リカルド・マルティンスが掲題の記事を出しました(第二部が出るということです)。
8月15日に行われたトランプとプーチンによるアラスカ会談の詳細は明らかにされていません。上記の記事は会談の1週間後に発表された推測記事ですが、それが合理的で説得力があればそれに反する新たな事実が明らかにされるまでは参考にされるべきでしょう。
ただし日本を含めた西側の「ロシアは悪者」一辺倒の見方からすると納得できないでしょうから、「救国の騎士」視されているゼレンスキーの徹底抗戦論に与することになりますが、それを支持するウクライナ人は24%に留まり、69%は和平交渉による解決を支持していることとの齟齬は無視できません。
リカルド・マルティンスは、戦争があと一、二年続けばウクライナはほぼ壊滅的状況になるはずで、今の方がウクライナ領土譲歩の規模が小さくなる可能性が高いことをトランプは認識していた…と述べています。トランプに比べると西側諸国の主張はいわゆる『外野の論調』の誹りを免れません。
併せて櫻井ジャーナルの記事「舌先三寸でロシアを騙せると高を括っていた欧州の好戦派は自暴自棄」を紹介します。
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ウクライナ紛争の終結は近い? ビッグ・ビューティフル・アラスカ首脳会談 第一部
マスコミに載らない海外記事 2025年9月 3日
リカルド・マルティンス 2025年8月22日
New Eastern Outlook
アラスカでのプーチン・トランプ大統領会談:真相は? この会談は、ウクライナにおける欧米各国の政策の矛盾を露呈し、世界の安全保障秩序の転換を示唆している。
ウクライナ紛争の終結が見えてきた? ビッグ・ビューティフル・アラスカ首脳会談 第一部
2022年2月にウクライナ紛争が始まって以来初めて、戦争に対するロシアの見解がドナルド・トランプ大統領に直接伝えられ、その後、トランプ大統領は、ゼレンスキー大統領を含む欧州各国首脳に電話し、三日後にはワシントンで直接会って伝えた。
アラスカという舞台は、ロシアとアメリカが文字通り隣国であることを改めて思い起こさせるものだった。ヨーロッパ諸国の憤りにもかかわらず、プーチン大統領をアメリカに招き入れ、たとえ一部が対話を避けても、外交の名の下、意見の相違は脇に置き、対話する姿勢をワシントンは示したのだ。
この首脳会談の斬新さは開催地だけではない。トランプ大統領がウラジーミル・プーチン大統領の主張に耳を傾け、懐疑的な欧州諸国にそれを伝えようとした姿勢にこそ真価があった。二年にわたり、欧州はモスクワを政治的・外交的に孤立させる政策を維持し、平和はロシアの屈服によってのみもたらされると主張してきた。だが戦場ではロシアが優勢に立っている。
アラスカ首脳会談は、交渉する意志を持たずに平和を望み、勝者に敗北条件を課すというヨーロッパの姿勢の矛盾を露呈した。
アラスカ首脳会談は、ロシアの敗北やウクライナの英雄的生存を願うだけでは平和は実現されないことを我々に想起させた。
何が問題だったのか
アラスカで問題となったのは、ウクライナの当面の運命だけではなかった。首脳会談では、世界安全保障の構造や、国際外交の信頼性や、アメリカ、ロシア、欧州の力関係のバランスについても議論が交わされた。
プーチン大統領にとって、この会談は、ロシアを「のけ者」ではなく、欧州のいかなる和平交渉にも不可欠な存在として位置付ける好機だった。一方トランプにとって、キーウへの揺るぎない支持を掲げるジョー・バイデンと対比させて、和平交渉の担い手としての地位を確立する好機だった。
最近のギャラップ世論調査によれば、ウクライナ人の69%が和平交渉による解決を支持する一方、戦闘の継続を支持する人はわずか24%だ。
だが欧州指導者たちは深い疑念を抱いていた。合意を急ぐあまりトランプ大統領が実利主義を装いロシアの主張を容認し、譲歩しすぎるのではないかと懸念する声が多かった。
彼らにとって、アラスカは欧米諸国の結束が崩れる場所になる危険があった。だが、この懐疑的な見方は、不快な真実を露呈している。ヨーロッパは外交的に追い詰められているのだ。平和を要求しながらプーチン大統領との対話を拒否するのは結局、矛盾だ。
平和に機会を与えよう
快適な環境や、志を同じくする相手間で平和が築かれるのは稀なことを歴史が教えてくれる。平和を築くには、敵対者との対話が必要だ。
アラスカ首脳会談は、2022年にロシアとウクライナの交渉官が和平協定案に署名したものの欧米諸国の圧力で崩壊した果たされなかったイスタンブールの約束を彷彿とさせた。
当時、イギリスのボリス・ジョンソン首相がキーウに急行し、ゼレンスキー大統領に署名しないよう強く要求した。戦争の長期化はロシアを不可逆的に弱体化させると主張したのだ。おそらくブチャ虐殺事件は、外交を妨害するために画策されたか、利用されたか、操作されたのだ。
アラスカで、歴史が決して繰り返されないようプーチン大統領は願っていた。彼のメッセージは明確だった。短期的な政治的利益のために和平過程を妨害すれば、紛争が今後何年も固定化してしまうリスクがある。ヨーロッパはいずれ交渉の席に戻らなければならないと彼は主張した。そして反抗的ではあっても、キーウに安全保障の保証は必要だが、欧米諸国からの無限の武器は必要ないと。
アラスカ会談の内幕
すると非公開会議で実際何が議論されたのだろう? ロシアのより広範な構想、すなわちヨーロッパにおける安全保障の不可分性をプーチン大統領は示した。これは、NATO拡大がロシアとヨーロッパの安定を損なうと主張する際、長年モスクワが持ち出する原則だ。信頼できる安全保障の保証がウクライナに必要であることを認めつつ、ロシアの利益の相互承認も彼は求めた。
最も衝撃的だったのは、停戦という考えをプーチン大統領が拒否したことだ。紛争凍結は、ウクライナと支援諸国に再軍備とウクライナ軍再建のための時間を与えるだけだと彼は考えている。彼は真の和平合意、つまり困難な選択を後回しにするのではなく、今こそ決断を迫る和解を強く求めた。より血なまぐさい事態へと先送りするよりも、むしろそうすべきだ。
戦争があと一、二年続く場合より、今の方がウクライナ領土譲歩の規模が小さくなる可能性が高いことをトランプ大統領は認識していた。戦争が更に一、二年続けば、ウクライナはほぼ確実に海への出入り口を失い、経済的に壊滅的状況になるはずだ。
トランプは奇跡を約束したわけではない。だがプーチン大統領の提案をウォロディミル・ゼレンスキー大統領に伝え、合意の枠組みを構築できるかどうか検討すると約束した。そうすることで責任の重荷を、キーウとヨーロッパの同盟諸国に押し付けたのだ。
そして土曜日、トランプは自身のプラットフォーム「Truth Social」で以下のように結論づけた。「ロシアとウクライナ間の恐ろしい戦争を終わらせる最善の方法は、しばしば持続しない単なる停戦協定ではなく、戦争を終わらせる和平協定に直接進むことだと全員が判断した」。言うまでもなく、ゼレンスキー大統領と欧州同盟諸国は、この発言には全く不満だった。
欧州の不安な反応
アラスカからトランプ大統領とプーチン大統領が慎重ながら満足した様子で戻ったのに対し、欧州各国首脳は懐疑と苛立ちと警戒さえ織り交ぜた表情を見せた。エマニュエル・マクロン大統領は「明確さ」を求め「武力による侵略を正当化する」可能性がある、いかなる取り決めにも反対を唱えた。フリードリヒ・メルツ外相は簡潔な発言にとどめ、ドイツにとっての最優先事項は「ウクライナの領土保全」つまり国境問題で譲歩は許されないことを強調した。
欧州委員会を代表して発言したウルズラ・フォン・デア・ライエンは「平和は正義を犠牲にして得られるものではない」と強調した。これはトランプ大統領の現実主義が欧州の超えてはならない一線を軽視する可能性があるというブリュッセルの懸念を反映した発言だ。
アラスカ訪問が、ワシントンとモスクワが、キーウや最も近い同盟諸国に相談することなく平和の輪郭を描く、いわば並行外交の始まりになるのを多くの欧州当局者は内心懸念していた。特に東欧諸国は反発した。EU内で長らく最も強硬な立場をとってきたポーランドとバルト三国は、トランプ大統領がプーチン大統領の主張に寛容になれば、ロシアが軍事的優位を主張するようになるのではないかと懸念していた。
だが、この反応はヨーロッパの矛盾も露呈させた。指導者たちはアラスカを時期尚早、あるいは危険とさえみなしていたが、交渉への代替案を提示する者は誰もいなかった。ヨーロッパは平和を望んでいると主張しながら、プーチン大統領と交渉の席に着くのを拒否している。戦争初期には容認できたこの姿勢は、今やヨーロッパ大陸をアメリカの仲介に依存させ、ワシントンの変わりやすい政治の影響を受けやすくするリスクをはらんでいる。
アラスカ首脳会談の意味
アラスカ首脳会談は、ヤルタでもキャンプ・デービッドでもレイキャビクでもない。進展は見られず、地図も書き換えられなかった。だが会談が行われた事実こそ、この会談の重要性だ。意思疎通が、戦場でのやりとりと、対立する言説とに限定される戦争において、対話そのものが貴重な資源なのだ。
平和への道は決して直線的ではない。戦争を長引かせることに利益を見出す内外の妨害者連中のおかげで、平和は容易に実現できない。アラスカ首脳会談は、ロシアの敗北やウクライナの英雄的生存を願うだけでは平和は実現しないことを我々に想起させた。平和には外交と忍耐と妥協が必要だが、今日の地政学的状況には、これら資質が欠けている。
トランプ大統領にとって、この首脳会談は、政治家として自身をアピールする好機だった。プーチン大統領にとって、不可欠な存在としてロシアを再定義する機会だった。欧州にとって、モスクワとの対話を拒否しても平和はもたらされず、欧州の地政学的役割は縮小するだけなのを不快にも思い知らされる出来事だった。
欧州諸国から懐疑的な目で見られ、芝居じみたものと一蹴されたにもかかわらず、アラスカ首脳会談は転換点であることが明らかになった。その後、ワシントンでトランプ大統領とゼレンスキー大統領の会談が行われ、面目を保つために、欧州首脳7人が自らこの会合に出席した。この点は次の記事で取り上げる。
リカルド・マルティンスは社会学博士、専門は国際関係と地政学
記事原文のurl:https://journal-neo.su/2025/08/22/the-end-of-the-conflict-in-ukraine-at-sight-the-big-beautiful-alaska-summit-part-1/
舌先三寸でロシアを騙せると高を括っていた欧州の好戦派は自暴自棄
櫻井ジャーナル 2025.09.02
ロシアは目的を達成するまでウクライナでの戦闘を止めないと推測されていたが、常識通りの展開になっている。西側諸国はロシアを舌先三寸で騙し、停戦に持ち込んで時間を稼いで戦力を回復させ、あわよくばNATO諸国の軍隊をウクライナへ入れようとしていたが、その目論見は外れた。おそらくインドや中国への配慮で話し合いには応じる姿勢を見せているものの、ロシアは妥協しないはずだ。
これまでNATO諸国の好戦派は「核戦争を恐れるな」とか、「核兵器をひとつ落とせばロシアは屈服する」といったハッタリを口にしてきたが、アメリカ欧州アフリカ陸軍のクリストファー・ドナヒュー司令官はカリーニングラードを制圧のための計画を策定すると公言している。すでに兵器が枯渇しているNATO諸国がカリーニングラードをどのように制圧するのか不明だが、勿論、ロシアが傍観するはずはない。
1991年12月にソ連が消滅して以降、ネオコンをはじめとする新世代の好戦派はソ連との約束を無視してNATOを東へ拡大させてきた。これはバルバロッサ作戦の再現にほかならない。ウクライナを支配下に置くため、ネオコンたちは2004から05年にかけて「オレンジ革命」、そして2013年11月から14年2月にかけてネオ・ナチのクーデターを実行したわけである。彼らの誤算は、オレンジ革命もクーデターもウクライナを完全に征服することができなかったことだ。現在の戦闘はそうした計算違いから始まったと考える人もいるだろうが、そもそも、その計算自体が間違っていた。
誤算を認めたくないのか、ロシア征服を仕掛けた勢力はウクライナの敗北が決定的になる中、自分たちが前面に出ざるをえなくなってきた。その結果、NATO諸国は傭兵を送り込むだけでなく、自国の将兵や技術者を派遣、死傷者を増やしている。
ウクライナでの戦闘でロシアが勝利したことを認識しているアメリカはウクライナから離れようとしているが、イギリス、フランス、ドイツをはじめとするヨーロッパ諸国はロシアとの戦争にのめり込んでいる。そこでロシアはNATOと戦うと腹を括ったようで、ヨーロッパ諸国の部隊を攻撃するようになった。
例えば、ロシアのFSB(連邦保安庁)はドイツが資金を出した戦術弾道ミサイル「サプサン」とミサイルの発射装置を製造する工場を破壊、その際にドイツの技術者が死亡している。
その1週間後には、ドニプロペトロウシクのパウロフラード(パブログラード)にあり、射程距離3000キロメートルという巡航ミサイルの「フラミンゴ」を組み立てていた工場をロシア軍は破壊、その時にはイギリスの技術者が死亡している。フラミンゴを保管していた兵器庫も破壊された。
8月2日には、オチャコフでロシアのスペツナズ(特殊部隊)がオチャコフでイギリス陸軍のエドワード・ブレイク大佐とリチャード・キャロル中佐、そしてイギリスの対外情報機関MI-6の工作員ひとりを拘束したと報道されている。
ところで、ウィンストン・チャーチルの側近でNATOの初代事務総長になったヘイスティング・イスメイはNATO創設の目的について、ソ連をヨーロッパから締め出し、アメリカを引き入れ、ドイツを押さえつけることにあるとしていた。ソ連からの攻撃に備えるためではないということを認めているのだが、実態はヨーロッパを支配する仕組みだった。
第2次世界大戦でドイツと戦った国は事実上、ソ連のみ。西部戦線で戦っていたのはレジスタンスだった。その一方、ナチスが支配するドイツはアメリカやイギリスの金融機関が資金面から支えていた。
大戦の終盤からアレン・ダレスをはじめとするウォール街人脈はフランクリン・ルーズベルト大統領には無断でナチスの高官や協力者を逃亡させ、さらに保護、訓練、雇用している。サンライズ作戦、ラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦などだ。こうした工作ができた理由のひとつは、ルーズベルトが1945年4月12日に急死したことにある。
イギリスとアメリカの支配層はヨーロッパを統合するため、1948年にACUE(ヨーロッパ連合に関するアメリカ委員会)を設置、翌年の4月にはNATO(北大西洋条約機構)を創設した。
その時期、米英の支配層が警戒していたのはドイツと戦ったレジスタンスのメンバー。この抵抗運動の参加者はコミュニストが多かったが、そうでない人もいた。そのひとりがシャルル・ド・ゴール。大戦後、彼が命を狙われたのはそのためだ。ド・ゴールはNATOの軍事組織からフランスを離脱させ、本部を追い出した。
大戦中、レジスタンス対策で米英はゲリラ組織ジェドバラを創設したが、戦後、その人脈はアメリカの軍や情報機関へ入り込む一方、NATOへも潜り込み、その人脈は1951年からCPC(秘密計画委員会)の下で活動するようになる。1957年にはCPCの下部組織としてACC(連合軍秘密委員会)が創設された。
この委員会を通じてアメリカのCIAやイギリスのMI-6はNATO内に設置された秘密部隊のネットワークを操る。そのネットワークの中で特に有名な組織がイタリアのグラディオだ。
秘密部隊は全てのNATO加盟国に設置され、それぞれ固有の名称がつけられている。イタリアのグラディオは有名だが、そのほかデンマークはアブサロン、ノルウェーはROC、ベルギーはSDRA8といった具合。このネットワークは現在も存在していると見られている。
このネットワークを作った勢力は遅くとも1992年にロシアを征服するプロジェクトを始めた。第2期目のビル・クリントン政権にしろ、ジョージ・W・ブッシュ政権にしろ、バラク・オバマ政権にしろ、このプロジェクトに基づいて動いている。選挙期間中、ロシアとの関係修復を訴えていたドナルド・トランプだが、やはりこの流れから逃れることはできなかった。そしてジョー・バイデンはルビコンを渡った。彼らはロシアとの戦争を止めることができない。
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。