2025年9月4日木曜日

新自由義を乗り越える(上)(下) 中西新太郎名誉教授(横浜市立大学)

 小泉・竹中政権で始まった新自由主義政策は安倍政権でさらに強化されて現在に至っています。自由主義は本来が弱肉強食の世界で、それを政策によって緩和する機能が政治に要請されています。ところが新自由主義は逆で 強者を助けて 弱者は「怠けた結果」と見做して切り捨てます。
 新自由主義は非正規雇用者を激増させました。かつては「結婚する」、「子どもを持つ」などはごく普通のことでしたが、いまではそれは余裕を持つ一部の人たちにしか許されず、「普通のこと」ではなくなりました。

 かつては日本にはぶ厚い中産階級が存在していると言われましたが、いまでは殆どなくなり、富裕層と貧困層に2分されました。そして大企業の内部留保は実に空前の637兆円に達しました(25年1月)。

 しんぶん赤旗に、「文化社会学」の中西新太郎名誉教授(横浜市立大学)による掲題の記事(上下2回)が載りました。
 (上)編のタイトル:「直面する『普通』の崩壊」の意味は上述の通りです。

 ところで先の参院選では極右の参政党が若い層の支持を集めて躍進しました。それについて中西教授は、新自由主義により自己責任を徹底された若者たちのー定の部分には、主張の正しさよりも「この人を信じたい」という自分の気持ちを大切にする文化が根付いていて、選挙でも自分の思いを否定されたくないという感覚が見られるとして、そこに、論理性や事実認定に乏しく議論に耐えるものではない参政党の単純なキヤツチフレーズが染み込み、心を動かしたのではないかと分析しています。
 またホストクラブに通う女性についても相手の目的が金銭だと理解していても「彼を大事に思う自分の気持ち」が大事と考えているから、という分析をしていて、どちらも政治的分析では解明し切れないところを衝いているように思われます。
 それにしてもその対象が、中西教授が言うところの 論理性や事実認定に乏しく議論に耐えるものではない参政党であったとは寂し過ぎることで、この流れは一刻も早く変わって欲しいものです。
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自由義を乗り越える(上) 直面する「普通」の崩壊
横浜市立大学名誉教授 中西新太郎さんに聞く
                        しんぶん赤旗 2025年8月31日
「普通に生きること」が、もはや特権になってしまったのか。非正規雇用の拡大、体験格差、自己責任を強調する新自由主義のもとに育った若者たち(新自由主義ネイティブ)の中には、将米への希望を持てず「人生は無理ゲー(攻略が極めて困難なゲーム)だ」と語ることもあるといいます。問われているのは個人の努力ではなく、支え合う社会をどう築くかです。横浜市立大学の中西新太郎名誉教授に間きました。               (土屋智紀)

    なかにし・しんたろう 1948年生まれ。横浜市立大学名誉教授。専攻は文化社
      会学。著書に『若者保守化のリアルー「普通がいい」というラディカルな夢』
      『若者は社会を変えられるか?』、共著に『教育DXは何をもたらすか-「個
      別最適化」社会のゆくえ』など多数。
「新自由主義ネイティ」とは。
 これは私が使っている言葉で、世間では「Z世代」とも呼ばれています。新自由主義政策が進む中で育ち、格差や貧困が固定化され、非正規雇用が「普通」になった1990年代後半
から現在までを生きる20歳代の世代です

「体験格差」
 学校教育でも厳しい管理が当たり前となり、競争と統制の中で育っています。例えば「体験格差」といって、小中学校時に年に3回以上家族で遊びにいった経験や、習い事の体験が全くない人が多くいます。同時に学校で「規範を重視する(ゼロトレランス)」という厳しい管理統制策も始まり、学カテストによる激しい競争、管理と統制、格差と貧困が「普通」になっています
 
-若者の生きづらとは
 非正規雇用が前提の社会では、従来は「普通」とされていた「結婚する」「子どもを持つ」などの人生設計が現実的ではありません。若者の間では「人生はクソゲー」(低品質でつまらないコンピューターゲームを酷評する言葉)「無理ゲー」(現実世界で困難な状況を表すスラング)といった言葉が広がり、将来への展望が持てないほどの感覚が根付いています。
 例えば、闇バイトに応募し、特殊詐欺の使い捨て労働力に動員される若者たちが非難されるのは当然ですが、だからといって、闇バイトに応募する若者を、私たち社会の側がどれだけ受け止められるでしょうか。また、「トー横界隈(かいわい)」(東京都の歌舞伎町にある新宿東宝ビル周辺)など大都市繁華街の「界隈」に集う若年女性たちの売春、パパ活、「ホスト狂い(ホス狂)」(女性客がホストクラブで習慣的に多額のお金を使うこと)などの行動を「自暴自棄だ」と非難するのは簡単ですが、それらの事例から、若者が生きる現実をうかがい知ることができるのも事実です。

貧困の重し
 つまり、自身を破滅へと追い込む行動を支える基盤の存在-社会で生きている全域にわたり「貧困化という重し」が若者を覆っているのです。
 新自由主義社会のルールや規範は、「重しに負けず前向きに生きよ」と促します。そのため若者たちは、前向きに生きられない重しを抱えているからこそ、「ダメさ」を引き受けることと、「ダメさ」に押しつぶされそうになる不安とのせめぎ合いの日々が続きます。「自死」が20代の死因のトップだということはよく知られている事実ですが、「死にたいと思ったことがある」20代は女性で37・9%、男性で31・9%という調査結果(日本財団、自殺意識調査2016年)は、生きづらい日本の姿を鮮明にしています。
「普通」に生きることが難しく、自己肯定感も低い-。日本財団の調査では、「自分が社会を変えられる」と思う18歳は他国と比べて圧倒的に少ないのです。社会の一員だと感じられない若者が多く、孤立感が深まっています。      (つづく)


自由義を乗り越える(下) 違和感 政治につなげて
横浜市立大学名誉教授 中西新太郎さんに聞く
                        しんぶん赤旗 2025年9月1日

-社会はその困難にどう向き合っているのでしょうか。
 日本の政治は、困難を個人の問題として扱います。「自己責任」が強調され、貧困や虐待、いじめなども社会構造の問題として捉えられません。個別の支援策はあっても、自民党がよく訴える「本当に困っている人だけを支える」という限定的な対応が多く、根本的な制度改革には至っていません
 例えば「貧困問題」は、2000年代初頭に大問題になりましたが、政府は、その最大の元凶の「雇用の非正規化」をかたくなに変えません。スキルを身につけさせる「リスキリング(学び直し)」という政策で、個人に「もっと頑張れ」と強いて個別に解決させようどしています。
 実はこの政策は効果が低いです。方、北欧諸国のような福祉国家は、ある政策の効果が低ければ正面から検証して他の政策をとります。日本とは全く異なります

-若者の政治参加については。
 今回の参議院選挙では、参政党や国民民主党のような新興政党が、多くの新自由主義ネイティブ(Z世代)の支持を集めました。参政党は、自民党の安倍派よりもさらに右寄りの極右政党です。国民民主党は新自由主義的な性格がありますが、参政党の主張は論理性や事実認定に乏しく、議論に耐えるものではありま。それでも支持される景の一つには、「思いの強さ」があります。

正しさより
 新自由主義により孤化、自己責任を徹底された若者たちの定の部分には、主張の正しさよりも「この人を信じたい」という自分の気持ちを大切にする文化が根付いています。選挙も「推し活」(アイドルやキャラクタなどの「推し」を応援する活動)のように捉えられ、自分の思いを否定されたくないという感覚が見られます。
 例えば、ホストクラブに通う女性が、相手の目的が金銭だと理解していても「彼を大事に思う自分の気持ち」を優先するように、若者は「推し活」などを通じて、自分の思いの確かさを何よりも尊重します。選挙も「推し活」に近く、「この人を応援する自分が大事」という感覚もあります。排外主義的な傾向については、例えばTikTokなどを見ると、日本食に感激する外国人の動画が大量に流れています。それを見て「日本ってすごい」と感じる一方、自分たちは貧困で、そんな食事を日常的に楽しめない。このギャップが、排外主義的な感情に結びつくこともあります。日本が経済的に豊かではなくなった現実を、多くの人が肌で感じている証左ではないでしょうか。

中産階級も
 国民民主党が支持を集めたことについては、今や、企業で働く若者も将来の展望が不安定です。
 中産階級層も含めて生活の見通しが立たず、「手取りを増やす」といった即効性のある政策に心をつかまれるのは当然です。かつては自民党に安定を期待していた層も、今は他の選択肢を探しています。
 貧困の広がりは、私たちが想定していた以上に深刻です。そこへ単純なキヤツチフレーズが染み込み、心を動かしたのではないでしょうか。しかし、新自由主義の政策は何も変わりません。

声が出発点
「自己責任ではなく、支え合う社会へ」「新自由主義の枠組みを超えよう」という日本共産党の主張は、本質的に、若者の真の願いからそれほど離れていません。福祉国家のように、制度の効果を検証しながら新自由主義で破壊された社会を改善する政治が求められています。
 若者の「モヤモヤ」や違和感を出発点に、現場に根ざした運動が力を持つ時代です。今の若者は、バイト先のハラスメントやスキマバイトの孤立など、日常の中で苦しさを感じています。それを「仕方ない」で終わらせず、社会的な課題として共有することが大切です。運動は普通の生活の中から生まれるもの。現場に根ざした声を政治につなげていくことが、今こそ必要だと思います。            (おわり)