けんか腰の外交」「戦争に道を開く集団的自衛権の行使」…細川候補は街頭演説で安倍政権のタカ派姿勢を批判した。昨夜(9日)、敗戦を語った際も「戦前に戻そうとする勢力との闘いだった」と強調している。
 細川氏の祖父、近衛文麿はA級戦犯とされ服毒死した。叔父の文隆氏はシベリアに抑留されたまま帰らぬ人に。細川氏は生い立ちからして「戦争をしてはいけない」という意識が人一倍強い。
 細川氏の街頭演説では髪に白いものが混じった聴衆が目立った。彼らは「いつか来た道」を憂えた。舛添候補が漁夫の利を得て当選すれば、都民が安倍政権の右傾化に信任を与えたことにつながるからだ。
 
 「怖い時代に入っている。有権者にはそれが分かっていない。情報統制はすでに始まっているではないか。舛添に入れた人は自分の子供が徴兵されても泣くんじゃないぞ」。選挙戦の最終日、数寄屋橋で行われた細川候補の街頭演説会に訪れていた男性(60代後半)の言葉だ。
 
 「こんな都知事選は初めて」と多くの声がツイッター上に流れた。確かにこの数十年というもの、都知事選は国政に真っ向から挑むような選挙ではなかった。ただの有名人の顔見世興行だった。だが今回は違った。
 選挙の結果しだいでは安倍政権を立往生させることも可能だった。原発再稼働だけではなく右傾化にも待ったをかけることができた。
 
 だがマスコミが争点にしたのは、オリンピック、福祉、防災、景気対策などだ。原発は少し触れたが右傾化については全く触れなかった。国政の問題という理由からだろうが。
 ネット上では「もうマスコミはいらない」という声が飛び交った。主要候補はツイキャスで街宣風景を全編中継し、聴衆は自宅から声援を送った。視聴者は数千人、多い時は万を超えた。マスコミのフィルターを通さず、街頭の聴衆と一体感を共有することができた。
 
 リアルとネットが融合し、世論が形成されていく新たな過程の予兆がした。だが、遅すぎたのではないか。これが都民にとって自由な選挙ができる最後の機会ではないのかという不安が頭にこびりついて離れない。秘密保護法が成立したのはわずか2ヵ月前のことなのだ。
 多くの高齢者や知識人たちは今、安倍政権にとにかくNOを言うことを優先させたいと願った。その願いを細川氏に乗せて賭けた。彼らには間もなく国会に上程されるであろう改憲と徴兵制の道筋が見えているのだ。
 
 「2・26事件(昭和11年=1936年)」の日も東京地方は記録的な大雪だった。この事件を境に自由な言論は封殺され軍部が政治の主導権を握る。日本は無謀な戦争へまっしぐらに突き進んだ。
 
 

2013年8月27日火曜日

英IOC委員 “汚染水問題”未解決にガッカリ

 猪瀬都知事や安倍首相などは「2020年東京オリンピック」実現のための大がかりな誘致委員会を結成し、9月のIOC総会に向けて招致活動に余念がないようですが、英国のIOC(国際オリンピック)委員は、懸念材料の一つとして福島第一原発の汚染水問題を挙げ、「2年半もあったのにどうして解決できなかったのか」と述べているということです

 日本はこれまで「収束宣言」も出し、国際会議などではいつも格好の良いことだけを口にしてきたのに、いざ蓋を開けてみれば「この惨状は一体何なんだ」というのが、海外の人たちの率直な思いなのではないでしょうか。

 政府と東電は、7月の参院選に向けて汚染拡大の実態を隠蔽してきました。これからまた9月IOC総会に向けて隠蔽を続けるなどということは到底許されません。

 TV朝日のニュースを紹介します。
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未解決にがっかり…IOC委員“汚染水問題”懸念
TV朝日 2013年8月27日
 オリンピックの東京招致へ逆風となるかもしれません。投票権があるイギリスのIOC=国際オリンピック委員会の委員は、
 IOC、アダム・ペンギリー委員:「(招致するには)人々の懸念材料を取り除くこと。その一つが原発の状況だ。汚染水問題が解決されていないことにがっかりした。2年半という長い期間があったのだから、誰かが解決すべき。海や人々や環境に影響がないようにすべき」
 委員はそのほかの懸念材料の例として、日本柔道界の暴力問題などを挙げ、それらを取り除きながら、なぜ東京なのかを情熱を持って伝えていく必要があるとしました。



2013年7月15日月曜日

共同通信調査でも原発再稼働反対が多数

 
 共同通信が13・14日に行った電話世論調査でも、原発の再稼働反対が50・6%賛成40・0%を上回りました圧倒的な差とまではいえませんが久しきに渡って保っている確実な差ということは出来ます。
 先ずは「危険だから」がその理由ですが、新規制基準が施行されても、「防潮堤の設置」、「バックアップ電源の確保」や「排気フィルターの設置」などの点ではいくらかは前進するものの、原子炉の老朽化は進む一方なので、原子炉周りや原子炉建屋あるいは発電施設全体の「強度=安全性」が改善されるということは一切ありません。

 それに加えて「非合理=高コスト」、「無理=使用済み各燃料プールの余裕があまりない」、「無謀=廃核燃料の処分方法が何も決まっていない」、それに稼動自体が「刹那的=近々核燃料の需給バランスが崩れる」などの事柄がこれから国民に浸透していくので、この賛成・反対の差は広がる一方と思われます。
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世論調査、原発再稼働反対50% 比例自民、内閣支持堅調
共同通信 2013年7月14日
 共同通信社は13、14両日に、参院選での有権者の動向を探るために全国電話世論調査(第4回トレンド調査)を実施した。政府が安全性を確認した原発の再稼働について、反対が50・6%、賛成40・0%だった。

 比例代表の投票先政党の1位は自民党の30・6%で、前回調査の29・8%からほぼ横ばいだった。安倍内閣の支持率も前回の64・2%に対し65・3%で堅調に推移した。不支持率は前回の26・5%から24・7%にやや減った。
 
 
 
 

2013年7月9日火曜日

九条の会主催で落合恵子さんが講演 尾張旭市

 
 日、尾張旭市「九条の会・尾張旭」の主催作家落合恵子さんの講演会が開かれ、約千人が熱心に耳を傾けまし
 講演では、「俺たちがほしいのはカネじゃない。返してほしいのはあの日々」(男性)や「年寄りは足手まといになるから、私はお墓へ避難する」(自殺した女性)、あるいは「どうせ結婚できないから・・・」(少女)など、苦悩に満ちた原発事故被災者たちのが紹介されました
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尾張旭で落合恵子さん講演 9条・原発
中日新聞 2013年7月8日
 「九条・原発 いま、いのちから」と題した、作家落合恵子さんの講演会が七日、尾張旭市文化会館で開かれた=写真。同市の住民グループ「九条の会・尾張旭」の主催で、会場が満席となる千人が最後まで一心に耳を傾けた。

 スリーマイル島やチェルノブイリ原発の事故以来、長年反原発を訴えてきた落合さんは、「七世代先の子どもたちが困ることを選んではいけませんと訴えてきたが、自分にも緩みがあった。今の大人は、目の前の子どもたちまで追いつめた」と、福島原発事故の責任が、自身を含めた大人一人一人にあると断罪した。
 その上で、原発事故の被災地などで聞いた、「俺たちがほしいのはカネじゃない。返してほしいのはあの日々」と訴えていた男性、「年寄りは足手まといになるから、私はお墓へ避難する」と自殺した女性、「どうせ結婚できないから何したっていいんだよ」と叫んでいた髪を染めた少女などの切実な声を伝えた。
 さらに、「反原発も護憲も私にとっては一つ。違いを越えて柔らかく手を握り合うことが大切」と、憲法を守ることを願う人たちの連帯を訴えた。 (中西康)
 
 

2013年6月9日日曜日

田中正造没後百年 足尾から水俣、反原発へ

 今年は公害の原点である足尾鉱毒問題を生涯追及し続けた田中正造が死去してから100年、NHKは「今に生きる正造」として二人の人物を特集しました。

 一人は新潟市在住の坂東克彦弁護士で、新潟水俣病第一次訴訟で弁護団幹事長を務め画期的な勝利に導いたほか、熊本水俣病事件でもチッソの欺瞞的な見舞金契約で眠らされていた患者たちを訴訟に立ち上がらせて、その法廷でもつねに決定的な役割を演じて勝利させました。
 その後新潟水俣病第二次訴訟では弁護団長を務め、患者の認定を求めるとともに国の責任を追及しました。そして一審では原告91人中88人を水俣病患者として認定させてさらに控訴審に臨みましたが、その過程で水俣病全国連が熊本訴訟を中心に和解に動き出すと、新潟水俣共闘会議もそれに同調し一斉に和解に向けて動き出しました。
 そうした奔流のなかで坂東弁護士は、新潟の訴訟は熊本とは違い①国と企業の責任がより重い②昭和電工には十分な賠償能力がある③原告の数が熊本よりもはるかに少なく裁判を継続することが可能 ということから、かつての見舞金契約の二の舞のような和解はできないと反対し、最後には弁護団長を辞任して信念を貫きました。
 同弁護士は常々田中正造の生き方を高く評価し、第一次訴訟そして第二次訴訟を通じて、田中正造に学びながら闘い続けました

 もう一人は京都大学 原子力工学研究者小出裕章氏です。
 小出氏はいまでこそ反原発運動に携わる人たちでは知らない人がいないほど有名になりましたが、京都大学に文部教官として赴任して以来約40年間、ずっと「助手」(現在は「助教」という名称に変わりました)の地位に留められました。当然給料もそれなりの額に留められるわけで、極めて冷酷な処遇です。反原発運動への見せしめだったのでしょう。
 一度、TVのインタビューでそのことを聞かれた小出氏が、淡々と「何とも思っていません」と答えるのを見ましたが、強い信念がなくてはとても口にはできません。
 「正造さんの生き方そのものが私の支えでした」も重みのある言葉です。

 足尾から水俣、そして反原発へ・・・

 足尾鉱毒問題と水俣病の共通点は言うまでもありませんが、水俣病と福島放射能禍の根源を貫いている類似性も多くのひとが指摘するところです。
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足尾から水俣、反原発へ 没100年を生きる田中正造
NHK NEWS web 2013年6月8日
 
 (「田中正造氏写真」-ただし掲示期間を過ぎたため写真は非掲示)   足尾から水俣、反原発へ 没100年を生きる田中正造

公害の原点といわれる足尾鉱毒問題を追及した田中正造が死去して、ことしで100年。
徹底して被害住民の側に立って国や企業の責任を追及し続けた正造の思想や行動は、その後も水俣病などの公害闘争や市民運動などに大きな影響を与え、今、反原発を訴える研究者からも「正造の行動が支えになっている」との声が上がっています。
没後100年を経て今に生きる「正造」を追いました。

ゆかりの地巡るツアーに200人

ことしの4月29日、田中正造の出身地、栃木県佐野市では、正造ゆかりの地を巡るツアーが開かれました。
主催したのは、正造の業績を語り継ぐ活動などを続ける「渡良瀬川研究会」や「田中正造大学」などの市民団体。
県内外から約200人が参加し、正造の墓がある惣宗寺や、正造を支えた地元支援者の旧宅跡などを3時間かけて歩きました。
隣の群馬県館林市から参加した増山千鶴子さん(69)は「隣の市にいても意外と知らなかったことが多く勉強になりました。ほかの人にも伝えたいです」と話し、東京から訪れた松木弥栄子さん(68)は「祖父が正造と縁があったと知って6年位前からイベントがあるたびに佐野に来るようになりました」と話しました。
主催団体の1つ、「田中正造大学」の坂原辰男代表は「県外からの参加者が全体の3分の2です。正造から学ぼうという動きが今も広がっていると実感しますね」と話しました。

足尾鉱毒問題と被害住民救済にささげた生涯

田中正造は、1841年に現在の佐野市で名主の家の長男として生まれました。
青年時代から反骨精神をのぞかせ、県議時代には、強引に土木事業を進める三島通庸県令に徹底して対抗し、投獄されたこともありました。
1890年に衆議院議員に就任し、足尾銅山の鉱毒被害に直面しました。
渡良瀬川流域の洪水で鉱毒が広がり、農作物に深刻な被害を引き起こしたのです。
正造は被害者の救済と銅山の操業停止を求めて国会で政府を激しく追及、「押し出し」という住民の請願運動とも連動して活動を続けました。
しかし、政府は銅山の生産を優先して積極的な対策を取らず、正造は1901年、議員を辞職して天皇への直訴に踏み切りました。
直訴は失敗しましたが、死を覚悟したとされるこの行動は社会に衝撃を与え、当時、中学生だった石川啄木が新聞配達でためたお金を義援金として送ったというエピソードも残っています。
その後、政府や県が渡良瀬川の氾濫を防ぐ遊水池をつくるため下流の谷中村(現在は栃木県藤岡町)を強制的に買収する計画を進めると、正造は村に移り住んで村に残る住民と共に抵抗して闘い続けましたが、1913年8月、奔走中に病に倒れ、翌9月に死去しました。

 
 
新潟水俣病訴訟の法廷に“登場”

   (「坂東克彦弁護士写真」-ただし掲示期間を過ぎたため写真は非掲示)
           新潟水俣病訴訟の法廷に“登場”
志半ばで倒れた正造ですが、その行動と足尾鉱毒問題は、公害が深刻化した昭和30年代以降、改めて注目されました。
とりわけ水俣病問題は、原因究明に向けた行政の動きの鈍さや、僅かな見舞金で問題を終結させようとする企業など、企業と行政、被害者の構図が足尾鉱毒問題と酷似していると指摘されました。
四大公害訴訟の最初の裁判となった新潟水俣病訴訟に30年にわたって取り組み、熊本の水俣病訴訟でも指導的役割を果たした坂東克彦弁護士(80)は、正造に学びながら裁判を闘い続けたと振り返ります。
「裁判を通して公害の問題を調べれば調べるほど足尾に行き着きました。国や企業が被害者をつぶしていく構図が同じでした」と当時を振り返ります。
昭和46年に第1次訴訟で勝訴すると、仲間を連れて初めて足尾を訪れました。
以来、何度も足尾や佐野に足を運び、新潟水俣病第2次訴訟の最終弁論では、法廷で正造のことばを引用しました。
「被害者の声ノ立タザル原因一ノミニナシ(被害者が声を上げられない原因は1つだけではない)」。
水俣病の認定を求める被害者は、本来、結婚や仕事での差別をおそれて被害を受けたのに隠そうとする事情がある。
それなのに被害者として認定を求めると「ニセ患者」と言われる。
こうした状況に坂東さんは激しい怒りを感じ、足尾鉱毒事件から変わらない被害者の置かれた現状を法廷で訴えたのでした。
その後、政治的な決着の流れに反発して訴訟の最終盤で弁護団長を辞任した坂東さんは、今も水俣病問題を伝える活動を続けています。
「とにかく徹底した現場主義だったことは学ぶべきで、いつの時代も変わらない大切な姿勢だと思います」。

反原発の研究者「正造さんの存在が支え」

   (小出裕章氏写真-ただし掲示期間を過ぎたため写真は非掲示)
       反原発の研究者「正造さんの存在が支え」
    大阪府熊取町にある京都大学原子炉実験所。
反原発を訴える代表的な研究者の1人、小出裕章さんの机には、約20年前から正造の写真が置かれています。
「正造さんの生き方そのものが私の支えでした」。
原子力に夢を求めて東北大学工学部原子核工学科に入学しましたが、女川原発の建設計画や反対運動に直面し、原発について考え抜いた末に「都会で引き受けられない危険を抱えているから過疎地に押しつけている」との結論に行き着きました。
1970年に反原発に転じ、大学闘争や水俣病問題が進行するなか、自然と足尾銅山や正造を学び、その生き方に強くひかれたといいます。
「名家に生まれて国会議員になり、出世街道をばく進できたのに、銅山を優先する国の流れに命を懸けて抵抗し続けた。自分に忠実に生き続けたその存在がずっと支えになっています」。
小出さん自身も40年以上にわたって一貫して反原発を訴え続け、福島の原発事故のあとは、毎週のように原発問題を考える集会などに招かれ、全国を駆け回っています。
小出さんは、原発事故を巡る国と企業、被災者の関係も「足尾鉱毒問題と違うところがあれば教えてほしいほど似た構図」と指摘します。
「加害者が加害者としての責任を取らず、国家が加害者を助けて被害者を見捨てる構図になってきている。福島の事故は今も進行中で、人々の苦難も進行中であることを忘れないでほしいと思います」。
研究室ではむだなエネルギーを使わない主義で、日中は電灯をつけず、夏もエアコンをつけず、時折、正造の写真を見ながら地道な研究生活を送っています。
「足尾の問題と同じで、原発も再稼働や原発輸出の流れになるかもしれませんが、私自身は研究者として責任を果たしたい。正造さんのようには到底できませんが、少しでも正造さんのように生きたいと思います」。

「真の文明は山を荒さず」

田中正造の地元の佐野市では、市役所と市民グループが連携して、去年から「没後百年顕彰事業」を進め、来年春までに56事業を行い、1万5000人の参加を目指しています。
100年前に正造の葬儀が行われた10月12日と13日には、記念式典や、当時の葬儀の列を再現するパレードを行い、正造の思想を未来につなげようとアピールします。
「田中正造大学」の坂原辰男さんは「一過性のイベントでなく、足尾鉱毒問題の環境汚染の爪痕が残った場所を語り継ぐなど、正造の思想や足尾の教訓を次の世代に伝えていきたいと思います」と話しています。
最後に、正造を慕い続ける坂東さんと小出さんが共に、強く印象に残っているという正造のことばを紹介します。
没後100年の今も輝きを増すことばは、さらに今から100年後、どう受け止められるでしょうか。
 
真の文明は 山を荒さず 川を荒さず 村を破らず 人を殺さざるべし
(ネット報道部 山田博史)

2013年4月14日日曜日

福島原発からの放射能の放散は今後もずっと続く

 
 
 11日付の「マスコミに載らない海外記事」ブログに、「福島原発からの放射性物質の放出は今後もずっと続く(要旨)」と題されたワシントン・ブログが紹介されました。
 新しい事実は特にありませんが、福島原発が世界の空と海を毎日汚し続けていることと、それが今後もずっと続くということが端的に示されているので、改めて事態の深刻さを思い知らされます。

 同ブログは、チェルノブイリの事故が10日間でほぼ完全に終息したのに対して、核燃料の量においてチェルノブイリをはるかに上回る福島原発は、いまだにその燃料が現在どこにどんな状態で存在するのかその所在すら分からない状態で、海や空への膨大な量の放射性物質の放出はこの先何十年、何百年、何千年間も続くと述べています。

 事故の収束に取り組んでいる筈の東電のこの2年間を見れば、このままに彼らに任せていては放射性物質の空中への放散はおろか、海水への膨大な放出も止められないことは明らかです。要するにいつまでたっても事故は収束しないということです。
 
 またほとんどの被災者たちを事故直後のままの状態で放置している東電の冷淡さや企業倫理の無さも許されないことです。

 まず意味のない収束宣言を撤回し、当事者能力のない東電は法的に整理するなどして、いまこそ国が責任を持って原発事故を収束させるべきです。
 東電に事故を収束させる能力がないことを分かっていながら放置しているのは、政府の側にも代わって収束させる自信がないので、敢えて火中の栗を拾わないでいるという指摘があります。もしも当面の最大の課題であるフクシマの収束に取り組む自信も能力もないというのであれば、直ちに政権の座から退くべきです。
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 福島: 膨大な漏洩と放射性降下物は日々続いている …何年間も
マスコミに載らない海外記事 2013年4月11日付
(原文)Washington's Blog 2013年4月6日

 福島の核物質は「漏れている」という状態なのかそれとも原子炉がもはや押さえ込みの全く利かない状態なのか? (明らかに後者である
 
 福島原発の運営者である東電が放射能を含む水の大量の漏れを起こしたこと使用済み燃料プールの冷却装置が、カ月の間に2故障したことは読者はご存じかも知れない。これは確かに報道に値するが、(実態はもっとはるかに深刻なものであり)全体像ではない

 AP通信はこう報じている。
 専門家達は、原発沖の海で捕れた魚の高濃度汚染からして、地下水系を経由して、継続的に海に漏れ出しているだろうと考えている。日本の専門家達は、福島原発はいまも毎日930億ベクレル年間34兆ベクレルの放射性セシウムを海に流していると言っている。

 これは一体どれほどの放射能なのだろう? ざっと計算すると、火災を起こしたチェルノブイリから放出された量の約万分のということになる。しかしチェルノブイリの火災はわずか10日で終息したのに、福島原発からの放出はもう2年以上続いているのだ。
 
 実際、福島原発は既にチェルノブイリより遥かに大量の放射性セシウムとヨウ素を放出した。福島原発から放出された放射性セシウムの量は、当初考えられていたものよりおよそ20~30倍多い。
 福島原発は半減期1570万年の放射性ヨウ素129も膨大な量排出した。カルシウムと似た性質で人の骨に集まり、強力な体内の放射体となり得る放射性のストロンチウム90も、既に900兆ベクレル海に廃棄している。
 しかも福島原発にある燃料の量はチェルノブイリを大きく上回っていてこの先何十年、何百年、あるいは何千年も漏れ続ける可能性がある。
 
 原子炉は何も封じ込められていないのだ。多少の漏れがあるというわけではない。漏れというのは、炉心は安全に格納建造物内にあるが、そこに小さな穴が一つか二つ開いていて、塞ぐ必要があるということを意味する。しかし科学者達は炉心のウランいまどこにあるのかさえ分かっていない。これは漏れではなくて完全なメルトダウン、いやそれよりももっと酷い状態である
 
 福島原発の周辺で暮らしている人々への影響は一体どうなのだろう? 非常に深刻なものとなる可能性がある。
 原文URL:
 
 

2013年4月13日土曜日

官邸前行動が50回に

 
 金曜夜の官邸前の原発再稼動反対抗議行動が12日で50回に達しました。
 福島原発が空のみならずいまだに海も放射能で汚し続けているなか、主催者発表で3500人が参加し、「収束宣言の撤回を」、「海を汚すな」「再稼働反対」のコールをしました。
 国内の各地から参加している人たちのほか、海外在住の人たちも参加しているということです。
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「収束宣言」撤回して 官邸前50回
しんぶん赤旗 2013年4月13日

 首都圏反原発連合は12日、「即時原発ゼロ」を求める50回目の首相官邸前抗議行動を行いました。福島第1原発で汚染水漏れなどが相次ぎ、事故が収束していないことが浮き彫りになるなか、3500人の参加者(主催者発表)は「収束宣言ただちに撤回」「海を汚すな」「再稼働反対」とコールしました。
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 官邸前では「福島原発の収束が先です。再稼働なんか考えている場合でない」と女性がスピーチ。静岡県沼津市から泊まりがけで駆けつけた女性(68)は「地元の仲間と福島県富岡町にも行ったが、何も手つかずの状況だった。汚染水漏れも起きているのに、収束宣言なんてとんでもない」と語ります。

 第1回から48回参加し、官邸前でマイクを持ちコールしてきた男性(38)は「事故の前に共産党さんが危険性を指摘する質問をしたのに、まともに対応もせず事故の原因をつくった人が今の首相です。官邸前でもっとプレッシャーをかけて、全原発を廃炉にさせるまで続けます」。
 初めて参加したさいたま市の男性(25)は「トラブルも続発しているし、政府と東電の事故後の対応はあまりにずさん。再稼働は絶対に許せない」。
 オーストラリア在住のアンニャ・ライトさんは娘(12)と息子(9)と初めて参加。「子どもたちが“NO NUKES(原発なくせ)”を訴えなくてもいい世界を願っています」
 日本共産党の笠井亮衆院議員も参加してスピーチしました。