2026年2月16日月曜日

伊藤千尋 ~今の世界は選挙でなく市民運動で変わる/~ 選挙結果にめげているときではない

 伊藤千尋氏の直近2つの記事を紹介します。

 多分、記事の主張に惹かれた方は伊藤千尋氏についても知りたくなると思うので、ウィキペディアの記事を末尾に転載しました。とても短いので全文を掲載しました。
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伊藤千尋:正道を歩もう、今の世界は選挙でなく市民運動で変わる
                  レイバーネット日本2.0  2026年2月11日
 今回の選挙結果にショックを受けていませんか。当選議員が自民党だらけになった日本列島の政治地図を見て、ため息をつく人は多いでしょう。なぜこうなったのか。第1に、高い支持率を背景に「今なら勝てる」と抜き打ち解散した高市早苗首相の計算が図に当たったこと。第2に、「強く明るいサナエ」イメージを拡散した高市陣営ネット戦略の成功、第3に、いやこれが最大の理由かもしれませんが、安保や原発の党是を捨て野党共闘を放棄し存在意義すら失った立憲民主党のていたらく。対抗勢力が消えれば与党が勝つのは小選挙区制では当然です。第4に、国民の生活感覚から遊離し親近感を得られなかった左派の姿勢(米国の民主党の失敗そっくり)。このような点が挙げられます。

 昨日(2/9)は広島で平和憲法の講演をしました。聴かれたみなさん、最初は選挙結果を受けてがっかりした表情でしたが、講演が終わると元気になりました。理由は二つ。まず、政治は選挙でなく市民運動で変わるのが今の世界だと知ったこと。次に、平和憲法の力をあらためて強く認識したこと、さらに、今どうすればいいのかのヒントをつかんだことです。
 政治が変動するとき、これからどうなるのかという声をよく聞きますが、どうなるかと悩んでいる場合ではありません。圧倒的な力を握った高市首相は改憲を目指し、矢継ぎ早な改革を進めるでしょう。問題はこの機に私たちがどうする、です。戦後80年を超えて、日本の平和はまさに正念場を迎えました。
 怪物のような政治家が国をメチャクチャにするのは、すでに先例が進行中です。トランプ米大統領はグリーンランドまで手に入れると豪語し、国連に代わって世界の平和を主導する組織として「平和評議会」を創りました。世界の帝王になろうとしています。高市首相の何倍も大掛かりな嵐が、米国でこの1年吹き荒れ、これから3年も続きます。
 戦後この方、世界は理念や理性を基盤に据えてきました。国連憲章は国の規模の大小にかかわらず1国1票の公平性をうたいます。それをただ力が強い者が勝ちカネがすべての世界に根本から変えようとするのがトランプ流です。人間性を破壊し暴力ですべてを支配する考え方です。ハリウッド映画に出てくる「悪の帝国」そのもの。これに追従するのが高市首相の基本姿勢です。このまま進めば世界も日本も、軍事と経済で強い者が支配することになります。どうしたらいいのか、と悩む前に私たちの基本的な立ち位置をしっかり見据えることが重要です。
 国連憲章が冒頭で掲げるのは、国際紛争を「平和的手段によって、かつ正義及び国際法の原則に従って実現すること」です。キーワードは「正義」です。社会正義、国際正義に基づかない身勝手な行動は許さない。それをすべての国、すべての人々が基本に据えることが平和な世界を構築することにつながります。
 私たちはあくまで正道を歩もうではありませんか。私たちだけではない。カナダのカーニー首相も「ポピュリズムと民族ナショナリズムが台頭する時代にあって、カナダは多様性が弱みではなく強みになり得ることを示すことができる。進歩と正義へと向かう余地は、なお残されている」と述べました。米国でもニューヨークに民主的社会主義を掲げるマムダニ氏が元旦、市長に就任しました。トランプ大統領の支持率は急速に低下しています。秋に行われる米国の中間選挙では共和党の敗北が予想されます
 私たちはどうすればいいのか、端的に言いましょう。私たちの立ち位置「正義」の基本を譲らないことです。本当の強さはそこにあります。9条を今まで以上に高く掲げましょう。混迷した世界を救うのにどうしたらいいか。答えは出ています。世界に9条を広めることです。今の世界でそれができるのは、日本で9条を守ってきた私たちです。


伊藤千尋:市民運動こそが日本を変える〜選挙結果にめげているときではない
                  レイバーネット日本2.0 2026年2月13日
 選挙結果について書いたら多くの方から反応をいただきました。今日(2/11)は都内で「今こそ平和憲法を広げよう」と講演をし、先ほど帰宅したところです。さて、昨日の続きです。今の危うい状況を変えるにはどうしたらいいのか。まず知ってほしいのは、今の世界の政治は選挙でなく市民運動によって変わることです。
 ちょうど40年前の1986年2月、フィリピンで100万人の市民が首都の大通りを埋めて独裁政権に抗議し、独裁者マルコスはアメリカに逃亡しました。民衆の力、「ピープルパワー」と呼ばれます。
 そこで就任したのが女性のアキノ大統領です。その4日後、今のウクライナのチェルノブイリで原発事故が起きました。発足したばかりのアキノ政権は前年にできたばかりのフィリピンのバターン原発を一度も使わないまま廃炉にしたのです。市民が生んだ政権だからこその選択です。
 廃炉になったこの原発を訪れたのは、福島原発事故の翌2012年でした。原発をなくしてエネルギーはどうしてるのか問うと、地熱発電で賄っていると言います。首都から車で4時間かけて山奥の地熱発電所を見に行きました。大規模な発電所のあちこちに赤いスリーダイヤが見えます。日本の三菱製でした。主任技師は「今や我が国はアメリカに次いで世界第2の地熱発電大国です」と胸を張ります。
 だったら三菱は日本でも地熱発電をやれよ、と言いたくなるではありませんか。帰国して大分県にある日本最大の地熱発電所を見に行くと、三菱製です。でも、とっても小規模です。なんでフィリピンであれだけ大規模にやれて当の日本ではちっぽけなのか。
 調べてみると当時、世界の地熱発電のタービンの7割が日本製でした。日本は世界でも断トツの地熱発電の技術があるのです。なのになぜやらないかを聞くと、景観を壊すとか温泉が出なくなるとかいろいろ理由を言われました。でも、同じ大分県で名高い別府温泉の杉乃井ホテルは自前の地熱発電で電力を賄っていました。やれるのです。
 今日の講演でも言いましたが、実は日本で地熱発電をきちんと開発すると原発20基分の電力がとれるのです。当時、経済産業省の研究機関がそうHPに書いていましたのを見て驚き、経産省に確認もしました。日本の技術はすばらしい。官僚もちゃんと調べている。でも、政治がそれを捻じ曲げて「日本には自然エネルギーはない」と国民をだましているのです。
 地熱発電の威力を始めて認識したのは福島の原発事故の1年前、2010年でした。北欧のアイスランドを訪れて「世界最大の露天風呂」を見たのがきっかけです。サッカー場より広い5000平方mの巨大な露天風呂を見て「どうしてこんなものを作ったのですか」と質問しました。露天風呂の向こうで煙をもくもくと吐いていたのが地熱発電所です。発電する過程で地中から出てくる水蒸気が出てお湯となって地面に溜まった。それを露天風呂に活用しているのです。
 そこで考えました。地熱発電所を作って露天風呂ができるのなら、露天風呂がたくさんある日本ならもっと地熱発電が出来そうだ、と。帰国して調べた結果が「原発20基分」の電力がとれるという経済産業省のHPです。

 アイスランドと言えば1975年、ジェンダー平等を求めて女性の9割が参加したストライキ「女性の休日」をご存知でしょう。映画にもなりました。この運動がきっかけで男女平等が進み、今やこの国は16年連続でジェンダー平等世界一を続けています。平和度指数も17年連続で世界一です。アイスランドだって男性優位の社会でした。それを女性自らが変えたのです。今は大統領も首相も女性です。選挙でなく市民動が政治を変えたのです。
 原発と言えば台湾は昨年、アジアで最初の脱原発を達成しました。6機あった原発全てが稼働をやめたのです。それを招いたのは市民、中でも若い女性の市民運動でした。「原発監視ママ連盟」の提唱で2013年に5万人がデモをし、ついに原発を停止に追い込んだのです。
 もっとすごいのがお隣の韓国です。2年前に当時の大統領が戒厳令を出したとき、市民が立ち上がりました。若い女性が兵士から銃をもぎ取りました。大統領は今や犯罪人として裁かれています。
 この国ではたびたび100万人規模で市民がデモを行い、政権に対して異議を唱えて来ました。2008年には危険な牛肉をアメリカから輸入することに反対して市民はロウソクを手にデモをした。そのとき、デモの人々が歌ったのが「大韓民国憲法第1条」という歌です。「大韓民国は民主共和国である。主権は国民にあり、すべての権力は国民から生じる」という第1条にメロディーをつけて歌った。米国に従うのでなく韓国の主権を発揮せよ、という主張です。高市首相に聴かせてやりたい
 2016年10月には当時のパク・クネ大統領に抗議し、首都の広場を3万人が埋めました。翌週は30万人、その翌週は100万人、最終的には首都だけで170万人に膨れ上がり、パク大統領をついに退陣に至らせた選挙ではなく市民の行動が政治を変えたのです。
 僕は主催者に「どうしてこんなにたくさんの人を集めることができたのですか」と聞きました。いろんな理由が挙げられました。その一つに「前年の日本に学んだのも大きな理由の一つです」と言います。2015年に安保法制に反対して10万人以上が国会を包囲した市民行動のことです。「あのおとなしい日本人でさえ立ち上がった。我々は何をしているのか、と発奮したのです」と言います。

 みなさん、日本の市民運動も捨てたものではありません。お隣の韓国に影響して100万人デモを生むきっかけになったのです。あのとき、国会前に参加した人もいるでしょう。あなたの行動が韓国の政治を変えたのです。私たちには力がある。
 僕はさらに問いました。「日本ではとても100万人は集まらない。どうして韓国はできるのですか」と。答えは、こうです。「我々、韓国の市民は軍事独裁政権の時代に市民が何度も血を流しながら闘い、ついに民主主義を勝ち取りました。だから自信を持っています。日本の歴史の中で市民が立ち上がって政権を勝ち取ったことが一度でもありましたか」と。そう、繰り返す市民運動が市民自身に自信をつけ、自信を持った市民がまた立ち上がるのです。体験しなければ自信は生まれない。だったら、今から私たちが自ら体験すればいい。
 今や韓国の軍事政権の時代に似たようなことを高市政権はやろうとしています。今こそ、私たちは日本に歴史を作ろうではありませんか。選挙結果にめげているときではない。これをきっかけに、より良い未来、私たちの子や孫に誇れる日本を、私たちの手で創り出そうではありませんか。


伊藤 千尋ウィキペディア)
(いとう ちひろ、1949年9月15日 - )は、日本のジャーナリスト。

来歴
山口県下関市生まれ。山口県立下関西高等学校を経て、1973年、東京大学法学部卒業。大学4年の夏休みに朝日新聞社から内定を得るが、産経新聞社が進めていた冒険企画に応募。スペイン語とルーマニア語の知識があったことから「東大ジプシー調査探検隊」(顧問・直野敦)を結成して東欧に飛ぶ。東欧では「日本のジプシー」を名乗り、現地のジプシーと交わって暮らし、日本初のジプシー語辞書を作り、帰国後は新聞にルポを連載した。

ジプシー調査でジャーナリズムの醍醐味を知り、1974年、再度入社試験を受けて朝日新聞社に入社。長崎支局、筑紫支局、西部本社社会部、東京本社外報部を経て1984年から1987年までサンパウロ支局長。日本に帰国してから社会部に入り、『AERA』編集部員の後、1991年から1993年までバルセロナ支局長。その後、川崎 支局長、フォーラム事務局幹事。2001年、ロサンゼルス支局長。『論座』編集部を経て『be』編集部員。2009年に定年を迎えるが再雇用で『be』編集部に勤務し続ける。「コスタリカ平和の会」共同代表