26日に北陸電力志賀原発(石川県)1、2号機の運転差し止めを求める請求(訴訟)が出されました。今年4月23日の柏崎・刈羽原発運転差し止め訴訟に続くものです。
志賀原発では、1999年に第2号機の建設差し止め請求が出され、2006年に「稼働中の2号機を止めるべし」とする画期的な1審判決が下されました。しかし控訴審で逆転され、最高裁でそれが確定しました。
今回の提訴では、
「原発の周辺には複数の活断層があるのに、耐震設計においてそれらが連動することを想定していない。従って装置の耐震性は最新の知見に立脚していない不十分なものであって、原発の安全性は確保されていない。
一方住民には、事故や被害発生の不安のない、安全で平穏な環境を享受する権利がある。それゆえ北陸電力には、前審の確定後に起きた福島の事故を踏まえて、志賀原発では同様の事故が起きないという、『安全性』を証明する義務がある」
としています。
この訴訟に関連して日刊ゲンダイ27日号に、浜岡原発訴訟などこれまで10年に渡って各地の原発訴訟に関与してきた河合弘之弁護士の談話が載っています。同弁護士は、別のインタビューではもっと明確に、「裁判官に権力へのすり寄り志向がある」ことを指摘しています。※
そうであれば、福島原発事故という一大惨事を経験した今こそ、大いに改めて欲しいものです。「すり寄りの自由」であっては、『自由心証主義』が泣くというものです。
以下にその記事を紹介します。
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原発訴訟はこうして潰される
日刊ゲンダイ2012/6/27
志賀原発も住民らが提訴したが…
◆"安全神話"崩壊で司法の意識変わるか
「現行の原発の耐震指針には深刻な瑕疵がある」――。
きのう(26日)、石川、富山の両県の住民ら120人が北陸電力を相手取り、志賀原発の運転差し止めを求めて提訴した。地震発生時に原発周辺の複数の活断層が連動して揺れを大きくする危険性を想定していないことなどが理由だ。
日本の原発訴訟は、1973年の「愛媛の伊方原発1号機の設置許可取り消し訴訟」から始まり、住民側はことごとく敗訴している。勝訴したのは、85年の「もんじゅ」2審判決、99年の「志賀原発」1審判決の2回だけ。そのどちらも上級審で敗訴している。
「原発の安全神話が信じられてきたのは、裁判官も同じ」と言うのは、脱原発弁護団全国連絡会代表の河合弘之弁護士。浜岡、玄海原発をはじめ全国の原発で差し止め訴訟を起こしてきた。
「原告の敗訴が続いたのは、3つの理由があります。(1)ありもしないことを大げさに言う人たちだという原告・住民への偏見。(2)カッコつきの権威のある御用学者が安全だと言っている。(3)監督官庁が言うから確かだという行政に対する過度の信頼――が要因だったのです」
実際、過去の判例をみると、「反対ばかりしないで落ち着いて考える必要がある」(90年3月福島第2原発1号機訴訟の2審の仙台高裁判決)と原告を批判している。05年5月もんじゅ訴訟最高裁判決では、「安全審査の調査審議および判断過程に看過し難い過誤、欠落があるとは言えず、安全審査に依拠した処分が違法といえない」と、専門家の意見を丸のみ。07年10月浜岡原発訴訟の静岡地裁判決では、安政東海地震、宝永東海地震について、「このような抽象的な可能性の域を出ない巨大地震を国の施策上むやみに考慮することは避けなければならない」と行政をアシストした。
だが、福島第1原発事故により、“安全神話″は崩壊した。前出の河合氏はこう言う。
「これまで負け続けた理由はすべて打ち砕かれました。いまこそ、原発差し止め裁判が有効です。政府は原発を全て止めるのに年間3兆円かかるとして再稼働を認めました。
でも、日本の国富は3000兆円もある。後世に負担を残さないために増税したいというのなら、最終処理に10万年もかかる原発を止めるのが先でしょう」
司法の意識は変わったのか。