2025年9月1日月曜日

関東大虐殺から102年の追悼(植草一秀氏)

 植草一秀氏が掲題の記事を出しました。
 102年前の9月1日、関東大震災が起きました。その騒乱の中で朝鮮人、中国人、障碍者、地方出身者が多数、日本国民、日本軍、官憲によって虐殺されました。きっかけになったのは「流言・飛語」でしたが、それを拡散させたのは内務省の電信文でした。それに「鼓舞」された各地の自警団が朝鮮人、中国人などを不当に殺害しました。それは日本で行われた大量虐殺事件でしたが、日本政府は虐殺の事実を認めておらず謝罪も賠償もしていません。
 同じことは第二次世界大戦においても同様で、日本はアジアで2000万人以上を犠牲にしましたが、それを公式に認めたのは1995年になってからで、村山富市首相(当時)がようやくアジアへの「侵略」と「植民地支配」を認めた上で「痛切な反省」と「心からのお詫び」を表明しまし。しかしその後も首相たちからは全アジアに対して非を認める発言はされていません。

 植草氏は、アジアへの加害は 明治政府の巨魁の一翼であった大久保利通が、同じく巨魁の一翼であった江藤新平を虐殺、排除する契機になった1873年の「明治6年政変」から継続的に行われてきたものであり、同「政変」は 国権を優先した大久保が民権を重視した江藤を「排除」したもので「大久保の日本」になるのか「江藤の日本」になるのかの分岐点だったと見ています。
 植草氏は「2004年の冤罪創作によって社会的生命を抹殺されたが、この事を白井聡氏が『沈む日本 4つの大罪(ビジネス社)の中で、「『竹中の日本になるか植草の日本になるかの分岐点だった」と述べていることを紹介しています
 当時 植草氏は気鋭の経済学者としてTVに頻繁に登場し、おなじくTVに登場していた 小泉政権下で経済問題を担当した竹中平蔵を論駁していました。そうしたことから、多分小泉政権の意を受けた官憲が邪魔者の植草氏を冤罪冤罪で陥れ、社会から抹殺したのでした。
 それ以後竹中の新自由主義経済政策が幅を利かすようになり日本経済が大停滞したのでした。

 併せてしんぶん赤旗の主張「大震災と朝鮮人虐殺 問われているのは今の日本だ」を紹介します。
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関東大虐殺から102年の追悼
               植草一秀の「知られざる真実」 2025年8月31日
8月31日午後、千代田区駿河台下にある明治大学リバティータワー1階にあるリバティーホールにおいて 「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺102年犠牲者追悼大会」が開催された。
午後1時半から午後6時過ぎまで、満員の聴衆の中、息もつかせぬ意義深いプログラムが演じられた。

いまから102年前の1923年9月1日。関東大震災が発生した。
この騒乱のなかで、朝鮮人、中国人、障碍者、地方出身者多数が虐殺された。
虐殺したのは日本国民、日本軍、官憲である。
きっかけになったのは流言・飛語。その流言・飛語を拡散したのは内務省電信文だった
内務省電信文によって「鼓舞」された各地の自警団が朝鮮人、中国人などを不当に虐殺した。
この事実はこれまでの調査、検証作業によって明らかにされている。

しかし、日本政府は虐殺の事実を認めていない。したがって、謝罪も賠償もしていない
日本はアジア諸国に対して加害責任を負っている。先の大戦で日本は310万人の犠牲者を出した。膨大な犠牲だが、見落としてならないことはアジアの同胞が2000万人以上犠牲になったということ。
アジア諸国で2000万人以上の命が失われた。日本国民の犠牲をはるかに上回る犠牲者を出した。その大半は日本軍による死者である。
国内の死者もアジア諸国の死者も、いずれも日本が国策を誤った結果としての犠牲が大半である。

1995年に村山富市氏が率直な見解を表出した。いわゆる「村山談話」である。
日本は遠くない過去に国策を誤り、アジアの人々、そして日本の国民に大いなる加害を演じた。
具体的には「侵略」と「植民地支配」。このことを率直に認めた上で、「痛切な反省」と「心からのお詫び」を表明した。
日本が近隣諸国から完全なる「赦し」を得るまで、日本は謝罪し続けなければならない。

「和解」は被害者が赦して、初めて成立する。加害側が「十分誤ったから謝罪は終了」と決めるものではない。
日本のアジアへの加害は1873年の「明治6年政変」から継続的に実行されたもの。
「明治6年政変」は一般的には「征韓論」をめぐる閣内対立と捉えられる向きが多いが正しくない明治政府の巨魁の一翼であった大久保利通が、同じく明治維新の巨魁の一翼であった江藤新平を虐殺、排除する契機になった事件である。
大久保は民権ではなく国権を優先、重視した。これに対して江藤は国権よりも民権を重視し、とりわけ冤罪の発生阻止を目指した。

明治6年政変は明治の分岐点である。「大久保の日本」になるのか「江藤の日本」になるのかの分岐点だった。
私は2004年の冤罪創作によって社会的生命を抹殺されたが、この事変を白井聡氏が次のように述べた。
沈む日本 4つの大罪(ビジネス社) https://x.gd/XID4S
「竹中の日本」になるか「植草の日本」になるかの分岐点だった。
大久保は江藤を抹殺して人権無視の全体主義国家を創設した。
江藤の日本になっていたなら、日本は人権重視の国になっていたと思われる。

明治六年政変を契機とする政体変遷によって大久保が実権を握った。
大久保が遂行したのは内務省による日本支配の構造だった。この大久保内務省が関東大震災朝鮮人中国人大虐殺を生み出したと言って過言でない。
政府は過去を隠蔽するのではなく、過去の過ちを直視する必要がある。
続きは本日のメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」第4175号
民衆が加担した大虐殺事件でご高読下さい。
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主張】 大震災と朝鮮人虐殺 問われているのは今の日本だ
                       しんぶん赤旗 2025年8月30日
 「事件の真実を知ることは不幸な歴史をくりかえさず民族差別を無くし人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓(ひら)く礎になる」(朝鮮人犠牲者追悼碑文)。1923年9月1日の関東大震災直後に発生した朝鮮人虐殺の追悼式典が毎年、同日に開かれます
 一方で、虐殺の歴史的事実を否定する言動も強まっています。小池百合子都知事は、今年も関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典へ追悼文を送らないとしています。先の戦争を侵略戦争と認めず、外国人を蔑視・排斥する極右・排外主義の潮流も目立っています。
 朝鮮人虐殺とどう向き合うのか―。過去の問題ではなく、今の日本が問われています。

■歴史的事実の隠蔽
 関東大震災直後、朝鮮人数千人が虐殺されたのは明白な史実です。数々の証言、警察の記録、軍隊の資料、裁判記録があります。多くの自治体史にも刻まれ、首相を長とする中央防災会議の災害教訓の継承に関する専門調査会の報告書(2009年)も「虐殺という表現が妥当する例が多かった」と明記しています。
 朝鮮人虐殺は、日本による過酷な植民地支配、三・一独立運動への血の弾圧、これらを通じて形成された民族蔑視、抗日運動への恐怖心、差別がすすむなかで敷かれた戒厳令の下、軍隊、警察、自警団などによって行われたのです。
 しかし小池知事は、虐殺の認識を問われても「歴史家がひもとくもの」と認めません。小池知事が17年に追悼文送付を中止して以後、史実をゆがめ他民族を冒涜(ぼうとく)する団体が毎年、式典と同時刻に隣接した場所でヘイト集会を開くようになりました。知事の態度は歴史的事実の隠蔽(いんぺい)であり、歴史を逆行させるものです。
 朝鮮人虐殺を否定する動きの背景には、政府が虐殺の事実を認めないことがあります。政府は「事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」(松野博一官房長官、23年)と言い続けています
 しかし、すでに述べたように虐殺の証拠、事実は明らかで、政府は見たくないものを見つからないと言い張っているだけで、恥ずべき態度です。

■政府は責任認めよ
 日本弁護士連合会は03年、「国は、虐殺の被害者、遺族に対し、その責任を認めて謝罪すべきである」とし、虐殺の全貌と真相を調査し、明らかにすべきだと勧告しています。歴史に背を向けてきた政府の責任は重大です
 23日の日韓首脳会談では、共同の報道発表が出されました。日本が「植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、…痛切な反省と心からのお詫(わ)びを述べた」1998年の共同宣言に言及し、両国関係を発展させていくことを確認しています。大震災時の朝鮮人虐殺の事実を認めない政府の態度はこの精神にまったく反します。政府は、事実と責任を認め遺族に謝罪するとともに、全貌を究明し、真相を明らかにすべきです。
 朝鮮人虐殺以後、排外主義も大きな要因となって、日本が戦争への道を進んだ歴史を繰り返してはなりません。国民一人ひとりが歴史の事実を知り、向き合うことがいま切実に求められています。