2025年9月8日月曜日

新浪剛史の麻薬取締法違反事件 - 日本の資本家と日本の資本主義

 世に倦む日々氏が掲題の記事を出しました。
 いつもながら詳しく調査した解説記事になっているので、理解が深まります。
 併せて日本の経済界の人材的貧困に言及しています。
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新浪剛史の麻薬取締法違反事件 - 日本の資本家と日本の資本主義
                        世に倦む日日 2025年9月6日
9/2、サントリーが新浪剛史の代表取締役会長の辞任を発表。理由は、本人が麻薬取締法違反容疑で警察から捜査を受けたからだった。今週(9/1 - 6)は、北京での抗日戦争勝利80周年の記念式典があり、石破おろしの政治情勢などがあったが、このニュースが他を圧倒して世間を震撼させている。私も含めて、誰もがまさかと目を疑う衝撃的な事件が発生した。最初に確認しないといけないポイントは、新浪剛史への福岡県警による 8/22 の家宅捜索が、日テレに撮られている事実である。捜査員が4名、港区元麻布のマンションに入って行く様子が当日のテレビでも流れ、ネット記事にも添付されて報道された。これは、警察が事前に日テレに情報をリークし、クルーに現場待機させて撮影させ、捕物報道するよう差配したことを意味する。当然、情報は他社にも流れただろうから、マスコミ幹部は 8/22 以降この事件を知っていたことになる。

無論、そんな大捕物が福岡県警のレベルで可能なはずがなく、警察庁トップの判断で仕掛けていたのであり、それだけ警察が捜査に自信満々で、すなわち容疑が固い事情が察せられる。動かぬ証拠を押さえている背景が窺える。警察が家宅捜索するには裁判所の許可が必要で、福岡県警は令状を得た上で新浪剛史の自宅に踏み込んでいる。財界トップの一翼たる経済同友会代表幹事で、政府の経済財政諮問会議メンバーである新浪剛史を、麻薬取締法違反容疑で家宅捜索するとなれば、よほど容疑が明確で、犯罪の立証が万全になってないといけない。マスコミに公表された時点で本人の社会的生命が絶たれる決定的事態になるからだ。当然ながら、福岡県警は幾重にも慎重に捜査を進め、構成要件の該当性について本庁と連絡協議し、最終的に官邸の了解を得た上で捕物に及んだのだろう。家宅捜索の結果は、容疑を裏づけるブツ(THC)は出なかったし、尿検査もシロだった

が、おそらく警察はそれは織り込み済みなのだろう。これ以上の捜査は進めず、嫌疑不十分で幕引きして起訴もしないだろうと予想する。社会的制裁を受けた、あるいはこれから受ける身になるからであり、捜査の目的を遂げているからである。本人は「潔白だ」と言い張っているが、誰もその釈明の言葉を信用していない。家族を出汁にした弁解も噴飯もいいところで、見苦しい逃げ口上としか言いようがない。警察が説明しているとおり、逮捕された福岡の男が違法薬物の運搬人であり、NYの「知人女性」から空輸されたTHCサプリを新浪剛史に届けようとしたのは確実で、新浪剛史に違法性の認識(犯罪の自覚)がなかったはずがない。私は、新浪剛史はこのTHC錠剤(大麻由来薬物)の常用者だっただろうと疑うし、本人も「知人女性」もそれを承知の上で空輸や使用を繰り返していたのに違いない。脳の多幸感、すなわち快楽にやみつきになり、半ば依存症になっていたのだろう

今回の捕物劇については石破茂に拍手を送りたい。他の人間が総理大臣だったら、例えば岸田文雄や菅義偉だったら、間違いなく事件発表はなく握りつぶされていただろう。ひょっとしたら、新浪剛史のTHC常用については、以前から警察に密告と通報が入っていて、官邸のゴーサインさえ出れば出動・公表というスタンバイ状態だった可能性もある。サントリー(鳥居信弘)が新浪剛史を庇おうとせず、会長辞任の詰め腹を迫ったのは、もうこれ以上庇えないという「限界」の意識があったからではないか。8/22 に家宅捜索と事情聴取があった後、9/2 にサントリーが発表をするまで、日テレはこの件の報道を伏せていた。日テレはサントリーと歩調を合わせていて、タイミングを一にして 8/22 の映像を流している。官邸と警察とサントリーとが(おそらく同友会も)9/2 までの間に何らか意思疎通を図っていた気配が漂う。官邸の主が石破茂に変わっていたのは、新浪剛史には不運で誤算だった。

新浪剛史については、これまで幾つも醜聞や疑惑があり、新潮が暴露記事を書いてきた。ローソン時代にパワハラ禍を起こしていたり、会社の金でハワイの高級コンドミニアムを買い漁るなどしている。だが、新潮の告発ジャーナリズムの孤軍奮闘も空しく、世間に大きな反響を巻き起こすことなく、糾弾の声を大きく盛り上げるには至らなかった。新潮によれば、新浪剛史がサントリーのような広告宣伝業界に力を持つ会社の経営者だったからと言っているが、それだけでなく、新浪剛史は安倍政権からずっと政府の経済財政諮問会議の民間議員を務めていて、日本の支配層の中で最上位にいる権力者であり、批判は増幅を止められ、ひたすら抑制がかけられたからだ。この男はアベノミクスを推進する民間側のリーダーだった。竹中平蔵があまりに世間の悪評が大きく、公式の要職に就けなくなったため、代役に起用されたのが新浪剛史である

竹中平蔵が言わんとする政策主張を、この男が政府諮問会議や経済団体の場で喋り、テレビ出演のレギュラーで国民を洗脳していた。日本経済をネオリベ(新自由主義)化するエースとして八面六臂の活躍をした男だ。ダボス会議の常連出席メンバーであり、三極委員会の日本議長に就いている。ここで一つ論点を切り出すと、例えば、新浪剛史が、最低賃金を引き上げられないような企業は退場せよと言った話がある。美談としてマスコミで何度も強調して紹介されているが、これは決して本気で日本の労働者の賃金を引き上げる意図で放った言説ではない。それは表向きの宣伝だ。真の目的は、日本の中小企業を整理淘汰して大資本の傘下にグループ統合することであり、アトキンソンが何度もテレビで言ってきた図式である。日本には中小企業が多い。それが日本経済の強みの要素でもあるのだが、資本力の弱さでもあり、統計化すると「生産性の低さ」という表象を持つ。

本来、中小企業の労働者の賃金を上げたいのなら、大企業が中小企業からの仕入単価を切り上げればよく、すなわち大企業の内部留保を中小企業の利益に移転・再配分すればよいのであって、それがあるべき資本主義の理想形だ。が、アトキンソンや新浪剛史の論理はそうではなく、中小企業を整理統合して減らせと言い、今の中小企業の社員は大企業の社員になれるのだと言う。経済同友会はその経済政策を掲げて推進役を担っている。くだらない妄論だが、アトキンソンは大真面目に言い、だからアメリカはよく日本は駄目なのだと言い、アメリカを倣って合理化して生産性を上げろと繰り返す。40-50年前は、P.ドラッカーやE.ヴォーゲルが逆のことを言っていた。私はテレビの前で鼻白むのだけれど、知識のない若い世代はアトキンソンの話に頷き、竹中平蔵の「改革」こそが正義だと信じ、嘗ての日本経済は間違いで、アベノミクスは正しかったと思い込むのだろう

それにしても、日本に経済人がいなくなり、経済を語る人間がいなくなった。経営者だけでなく学者とか評論家も含めて、本当に論者がいなくなった。経済団体の幹部とか、政府委員とかの名簿を見ても、全然知った顔がなく、何をしてどんなことを言っているか分からない。個性がないと言うか、存在感がない。とりあえず頭に浮かぶのは、新浪剛史と中空麻奈の二人だけだ。今はアトキンソンとJ.クラフトが日本経済を語るオーソリティとなり、この二人の政策提言がマスコミが視聴者に提供する標準の正論”になっている。植民地経済万歳。テレビは中国製になり、外国人観光客が落とすお金で生きる経済社会になり、80兆円アメリカに貢いで悦ぶ国民経済になった。大学教授は世襲バカボンだらけ。顔なしの大企業経営者たちは、会社の株価を上げることと、自分が株で儲けること、我が子を東大に入れること、賄賂で利権を手に入れることで頭がいっぱいなのだろう。あとは英語のお稽古

新浪剛史が転落したことで財界はショックを受けているはずだが、危機感らしきものが伝わって来ない。無関係の他人事だという受け止めだろうか。深刻に感じているのは、アメリカの対日指導部とWEFだけなのかもしれない。今回の件は意外だったが、よく考えると、麻薬を常習しているのは新浪剛史だけでなく他にもいて、結構多くやっているのではないかという想像が及ぶ。資本主義が人間をどういう生き方にするかという問題であり、新自由主義の時代の資本家というのは、やはり正常ではなく、社会人として異常で逸脱した人格類型が多い。E.マスクの目つきや表情を見ていると一線を超えた病的な狂気を感じる。堀江貴文もそうだった。成功して指導的地位を得ている資本家(民間経営者)の思想と精神が、世界全体の幸福や人類の未来の健全な発展に繋がらず、ひたすら有害で邪悪なものとしてしか作用してない。人を傷つけ、市民社会を壊しているだけだ。嘘と汚い肉欲俗欲と開き直りだけがある

新浪剛史は、日本の資本主義の現在が総括された姿そのものだ。日本の資本家の代表だ。なので、それを見ると、資本主義に将来がないという結論に自ずと辿り着く。レーニン的、大塚久雄的、日本共産党的(宮本・不破路線的)な「資本主義発展の二つの道」という命題が成立せず、「二つの道」の展望を導く前提が見出せない。ポジティブな資本主義のモデルがイメージできない。嘗てはそうではなかった。9/1の夜にNHKの「映像の世紀」で井深大の在りし日の姿が放映されていたが、気高くて偉大で、車椅子で本田宗一郎の葬儀に参列する絵を見ながら涙が出そうになった。ソニーでは、社員の子どもが小学校に入学する年になるとランドセルを贈るという行事があり、会長の井深大が自らランドセルを手渡していた。親と子どもたちを御殿山の本社に呼んでいた。昔は、その話を聞いても大した感慨は持たなかったが、今は井深大が神様のように思われ、ありがたい時代の日本に生きられたことを感謝する気分になる

1960年代初めと思われる、井深大とソニー社員が一緒に写った写真がある。ソニー広報のnote の中で紹介されている。いい感じの一枚だ。ソニーと戦後日本を象徴する一枚のようにも見える。企業を撮った一枚であり、経営者と労働者が映っている。株式会社が事業をして利益を上げるべく活動している。読者の皆様はこの絵をご覧になられて、社会主義と思われるか、資本主義と思われるか、どちらの世界を想起されるだろう。本質的な社会科学の問いかけだと思われるので、稿の最後に設問を置いてみた。「二つの道」の展望の問題とも関わる。40年ほど前の、改革開放が始まって胎動と躍進を始めた中国の新興企業の絵のようにも見える。あるいは、今頃ベトナムのどこかで、明日のホンダやソニーやアップルの成功を夢見て、こんな感じで若くて理想に燃える技術者が小さな工場を立ち起こし、開発と製造に夢中になっているかもしれない