2015年11月30日月曜日

大阪ダブル選は首相官邸と橋下維新の共同作戦だった(広原盛明氏)

 先の大阪府知事・大阪市長ダブル選は、一地域の事柄としてこれまで取り上げませんでした。
 ブログ「リベラル21」に28日、広原盛明氏による大阪ダブル選は首相官邸と橋下維新の共同作戦だった・・・中山泰秀自民党大阪府連会長が首相官邸のトロイの木馬の大役を果たした」と題した文書が掲載されました。
 それを読むと、官邸の意を体した男がダブル選の直前に、自民党大阪府連会長の座を突如奪い取ってから、「オール大阪」の統一戦線が如何にものの見事に粉砕されたかが分かります。
 たとえたった一人であってもそれがトップに立てば、組織が本来目指したことでもひっくり返せるということがよく分かります。実に明解な選挙総括といえます。
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大阪ダブル選は首相官邸と橋下維新の共同作戦だった
 
 中山泰秀自民党大阪府連会長が首相官邸の「トロイの木馬」の大役を果たした
広原盛明 リベラル21 2015年11月28日 
(都市計画・まちづくり研究者)
 東京の人たちには「維新の党」はもはや関心の外ではないか。松野氏らと橋下氏らが見るに堪えない分裂泥仕合を繰り広げ、政策はおろか政党自体がガバナンスを失って泡沫化しつつあるからだ。通常の感覚からすれば、今度の大阪ダブル選で「大阪維新の会」が大敗を喫し、それを機に橋下氏らが政界から消えていくと考えても何らおかしくない。実は、私もそう思っていた(期待していた)。ところが蓋を開けてみると、維新候補が知事選でも市長選でも圧勝し、反維新候補は完敗したのである。
 
 2015年11月23日の各紙朝刊は、1面トップで大阪ダブル選の維新圧勝を伝えた。大事件の時は各紙とも見出しが驚くほど似たものになるが、松井・吉村両氏の大写しツーショットの当選写真とともに、「大阪維新ダブル選圧勝」「大阪都構想再挑戦」の大見出しが全国紙・地方紙を問わず数面にわたって溢れた。投票率は知事選が45・5%(前回から7・4ポイント減)、市長選が50・5%(同10・4ポイント減)で前回に比べて減ったとはいえ、最近の大都市圏の首長選挙が軒並み4割前後に低迷していることからみれば、十分に有権者の意向を反映している。得票結果は、知事選では松井202・5万票、栗原105・1万票で維新と反維新はダブルスコア、市長選では吉村59・6万票、柳本40・7万票でこれも3:2の大差がついた。
 
 半年前の大阪市民を対象とする大阪都構想住民投票は、有権者数210・4万人、投票数140・6万票、投票率66・8%で、内訳は賛成69・5万票、反対70・6万票だった。今回のダブル選は、有権者数212.8万人、投票率50・5%、投票数107・5万票だったので、都構想賛成69・5万票と吉村59・6万票の差は9・9万票、都構想反対70・6万票と柳本40・7万票の差は29・9万票となり、吉村票が都構想賛成票の86%を確保したのに対して、柳本票は反対票の58%しか確保できなかった。なぜ、柳本氏は都構想反対票を固められなかったのか。
 
 最大の要因は、都構想住民投票で反対票を投じた人の少なくない部分がダブル選では棄権に回ったことが挙げられる。共同通信の出口調査によれば、ダブル選投票者の6割弱が住民投票では賛成票を投じた回答し、その9割が維新候補に投票している。これに対して住民投票で反対票を投じたのはダブル選投票者の4割強、その8割しか反維新候補に投票していない。つまり、維新票(0・6×0・9=0・54)と反維新票(0・4×0・8=0・32)の比は6:4となり、これが吉村60万票、柳本40万票の差になって表れたのである。
 
 では、なぜ都構想反対派がダブル選に足を運ばず、賛成派が相対的に多く投票に行ったのか。一般的に言えることは、都構想は「大阪のかたち=統治機構」を変える一大事なので反対したが、ダブル選はどちらでも構わないといった無党派層が相当数存在し、それが棄権に回ったことが考えられる。だが維新票と反維新票の差がこれだけ大きいことを考えれば、他にも原因があるのではないかと思わざるを得ない。私はそれがリベラル(革新+良識)層の「積極的棄権」だったのではないかと考えている。
 
 なぜ「リベラル層」はダブル選を棄権したのか。その最大の原因が自民党大阪府連中心の選挙体制にあることは衆目が一致する。都構想住民投票は党派選挙ではなく保守・革新・無党派層を横断する反維新「オール大阪」で戦われた。大阪市を解体して大阪府に統合するという我が国初めての拘束型住民投票だから大阪市民の関心も高く、投票率も高かった。それに都構想を推進する橋下氏ら大阪維新とそれに反対する「オール大阪」の対立が熾烈で、市民の関心を嫌が上にも掻き立てた。それでも「首の皮一枚」の僅差の否決だったのだから、大阪市民が如何に現状に不満を持ち、「改革」を望んでいるかを見せつけられた住民投票だった。
 
 この時、私は大阪都構想をめぐる大阪維新と自民党大阪府連(以下「大阪自民」という)の対立を「国家保守=国益(支配層)中心の新自由主義的国家主義」と「地元保守=地元利益を重視する伝統的保守主義」の対立だと捉えていた。そして都構想賛成派を「国家保守=大阪維新・安倍自民」、反対派を「地元保守=大阪自民」だと理解していた。しかし大阪維新に加担しなかった大阪自民のなかにも「国家保守グループ」が存在しており、彼らは選挙地盤の関係で大阪自民に所属しているだけで、安倍首相や橋下氏らとは思想的に極めて近い関係にあったのである。
 
 その代表的存在が中山泰秀氏だ。中山氏はかって安倍首相が事務局長をしていた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の中心メンバーであり、歴史教科書、慰安婦問題、南京事件等に関して歴史修正主義的立場から否定的な発言を繰り返してきた人物として知られる(有名だ)。同会は、米国下院の対慰安婦謝罪要求決議案の委員会可決に対して、「慰安婦は性奴隷などではなく、自発的に性サービスを提供した売春婦に過ぎず、虐待などの事実もない」として抗議し、決議案への反論を米国下院に送致すると記者会見(2007年6月)までしている。この点に関しては、安倍首相と中山氏は橋下氏らと「一心同体」だと言ってもよい。
 
 また、中山氏は「憲法改正賛成」「女性宮家創設反対」「選択的夫婦別姓制度導入反対」などを政治信条とし、日本会議・神道政治連盟などの国会議員組織に所属する「ウルトラ右翼」でもある。こうした経歴を評価されてか、第1次安倍内閣では外務大臣政務官、第2次・第3次安倍内閣では外務副大臣に任命され、安倍首相の「子飼い」を自認するまでになっていた。この中山氏がダブル選の直前、都構想住民投票で「オール大阪」の指揮を執った竹本府連会長のポストを突如奪い取ったのだから、これが「官邸人事」であることは誰が見ても明らかだろう。こうして大阪ダブル選は表向き「大阪維新 vs 大阪自民(+民主・共産)」でありながら、実態は「大阪維新・首相官邸(+中山グループ)vs 大阪自民(+民主・共産)」として戦われることになった。
 
 その後の中山氏の言動は安倍首相の期待に違わないものとなった。府連会長に就任した中山氏は開口一番、反共丸出しの姿勢で「5月の『大阪都構想』の住民投票のように、イデオロギーが相反する政党と一緒に街宣活動をしてはコアなフアンを失う。他党に呼びかける前に自己を確立し、自身の足元を固めることだ。今月12日の府連会長就任時にも『こちらから共産に支援要請することはない』と述べた」(毎日新聞10月29日)。選挙戦の冒頭早々から「オール大阪」の分断作戦に乗り出し、それ以降も選挙期間中一貫して「安倍首相代理」として行動した。以下は、その模様を伝える各紙記事の抜粋である。
 
 ――「自民色が強すぎる。これでは動きにくい」。民主関係者は不満の矛先をダブル選直前に自民府連会長となった衆院議員の中山泰秀に向けた。中山は、住民投票で他党との連携を官房長官の菅義偉らに批判されたことを意識し、「足元を固める戦い。他党に応援を頼むことはない」と強調。応援は自民本部のみ求め、街頭などで「自民党総裁、安倍晋三に成り代わりお礼を申し上げる」と繰り返した。幹事長の谷垣禎一や地方創生担当相に石破茂ら「党の顔」が次々と応援に入り、一定の挙党体制は演出できた。ただ、橋下らと気脈を通じる首相の安倍や菅からは「打倒大阪維新」の明確な肉声が大阪で発せられることはなかった(産経新聞、11月24日)。
 
 ――自民党色の出し方も課題だった。当初は住民投票で連携した「反大阪維新」包囲網の再現を狙った。だが、10月に就任した中山泰秀・自民党府連会長は、共産など他党との連携を否定する姿勢を鮮明にした。演説では「安倍晋三首相に成り代わって」とあいさつ。自民党幹部や閣僚の来援に力を入れた。演説には他党支持者も足を運んだが、中山氏が「自民」を連呼すると、「もう、ええわ」と帰る姿も見られた(朝日新聞、11月25日)。
 
 ――ちぐはぐな選挙戦術も敗因の一つだ。竹本直一・前府連会長は共産党も含めた非維新の連携を重視したが、10月12日に就任した中山泰秀・新会長は、自民を前面に打ち出す戦略に転換。現場は最後まで混乱した。「自共が共闘しているとの批判があるが、一緒なのは維新と共産だ。安全保障関連法にそろって反対した」。東住吉区で今月10日に開かれた自民推薦の市長選候補・柳本顕氏の個人演説会。中山氏が柳本氏を自主支援する共産への批判も交えて維新を攻撃すると、共産支持者もいた場内はざわついた(毎日新聞、11月25日)。
 
 首相官邸の介入は、一方で自民支持層を「安倍自民=維新派」と「大阪自民=反維新派」に分裂させて維新票を増やし、他方でリベラル層をダブル選から離反させて右左両方から反維新票を奪った。菅官房長官からの大阪維新に対する有形無形の支援は大阪維新を元気づけ、橋下氏も街頭演説で「安倍自民党と大阪自民党は月とスッポン。安倍自民党には実行力がある」(読売11月23日)と持ち上げ、首相官邸との親密ぶりを誇示する戦術に出た。自分たちこそが「安倍自民」の本流であり、「大阪自民」は傍流に過ぎないような言動が栗原・柳本両氏の反維新票を拡散させ、松井・吉村両氏の維新票を掘り起こしたのである。
 
 大阪自民が官邸人事の中山府連会長を押し付けられ、地元保守としての主体性を失った瞬間からダブル選の運命は決まったといってもよい。大阪維新と対決しなければならない大阪自民は、党単独では(絶対に)勝てないことをわかっていたにもかかわらず、中山氏を府連会長に担いで敗北した。私は今回のダブル選を当初は大阪都構想住民投票の延長戦として見ていたが、いまでは首相官邸と橋下氏らが共謀した「オール大阪」壊しの共同作戦だった考えている。そして中山氏は表向き栗原・柳本陣営の指揮をとりながら、その実は首相官邸から派遣された「トロイの木馬」の大役を果たしたのである。
 
 目下、国政では野党再編のあれこれが取りざたされている。しかし大阪ダブル選の橋下氏らの勝利で、安倍政権は「おおさか維新」という野党分断カードを手に入れた。短期的には野党再編を妨害する遊撃隊として利用し、中長期的には改憲補完勢力として橋下氏らを育てる安倍戦略が着々と進行している。 

30- 戦争法案強行採決と国民のたたかい (その2) (五十嵐仁氏) 

 元法政大学 社会問題研究所所長(教授)の五十嵐仁氏が、通常国会での「戦争法案の強行採決と国民のたたかい」を発表しました。本格的な総括です。
 同氏のブログ「五十嵐仁の転成仁語」に3回に分けて掲載されるということで、今回はその第2回分です。
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[論攷] 戦争法案強行採決と国民のたたかい (その  
五十嵐仁の転成仁語 2015年11月日11月29日 
〔以下の論攷は、『治安維持法と現代』No.30、2015年秋季号、に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕
二、戦争法成立の背景にはどのような問題があったのか
 
小選挙区制の害悪
 こうして戦争法は成立しました。そこにはどのような背景や問題があったのでしょうか。
 その第一は、小選挙区制による害悪です。この選挙制度によって二重の意味での「一強多弱」体制ができあがった点に大きな問題があります。
 世論調査をすれば五割が法案に反対で成立を評価せず、六割が憲法に違反しているとし、審議が尽くされていないという意見も八割近くに上っています。説明不十分という意見にいたっては八割を超える調査もありました。それなのに、法案は成立してしまいました。国会では賛成派が衆院で三分の二以上、参院で過半数以上の議席を持っているからです。
 その理由は、第一党に有利になる小選挙区制にあります。参院の一人区も事実上の小選挙区ですから同様の問題を抱えています。昨年の総選挙では、有権者のうち自民党に投票した割合(絶対得票率)は小選挙区で二四・五%、比例代表で一七・〇%にすぎませんでしたが、自民党が圧勝しました。小選挙区で四八%の得票率なのに七五%の議席を占めたからです。
 このような選挙制度の下では、多数党の候補者として公認されるかどうかが決定的な意味を持ちます。公認権を持つ執行部の力が強まり、異論があっても楯突くことができなくなります。反対すれば対立候補を立てて「刺客」を送り込まれることを、「郵政選挙」の時に思い知らされました。こうして、自民党内でも官邸や執行部の力が強まる「一強多弱」体制が生まれたのです。このような政治的効果を生んだのも、小選挙区制による大きな害悪だったと言えるでしょう。
 
自民党の変貌
 第二に、その結果として自民党が変貌してしまいました。主導権(ヘゲモニー)が「本流派閥」から「傍流派閥」へと移ったからです。前者は吉田茂の流れを汲み比較的リベラルでハト派でしたが、後者は岸信介の末裔でどちらかといえば右翼的でタカ派だという特徴がありました。
 60年安保闘争によって戦前モデルを否定された自民党は、現行憲法を前提に現状対応を図る路線を採用し、それが「本流」となりました。これに対して、戦前モデルを念頭に憲法改正と再軍備をめざして戦後憲法体制の修正を図ろうとする勢力は少数派となり、自民党内では「傍流」に追いやられます。
 しかし、右肩上がりの経済成長が終わり、新自由主義が登場し、軍事大国化が強まるなかで、政界再編や新党結成によって「保守本流・ハト派・吉田」の流れを汲む勢力や個人が自民党外に流出し、次第に「保守傍流・タカ派・岸」の勢力の比重が高まっていきます。その転換点は森喜朗政権の成立でしたが、政策内容や政治手法の点では小泉政権が画期だったと思われます。
 このような転換によって、「保守本流」の解釈改憲路線は明文改憲と実質(立法)改憲を合わせた総合的な改憲路線に変わり、経済重視路線は政治主義路線へと転換し、憲法上の制約を盾に一定の抵抗を示しつつ協調してきた対米協調路線も制約自体を取り払って米国に追従する対米従属路線へと変化してきました。
 さらに、「保守本流」の政治手法の特徴だった合意漸進路線などは見る影もありません。野党や国民との合意は問題とされず、独善的で強権的な手法が強まってきました。安倍政権に対する国民の批判と反発は、民意に耳を傾けず異論を封じる手法や強引な国会運営に対しても向けられています。
 
マスメディアの分化と後押し
 第三に、このような政治の変化に警鐘を鳴らし、権力を監視するべきマスコミのあり方にも大きな変化が生じました。特にNHKのニュース報道や読売新聞、フジ・サンケイグループによる報道には大きな問題があります。政府の応援団として戦争法の成立を後押しする役割を演じたことは、マスメデイアとしての大きな汚点にほかなりません。
 すでに、第二次安倍内閣になってから籾井勝人NHK会長が就任し、「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」と述べて問題になっていました。今回も与党の言い分ばかり伝え、ことさらに賛成派のデモを取り上げたり、国会周辺の抗議活動を無視したり扱いを小さくしたりするなど、NHKのニュースには大きな問題がありました。
 これに対して、テレビ朝日の「報道ステーション」などは戦争法案の問題点を解明し、反対運動を詳しく紹介するなど積極的な役割を果たしました。週刊誌でも、女性週刊誌が戦争法案についての特集を組んで反対意見や抗議活動を紹介するなど、従来にない姿勢を示したことは注目されます。
 新聞は賛成と反対に大きく分かれました。前者は『読売新聞』『日経新聞』『産経新聞』『夕刊フジ』などで、後者は『朝日新聞』『毎日新聞』『東京新聞』『日刊ゲンダイ』などです。地方紙の大半も戦争法案に批判的な論調でした。とりわけ、『東京新聞』は一面や「特報」面で法案の問題点や反対運動について詳細な記事を掲載し、ジャーナリズムとしての本来のあり方を示しました。
 また、共産党の『しんぶん赤旗』は政党機関紙ですが、日曜版には自民党や官僚OB、改憲派の政治学者、公明党や創価学会員なども登場し、大きな注目を集めました。政党機関紙の枠にとらわれない進歩的ジャーナリズムとしての存在感を発揮したことは高く評価して良いでしょう。

2015年11月29日日曜日

政府は巨大軍艦の建造を準備中

 安倍政権は「強襲揚陸艦」クラスを1隻と「いずも」並みの護衛艦をあと2隻建造することを目指しています。
 「いずも」はヘリコプター用の中型航空母艦で、「サイズ」的には全長248m・全副38mで、かつての超怒級戦艦「大和」の全長263m・全副38・9mにかなり近いものです(満載排水量は2万6000トン)。
 「強襲揚陸艦」はヘリコプター水陸両用車垂直離着陸式戦闘機などを搭載するための更に巨大な航空母艦型軍艦で、その排水量は4万トンクラスです。
 それらの建造費は強襲揚陸艦」は3000億円以上、「いずも」タイプが1隻1155億円といわれます。
 
 これは勿論国土防衛のためのものでも尖閣諸島防衛用のものでもなくて、外国と一戦を交え、敵地に上陸するための艦艇です。安倍首相の頭の中では当然南シナ海での対中「開戦」がイメージされていると思われます。
 まだ建造には着手していませんが、政府は国民には何もしらせないまま、既にそこまで準備を進めているわけです。年配の人たちには、海上自衛隊がアメリカから供与されたフリゲート艦で発足した頃のイメージがまだ強いかもしれませんが、いまやかつての戦艦「大和」級の艦艇を持つに至っています。
 
 戦前の日本は「大艦巨砲主義」に沿って、世界最大の戦艦「大和」や「武蔵」を極秘で造りました。
 そしていま、安倍政権の元で軍事大国日本、戦争を厭わない日本が着々と作り上げられつつあります。
 
 日刊ゲンダイの記事を紹介します。
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野心隠さぬ安倍政権…来年度に盛り込む「対中開戦」準備予算 
日刊ゲンダイ 2015年11月27日 
 安倍政権が南シナ海への「野心」を隠そうともしなくなってきた。
 25日は中谷防衛相が訪問先のハワイで、米太平洋軍トップのハリス司令官と会談。中国の人工島造成を受け、日米共同訓練や周辺国への軍事支援の推進を確認した。安倍首相自身、先週のオバマ米大統領との首脳会談で、南シナ海への自衛隊派遣の可能性に言及したばかり。防衛省も来年度予算で、南シナ海での対中衝突を想定しているような兵器調達を一気呵成に進めようとしている。
 
 「海上自衛隊においては“水陸両用戦に供する艦”を建造する予定だ」
 昨年12月に訪米した際、米軍首脳との会談で、そう伝えたのは統合幕僚長の河野克俊氏。陸海空自衛隊のトップだ。今年9月、共産党が入手した統合幕僚監部作成の会談録により、発言内容が暴露された。
 水陸両用戦に供する艦とは「強襲揚陸艦」を指す。ヘリコプターや水陸両用車など上陸作戦に使う装備と部隊を輸送する軍艦で、垂直離着陸式の戦闘機を運用できる広大な甲板を持つ。とにかくバカでかい。米軍が保有する「ワスプ級」の満載排水量は4万トンを超え、海自最大の護衛艦「いずも」の2万6000トンをはるかにしのぐ
「自衛隊の使命が本土防衛だけなら、上陸作戦に用いる巨大艦艇を欲しがるのは不自然。尖閣防衛を想定しても規模が大き過ぎます。河野氏は海自あがりで、海自は伝統的に米艦隊を守る意識が強い。勇ましい計画を打ち出して予算を勝ち取る術にも長けています。集団的自衛権の行使が可能になった今、海自中枢が南シナ海情勢に便乗し、冒険主義的な野望を秘めているのかも知れません」(軍事ジャーナリスト・神浦元彰氏)
 
 今年度予算で強襲揚陸艦は調査費(500万円)がついただけなのに、制服組トップが「建造する」と米軍首脳に言ってのけるあたり、導入は既定路線なのだろう。「19年度の配備を目指している」(防衛省事情通)との情報もある。
 
 過去最大の総額5兆911億円を計上した防衛省の来年度予算の概算要求をみると、オスプレイ12機(計1321億円)を一気に購入する計画を盛り込み、水陸両用車「AAV7」11両(74億円)の調達を求める。強襲揚陸艦に搭載できる兵器の配備に躍起なうえ、18年度までに米海兵隊をモデルにした「水陸機動団」を新設する計画だ。
 さらには今年度に続き、イージス護衛艦1隻の建造費を計上。2隻の建造費は計3355億円に及ぶ。海自のイージス艦は現在の6隻から8隻となるが、果たして南シナ海に向け、強襲揚陸艦を中心に艦隊を編成する気なのか。
 
 「海自は『いずも』に加え、1155億円をかけて同型護衛艦『かが』を造るほか、同型艦をもう1隻建造する予定です。強襲揚陸艦の建造費は3000億円が最低ライン。さすがに莫大な予算を捻出できるか疑問だし、何より米国は日本にこれ以上の武力強化を望んでいません。導入計画は、米国から“待った”のかかる可能性が高いと思います」(神浦元彰氏)
 
 安倍政権の「野心」は、米国の手のひらの上で転がされている。

菊池直子被告無罪判決は「法治」の精神に寄り添うもの

 オウム真理教による1995年の東京都庁郵便爆発事件で殺人未遂のほう助罪に問われた、元信者の菊池直子被告の控訴審判決で、東京高裁は27日、懲役年とした1審の判決を取り消し、無罪を言い渡しました。
 
 ブログ「世相を斬る あいば達也」はその判決を取り上げ、「『被告イコール有罪ではなく、“証拠に明示性がなければ、被告に不利な証拠として採用しない”と云う原理原則を重視した判決であり、裁判を感情の発露の場としてはいけないと、司法関係者及び国民に明示したものと理解する」として高く評価しました。 
 以下に紹介しますが、出だしの3節は安倍政権を酷評するもので判決とは関係ありませんので、その積りでお読み下さい。
 なお、「注釈:・・・」部分の青字化は原文がそうなっているものです。
 
追記) 
 判決では、井上死刑囚の証言20年前のことについて、不自然に詳細かつ具体的で、信用できない」として退けて、被告を無罪としました。
 オーム事件の裁判では、この事件に限らず井上死刑囚の証言がオウム被告たちの証言と決定的なところで食い違うことが頻出しましたが、裁判所は常に井上死刑囚の証言を採用して判決を下してきました。つまり井上証言は主に検察の構想を裏付ける役割をして来ました。今回初めて井上証言が否定されたことを機に、の判決に問題がなかったのかもう一度精査されるべきです
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戸惑う世間 「空気」を排除「法治」の精神に寄り添う判決 
世相を斬る あいば達也 2015年11月28日 
辺野古新基地建設で、実は苦境に立っている安倍政権が、名護市の頭越しに、自治会長のような輩に、行政の枠組みを超えて、つまり超法規的買収工作で、地域分断を画策すると云う下品な行為がなされたばかりだが、今日、じっくりと、安倍の国家総動員態勢、「1億総活躍社会」など云う茶番劇の内容を読んでいたら、実現に向けた対策だとホザイテいたが、公選法違反のような買収行為まで盛り込まれているのには、腰が抜けた。 
 
この政権は、どこまで下品なのか、限度と云うものがない。当然、日本人が3000年の歴史の中で紡ぎあげてきた「恥の文化」すら身に着けていない人種の坩堝になっている。この人たちは、本当に日本人なのか?そう云う根本的疑問さえ生まれてくる。まあ、日本人のルーツをたどれば、人類学的に、様々な地域から、それぞれのDNAを持った人類が流れ着いて、混血していったのは理解出来るが、科学的に検証するDNA等々とは別次元で「文化」と云うものがあるが、その部分での違和感だ。民族への差別としてではなく、「文化」の違いの部分に筆者の目は釘付けになる。
 
現在の官邸や内閣の政治的傾向は、日本会議がどのように感じているか別にして、奇妙過ぎる。あたかも、朝鮮半島の精神構造で、ことがなされている疑念を強くする。この点への真偽に関して、何ひとつ明らかではないので、判断は留保するが、どうもおかしい。冷静に眺めていると、日本人の醜い面を意図的に、殊更に世界に振りまいている感じなのだ。欧米のリベラルなデモクラシー世界から疑念を持たれ、イスラム世界からも疑念を持たれ、世界の憎まれ役国家イスラエルと蜜月を表明したり、日本の世界における地位を、貶める為政に執着している。これは国家主義ではなさそうだ。隷米主義にしてもかなり変だ。この喉に刺さった小骨が、実は安倍政権そのものの、真の姿なのか、もう少し検証する必要があるだろう。 
 
さて、今日の見出しは、政治的ではないが、日本の警察や検察の「魔女狩り」に、東京高裁において、一石を投じた判決が出た。おそらく、マスメディアも、意外だ意外だの連呼だろう。NHKアベチャンネルも批判的論調で報じていた。ど素人の裁判員が意外だと云うのは、裁判員裁判の目的が、法のジャスティスではなく、国民感情のガス抜きシステムだと理解しておけば、彼らが気分を害するのはよく理解する。しかし、法に携わる者や司法記者であるなら、「法廷」を「感情の吐き出し場」にすることは、「法治の観念」への反逆だと云う事実を、裁判官は明確に述べた判決だろう。「被告イコール有罪」ではなく、“証拠に明示性がなければ、被告に不利な証拠として採用しない”と云う原理原則を重視した判決であり、裁判を感情の発露の場としてはいけないと、司法関係者及び国民に明示したものと理解する。 
 
以下、二つの朝日新聞の記事を元にして、筆者の考えを話しておく。この判決に違和感を持つのは、感情的には理解するが、法的には支持する気には、そもそもなれない。日本の刑事裁判は「疑わしくは罰せず」が根源的精神だ。このことを、日本人も警察司法関係者も、経験則で根源的精神を忘れているに過ぎない。筆者は、菊池直子被告が逮捕され、センセーショナルにメディアで報道された時から、この被告が有罪じゃ話にならん法治だな、と思った。「オウム信者なら、全員罪びと、有罪で良いのだ」この空気感と法治は、別の世界であることを、誰も知らないのかな、と思った。法律を学んでいたら、本来、真っ先に気づくことだ。 
 
「魔女狩り裁判」は日本の刑事裁判で、我が物顔に振る舞っていた。マスメディアが「コイツは魔女」と騒ぎ立てれば、国民は、間違いなくそうだと思う人々が多い。検察は、自分のリークで「空気」を作り、法廷闘争を有利に導く「世論形成」を行う。多くの裁判官も、この空気感には敏感な点は、人間だから当然だ。しかし、そのような状況があるとしても、法的に「疑わしいとも考えられるが、有罪にするほどではないな」と云う、裁判官のギリギリの法治を守る意志が働いたものだろう。以下、朝日の記事を抜粋する形で、此の判決をウォッチしておく。 
 
≪裁判長が語りかけた。 「法律的には無罪です。ただ、あなたが運んだ薬品で重大な犯罪が行われた。心の中で整理してほしい」≫
 注釈:この裁判長の言葉が、すべてを表している。“法治国家の法理に照らすと、有罪には出来ません。ただし、結果的に、貴女の行為で、重大な犯罪が起きた事実を忘れずに、自分の中で整理してくださいね”と諭している。 
 
≪この幹部は「逮捕状を取った当時は、オウム信者を微罪でも捕まえろ、という世論の後押しがあった。年月を経て、慎重な司法判断が下されたのではないか」と話した。≫ 
≪元捜査幹部は「菊地元信徒は逃亡したからこそ注目を浴びたが、オウム事件全体でみると果たした役割は小さかった。事件に直結する役割ではなく、元々、立証に難しさはあった」と話す。≫ 
注釈:世論の後押し=魔女狩り=感情の吹き出し口。おそらくこう云う図式だが、検察とマスメディアによって「世論」は作られて行くことを、法治国家の国民も司法関係者も、ちょっと立ち止まる賢明さが欲しいと云うことだ。 
 
≪検察幹部は「予想外の判決だ。かなり違和感がある」。東京高検の堺徹次席検事は「控訴審判決は意外であり、誠に遺憾。判決内容を十分に精査・検討し、適切に対処したい」とのコメントを出した。≫ 
注釈:判決の趣旨から考える限り、検察は控訴を見送る可能性が高い。筆者の目から見ると、菊池被告は、極めて純真で優しい心の持ち主ではないかと云う印象がある。高橋克也被告を匿い続けた行為を、単に下世話な男女関係と見るか、外出さえままならぬ、昔の仲間の窮状を見るに見かねてか、その点の解釈も重要だったと考える。 
 
≪高裁判決は、一審の裁判員裁判を覆す内容だった。「市民感覚を反映するための制度なのに、裁判官の経験則で覆していいのか。オウムの恐ろしさが風化してしまったのだろうか」。別の幹部は疑問を呈した。≫ 
注釈:この捜査幹部は、裁判員制度の前に、法治の法理念が存在することを失念している。裁判は感情や空気感で裁いて良いと思っているに過ぎない。
 
≪裁判員を務めた会社員の男性(34)は「無罪と聞いてショック。確かに証拠が少ない難しい事件だったが、私たちが約2カ月間、一生懸命考えて出した結論。それを覆され、無力感を覚える」と話した。≫ 
注釈:二か月でも、十年でも、法に照らすと云う精神を忘れて、「疑わしきを罰する」情緒に惑わされたことこそ、反省すべきであり、初めから、被告は犯罪者だと思い込んでいる発言に過ぎない。裁判員が一生懸命頑張ったから、被告は有罪じゃあ、法治はなきに等しいよ。 
 
≪左手指を失った元東京都職員の内海正彰さん(64)は「(菊地元信徒は)長年逃亡生活を続けており、罪の意識は十分持っていたはずです。無罪の判決は、その事実を法廷という場でしっかりと立証できなかったということで、誠に残念なことだと思います」との談話を出した。≫ 
注釈:この方も、法治の概念に齟齬がある。罪の意識は充分にある。それは認めよう。しかし、だから、有罪だと云うのは、法ではない。被告に、罪の意識があることと、法的に有罪であることに、相関はない。それが法律と云うものだ。日本人独特の、このような情緒は一般的だが、民主主義国、法治国においては、情緒や空気に惑わされる判事が多すぎるのが問題なのであって、日本の刑事訴訟そのものの、傾向こそ中世的司法なのである。
(以下の朝日新聞記事の全編紹介部分はカット)

29- 憲法ママカフェが盛況 さいたま

 「憲法ママカフェ」が相変わらす盛況です。
 安全保障関連法が9月19日に成立してから2カ月あまり同法成立前後はこれまで憲法などにあまり関心がなかった母親たち多くが興味を持ち始めまし
 その後は関心を失いつつある部分もある一方で、一層の危機感を持って関心を高めている人たちも沢山います。
 竪十萌子弁護士が昨年9月に立ち上げた埼玉県の「憲法ママカフェ」は、11月中も竪さん担当だけで7回開催し、来年2月まで予定が入っているという状況です。
 
 毎日新聞の記事を紹介します。
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憲法ママカフェ:弁護士講師に…さいたまで盛況
毎日新聞 2015年11月27日
 弁護士を講師に、母親たちが憲法について考える「憲法ママカフェ」が盛況だ。安全保障関連法が9月19日に成立してから2カ月あまり。同法について報じられる機会は減ったが、母親たちの関心は依然高い。さいたま市で20日に催されたママカフェを取材した。
 
「クイズです。憲法が縛っているのは、誰でしょう」「そう、国家権力です」−−。
 同市見沼区のコミュニティーセンターで、講師の竪十萌子(たて・ともこ)弁護士(34)=埼玉弁護士会所属=が、約20人の母親たちに語りかけた。子どもたちの遊び声が交じる中、母親たちからも回答の声が上がる。
 
 この日、ママカフェを主催したのは、アレルギーや障害・疾患を持つ子と家族のサークル「のいちご」(野上香織代表)。音楽やヨガなどの企画 竪弁護士は昨年9月から、母親たちに憲法を解説して共に語り合う「憲法ママカフェ」を行っている。依頼を受ければ、講師として各地に赴く。関連法成立直前の今年8月には20件近い依頼を受け、仲間の弁護士と手分けするほどだった。成立直後の10月中は3回に減ったが、11月中も竪さんだけで7回開催。既に来年2月まで予定が入っているという。
 
 20日の会に参加した2歳の長男を持つ同区の主婦(29)は「憲法の基本を分かりやすく説明してもらえ、頭の整理ができた。子どもの将来にかかわる問題だけに、今後も勉強を続けて自分の意見をしっかり持ちたい」と話した。
 同法成立前後は、全国で母親たちによるデモなども行われた。竪さんは「これまで憲法や政治にあまり関心がなかった多くの人が興味を持ち始めた」と振り返る。しかし、その後は、興味がある人が関心をさらに高める一方で、さほど関心を持たなかった人は急激に興味を失いつつあるとも感じているといい、「子どもたちの未来に直結する問題を知らずにいることはとても怖い。今後も地道にコツコツと、気軽に語り合える場を持ち続けたい」と語った。 【山寺香】
 
 
分かりやすい言葉で憲法について説明する竪弁護士(中央)=さいたま市見沼区のコミュニティーセンターで2015年11月20日、山寺香撮影

2015年11月28日土曜日

戦争法案強行採決と国民のたたかい(その1) (五十嵐仁氏) 

 元法政大学 社会問題研究所所長(教授)の五十嵐仁氏が、通常国会での「戦争法案の強行採決と国民のたたかい」を発表しました。本格的な総括です。
 同氏のブログ「五十嵐仁の転成仁語」に3回に分けて掲載されるということで、今回はその第1回分です。
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[論攷] 戦争法案強行採決と国民のたたかい(その1)  
五十嵐仁の転成仁語 2015年11月28日 
〔以下の論攷は、『治安維持法と現代』No.30、2015年秋季号、に掲載されたものです。3回に分けてアップさせていただきます。〕
 「このような暴挙は許されない」と、誰もがそう思ったことでしょう。通常国会の焦点とされ、九五日間もの延長の末に九月一九日に強行採決された戦争法案(安保法案)のことです。とりわけ最終盤では、連日、国会正門前に多くの人々が集まり、激しい抗議の声が上がりました。それを無視する形で採決が強行されたのです。
 法律が成立した後の世論調査で、八割もの人が「審議尽くされていない」(共同七九・〇%)、「十分に説明していると思わない」(同前八一・六%)、「説明不十分」(読売八二%、毎日七八%)、「審議不十分」(産経七八・四%)などと異議を唱えているのも当然でしょう。
 戦争法案が国会に提出されたのは五月一五日でした。成立したのは九月一九日ですから、約四ヵ月間の審議になります。通常国会の会期は六月二四日まででしたが、六月二二日に九五日間延長され、九月二七日までとされました。
 衆参両院での審議時間はあわせて二二〇時間に達しました。しかし、今回の法案は現行の一〇本をまとめて改正する一括法「平和安全法制整備法案」と、いつでも自衛隊を海外に派遣できる新法「国際平和支援法案」の成立でした。合計一一本の改正と成立ですから、一本あたりにすれば二二時間にすぎません。国の基本的なあり方を左右する法案の審議時間としては極めて不十分だったと言うべきです。
 しかも、審議の過程では答弁が二転三転し、審議の中断は衆参両院で二二五回を数えました。行政府の長である安倍首相が立法府の議員に「早く質問しろよ」「そんなこと、どうでもいいじゃん」などというヤジを飛ばしたこともあります。八割もの国民が「説明不十分」と感じた背景には、このような誠実さを欠いた不真面目な答弁ぶりにもありました。
 
一、国会での審議・採決を通じて何が明らかになったのか
 
二重の意味で破壊された立憲主義
 このような審議を通じて明らかになったのは、二重の意味で憲法違反だという事実でした。一つは、歴代内閣によってこれまで憲法上認められないとされてきた集団的自衛権の行使を容認し、自衛隊を海外に送り出して戦争できるようにするという内容上の違憲です。
 もう一つは、憲法の改正手続きを経ることなく内閣の憲法解釈を変えることでこれを実現してしまったという手続き上の違憲でした。憲法を改正しなければ行使できないから改憲が必要だとされてきたのに、正規の改正手続きを経ることなく行使できるようにしてしまったのですから、「裏口入学だ」と批判されたのも当然です。
 六月四日の衆院憲法審査会に参考人として出席した三人の憲法学者は、自民党が推薦した長谷部恭男早稲田大学教授を含めて全員「憲法違反だ」と証言しました。東京新聞が全国の大学で憲法を教える教授ら三二八人にアンケートを実施した結果、「合憲」だというのはたったの七人(三%)にすぎず、「憲法違反」は九割に上っています。
 それに、憲法第九八条と第九九条違反という問題もあります。第九八条は憲法の最高法規制を定め、「その条規に反する法律……の全部又は一部は、その効力を有しない」ことを明らかにしています。戦争法は内容と手続きの両面で憲法に違反していますから、たとえ成立しても法律としての「効力を有しない」ことになります。
 また、第九九条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」として、憲法尊重擁護義務を定めています。憲法に違反する法案を提出し、その成立を図ることは許されず、安倍内閣の閣僚もそれを成立させた国会議員も憲法尊重擁護義務に違反していたことになります。
 憲法に基づく政治運営という原則が立憲主義です。このような原則が侵されれば国の土台が崩れてしまいます。憲法違反の法律を廃止し、そのような法律を制定させた行政と立法のあり方を正すことによって立憲主義を回復することは、国の土台を立て直すための最優先の課題だと言わなければなりません。
 
否定された「平和国家」としてのあり方
 この法案の提出にあたって、安倍首相は憲法の理念としての平和主義も専守防衛という国是も変わらないと強調しました。この法案は「平和安全法制」の整備を目指すもので戦争法案というのは不当なレッテル張りだと反論していました。しかし、これは真っ赤な嘘です。
 この法律によって、自衛隊はいつでも、どこでも、たとえ先制攻撃による無法な戦争であっても、それが「存立危機事態」であると認定されれば集団的自衛権の行使によって、「重要影響事態」と判断されれば重要影響事態法によって、国際の平和に関わるものだとされれば国際平和支援法によって、自衛隊を海外に派遣することが可能になります。
 そこで「後方支援」という名目のたん活動に従事し、時には治安維持や捜索・救助活動を行ったり任務遂行のために武器を使って戦闘行動に加わったりすることになります。これは戦争への参加そのものではありませんか。
 しかも、集団的自衛権の行使容認の理由とされたホルムズ海峡の機雷封鎖解除について安倍首相は「具体的に想定しているものではない」と答弁し、半島有事における日本人母子を輸送する米軍艦の防護について、中谷防衛相は邦人が乗っているかどうかは「絶対的なものではない」と答えました。集団的自衛権行使容認が必要な具体例として示されていたケースですが、いずれも否定されたことになります。
 それならなぜ、このような法律が必要なのでしょうか。法律が必要とされる具体的な根拠、すなわち「立法事実」が存在しないことになります。それらは単なる口実にすぎませんでした。法律の目的は他にあったのです。
 中東地域や南シナ海などで多国籍軍や有志連合の一員として米軍などを助け、肩代わりすることが真の目的なのです。戦争法で可能になる自衛隊の任務の拡大は、「第三次アーミテージ・ナイ」報告で求められている内容と見事に一致していました。
 日本が攻撃されていなくても、米国などの要請によって戦争に加われるようにするための準備が法整備の真の狙いなのです。まさに「戦争法」そのものではありませんか。そのような法律の成立によって、「平和国家」としての日本のあり方も専守防衛という国是も根底から覆されてしまったことは否定できません。
 
踏みにじられた議会制民主主義
 戦争法案の採決のやり方も滅茶苦茶でした。議会制民主主義が踏みにじられ、法成立のための手続き上の瑕疵があったことは誰の目にも明らかです。
 戦争法案は七月一六日の衆院本会議で野党が退席して抗議の意思を表明するなか、自民党と公明党の賛成で採択され参院に送付されました。参院では九月一五日の中央公聴会、翌一六日の地方公聴会を経て一七日に特別委員会で採決が強行されます。参院本会議は、翌一八日から一九日未明にかけて開かれ、与党の自民・公明両党と野党の次世代の党、日本を元気にする会、新党改革の賛成で成立しました。
 この間、地方公聴会の内容が委員会に報告されることも、それを反映した質疑が行われることもありませんでした。本会議では野党の抵抗を阻むために発言時間を制限する動議が採択されています。とりわけひどかったのは、特別委員会での採決の強行です。
 委員会が再開されて鴻池祥肇委員長が着席した途端、自民党の若手議員が周りを取り囲み、大混乱の中で五回も採決されたことになっています。しかし、速記録には「議場騒然、聴取不能」としか書かれていません。委員には委員長の言葉は聞こえず、委員長は委員の様子を見ることができなかったでしょう。委員長を囲む輪の中にいた自民党の佐藤正久筆頭理事が手を上げて合図を送る様子がテレビに映っていました。
 まともな議事運営が行われなかったことは明らかで、到底法案が採択されたとは言えません。議事運営続き上の瑕疵があったことは否定できず、「安保関連法案採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」(メール署名)に五日間で三万人以上の署名が集まったのも当然でしょう。