2025年7月10日木曜日

参院選 - 消費増税と社会保障削減へ一直線、2万円給付も食料品税率ゼロも白紙化される

 世に倦む日々氏が掲題の記事を載せました。
 記事は、大旋風を起こしている極右の参政党がどこまで躍進するかについて、朝日新聞の情勢記事では参政党は今回10議席を超える獲得数になることが示唆されているとし、この党が伸びてきた背景には、雌伏の期間が長く全国に根を張って勢力を蓄えたことがあり、「おそらく統一教会と日本会議が組織的に関与し支援しているのだろう」と見ています。
 そして参政党は一過性のバブル政党ではなく、日本において初めて本格的に登場し、永田町に地位を築いた極右政党であると言えると述べます。初の本格的極右がそこまで地歩を固めつつあるとは困ったことです。

 自公の獲得議席が50を割って参院で過半数割れを起こすかどうかについては、週刊文春は、全国32の1人区で自民は11勝21敗となり、自民35公明11の計46議席で惨敗という予想であることを示し、その点は朝日新聞の予想も似たようなものとしています。
 そういう結果になれば党内での石破おろしと政権枠組み転換の動きが始まり、新たな連立体制が模索され、その結果、選挙で石破茂が掲げた公約は白紙化されると見ています。それはいきなりの自公と野田立民の合流には自民党内の反発が大きく簡単にはいかないとして、国民と組むか、維新と組むかでもそれぞれの公約の一部を飲む必要があるからです。
 いずれにせよ、自公政権が衆参で過半数を失っても政権交代ができないことが、日本の政党の堕落を示しています。
 そんな中で野田佳彦が提唱する「令和の一体改革」は、財務省軍団の意図に基づいたものなのでやはり侮りがたく、選挙公約もその中に収れんすることになると見られます。
 しかしそれは消費税15%への道であり、対米従属の軍事費GDP比3・5~5%への道に他なりません。
「野田佳彦=財務省」が前面にいてはこの国が良くなることはありません。
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参院選 - 消費増税と社会保障削減へ一直線、2万円給付も食料品税率ゼロも白紙化される
                        世に倦む日日 2025年7月6日
7/3 に参院選が公示され、世の中は選挙ムード一色となった。7/20 の投票日まで残り2週間しかなく、すでに選挙戦は中盤を過ぎた段階にある。選挙の最大の注目と関心は、大旋風を起こしている極右の参政党がどこまで躍進するかであり、また、自公の獲得議席が50を割って参院で過半数割れを起こすかどうかが焦点となった。この二つは相関関係にあり、参政党が自民党の票を地方の一人区で奪うと、自民党現職が野党の対立候補に競り負けて議席を落とすという構図になっている。石破自民党にはきわめて厳しい情勢と戦況だ。7/3 夜のNHKの7時のニュースに登場した神谷宗幣参政党代表は、議席目標を6議席から10議席に上げると豪語、有権者の手応えのよさを誇示して気勢を上げていた。7/3 発売の週刊文春では、全国32の一人区で自民は11勝21敗となり、自民35公明11の計46議席で惨敗という予想が書かれている

嘗ては精度の高い選挙予想を報じた文春も、最近は鈍化したのか、都議選の分析では大きく外していて、そのためか、この衝撃の数字もネットでは話題にならなかった。その文春の予想では参政党は4議席の見込みであり、もしそれが10議席以上に膨れる場合は、自民の一人区での惨敗と与党過半数割れは必至の状況となるだろう。参政党は地方でも着実かつ急速に支持を増やしている。この極右政党は、今回急にマスコミに登場して台風の目となった。これまでほとんど実態と沿革を紹介されたことがなく、一般国民はよく知らず、私も知識を持っていない。かと言って、ネット界隈でそれほど大きな存在感を放っていたわけではなく、世間の耳目を惹き付ける求心力を発揮してはいなかった。むしろ、最近は百田尚樹や有本香の保守党の方が、の「日本編集長」たる高安カミュの差配の所為か、ネットでのビジビリティ⇒認識度)は高かった印象がある

参政党は地味だった。しかし、だからこそ、いずれ確実に浮上し、既成政党の一角に割り込むだろうという不気味な予感を感じていた。近所の駅前とかで、オレンジの制服の面々が頻繁にビラ配りをやっていて、地道で持続的な草の根の活動力を訴求していたからである。この面々は何者だろう、資金はどこから出ているのだろうと詮索しつつ、泡沫諸派のままで終わればいいなと願い、この極右政党を瞥見していた。90年代以降、日本が凋落し劣化する30年間、極右政党は幾つも次々と出現し、自民党の右に位置する政党を欲しがる右翼のニーズに応えてきた。が、どれも軽薄で力不足で長続きせず、賞味期限が切れて消えて行った参政党が違うのは、草の根の雌伏の期間が長く、全国に根を張って勢力を蓄えた時間が長い点だ。私は、おそらく統一教会と日本会議が組織的に関与し支援しているのだろうと、草の根運動する個々の表情を見ながら直観している

その勘繰りが的中しているかどうかは兎も角、現実政治においてすでに実力を備えた勢力であり、流行に浮沈する一過性現象のバブル政党ではない。日本において初めて本格的に登場し、永田町に地位を築いた極右政党であると言え、欧州で威勢を張る極右政党と同様の体質とイデオロギーを持って日本政治を動かす機軸となるだろう。反リベラル、すなわち反ジェンダー・反マイノリティ・反多様性の象徴となり、ラディカル⇒過激)復古反動と反中反共扇動の旗手となるに違いない。参院選が終わった後、財界や霞が関や各団体による神谷詣でがひっきりなしとなり、マスコミ幹部が揉み手ですり寄り、神谷宗幣と関係を築いて取り込もうとする動きが活発になるはずだ。スパイ防止法制定が現実の日程となる。安倍派の後退と消滅で遠のいていた9条改憲が勢いよく息を吹き返し、国民民主や維新と一体となって国会で発議の進行となる。その図を想像して暗澹とさせられる

7/4 夜に朝日の情勢記事が上がり、文春とほぼ同じ議席予想が出たが、参政党は今回10議席を超える獲得数になることが示唆されている。自公の参院過半数割れは日一日と可能性が高くなっていて、選挙後半戦の報道番組やワイドショーでの政治記者のコメントは、石破茂の退陣を想定した政局トークになるだろう。以下、私なりの独自の視点を示そう。マスコミは、この選挙の争点について、給付金2万円か、消費減税か、与野党の物価高対策の是非が問われる選挙だと定義して報道している。が、自公が50議席を割った場合は無論のこと、過半数を僅差で確保した場合も、2万円給付は取り止めになると確信する。党内での石破おろしと政権枠組み転換の動きが始まり、新たな連立体制が模索され、その結果、選挙で石破茂が掲げた公約は白紙化されるからである。総裁選となった場合は、どの候補も「国民に評判が悪く、自民党敗北の原因となった2万円給付は撤回する」と必ず言う

仮に石破茂が粘り抜いて失脚を回避する場合は、新連立・大連立の方向に活路を求めざるを得ず、その政局に進んだときは、一から基本政策の調整作業が始まり、政策合意発表の時点で2万円給付はリセットされているだろう。新連立工作が失敗した場合は、解散総選挙か石破辞任だが、そこにトランプ関税の問題が重なるはずで、石破茂は全てを背負わされて引責となるのではないかと想像する。然らば、野党が勝利した場合、野党が掲げる消費減税が実現の運びとなるかと言うと、間違いなくそれはないと断言してよい。まず、国民民主が食料品税率ゼロに反対している。国民民主が自公と新連立を組む場合は、食料品税率ゼロは問題外となる。維新が自公と連立を組む場合も、維新側は食料品税率ゼロは簡単に引っ込めて、社会保険料低減(社会保障削減)の「改革」を強く求め、その合意ができなければ連立拒否に出るだろう。自民が立憲民主と大連立を組む場合のみ、食料品税率ゼロの目が残る

が、そもそも政策が最も遠い自民と立憲民主が、維新や国民民主を飛ばしていきなり大連立を組む図は、自民党内に反発が多すぎて難しいし、仮に大連立となっても、野田佳彦のことだから簡単に公約は反故にする。野田佳彦にとって、この公約は単に参院選で票を得るための釣り餌であり、本気で実現する意思も信念もない。この男において、選挙は民主主義制度上のゲームであり、ゲーム期間中、方便の嘘を言いまくって勝ちを拾えればよいだけだ。野田佳彦が野党第一党として選挙後に本気で動くのは「令和の税と社会保障の一体改革」であり、消費税15%アップと社会保障の大幅カットに他ならない。後者については維新と同じ中身であり、すでに水面下で維新や国民民主と調整を詰めているに違いなく、高齢者医療費3割負担が入っているのは確実だろう。玉木雄一郎が掲げた尊厳死法制化も含まれるかもしれない。野田佳彦にとって、選挙で言う公約と選挙後に動く政策とは別なのであり、政治とは国民を巧く騙すことだ

公示の5日前、6/29 、石破茂が「社会保障改革で超党派の新たな会議体の設置を検討」と報道された。テレビで伝えたのはNHKだけだろうか。ニュースの映像には野田佳彦も登場していて、「(この協議体を)提案したのは私」だと得意げに語っている。おそらく、水面下で密議が進行していて、選挙前に発表の手筈になったのだろう。石破茂がこれに応じたのは、参院選の情勢で苦戦が確定的となり、野田佳彦が提唱する「令和の一体改革」に乗り、選挙後の大連立の目を残した方がいいと判断したからだ。「一体改革」の令和版をやれという要求は、7/2 の記者クラブ主催の党首討論会で、読売の橋本五郎が念押しして詰めていたし、松原耕二や中北浩爾が、口を開けばしつこく繰り返していて、財務省軍団が一気呵成に攻勢をかけている。それに政治家が応じている状況が看取される。「令和臨調」なる胡乱な組織が3年前に発足し暗躍していて、ここが推進役となり青写真を描く事務局となって、「令和の一体改革」を実現させる思惑だろう

その主役となる政治家が、先の「一体改革」と同様、野田佳彦で、野田佳彦が昨年の党代表選に再登板したときから、この路線が敷き固められていたと推察できる。消費税を5%から10%に増税した主犯が、まさに野田佳彦だったが、今度は10%を15%に引き上げる主軸に立とうと腕ぶしているようだ。前回、5%から10%に増税したのは、法人減税のための財源作りと、加えて、大企業向け補助金やら租税特別措置のアベノミクスの「成長戦略」のためだった。今回は、軍事費をGDP.5%に引き上げるための歳入の穴埋めだろうか。2025年度の軍事費は約9兆円。これをGDP3.5%の21兆円に引き上げると12兆円が不足となる。この額はほぼ消費税5%分に相当する。説明するときは、膨れる社会保障費を賄うためとか、社会保障の持続可能性のためだとか言うのだろうが、14年前の「一体改革」も、中身は消費増税と社会保障の削減(医療費削減と窓口負担増と年金支給減)だった。14年前、中身の項目を見て驚いた記憶がある。菅直人と野田佳彦に騙された

選挙戦が始まって、もう何度も討論会を見たが、給付金と消費減税という「争点」について、8党ないし10党が短い時間で表面的な話を垂れるだけで番組の時間が埋められている。批判と反論の応酬がなく、視聴者の問題意識を深める材料は何も提供されてない。紙に書かれた公約スローガンが読み上げられているだけで、短いフレーズの広告宣伝を聞かされているのと同じだ。しかも、自民・公明・立憲・維新・国民の5党間の「議論」については、ほとんど(テレビの司会役と一体となった)身内のプロレスの「会話」であり、どこにも対決的契機が感じられない。いつもの退屈な絵の繰り返しで、選挙を重ねる度にこのマンネリ様相がひどくなる。昔はこうではなかった。中選挙区時代のテレビ討論会は熱があったし、2010年頃まではもう少し見応えのある論戦が演じられていた。与野党間に政策の対立軸があり、理念の違いがあったから、討論に迫真性があった。選挙をやる度に日本の選挙は劣化する。そして結果も悪くなり、選挙後の政治が悪くなる

期待する選挙の討論が行われていない。本来、トランプ関税も大きな争点のはずで、日米関係をどうするかという重大な国家の方針が論争されなくてはいけないはずだ。けれども、自民・公明・立憲・国民・維新の5党間に対立軸がなく、司会のテレビ局も同類なので、有意義な討論が展開される機会は全くない。軍事予算についても同じだ。一票を入れる前という重要な時期に、アメリカが要求するGDP比3.5%の話は出ない。だが、選挙が終わった瞬間、松原耕二がこれを切り出し、相棒の佐藤正久や小谷哲男と一緒に猛然とプロパガンダを始め、来年度予算に反映させる方向性を正当化する。中国脅威論で埋め尽くす。アメリカに言われなくても日本が自ら欧州諸国並みに5%に引き上げるのが当然だと喚き、世論を強引に押し固める。トランプ関税問題が始まったとき、一部から、米国債売却で抵抗せよという強硬案が出ていた。今は誰もそれをマスコミで言わず、選挙なのに野党が言わない

中国は、レアアースという切り札を使ってトランプ関税の攻勢を封じた日本が持っている切り札は米国債である。中国を見倣ってエースのカードを使えばいい。日本保有の米国債はアメリカにとって脅威であり、それが反撃の武器として使われる挑戦は、まさに国難発生の事態だろう。ガミラス艦隊にとってのヤマトの波動砲に等しい。日本にとって、輸出する自動車に25%だの30%だのの関税をかけられる打撃は、国家が一瞬で沈没する経済的危機なのだから、それを受け入れられないのなら、正面から真剣勝負の対抗策を講じるべきなのだ。選挙戦の討論会で、そうした政策主張が出ず、意味のある、政府の決定に影響する論争が演じられないのは残念だ。日銀の金利策についても同様である。日銀が金利を上げれば為替が変動して円高になる。輸入物価高は収まり、食料品とエネルギーは安くなる。なぜ、この点が選挙の政策争点にならないのか、生討論で切り出す野党が出ないのか不思議だ

もう一つ、自民党の選挙公約の中で「防災庁」の位置づけが弱く、選挙論戦でもアクセントを置いた訴えを行っていない。石破茂は、去年の総裁選で掲げていた持論の政策を後退させたのだろうか。それからまた、石破茂が強調していた「地方創生」についても、骨太の方針の中に具体的なモデルとプログラムがなく、選挙公約でも特に目を惹く提案内容がない。石破カラーとして期待させながらフェイドアウト⇒消失)の状態になってしまっていて、官僚がパワポでキーワードを並べただけの空虚な形式的作文に終わっている。まともに仏も作らず、魂も入れず、色褪せた看板コピーになってしまっていて残念だ