2019年4月30日火曜日

天皇と憲法(3)国民と歩むことの重み(東京新聞)

 江戸時代までは日本の天皇制は実質的に象徴天皇制でした。
 それが明治に入り、欧州に派遣された伊藤博文らが、強い君主制を規定したプロイセン憲法をモデルにして大日本帝国憲法を制定したことから、世界に類例のない絶対主義的天皇制が日本で創設されました。
 それがどれほど突出したものであったかは、終戦に当たり昭和天皇が「人間宣言」を行ったことからも明らかです。
 
 天皇と憲法(3)は、欧州の立憲君主制を取り上げました。
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天皇と憲法(3)国民と歩むことの重み
東京新聞 2019年4月29日
 君主に権力が集中した絶対君主制は今日の民主主義社会とはもちろん、共存できない。欧州で主流の立憲君主制を見つつ、日本の天皇制を考えてみよう。
 
 第二次大戦でのドイツ降伏後、ベルリン近郊で開かれたポツダム会議で、英国のアーネスト・ベビン外相は、第一次大戦後に、カイザー(ドイツ皇帝)制度を崩壊させなかったほうがよかったと述べ、出席者を驚かせた。
 ドイツから皇帝というシンボルを奪い去ってしまったため、「ヒトラーのような男をのさばらせる心理的門戸を開いてしまった」からだという。
 
◆ヒトラー台頭の道開く
 一八七一年、小国分立のドイツを統一したプロイセン。その国王とドイツ皇帝を兼ねていたウィルヘルム二世は九〇年、「鉄血宰相」ビスマルクを退任させた。
 ビスマルクは二十七年にわたりプロイセン首相に在任、「鉄と血」つまり兵器と兵士による軍事力で問題解決すると主張する一方、同盟外交で戦争を回避してきた老練政治家だった。だが、新皇帝には目の上のたんこぶだった。
 政治の実権を握ったウィルヘルム二世は、自ら海軍増強など帝国外交を繰り広げる。これが英仏など周辺諸国の警戒を招き、第一次大戦へとつながった。
 
 ドイツ敗戦後には、当然ながら責任を問われた。連合国側は体制一新を要求、国内では各地で革命が起き、追い詰められた。政府に迫られて退位しオランダに亡命。ワイマール共和国発足に伴い、皇帝制は廃止された。
 共和国では、連立の組み合わせが目まぐるしく変わって政治は安定せず、共和国打倒を訴えるナチスの台頭につながった
 ナチスは当初、権威を利用しようと皇帝一族に接近したが、党勢拡大に伴って次第に冷淡になり、首相となったヒトラーは、君主制を復活させないと断言した。自らが総統となり、君主に取って代わったのだ。
 ベビン英外相の後悔どおりの結末だった。
 ドイツの皇帝制は日本にも大きな影響を与えている。
 
◆民主主義との共存
 明治政府は伊藤博文らを欧州に派遣、強い君主を規定したプロイセン憲法をモデルに大日本帝国憲法を制定した。
 プロイセンと同様に、軍隊の最高指揮権、統帥権を天皇の大権と定めた。これに基づく帷幄(いあく)上奏も、プロイセン軍に取り入れられていた仕組みだ。
 帷幄とは野戦用のテントを指す。参謀総長らが内閣を通さず、天皇に作戦などについて直接説明することができる。
 昭和になってこれを軍部が乱用、軍を批判する者を統帥権干犯と批判し、時に暴力で黙らせた。結果、無責任体制を招き暴走の果て第二次大戦を引き起こし、日本は焦土と化した
 
 ベビン英外相の言葉のように、戦後、天皇制存続のため念頭に置かれたのが、軍国日本につながったプロイセン流ではない、民主主義と共存する立憲君主制だった。
 英国には現在も成文憲法はないが、一六八八年、流血なき「名誉革命」で国王ジェームズ二世を追放後、即位したウィリアム三世、メアリ二世は「権利宣言」に同意した。議会を王権に優越させ、絶対君主制とは全く性格の異なる君主制となった。
 君主制と共存する成熟した民主制が定着している国は北欧やベネルクスベルギー、オランダ、ルクセンブルクにも多い。国王は国民の精神的なよりどころでもある。
 ノルウェーは一九四〇年、ナチスの侵攻を受けた。当時のホーコン国王は抗戦し、英国に亡命後は抵抗組織を作り、ラジオで国民に呼び掛け続けた。生きざまは「ヒトラーに屈しなかった国王」と題して映画化された。その子オーラブ五世はしばしば街に出て、市民に声を掛けた。自分には国民四百万人がついているとして、護衛を嫌ったという。
 
◆君臨するが統治せず
 やはり、ナチスに侵略されたオランダでも、ウィルヘルミナ女王がロンドンで亡命政府を樹立し、徹底抗戦を呼び掛けた。ドイツ敗戦が濃厚となり帰国した女王は、歓声で迎えられた。
 デンマークでは、戦後制定された新憲法で初めて女性への王位継承を認めた。その最初が現在の女王マルグレーテ二世である。男性王位継承高位者に、デンマークを占領していたナチス寄りの親族がいたことに対し国民の反発が強かったことも理由だったという。
 欧州の国王の役割は国によってさまざまだが、共通するのが、政治には直接介入しないが、国家を代表し、国民に寄り添い、勇気付ける姿である。よく言われることだが、政治権力に対するある種の権威といってもいいだろう。国民と歩むことの重みでもある。

消費税を凍結・減税すべし!(7)消費税は消費の『罰金』である

 藤井聡・京大教授によるシリーズ「消費税を凍結・減税すべし!」の7回目です。
 今回は消費増税が消費を収縮させ日本経済に多大なダメージを与えることを、「消費税は消費に掛けられる罰金である」という巧みな比喩で説明しています。
 文中の太字強調個所は原文に拠っています。
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藤井聡 消費税を凍結・減税すべし!  
<7> 消費税は消費の『罰金』である
日刊ゲンダイ 2019年4月26日
 安倍晋三総理の側近、萩生田光一・自民党幹事長代行の「10月の消費増税延期」を示唆する発言が波紋を呼んでいる。
 萩生田氏は、安倍内閣で官房副長官も務めた総理の側近中の側近とも言われており、わざわざインターネットテレビというメディア上で増税延期の可能性を示唆したということは、安倍総理が「増税延期を考えている」ことを明確に示すサインに違いないと、政治家、記者など永田町の玄人筋がみな、認識したからだ。
 言うまでもなく萩生田氏(そしておそらくは安倍総理)が消費増税の延期を具体的に考えているのは、消費増税が日本経済に確実に激しいダメージをもたらすことを懸念してのことだ。
 事実、今、このタイミングでの消費増税は最悪だ。日本経済に確実に激しいダメージをもたらす。たとえば、その理由について筆者は拙著『10%消費税が日本経済を破壊する』に詳しくまとめているのだが、あらためてその基本メカニズムを紹介することとしよう。
 
1.税金は行動を「抑制」するためにかけるもの
「混雑税」という税金をご存じだろうか?これは混雑している道路に「税金」をかけ、値段を上げることで、利用者を減らし、その混雑をなくそうとする「交通政策」上の税金だ。同じく「環境税」というものは、環境対策の一環として行われるもの。クルマ利用など「環境に悪い行動」に対して税金をかけて、その行動を抑制しようとするものだ。
 つまり混雑税や環境税というものは、「減らしたい」という政策ターゲットを絞り、それを狙い撃ちするように税金をかけ、その行動を減らそうとするものなのだ。

 だから、「消費」税をかければ、当然、「消費」が抑制されることなど、至極当然のことなのである。
 しばしばメディア上で、専門家と自称する人々が「消費増税をしても大丈夫です」という口にしているが、彼らは根本的に間違えているのだ。経済学の基本を何も知らないか、あるいは、財政当局なり何なりを「忖度」して、自分の発言を歪めているにすぎない。つまり彼らは馬鹿か嘘つきか、あるいはその両方かのいずれかなのだ。

2.消費は、経済成長のメインエンジン
 ところで、「経済成長」というのは、具体的に何を意味するのかというと、「皆が使うカネの量が増えていく」ということだ。皆が使うカネの量が増えれば、必然的に皆が儲かる。皆が儲かれば、さらにカネを使うようになって皆がさらに儲かる―――という好循環が経済成長、というものだ。
 そして、日本国内で使われているカネ(一般に、GDPと言われる)の大半が何なのかと言えば―――それが「消費」だ。日本国内のすべての使われているカネの内、実に6割が消費だ。
 しかも、この消費が伸びれば必然的に、各企業が様々な投資を始める。売り上げがよくなるので、それに対応するために、工場や店を拡充していくからだ。その投資は全体のカネの量の1割5分。
 だから結局、消費が増えれば、使われるカネの量(GDP)の7割5分が拡大していくわけで、必然的に経済が成長するのだ。
 つまり、消費というものは、経済成長のメインエンジンなのだ。

3.10%消費税で、日本経済は破壊される。
 逆に言うなら、消費が冷え込めば、必然的に経済は冷え込む。ここに、消費税が経済に巨大なダメージをもたらす根本理由がある。
 実際、バブル崩壊後の97年の増税は日本に大不況をもたらし、前回の2014年増税でも激しく消費が冷え込み、5年以上が経過した今日でも、かつてのピークの水準には至っていない。
 無論、経済が元気で、年々物価が4%や5%程度拡大している時期なら、消費増税の影響をはねのけることができる。たとえばバブル真っ盛りの1989年の消費税導入時には、激しいダメージはなかった。しかし今日のようなデフレ状況下では、経済的ダメージは絶対に避けられない。

 ――だからこそ、萩生田氏が、消費増税を延期する可能性を示唆したわけだ。

 もしこんな状況で消費税が増税されれば、日本経済が大混乱になり、内閣支持率は確実に低下する。安倍総理の側近である萩生田氏が、それを懸念し、増税延期の風潮を作り出すために、あえて増税延期の可能性を示唆した―――今、多くの永田町関係者は、そう見ている。
 しかし、われわれ国民にとって、日本を守ってさえくれるなら誰が何をやろうが構わない、というのが正直なところだろう。とにかく国民にとっては、消費増税によって日本経済が破壊されるかどうかは文字通りの死活問題なのだ。

 今の消費増税が最悪なのには以上以外にもさまざまな理由があるのだが―――それについてはまた別の機会に解説することとしよう。

春の平和キャンペーンを行いました

 快晴の29日、湯沢町中央公園で行われた「桜祭り」には、町外からも沢山の人たちが来場し大賑わいでした。
 
 そんな中「湯沢平和の輪」は恒例の「春の平和キャンペーン」を行いました。
 会場の入口道路わきで、憲法9条改悪に関するリーフレット500枚、風ぐるま100個、袋に9条改憲への警鐘が印刷されたポケット・ティッシュ約500個を配りました。
 シールアンケートのテーマは、「憲法9条を変えることに」ついて「賛成」か「反対」かを聞くものでした。
 約1時間半、来場者に選んでいただいた結果は、「賛成」が6票、「反対」が約80票、「どちらでもない」が5票でした。

30- 新潟県9条の会 会報No82のPDF版を掲示します

一面のタイトルは
安倍政権の改憲策動は軽視できません
  安倍改憲の危険な狙いを知らせ、安倍改憲NO! の世論と運動を大きく広げ
    7月の参院選挙で改憲勢力に厳しい審判を下し、自公の議席の大幅減を
 
中見出しは
安倍政権下での改憲反対が多数派
明記される「自衛隊」は安保法制下の軍隊
市民と対話する活動が求められます
・諦めたら負けです 
  諦めないで、力を合わせ、声を出し続けること
です。
 
二面のタイトルは
5月3日の憲法記念日は地域で工夫し、
  市民とともに憲法について考える企画を
です。
 
各組織からの報告として下記が載っています
魚沼9条の会 
 毎月、連続「憲法勉強会」を企画
 
九条の会・糸魚川
 5月3日の憲法記念日に向けて
  3000万人署名目標の達成を呼びかけ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  PDF版をご覧になる場合は、下のURLの部分をクリックしてください。
 最初に1面が表示されるのでそのまま画面を下方にスクロールすると2面が表示されます。
  文字が小さい場合には画面下の+マークをクリックしてください。小さくする場合はーマークをクリックしてください。
(原文には写真が載っていますが、PDF版では不鮮明でメモリを食うため削除しました)
 
  (新潟県9条の会 会報No82

2019年4月29日月曜日

天皇と憲法(1)未知の象徴をめざして (2)沖縄の苦難に向き合う

 東京新聞の連載記事「天皇と憲法」(1)、(2)を紹介します。
(1)未知の象徴をめざして・・・今上天皇陛下は「象徴天皇」ということを国民の誰よりも深く考えられ、しかも全身全霊でそれを実行された方でした。それに比べると、安倍首相が天皇の「生前退位」に関するヒアリングメンバーに押し込んだ人たちの発言はなんと浅薄だったことでしょうか。
(2)沖縄の苦難に向き合う・・・陛下の沖縄訪問は皇太子時代を含めて11回に上るということです。皇太子時代、美智子妃と初めて一緒に行かれたときには危害を加えられそうになりました。(2)が掲載された4月28日は、たまたま67年前の1952年に日本が独立したとき沖縄だけが日本から分離され施政権をアメリカに委ねた日でした。沖縄はこの「428」を「屈辱の日」としています。
 陛下が沖縄のことを思われて11回も訪問されたことは、「象徴天皇」はどうあるべきかを深く考えられて実践された一つの例です。
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天皇と憲法(1)未知の象徴をめざして
東京新聞 2019年4月27日
 今月末の天皇陛下の退位は近代天皇制では初となる。新天皇が即位し、「令和」が幕を開ける。憲法の観点から、日本の天皇制を考えてみたい。
 象徴たる天皇というイメージは、日本国憲法の制定当時は誰もがつかみにくかった。明治憲法下ではむろん、万世一系の皇統を継ぐ天皇が現人神として君臨する-という根本の建前があった。
 実は象徴の意味である「シンボル」の用語はまず、今では公になっている米国の機密電報に出てくる。一九四六年一月。連合国軍最高司令官マッカーサーから、ワシントンのアイゼンハワー参謀総長宛ての電文である。
 
◆「あこがれの中心」と
 <天皇はすべての日本人を統合するシンボルである。彼を滅ぼすことは、国を崩壊させることになる。日本人は、連合国の天皇裁判を自国の歴史に対する背信とみなし、憎悪と怒りを予見しうる限り長期にわたって永続させるであろう(以下略)>
 その翌月には連合国軍総司令部(GHQ)側から示された新憲法案の中に天皇を「シンボル(象徴)」と記してあった。英国のウェストミンスター法などにも、王位を「象徴」と記していた。
 
 しかし、新憲法制定の議会では、象徴とは何かが問われた。例えば四六年六月の帝国議会で憲法担当大臣の金森徳次郎は「あこがれの中心として、天皇を基本としつつ国民が統合している」と説明している。それにしても「あこがれの中心」とは、いかにも抽象的である。
 象徴とは何か-。この漠たる表現に最も悩まれたのは天皇陛下ご自身だったかもしれない。陛下がこのテーマについて考えを巡らしていたのは明らかで、退位の意思を事実上、示された二〇一六年八月八日のビデオメッセージに、それが色濃くにじんでいる
 
◆国民の視界に入るよう
 「日本国憲法下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を日々模索しつつ過ごしてきました」「国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」。そんなお言葉である。
 憲法には国事行為のみが書かれていて、「象徴としての行為」に関する定めがない。国事行為とは首相や最高裁長官の任命などだ。法律や条約などの公布も、国会召集も、大臣らの任免も…。
 憲法は「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」とも定めている。
 そして、国事行為とは別に、天皇の私的な領域があることは自明の理である。私事である。しかし、天皇にいわゆる信教の自由などはあるのだろうか。もし、ないのなら、私人として全く自由な存在でもありえない。
 
 だから、天皇にはまず象徴という地位があると考えるしかない。「象徴としての行為」とは、それを具現化するためのいとなみである。だから憲法に規定はないが、国事行為とも私事とも異なる重要な公的行為が「象徴としての行為」となる。具体的には国民に寄り添い、苦楽をともにする 。例えば各地の被災地を見舞い、アジアの各国を慰霊のために旅をする -。そのような行為の姿である。
 ある喩(たと)えを用いよう。国内のどこにも天皇の姿が現れなくなったら…。国民の視界から天皇は消えてしまい、国民は象徴として考えにくくなる。だから、「象徴としての行為」こそ重要なのである。陛下が実践された旅する天皇像こそ象徴性を支えていると考えるのが自然ではないか。
 
 在位中に起こった阪神大震災や東日本大震災などの災害をお見舞いし、被災者を励ます。膝を折り、被災者に寄り添う姿は、陛下の時代から生まれた新しい象徴天皇の姿だったといえる。
 ただし、旅する天皇像は、国民に象徴としての姿を現す一方、憲法にその定めがない故に、政治利用の余地もある点は、留意が必要である。天皇が「動く」ことだけで政治的な意味を持つからだ。沖縄やアジア諸国などへ「動く」ことにも当然、意味が発生する。政権が意図しての旅ならば、まぎれもなく政治的利用にあたろう。
 五月一日に即位する新天皇は、グローバル時代にふさわしい旅をするかもしれない。新皇后は元外交官でもあったから…。
 
◆民主主義にふさわしく
 皇室外交の花を開くかもしれない。だが、当然ではあるが、外交は政治なのであり、あくまで儀礼の枠を出ない国際的な社交にとどまらねばならない。
 憲法が天皇に政治的行為を禁止した理由は、戦前の歴史を蘇(よみがえ)らせないためである。陛下は憲法に忠実に民主主義にふさわしい天皇像を実践されたと考える。国民の共感が生まれるゆえんである
 
 
天皇と憲法(2)沖縄の苦難に向き合う
東京新聞 2019年4月28日
 凄惨(せいさん)な地上戦や苛烈な米軍支配など苦難の歴史を強いられてきた沖縄。天皇陛下が心を寄せられたのは、国民統合の象徴としての天皇像の模索でもある。
 「だんじよかれよしの歌声の響(ダンジュカリユシヌウタグイヌフィビチ) 見送る笑顔目にど残る(ミウクルワレガウミニドゥヌクル)」
 「だんじよかれよしの歌や湧上がたん(ダンジュカリユシヌウタヤワチャガタン) ゆうな咲きゆる島肝に残て(ユウナサチュルシマチムニヌクティ)」
 
 二月二十四日に行われた天皇陛下在位三十年記念式典。両陛下は沖縄県出身の三浦大知さんが歌う「歌声の響」に耳を傾けた。陛下が皇太子時代の一九七五年、初めての沖縄訪問後に詠んだ沖縄地方の言葉による琉歌に、皇后さまが曲をつけたものだ。
 
◆地上戦で県民が犠牲に
 「だんじゅかりゆし」とは船出を祝う沖縄の歌。両陛下が名護市のハンセン病国立療養所「沖縄愛楽園」を訪れた際、見送りの人々から歌声がわき上がった。
 その前日には激戦地だった沖縄本島南部の戦跡、糸満市のひめゆりの塔を訪れた両陛下に、火炎瓶が投げ付けられる事件が起きた。
 琉歌には両陛下の旅の安全を願う人々の歌声や笑顔を心に留める陛下のお気持ちが詠(うた)われている。
 陛下の沖縄訪問は、この皇太子時代を含めて十一回に上り、糸満市摩文仁の国立沖縄戦没者墓苑など南部の戦跡を必ず訪れている
 
 父である昭和天皇は沖縄訪問を切望し、八七年の沖縄国体に出席の予定だったが、手術のため見送られ、天皇としては訪問できなかった。その名代が、皇太子時代の今の陛下である。
 天皇ご一家は「日本ではどうしても記憶しなければならないことが四つある」として、広島、長崎に原爆が投下された八月六日と九日、終戦の日の八月十五日に加えて、沖縄で組織的戦闘が終わった六月二十三日にも毎年、黙とうをささげてきた、という
 
◆天皇制支配と別の歴史
 式典での「記念演奏」に琉歌が選ばれたのも、天皇陛下の沖縄への思いを考えれば、ごく自然の流れだったのかもしれない。
 では、なぜ陛下が沖縄に深い思いを寄せてこられたのか。
 沖縄戦では当時六十万県民の四分の一もの人々が犠牲になった。天皇の名の下に始まった戦争の犠牲者慰霊こそ天皇の務めとされているのだろう。
 それだけでなく、沖縄が近世まで天皇制支配の枠外にあり、戦後も一時期、本土と切り離された歴史と無関係ではあるまい。
 沖縄にはかつて「琉球国」という日本とは別の国家があり、江戸時代の薩摩藩による侵攻を経て、明治時代の琉球処分で日本に組み込まれた。明治期に沖縄は徐々に日本に「統合」されたが、敗戦で再び本土から切り離された。
 昭和天皇は米軍による沖縄の長期占領を望んだ、とされる。この「沖縄メッセージ」を巡っては沖縄を切り捨てたという議論や、潜在的主権を確保する意図だったなど、さまざまな議論はあるが、五二年のサンフランシスコ講和条約発効後も、沖縄では七二年まで米軍による統治が続いた
 
 国民主権、戦争放棄、基本的人権の尊重を三大理念とする日本国憲法が適用される本土復帰まで、沖縄は人権無視の米軍統治に苦しんだ。陛下の思いはこうした苦難にも向けられているのだろう
 沖縄には今も在日米軍専用施設の70%が集中し、県民は重い基地負担に苦しんでいる。
 日本国憲法は天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定める。
 天皇陛下は二〇一六年、退位の意向をにじませたおことばで「天皇が国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を内に育てる必要を感じてきました」「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、天皇の象徴的行為として大切なものと感じてきました」と述べている。
 日本と別の独立国だった歴史を持ち、戦後の一時期は異国支配の苦難を強いられ、今も米軍基地の過重な負担に苦しむ沖縄。だからこそ、繰り返し訪問し、県民の苦難と向き合うことで「国民統合の象徴」としての務めを果たそうとされているようにも映る。
 
◆令和の時代に引き継ぐ
 新天皇に即位する皇太子さまは皇太子になる前の八七年に初めて沖縄を訪れ、南部戦跡も訪問された。皇太子となった後も沖縄を訪れるとともに、沖縄の小中学生による「豆記者」と毎年会い、記者会見で「沖縄の文化とともに、沖縄での地上戦の激しさについても伺った」と紹介している。
 戦争犠牲者を慰霊する役目と、多くの苦難を余儀なくされた県民に寄り添う国民統合の象徴としての務め。それらを誠実に果たそうとするお気持ちは新しい天皇に受け継がれるべきだろう。

現代のファシズム(民主主義の死)は「選挙」から始まる

 民主主義の対極にあるファシズムは、狡猾で冷酷なリーダーに大衆が騙されて成立するものと漠然と思ってはいないでしょうか。
 
 ヒトラーが率いたナチスドイツは、選挙で比較第1党になって政権に就くと、すぐに「国会焼き討ち事件」が起こり(を起こし)、それを(比較第2党であった)共産党の仕業だとして数千人を逮捕勾留しました。その後は次々と反政府勢力を逮捕して恐怖感を浸透させ、最終的に反対勢力を完全に沈黙させることであの恐怖政治を完成させました。
 
 第二次大戦後、この悪夢を繰り返してはならないと人々は肝に銘じた筈ですが、現実には、教育基本法改正、国歌・国旗法、秘密保護法や共謀罪法などの制定により道具立ては既に整っていて、あとはいつ「国会焼き討ち事件」を起こすかだけのことになっています。
 重大なことは、その道具を作ることに最も熱心な人間を、国民が選挙によって(間接的に)リーダーに選出したことです。
 
 日刊ゲンダイが「  民主主義は消滅の危機」とする記事を出しました。そのベースになった一つが、3月30日付の東京新聞の「考える広場・我が内なるファシズム」でした。
 それらを読むと、選挙で結果的にファシズムを選び取ってきたのは他ならぬ私たちであることを自覚させられます。二つの記事を紹介します。
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巻頭特集
国民はファシストを望むのか 令和で民主主義は消滅の危機
日刊ゲンダイ 2019年4月28日
 平成が終わり、令和を迎える。果たしてどんな時代になるのか。せめて、マトモな政治に期待したいが、絶望的な気分になってくる。平成という時代をひと言で振り返れば、最後の最後になって、民主主義が徹底的に破壊され尽くされた時代ではなかったか。選挙は行われるが、形だけ。実際は1党独裁、安倍様ファシズムの時代ではないか。ファシズム研究の第一人者、慶大教授の片山杜秀氏は3月30日付の東京新聞、<考える広場 我が内なるファシズム>でこう書いていたほどだ。
 
現実主義の自民党と理想主義の社会党が対立した五五年体制が崩壊し、現実主義の政党ばかりになった。似たような価値観の政党ばかり。その中では、経験豊富な自民党が選ばれやすい
「政治主導」の名の下に内閣人事局が設置され、内閣に官僚は抵抗できなくなった。今の内閣は各官庁の情報を吸い上げて力が肥大化し、戦前・戦中にはなかった強力なファシズム体制を実現させたと思います〉
 
 似たような政党ばかりだから、「それならば、一日の長で自民党を選ぼう」となる。何度やっても安倍自民党が勝つものだから、人事権を押さえられている官僚も逆らえず、言いなりになる。内閣に不利な情報は隠蔽、改ざんされ、忖度が横行し、ますます1強政権がのさばる。片山氏が指摘する通り、安倍政権はすでに「強力なファシズム体制を実現させた」ということだ。しかも、それが「政党に差異がない以上、経験豊富な自民党」という選挙民の意思によるものなのだから、絶望的になってくる。
 
 元外務省国際情報局長の孫崎享氏も嘆くひとりだ。
「例えば、米国の民主党は世論調査をもとに国民目線に立った政策を訴え、共和党のトランプ政権を本気で倒そうとしている。しかし、日本の野党は国民が何を望み、どんな政策を訴えれば支持が得られるのかを勉強していない。ハッキリ言って努力不足なのです」
 日本では、米国のサンダースのような候補者がてんで出てこないのだから、どうしようもない。選挙民は選択肢のない絶望から、安倍ファシズムを選んでしまう。令和になってそれが変わるのか。ますます、こうした傾向が強まるのではないか。令和で民主主義は「消滅危機」と言ってもいいのである。
 
■現代の民主主義の死は「選挙」から始まる
 ともにハーバード大教授のスティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット両氏の共著「民主主義の死に方~二極化する政治が招く独裁への道~」(邦訳・新潮社)によると、かつての民主主義は革命やクーデターによって死んだが、現代の民主主義の死は「選挙」から始まる、という。
 
「選挙」というプロセスを経た強権的なリーダーが、異論を唱える政敵やメディアを公然と批判して二極化を促す。そして、司法機関などを支配して対立相手を恣意的に罰し、選挙制度や憲法を変えて独裁体制を確立させるというのだ。この指摘には背中が寒くなるではないか。
 少数野党の意見に全く耳を貸さず、アリバイ的に審議時間だけを重ねて強行採決を繰り返す「アベ政治」。こんな政治が常態化したのも、選挙を経て衆院で3分の2超という圧倒的多数の議席を確保したからだ。安倍首相が特定メディアを名指しで批判している姿も同じ。そうやってケンカを仕掛け、二極化を促す。そういえば、イタリアのムソリーニやドイツのヒトラーも選挙の大勝によって、「ファシズム」を完成させた。「ファシズム」とは、ある日突然、ファシストが登場して、国民の権利を制限するのではなく、選挙民が強大な権力を与えた結果、暴走するものなのである。
 当時のイタリアもドイツも国民の間には経済的な不満が渦巻いていた。独裁者はそれを利用し、巧みなプロパガンダで民衆を洗脳した。当時と今はそっくりだし、問題は、この傾向が日本だけではないことだ。
 
経済のグローバル化で格差拡大、右傾化が加速
 9日に投開票されたイスラエル総選挙では、ネタニヤフ首相率いる右派政党リクードが勝利。昨年は、ハンガリーで反移民政策を掲げたオルバン首相率いる右派フィデス・ハンガリー市民連盟が圧勝した。
 ロシアのプーチン大統領やトルコのエルドアン大統領ら、ファシズム化が懸念される政権を挙げればキリがない。
 これらの政権に共通しているのが、「危機」や「脅威」を訴えて自分の政権運営を正当化し、反対勢力を封じ込めて民主主義を「破壊」するやり方だ。例えば、エルドアン大統領は一部の国軍クーデター未遂を理由に世論不安を煽り、多数の兵士や公務員、記者を拘束した揚げ句、大統領に権限を集中させる憲法改正を実施。プーチン大統領も、チェチェン共和国の「独立派によるテロ」を口実に「垂直の権力」と呼ばれる体制を構築した。
 人権監視団体「フリーダムハウス」が2月に公表した「世界の自由度調査」によると、世界の自由度は13年連続で低下。今や世界中で「民主主義」は後退する一方だ。
 
■右派政治家は大衆の不満を煽って支持を集める
 埼玉学園大学経済学部教授の相沢幸悦氏は「巨大な資本主義による経済のグローバル化が世界中で富裕層と貧困層の格差拡大を招き、右傾化の動きを加速させた」と言い、こう続けた。
「先進国、途上国に限らず、今やどの国でも人々の不満が高まっており、その怒りの矛先が外国人や移民に向けられつつあります。米国第一主義を掲げる米トランプ大統領が象徴的ですが、EU加盟国で起きている移民排斥の運動もその流れでしょう。日本を含む右派思想と呼ばれる政治家はその大衆の不満を煽り、支持を集めているのです。世界経済の減速が叫ばれる中、こうした動きはさらに強まるでしょう」
 
 法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)は「選挙という民主的な手続きを経て権力を集中させた上で、やりたい放題を正当化するのが現代の『ファシズム』。選挙制度、主権者教育など、あらゆることを見直さないといけない」と言った。
「令和」は戦前に逆戻りなのだろうか。
 
 
【考える広場】 我が内なるファシズム
東京新聞 2019年3月30日
 イタリアでファシズムが芽を出すのが一九一九年。ヒトラーもその年にナチスに入党した。第二次世界大戦で一掃されたはずのその思想は…。百年後の今、自分の中に潜むファシズムを考える。
(中 略)1929年の大恐慌を背景に、ファシズムは欧州や南米諸国に広がり、ドイツではヒトラーが、スペインではフランコが政権を握った。
 
◆非選挙組織で歯止め 甲南大教授・田野大輔さん
 学生に同じ制服を着せ、野外で行進や他者への糾弾を行わせる「ファシズムの体験学習」という授業をしています。
 糾弾では仕込みのカップルに全員で怒号を浴びせますが、そうしているうちにだんだんと参加者の声が熱を帯びてきます。そこには「許されていることだから構わないだろう」という「責任感のまひ」が見られます。
 それと同時に、参加者はちゃんと声を出さない人を見ていら立ちを覚えるようになります。「集団の力」を実感し、一緒に行動することを義務と感じる「規範の変化が起きるのです。
 
 権力の後ろ盾があればいとも簡単に、社会的に許されないことができてしまう。これは一九三八年にナチスが扇動・主導した「水晶の夜」と呼ばれる反ユダヤ主義暴動とも符合します。
 そうした危険は今の日本も無縁ではありません。ファシズムとポピュリズム(大衆迎合主義)には類似性があります。分かりやすい敵を攻撃し、これによって人々の欲求を発散させるという、ある種の「感情の動員」をめざす点です。
 
(中 略)ナチスによる演出は従来、うそにまみれたプロパガンダ(宣伝)と考えられてきましたが、そうした見方は「民族共同体」の実現に向けたナチスの努力、人々がそこに見いだした真正さを軽視しています
 ドイツの国民はだまされて動員されたのではありません。自ら積極的に隊列に加わったのです。(中 略)
 国民の現実的な支持を得たファシズムをどう防ぐか。私たち一人一人の意識の持ち方も重要ですが、最後の歯止めは司法やジャーナリズムなどの選挙で選ばれない組織です。民主主義を存続させるには、非民主主義的な安全装置が必要なのです。(聞き手・大森雅弥)
 <たの・だいすけ> 1970年、東京都生まれ。専門は歴史社会学。博士(文学)。著書に『愛と欲望のナチズム』(講談社)、『魅惑する帝国-政治の美学化とナチズム』(名古屋大学出版会)など。
 
◆制御し続ける努力を 作家・深緑野分さん
(前 略)ファシズムは第二次大戦を象徴する言葉なので、終戦とともに消えたように思われがちですが、そうではありません。多分、私を含めて誰もがファシズム的志向の要素を持っていると思います。
 差別をしたい、極端な保守主義に走りたいという願望を人は誰でも持っています。(中 略)しかし、それを消すことはできません。どうコントロールできるかにかかっています
 
 人間は自信を失うと、ファシズム的なものが心地よくなります。誰かが叫ぶ。「私たちが苦しんでいるのは、あいつらのせいだ」。多くの人が同調し、熱狂の中で「あの人たちは敵ではない」という声はかき消されてしまう。より怖いのは、排斥を扇動した者が悪の化身というわけではなく、自分が正しいと心から信じている場合です。(中 略)
 アウシュビッツから生還したユダヤ系イタリア人作家プリーモ・レーヴィが書いています。平和と呼ばれているものは実は休戦状態でしかない。休戦を一日でも延ばすしかわれわれにできることはない-。
 ファシズムは今も私たちの隣にあります。(後 略) (聞き手・越智俊至)
 <ふかみどり・のわき> 1983年、神奈川県生まれ。書店に勤めながら執筆し2013年に『オーブランの少女』でデビュー。『戦場のコックたち』『ベルリンは晴れているか』が直木賞候補に。
 
◆国難で一気に加速も 慶応大教授・片山杜秀さん
「ファッショ」はイタリア語で「束(たば)」です。天皇を「現人神(あらひとがみ)」として国民を束ねたという意味で、明治の国家体制はファシズムと適合的でした。
 しかし、いわゆる「日本ファシズム」が「未完のファシズム」に終わったのも、明治憲法に権力が分散する仕組みがあったためです。国会は貴族院と衆議院に分かれ、一方が法案を否決すれば即廃案。総理大臣の力は今より弱く、行政には枢密院という内閣のチェック機関もあった。陸海軍は天皇の直属です。近衛文麿は大政翼賛会をつくり、東条英機は総理大臣と陸軍の参謀総長などを兼職して、権力を束ねようとしたが、右翼から「天皇に畏れ多い。ファッショだ」と批判されました。
 
 それと比べると、現在の憲法の方がはるかに強力に権力を束ねやすい。議院内閣制で、国民が選んだ国会が、三権分立のうち立法と行政の二つを握ります。衆参両院で意見が分かれても、衆院優越の原則があります。
 冷戦後、権力の「束」はさらに強くなりました。まず現実主義の自民党と理想主義の社会党が対立した五五年体制が崩壊し、現実主義の政党ばかりになった似たような価値観の政党ばかり。その中では、経験豊富な自民党が選ばれやすい
 
 さらに「決められない政治」として派閥や官僚が批判され、「政治主導」の名の下に内閣人事局が設置され、内閣に官僚は抵抗できなくなった。今の内閣は各官庁の情報を吸い上げて力が肥大化し、戦前・戦中にはなかった強力なファシズム体制を実現させたと思います。
 政治主導を主張したのはリベラルな政治学者やマスコミも同じです。現在の「安倍政治」は勝手に出てきたわけではない。冷戦後の流れの中でおのずと出てきた一つの答えなのです。ヒトラーもムソリーニも、経済危機を立て直そうと出てきました。北朝鮮の動向や米中枢同時テロで「テロとの戦い」「常に危機だ」との論法が成立するようになり、米国や中国も個人情報の把握を正当化しています。
 
 治安や国防に加え、日本には津波や地震もある。国民に「危機」を訴える生々しい要素です。もし災害や経済危機など本当の「国難」が起きれば、安倍政治で準備されたファシズム的な方向に一気に進む可能性があります。「未完」ではない日本ファシズムが生まれるかもしれません。 (聞き手・谷岡聖史)
 
 <かたやま・もりひで> 1963年、宮城県生まれ。専門は近代政治思想史、音楽評論。著書に『未完のファシズム』、『現代に生きるファシズム』(佐藤優氏との共著、近刊予定)など。