2026年4月6日月曜日

123便犠牲者遺族「魂の叫び」/GHQG2とCIAの政治工作(植草一秀氏)

 植草一秀氏の掲題の2つの記事を紹介します。
1番目の記事)
 1985年8月12日、日航123便が群馬県御巣鷹の尾根に墜落し、520名が死亡するという世界最大で、日本史上最悪の航空事故が起きました国の事故調査委員会は「尾翼部の圧力隔壁の修理ミスに拠って飛行中に破断し、それにより尾翼が吹き飛んで操縦不能に陥った」と結論づけました。
 実際は、「尾翼に自衛隊の訓練用標的機が衝突して破損させた」と推定され、その事実が明らかになることを避けるため「自衛隊の戦闘機が御巣鷹山に誘導して墜落させた」ものと考える方が合理的との考察が公表されています。そう考える方が、政府は墜落地点の詳細を隠したまま夜を徹して墜落地点を火炎消火器で焼き尽くすなどの、証拠隠滅を図ったことの説明がつきます。
 乗客で生き残った人は旅客機の最後尾の座席にいた人で、この部分は墜落時の衝撃で本体から離れた場所まで飛ばされて山陰に落下したため、深夜に現場作業をしていた人たちからは発見されなかったためでした。
2番目の記事)
 敗戦後の日本統治を主導したGHQの中核は米国で、統治の前半を担ったのはGHQ・GS(民政局)でした。
 そこでは財閥解体、農地解放、労働組合育成などの施策が一気に進み、「戦後民主化」が一気呵成に成し遂げられました。その戦後民主化の集大成が日本国憲法制定でしたが、土着の憲法にするための精密な検討が加えられ制定されました。決して「押しつけられた憲法」ではありません。。
 ところが憲法が施行された1947年5月の直前に、トルーマン大統領により米国外交の基本が「ソ連封じ込め」に転換し、これに連動して日本の「民主化」に猛烈なブレーキが掛けられました。
 日本統治の担当部署はGHQ・G2(参謀2部)に変わり、「逆コース」が進められました。日本に米国への政治的服従を強要し、米国の命令に服従する日本政府が構築されました。そしてCIAが資金を投下して1955年に保守合同が実現し自由民主党が創設されました。
           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
123便犠牲者遺族「魂の叫び」
             植草一秀の「知られざる真実」 2026年4月 4日
4月4日の午後、東京都世田谷区三軒茶屋のコミュニティセンターで講演会が開かれた。
講師は小田周二氏。小田氏は1985年8月12日に墜落した日航ジャンボ123便犠牲者の遺族。ご子息(15歳)とご息女(12歳)、親戚3名の合計5名を失った。
遺族として123便墜落の真相究明の活動を続けられている。小田氏は奈良県生まれの89歳。
現在は神奈川県に在住。大阪大学工学部応用化学科化学工学修士課程修了。
遺族として墜落の原因の究明、真相の解明などを求め、日本航空と「技術会議」を開催するなど精力的に活動されている。

著書に
『日航機墜落事故 真実と真相 御巣鷹の悲劇から30年 正義を探し訪ねた遺族の軌跡』
524人の命乞い 日航123便乗客乗員怪死の謎』
『永遠に許されざる者 日航123便ミサイル撃墜事件及び乗客殺戮隠蔽事件の全貌解明報告』(以上文芸社)がある。

民間航空機史上、最大、最悪の事故。乗員乗客520名が犠牲になった。うち一人は懐妊していた。胎児を含めれば521名の尊い命が奪われた。
しかし、墜落の真相は明らかにされていない。

123便には「異常外力の着力」があった。機体に爆発音が響いたその瞬間に「異常外力」の着力があった。何らかの物体による巨大な外力が123便の外部から着力したと考えられる。
もっとも有力な仮説は自衛隊の演習用の標的機かミサイル、あるいはその両方が123便に着弾したというもの。この「異常外力着力」によって123便は垂直尾翼を失った。

静岡県伊東市に近い相模湾の上空。この日は相模湾で日米合同演習が行われていたと考えられる。垂直尾翼が失われ、123便は油圧による操縦不能に陥った。
油圧による操縦が不能になれば旅客機は1分程度で墜落する。しかし、123便は墜落しなかった。高濱機長、佐々木副操縦士が危機に対応し、油圧による操縦が不能になった123便をエンジン出力の調整でのコントロールに成功した。

小田氏はこう推察する。高濱機長と佐々木操縦士はエンジ出力の調整による操縦を敢行した。
123便は静岡県藤枝市上空で北に進路を変更。さらに、大月市上空で123便は丸1周の旋回をしている。123便のコントロール力を確認したのではないか。
123便は丸一周の旋回を終えたあと、米軍横田基地に向かった。123便は横田と交信し、横田着陸を企図したと考えられる。

ところが、最終的に横田着陸を認めない決定に遭遇する。その後、群馬山中に誘導されて高天原山中腹に墜落した。
小田氏はこの仮説を提示された。横田着陸が拒否された理由は123便事故の原因が公になること。自衛隊の不祥事が明るみに出る。これを回避するために横田着陸を拒否した。
群馬山中に誘導されて墜落した。

墜落直前、高度を上げるために片側のエンジンの出力を上げた。
これが原因になり、123便は135度裏返り、機体後方部分が木に激闘して落下。
残りの機体は山腹に突撃した。後方部分だけが切り離され、他の部分と大きく離れた地点に落下したため、この部分から4名の生存者が生まれた
あくまでも仮説だが、仮説の真偽を明らかにする方法がある。
しかし、それが実行されていない。

続きは本日のメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」4384号
「情報開示求めるべき自衛隊関係者」 でご高読下さい。
月初のこの機会にメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」ご購読をぜひお願いします。https://foomii.com/00050
                 (後 略)
 
 
GHQG2とCIAの政治工作
               植草一秀の「知られざる真実」 2026年4月 3日
日本の最大の課題は対米自立。
第二次大戦で日本は敗北した。実行すべきでない戦争に日本は突き進んだ。
列強の時代、日本は欧米列強に対抗しようとした。しかし、そのような国力はなかった。
この過程で日本は進路を誤った。アジア諸国に対して侵略と植民地支配の過ちを犯した。

1995年の村山首相談話は日本の過去についての真摯な反省と謝罪を明記したものである。
二度と同じ過ちを繰り返してはならない。
敗戦後の日本統治を主導したGHQの中核は米国だった。米国が主導するGHQの指揮下で戦後日本の骨格が形成された。
しかし、GHQによる日本統治は前期と後期で激変した。埋めがたい断層がある。
この点を認識することが戦後史理解の核になる。

GHQ統治の前半を担ったのはGHQ・GS(民政局)だった。
フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策の路線を引き継ぐ「ニューディーラー」と呼ばれる人々がGSを主導した。GSが主導して「戦後民主化」が一気呵成に成し遂げられた。財閥解体、農地解放、労働組合育成などの施策が一気に成し遂げられた

その戦後民主化の集大成が日本国憲法制定だった。
憲法制定が半年遅れていたら、憲法はまったく違うものになった可能性が高い。
日本国憲法こそ日本が世界に誇る「世界遺産」と称することのできるもの。
憲法制定を主導したのはGHQだが国内議論を省略したわけではない。土着の憲法にするための精密な検討が加えられて憲法が制定された。「押しつけ憲法」論は正当でない

世界に誇ることのできる憲法が制定され、施行された。
憲法が施行されたのは1947年5月だが、直前に重大変化が生じた。トルーマン大統領が米国外交政策の大転換を宣言した。
いわゆる「トルーマン・ドクトリン」。米国外交の基本が「ソ連封じ込め」に転換した。
これに連動して対日占領政策の基本が大転換した。「民主化」に猛烈なブレーキが掛けられた

全体主義軍国国家日本を主導した人物が公職から追放されたが、その動きが逆流に転じた。
思想統制が強化され、公職追放者の復帰が推進されるとともに、革新主義者の排除=レッド・パージが強行された。
GHQトップのマッカーサーがトルーマンと犬猿の関係であったことから日本の「逆コース」進展は時間を要するものになったが、方向が大転換したことは間違いない。
「逆コース」を契機に米国は日本の米国への政治的服従を強要した。米国の命令に服従する日本政府が構築された。

「逆コース」を主導したのはGHQ・G2(参謀2部)である。1947年から1952年にかけて日本で多数の怪事件が発生したが、その大半はGHQ・G2が関与したものであると考えられる。
GHQ・GSが主導した日本における政治工作を継承したのがその後のCIAである。
CIAは日本政治の中枢を支配し続けるためにさまざまな工作活動を展開した。
CIAが資金を投下して1955年の保守合同が実現したこともよく知られている。
この保守合同で創設されたのが自由民主党である。

敗戦から80年の時間が経過したが、いまなお日本は米国の支配下に置かれている。
この間、米国は米国による日本政治支配の障害になる人物の排除を実行し続けてきた。
石橋湛山、鳩山一郎、田中角栄、細川護熙、鳩山由紀夫の各氏などが米国の工作で排除されてきた。

続きは本日のメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」4383号
「中川昭一財務相酩酊会見の闇」 でご高読下さい。
月初のこの機会にメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」ご購読をぜひお願いします。
https://foomii.com/00050
                 (後 略)