2012年7月12日木曜日

【憲法制定のころ 3】9条はどのように審議されたか?

 9条の改正を主張する人たちは、国の自衛権まで否定するのはおかしいと言います。それでは新憲法制定の審議に当たって、どのような議論が行われたのでしょうか。
 
1 成立までの審議経過
新憲法の政府案は、1946年6月20日に衆議院帝国議会に提出されました。そして衆院本会議で25日~28日の4日間審議された後、憲法改正案委員会(委員長:芦田均)に移され、そこで6月29日から7月23日まで合計20回の審議を行いました(9条の審議はそのうち9回)。
次いで7月23日に憲法改正委員小委員会を作り、7月25日から8月20日まで合計13回(9条に関してはそのうち4回)にわたり審議し修正案を作成しました。
それらの審議が終了して8月24日の衆院本会議に上程するにあたり、芦田委員長は「委員会では9条の問題が最も熱心に議論された」と報告しました。
そして同日、憲法改正案は賛成421票、反対8票で可決されました。
その後、貴族院で若干の字句修正ののち3分の2以上の多数で可決され、衆議院の同意、枢密院での審議等の所定の手続きを経て成立しました。
 
2 衆院本会議での審議
以下に9条に関する質疑応答の要旨を極く簡単に、ピンポイントでピックアップしました。(3も同じ)
(数字の 6・25 は6月25日の意味。以下同)
2-1 6・25
自由党 北:敗戦で武装解除された国が、「戦争をしません」と言うだけでは説得力がない。進んで永世中立運動を起こしてはどうか。
吉田首相:戦争放棄の条項を入れて日本が平和主義。民主主義に徹することで、世界の平和諸国家のさきがけになるという考えである。
2-2 6・26
日本進歩党 原:戦力の保持がなくては自衛権を全うできないが、自衛権までも放棄したのか。
吉田首相:9条第1項では直接的には自衛権を否定していないが、自衛権の発動としての戦争を放棄している。近年の戦争は多く自衛権の名において戦われたもので、満州事変も大東亜戦争もそうであった。
日本社会党 鈴木:戦争を放棄する以上、国際連合に安全保障を要求する必要があるが・・・
金森大臣:国連加入の希望を述べるにはまだ時期が適当でない。
2-3 6・27
日本進歩党 吉田:戦争放棄の精神を国内的に徹底させなければならない。
金森大臣:9条第1項は世界に類例がないわけではないが、第2項の戦力の不保持は名実ともに平和に進むことを示した。他国に先んじて一大勇気をもって模範を示したい。
2-4 6・28
日本共産党 野坂:「戦争の放棄」ではなくて「侵略戦争の放棄」が的確ではないか。また平和教育はどのようになされているのか。
吉田首相:近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われてきた。国際連合組織が樹立された場合には、国家の正当防衛権を認めること自体が有害である。
田中文相:教員の再教育を行い、過去の教育の誤りを反省し、民主主議・平和主義を徹底させたい。
 
3 憲法改正委員会での審議
3-1 7・2
日本社会党 黒田:単に戦争を放棄するだけでは消極的なので、「積極的に平和を愛し、国際信義を重んじることを国是とする」等のことを前段に加えてはどうか。
金森大臣:平和への志向は前文の中で明らかにしているので、9条は簡潔になっているが、十分な熱意は込められていると考える。
3-2 7・4
協同民主党 林:先に首相が「真の世界平和建設の大理想のためには、国家の自衛権も放棄すべき」と答弁したのには感銘を受けた。
吉田首相:今日までの戦争の多くは自衛権の名によって始められた事実があり、自衛権による戦争と、侵略のための戦争の二つの交戦権に分けて論じること自体が有害無益である。国際連合組織が樹立されれば、侵略戦争は抑制され、侵略戦争が絶無となれば自衛権による交戦権も自然消滅する。
3-3 7・5
新政会 赤沢:「他国との間の紛争の解決手段としては、」という限定条件をつけた理由は何か。
金森国務大臣:文字で示した以外のものはない。
新政会赤沢:であればその文言は不必要ではないか。
3-4 7・9
新光クラブ 藤田:交戦権を放棄する以上、侵略を受けた場合の、国際的な安全保障は得られているのか。具体的な根拠と自信がなくてはならない。
金森大臣:日本が捨て身になって世界の平和維持の礎をつくろうという一大決心に基くものである。国際法の援用によって安全保障を得たいが、いまはそれを主張できる立場ではない。
日本社会党森:いまは国際的な安全保障は得られないにしても、将来はどうなのか。
吉田首相:国際連合憲章第43条に、「どの国であれ侵略戦争をするものには制裁を加える」とあるので、制裁が加えられる。日本への侵略が起きた場合は、連合国が挙って日本の平和を保護することに、理論的にはなっている。
日本社会党 森:前文の、自国の安全と生存を、平和を愛する諸国民の公正と信頼に委ねよう、というのは弱々しいのではないか。
吉田首相:平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼するのであって、平和愛好国の先頭に立って他国を率いて行く、という積極的な精神が込められている。
芦田委員長:日本は戦争の防止、戦争の放棄の大理想を通じてのみ、再建と独立の大道を歩むことが出来るのだと思う。
金森大臣:戦争放棄を憲法に盛り込んだ趣旨はその通りである。
3-5 7・11
日本共産党 野坂:前文の「政府の行為によって」戦争が起るのは当然のことであるから、「侵略的な意図を持って再び戦争の惨禍を云々」と言う方が正確ではないか。
金森大臣:全ての戦争が自衛戦争の名を借りて起きたことを考えて、区別することなく「戦争一般」をなくすことを決意する、という態度をとった。
3-6 7・13
日本進歩党 山田:戦争放棄というのは日本語としておかしい。「戦争権の放棄」または「戦争の否認」が正しい。
金森大臣:戦争の「否認」、戦争の「否定」、戦争の「断念」等々を検討したが、すべて語弊があって思わしくなかった。かつて不戦条約を締結したときに「戦争の放棄」を使ったので、その慣例によった。言葉としては不自然かも知れないが却って人々の心に浸み入りやすく効果的だ。
3-7 7・15
無所属クラブ 笠井:国際連合憲章第43条に、各国は安全保障理事会の要請に応じて武装軍隊を動かすことが規定されているが、将来国連に加盟するときに、軍備がなくてもいいのか。
吉田首相:まだ日本には国連に入る資格がないので、すべては講和条約が結ばれた後のことである。
無所属クラブ 笠井:国連加盟国が日本の平和愛好の精神を了解するように政府は努力して欲しい。
吉田首相:機会があるごとに9条の精神を徹底したい。国連加盟時に日本が軍備を持たないことをどう考えるかは国連が決める問題で、日本はその意向を聴くべき立場にある。
 
4 小委員会の設置
7・23の第20回委員会で論議のまとめが行われ、条文の修正案をまとめるための憲法改正案委員小委員会が結成されました。委員会は計13回(うち9条に関しては4回)行われ、最終的に9条の条文は次のように修正されました。
 
【当初の政府案】 (茶色文字は修正される箇所)
第9条 国の主権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、他国との紛争の解決の手段としては、永久にこれを放棄する。
 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。
 
【委員会の修正案】 (茶色文字は追加・修正した箇所)
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 
第1項の頭に加えた字句は、「単に戦争を放棄するだけでは如何にも消極的で国際社会にあまり訴えない、むしろ日本は国際平和のために積極的に戦争を放棄する、ということを宣言すべきだ」という主張が、審議の中で繰り返されたことによるものです。また第2項の頭の追加は、「本来は第1項の字句と同じで良いのであるが、それでは同じ字句が並ぶので『前項の目的を達するため、』と言い換えた」と説明されました。(注)
(注) この修正は「芦田修正」と呼ばれました。第2項に「前項の目的を達するため、」を挿入した意図についてはGHQが大いに関心を示し、極東委員会の中国代表は、再軍備の足がかりにしようとしているのではないか、との危惧を表明したということです。
 
以上見て来たように、議会・委員会での議論は9条、とりわけそのうちの「自衛権の放棄」に集中した感がありました。
政府の見解は「従来、自衛権の名の元に戦争が行われた事実があるので、自衛のための戦争かどうかなどの区別は無用である。戦力は一切持たず、交戦権は一切放棄し、捨て身になって国際平和の礎となる」ということで、終始一貫していました。それは過去の戦争を反省し世界平和への理念を語るもので、平和憲法の精神に完全に則ったものでした。
 
 ※この記事は下記を参考にしました。
    「検証・憲法九条の誕生」(岩田行雄 編著 自費出版)
  インターネットで当時の本会議、委員会議、小委員会議の全議事録が閲覧できます。
    衆議院第90回帝国議会本会議録
    衆議院第90回帝国議会委員会議録
    衆議院第90回帝国議会小委員会議録