櫻井ジャーナルに掲題の記事が載りました。
日本を含めて西側諸国は、ウクライナ戦争はロシアの一方的な侵攻によって起こされたもので すべてロシアに責任があるということで意思を統一しています。
問題は1991年に「ソ連」が崩壊したことで、元々ロシア領だったクリミヤ半島やドンバス地方がウクライナに統合されたことをベースにして、2014年に米国主導のクーデターでキーウ政権ができると直ぐにドンバス地方への迫害を始めたことで「内戦」になった、というのがそもそもの発端でした。
しかしキーウ軍が不利になると西側は「ミンスク1」、「ミンスク2」という欺瞞の停戦合意を結ばせて 以後約8年を掛けてキーウ政府軍の軍備を拡充させた後、2022年に米国のバイデンが盛んにプーチンを挑発して「特別軍事行動」を起こさせたのでした。
このところのトランプの介入でようやくウクライナ戦争が終戦に向かいつつありますが、西側諸国はウクライナ国での利権を保持するためにそしてゼレンスキーは身の安全のために、本心では終戦に反対しています。
2月6日、ロシア軍参謀本部情報総局アレクセーエフ第一副局長がモスクワの自宅前で背後から狙撃され重体になったテロ事件は、そうした終戦反対勢力によるものと見做されています。
これではトランプの目的も中々果たせません。
併せて「マスコミに載らない海外記事」の関連記事を紹介します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ウクライナでの戦争を継続させたい勢力が露軍の情報機関GRUの副局長を銃撃
櫻井ジャーナル 2026.02.08
ロシア軍参謀本部情報総局(GRU)のウラジーミル・アレクセーエフ第一副局長が2月6日、モスクワの自宅前で背後から狙撃されて数発が背中に命中、病院へ搬送された。重体だとされている。
アラブ首長国連邦のアブ・ダビで行われているロシア、アメリカ、ウクライナの3カ国による会談へ派遣されたロシアの代表団はGRUのイーゴリ・コスチュコフ局長が率いていることから、今回の暗殺未遂はその代表団に対する攻撃と見做す人もいる。
アブ・ダビでの会談はすでに2度開催されているが、その直後、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキーは次回会合について、「おそらくアメリカで行われるだろう」と述べたが、これは会談を打ち切りたいという意思表明にほかならない。
また2月5日から6日にかけてOSCE(欧州安全保障協力機構)は事務総長のフェリドゥン・シニルリオグルと議長のイニャツィオ・カシス・スイス外相をモスクワへ派遣、交渉団はロシアのセルゲイ・ラブロフ外相と会談した。
この会談ではウクライナ戦争終結に向けての取り組み、公正かつ永続的な平和の実現に貢献するOSCEの潜在的な役割について議論されたと言われているが、この交渉に合わせてアレクセーエフを銃撃したグループが存在するわけだ。ロシアの重要人物を殺して感情的な行動をとらせて戦争を続けさせようとしたのだろう。
ウクライナに対してロシアとの戦争を続けるよう圧力をかけている勢力のひとり、マーク・ルッテNATO事務総長は2月3日、ウクライナ最高会議で演説、ロシアとウクライナの和平協定が締結され次第、直ちにイギリスとフランスで構成されるNATO軍をウクライナへ派遣すると宣言した。ロシアが軍事行動に出た理由はNATOの東方への拡大、つまり新たな「バルバロッサ作戦」を止めるためだ。ルッテはウクライナでの戦争を続けさせようとしている。銃撃はその3日後だ。
ルッテは演説を「ウクライナに栄光あれ!」で締めくくったが、これは第2次世界大戦当時、ファシストが使っていたスローガン。ルッテも和平を望んでいない。
ウクライナの治安機関SBU(ウクライナ保安庁)は以前にも戦争を終えるために行われていた交渉を潰すため、交渉団のメンバーを暗殺したことがある。2022年2月24日にロシア軍がドンバスに対する攻撃をはじめたが、その直後からトルコやイスラエルを仲介役として停戦交渉が始まり、合意に達している。仲介役のひとりだったイスラエルの首相だったナフタリ・ベネットは交渉の内容を長時間のインタビューで詳しく話している。
ベネットは2022年3月5日にモスクワへ飛んでプーチン大統領と数時間にわたって話し合い、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領を殺害しないという約束をとりつけることに成功、その足でベネットはドイツへ向かってオラフ・ショルツ首相と会った。SBUはその3月5日、キエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームで中心的な役割を果たしていたデニス・キリーエフを射殺している。
停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われ、やはり停戦でほぼ合意に達していた。その際に仮調印されているのだが、「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案をプーチン大統領はアフリカ各国のリーダーで構成される代表団が2023年6月17日にロシアのサンクトペテルブルクを訪問した際に示している。
こうした和平交渉を止めるため、イギリスの首相だったボリス・ジョンソンが2022年4月9日にキエフへ乗り込み、ゼレンスキー大統領に対して戦争継続を命令(ココやココ)、4月30日にはアメリカ下院のナンシー・ペロシ議長が下院議員団を率いてウクライナを訪問、ウクライナへの「支援継続」を誓い、戦争の継続を求めた。
ウクライナでの戦乱は2014年2月にバラク・オバマ政権がネオ・ナチを使い、暴力的にビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したところから始まる。このクーデターはキエフで実行されたのだが、ヤヌコビッチの支持基盤である東部や南部の住民はクーデター体制を拒否、南部のクリミアは素早くロシアと一体化し、東部のドンバス(ドネツクとルガンスク)では武装抵抗が始まったのだ。その際、ネオ・ナチの集団はオデッサで反クーデターの住民を虐殺している。
ヘンリー・キッシンジャーも説明しているように、ロシアの歴史はキエフで誕生したキエフ・ルーシで始まる。宗教もそこから広がり、ウクライナは何世紀にもわたってロシアの一部だったが、その前から両国の歴史は複雑に絡み合っていた。
東部や南部はソ連時代、住民の意思に関係なくロシアからウクライナへ割譲されたのだが、その当時はソ連という同じ国だったことからロシアとウクライナは行政区画の問題にすぎず、大きな意味はなかった。
1991年1月20日にクリミアではクリミア自治ソビエト社会主義共和国再建の是非を問う住民投票が実施され、94.3%の賛成多数で承認されているが、その半年後、ウクライナの最高会議で独立宣言法が採択されて問題が浮上する。
ウクライナを征服しようとしていた西側諸国はクリミアの住民投票を無視、ウクライナの独立は認めた。こうした動きを潰すためにキエフ政権は特殊部隊を派遣してクリミア大統領だったユーリ・メシュコフを解任、クリミアの支配権を暴力的に取り戻している。
1991年12月8日にはロシアのエリツィン大統領、ゲンナジー・ブルブリス、ウクライナのウクライナのレオニード・クラフチュク大統領、ビトルド・フォキン首相、ベラルーシのソビエト最高会議で議長を務めていたスタニスラフ・シュシケビッチとバツァスラフ・ケビッチ首相がベロベーシの森で秘密会議を開き、国民に諮ることなくソ連からの離脱を決め、ソ連は消滅。ロシアとウクライナは行政区画の問題ではなく、国の問題になった。
日本にも「ウクライナ人」という均一な集団が存在していると考えている人がいるようだが、実態は違う。ロシアとウクライナは人の交流も盛んで、親戚はそうした区域をまたいで広がっている。特に東部や南部ではロシア語を話し、ロシア文化の中で育ち、ロシア正教を信仰、自分たちをロシア人だと考えている人が多いのだが、ウクライナではクーデター後、そうしたロシア文化圏の人びとを粛清する動きが強まり、東部や南部では武装抵抗が激しくなる。
クーデター直後、キエフのクーデター政権の基盤は弱く、ドンバスでの戦闘は反クーデター軍が優勢だった。そこで西側諸国は停戦を持ちかけ、ウクライナ、ドネツク、ルガンスク、ロシアは2014年9月と15年2月に停戦で合意している。いわゆるミンスク1とミンスク2だ。
この合意を利用してNATOはキエフへ兵器を供与、現役の兵士だけでなく青少年に対する軍事訓練を実施、戦力を増強した。ミンスク1とミンスク2が戦力回復のための時間稼ぎだったことはアンゲラ・メルケル元独首相やフランソワ・オランド元仏大統領が認めている。
テロと破壊工作:今や希望を失ったキーウ
マスコミに載らない海外記事 2026年2月 7日
ロレンツォ・マリア・パチーニ 2026年2月6日
Strategic Culture Foundation
ウクライナでの戦争は、資源や兵器や工業力の深刻な不均衡を特徴としている。それはあまりにも激しい肉挽き器となり、ウクライナ国民自身でさえ、もはや自らの指導者への信頼を失っている。アレクセーエフ将軍の暗殺によって情勢を変えようとする必死の試みは、あらゆる常識とバランスを無視した危険な行為だ。
最後の最後まで
ウォロディミル・ゼレンスキーとその犯罪組織がロシアとアメリカ合衆国の和解の試みに対して毅然とした態度を取るだろうと考えていた人は酷く間違っていた。
キーウでは、彼らにはもはや希望はなく、全てを失った時に何をすべきかは明白だ。不可能を追求し、あらゆる外交的解決策を阻止し、残されたものを破壊し、可能であれば事態をエスカレートさせる。それがウクライナを炎上させることであれ、未来を奪われた若者たちを今世紀最悪の戦争の塹壕で死なせることであれ、問題ではない。ゼレンスキーにとって唯一の解決策はロシアに危害を加えることで、彼は決してそれを止めない。
2026年2月6日朝、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)第一副長官ウラジーミル・アレクセーエフ中将が自宅で背中を数発撃たれた。緊急手術後、容体は重体だ。犯人は逃走した。
意図は極めて明確だ。キーウ政府はいかなる状況下でも平和を望んでいない。またしても、またしてもデモを起こし、彼らは平和を望んでいない。兵士が死に、人々が苦しむのを見たいのだ。平和への唯一の可能性を妨害した者として記憶されるのを望んでいるのではなく、平和の貢献者として記憶されることを望んでいるのだ。西側メディアはこの真実を否定し、これからも否定し続けるだろうが事実は変わらない。ウクライナ政府は平和を望んでいないのだ。
ロシア領土への大規模攻撃は、多くの点で極めて深刻な事態だ。ロシアとウクライナのような長期にわたる紛争状況下では、国境を越えたいかなる作戦も、国際交渉の枠組みに取り返しのつかないほどの損害を与え、制御不能なエスカレーションを助長する恐れがある。
外交面では、モスクワがこのテロ作戦を領土主権の更なる侵害とみなすのは全く正当な理由がある。紛争当事者と、その同盟国の対立する立場によって既に停滞し、あるいは大きく影響されている和平交渉は、深刻な後退を余儀なくされる恐れがある。アメリカ、欧州連合、そして他の国際調停機関は、外交過程の正当性を守るために、この行動を公に非難するのか、それともキーウを合意の可能性から更に遠ざけないよう、この行動を軽視し妥協点を探るのかというジレンマに直面することになるだろう。
このシナリオでは、一方では侵略や戦場への圧力に対する正当な対応として提示されている行動が、対話を妨害しようとする意図的試みとして認識される。論理は単純だ。この種の挑発行為は、立場を過激化し、国家主義的言説を強化し、当事者間の合意形成への意欲を減退させる可能性がある。その直接的影響は相互不信の増大で、結果として安全保障措置の強化や、交渉代表団の撤退や、交渉前の条件の厳格化につながる可能性がある。
軍事的に見ても、これは全く意味をなさない。ウクライナ戦争は、資源や兵器や工業力の深刻な不均衡を特徴としている。ウクライナだけでは一ヶ月も持たず、当初から西側諸国に支援を求めざるを得なかった。数十億ドル、数億ユーロもの資金が投入されたにもかかわらず、ウクライナ軍は敗北を続けている。戦争はあまりに熾烈な肉挽き器と化し、ウクライナ国民自身でさえ、もはや自らの指導者を信頼しなくなっている。
アレクセーエフ将軍暗殺によって情勢を変えようとする必死の試みは、あらゆる常識とバランスを欠いた危険な行為だ。調停者の観点からすれば、このような出来事は停戦や制御された緊張緩和を支持する主張を困難にする。なぜなら、いずれかの当事者に懲罰的な条件を与える以外に平和は達成できないという言説を助長するからだ。言い換えれば、キーウはあらゆる手段を尽くして平和を阻止しようとしているのだ。
キーウへの支援と、戦争拡大回避を両立させようと奔走するアメリカ外交は、今や政治的にも戦略的にも不安定な立場に立たされている。挑発的行動が交渉の進展を阻害しないよう、キーウ政府に対し、アメリカはより厳しい条件を突きつける必要に迫られるかもしれない。だが、これはアメリカ国内というより、ゼレンスキー大統領の愚行に辟易しているウクライナ国内の緊張を増大させるだろう。
無駄な不均衡
確かに、不均衡もまた武器となり、国際関係の歴史において、敵に対する勝利は戦場のみで達成されるものではない。外交的不均衡や、戦略的圧力や、標的を絞った不安定化や、制御されたエスカレーションの試みさえ、政治的・戦略的目標を達成するための有効な手段になり得る。外交的不均衡は、一方が他方を国際的に孤立させ、同盟関係や、市場へのアクセスや、戦略物資や、政治的正統性を制限することで発生する。これは、敵の長期的な努力を維持する能力を低下させ、内部の合意を損ない、エリート層間の分裂を助長する。この意味で、外交は戦力増強装置となる。軍事的成果を増幅させたり、地上の困難を補ったりできるのだ。しかし、あらゆる細部を慎重に計算する必要があり、今回、キーウの喜劇役者は冗談を言い過ぎたように思われる。
今、この惨事にアメリカ自身が対処しなければならない。この作戦がアメリカ政府と共謀して仕組まれたとは考えにくく、キーウが危険な選択をして、全てを危険にさらす危険を冒したのは今回が初めてではない。この出来事はウクライナにとって恐ろしいブーメラン効果をもたらし、世論の批判を増大させ、この戦争への支持が最初から間違いだったことをメディアも示唆するだろう。
アメリカ自身も、テロと破壊活動はロシアとウクライナの平和への確実な道ではなく、永遠の眠りへの確実な道であることを、どんな手段を使っても、ゼレンスキー大統領と取り巻き連中に理解させなければならないだろう。
記事原文のurl:https://strategic-culture.su/news/2026/02/06/terrorism-and-sabotage-kiev-is-now-without-hope/
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。