2025年10月15日水曜日

15- 公明党が連立離脱の衝撃 - 平和と中道と政治倫理を掲げた野党の復活を歓迎する(世に倦む日々)

 世に倦む日々氏が掲題の記事を出しました。説得力のある記事です。
 創価学会初代の牧口常三郎と二代の戸田城聖は、戦中に治安維持法で逮捕される迫害に遭い、転向を拒否した牧口は獄死させられています。そうした背景をもつ公明党は本来は平和志向の政党でした。
 ところが自民党と連立を組む中で結果的に戦争法の制定にまで協力しました。それを具体的に誘導したのは北側一雄議員(弁護士)で、彼自身は法案の一字一句まで入念にチェックして反映させたと主張しますが、現実にそうした思いは何ら反映されることはなく、安倍政権の下、急速に戦争をする国家へと変身しました。

 世に倦む日々氏は、公明党が自公連立から離脱した本当の理由は、政治資金問題よりも上位にある難題=憲法改正とスパイ防止法であり、「連立与党のままだとそこへ国民民主が割り込み、今秋にもスパイ防止法の上程と成立に加担させられ、来春には改憲発議に協力させられる立場になることが避けられない。そうなったとき、女性部を中心とした創価学会の反発と動揺は嘗てない規模で紛糾し、公明党が分裂する破滅に繋がってしまう」ことから、斎藤執行部は離脱やむなしの最終決断を下したのだろうと推理します。
 そうであれば公明党の斎藤執行部がこの段階で、何を措いても連立離脱に走ったことがよく理解できます。
 そして公明党の離脱による衆院選への影響について米重克洋の説を取り上げて、自民党は単純計算で52議席を失うと予測されるが、もし公明党が立憲候補の応援に回って票を上乗せした際は、52議席減では済まない革命的な事態になると述べます

 そして公明党が自民党と決別する構図が固まると自民党は分裂せざるを得ず、ハト派であれタカ派であれ、どの勢力が主導権を握って自民党を継承しても、今よりスケールの小さな政党と勢力に萎縮せざるを得ないと述べます。
 そして「自民の呪縛と拘束から解放された公明党は、本来の結党の理念に則り、平和と中道と政治倫理のテーゼを掲げた野党に変身し、広宣流布の大義を追求する宗教的倫理を復活させ、選挙を通じた勢力挽回に挑むので、日本政治の景色が一変すると期待する」と述べます。
 いずれにしても公明党が本来の平和を志向する政党に戻ることの効果は絶大です。
 こうして新たに平和指向の野党が誕生することは嬉しいことです。
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公明党が連立離脱の衝撃 - 平和と中道と政治倫理を掲げた野党の復活を歓迎する
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10/10、激震が走り、26年間続いた自公連立に終止符が打たれた。注目された高市早苗との党首会談の後、斎藤鉄夫が連立解消を発表した。日本の政治が大きく動く一日となった。斎藤鉄夫の会見を聞いてカタルシスを覚え、興奮の余韻がずっと続いている。禍福は糾える縄の如し。一週間前、10/4 の総裁選で高市早苗が選出された絵を見て、「憂鬱で神経が衰弱する」と悲嘆に暮れたばかりだった。今は気分が躁状態に変わっていて、政治に曙光が射した幸福感に心を弾ませている。天地雷鳴の逆転劇が遂に起こり、そして日本の政治は多党時代の混乱期に入った。明日何が起こるか分からず、毎日が怒涛の政局が続き、目まぐるしく情勢が変わってゆく。思えば、一年前の自民党総裁選からそれが始まっていて、二度の国政選挙を経てさらに激動と変容が続き、視界不良のアモルフ化が加速している。田崎史郎らがテレビに出ずっぱりの地平が続き、当面それが止まりそうにない

斉藤鉄夫の連立解消の弁は分かりやすかった。有権者国民と支持母体に対する素直な報告であり、特に学会女性部の党支援者を意識した語りだったが、言葉の一つ一つが納得でき、耳を傾ける者の心に響いて落ちる説明だった。政治家の言葉はこうじゃないといけないと思わせる、シンプルでストレートで意を尽くした内容だった。同時に、論理的に精密かつ堅牢に構成を練り、決断と行動の正当性を固めた政治家の言葉だった。会見後、ほとんどのテレビ局の報道番組に出演し、キャスターの質問に答えながら同じ説明を重ねて繰り返したが、おそらく、それを聞いて理解できないとか疑念が残るという感想を抱いた視聴者は一人もいなかっただろう。誰もが公明党の決断に共感を覚え、よくやったと積極的に評価したと想像する。地方を回って支援者の誰からも同じ苦情と要請を受けたのだというは、斎藤鉄夫の柔和で誠実な人柄も重なり、目に浮かぶような情景となって説得力を醸し出し

が、政治を分析する者としては、この衝撃の深部を整理し解読しないといけない。斎藤鉄夫の発表と西田実仁の補足が緻密であり、入念に準備された論理設定である事実を知るほどに、公明党の連立離脱の意思決定が早い時点で検討されていた真相が窺われる。無論、石破おろしがなければ、新総裁が林芳正であれば、対応と進行は違っていただろう。麻生・高市の新体制が公明党を排除する悪意を明確に持ち、国民・維新と連立組み換えに動く謀略が間違いないと判断できたが故に、言わば先手を打つ形で大胆な行動に出たのだ。その点は老獪な政治である。敢えて言えば、政治資金規制強化(窓口集約)の話は、周到な口実と言うか大義名分の形式なのである。公明党は自民党に対して、この政治資金問題の要請をずっと、いざというときに抜く伝家の宝刀として準備していて、マスコミと国民を納得させる連立解消の理由づけとして確保していた。最後の段階でこれが決別の理由なのだと主張するために。

本当の理由は、政治資金問題よりも上位にある難題があったはずで、それは憲法改正(9条2項と緊急事態条項)とスパイ防止法だと推測する。このまま麻生・高市の自民党と連立与党のままだと、そこへ国民民主が割り込み、スパイ防止法と憲法改正がアジェンダ⇒議題・実施事項)になり、今秋にもスパイ防止法の上程と成立に加担させられ、来春には改憲発議に協力させられる立場になる。それは避けられない。そうなったとき、女性部を中心とした創価学会の反発と動揺は嘗てない規模で紛糾し、公明党が分裂する破滅に繋がってしまう。そこに踏み込んではならず、斎藤執行部は離脱やむなしの最終決断を下したのだろう。創価学会初代の牧口常三郎と二代の戸田城聖は、戦中に治安維持法で逮捕される迫害に遭い、転向を拒否した牧口は獄死させられている。この法難と悲劇が学会と公明党の原点であり、平和の党を基礎づける物語として教義されている。その公明党が、スパイ防止法を成立させる与党の立場に立てるのか

つまり政治資金問題は表面の外皮で、本質はイデオロギー問題だったのだ。私は、焦点となるスパイ防止法に公明党がどのような態度を示すか注視していたが、総裁選を受けての連立更新のタイミングで、素早くその政局から脱出する挙に出た。学会組織の高齢化によって、また公明党が自民党化する矛盾と軋轢に苦しむ末端の疲弊消耗とエートス⇒道徳・倫理)薄弱化によって、公明党の集票能力は衰退し、票も議席も減少の坂道を転がり、党は危機的状況に陥っていた。そこへスパイ防止法だの憲法改正だのの破局が到来したら、女性部は壊滅的打撃を受け、学会も党も確実に崩壊していただろう。党を熱心に支える70代以上の学会員にとって、その政治は人生の否定を意味する。しかしまた、そうして平和勢力の契機を残す学会を分裂させ破壊することが、麻生・高市の獰猛な狙いであり、上からの政界再編を仕掛ける佞悪な目標であったと思われる。その仕掛け爆弾が爆発する間際、斎藤公明は身を翻して自民党から離れたのだ。

マスコミ報道のコメントでは、斎藤公明の離脱決定を肯定的に受け止め、その理由説明を合理的だと認める意見が多い。そして、その原因を作った麻生太郎の強引で傲慢な独裁手法を咎め、政治資金問題(=安倍派復権)に開き直る姿勢に批判的な論調が支配的だ。それが一般的な国民感情だろう。それではなぜ、麻生と高市はこんな無謀な暴走に出たのだろう。賭けに出たのは、斎藤公明ではなく麻生・高市の方である。高市自民が峻烈に公明斬りに動いたので、斎藤公明がそれより速いクロスカウンターで反撃してダウンを奪った。この政治の動機は、おそらく麻生太郎の年齢にある。85歳。長くない。悲願の憲法改正とスパイ防止法まで時間を待てないのだ。憲法改正を見ることなく、石原慎太郎も中曽根康弘も安倍晋三も渡辺恒雄も死んだ。渡辺昇一や竹村健一も死んだ。櫻井よしこも79歳になっている。このままでは、政権に入っている獅子身中の虫の公明党に足を引っ張られ、念願の国家体制変革が達成できない

国民民主の玉木雄一郎とは、麻生・高市はかなり以前から水面下で接触して謀議していたのだろう玉木がスパイ防止法制定を提唱したのは、記憶では参院選の前で、選挙の党公約に正式に掲げた。12年前の2013年、玉木は民主党の副幹事長で副政調会長だったが、秘密保護法に反対するポストを発している。スパイ防止法は、テクニカルな中身で止まった秘密保護法をさらに政治化し、言論思想統制の目的を明確化させた法律で、戦前の治安維持法と同じものだ。国民が戦争反対を言えなくする弾圧法制だ。そんな恐怖の政策を玉木が衆目を惹く形で正面に据えたのを見て、極秘裏に麻生・高市・櫻井らと会合を重ね、ポスト石破の新連立・右翼政権に向けて毒々しく密謀している可能性を私は疑った。7月の参院選では参政党もスパイ防止法をメインの公約に掲げて訴え、維新も行動を同期させ、参院選後は3野党で法案策定の作業が着々と進む展開になっていた公明党はそれを見て、最早待ったなしと覚悟を決めたのに違いない

公明党の離脱を受けて、マスコミは衆院選への影響を具体的に試算し始めている。様々な数字が出ているが、米重克洋の説では、公明党が小選挙区の自民現職に投票しなかった場合、単純計算で52議席を失うと予測されている。参政党に流れていた右翼票が自民候補に戻る効果も想定され、その際はこの数より減少幅は小さくなると見積もられるけれど、逆に、もし公明党が立憲候補の応援に回って票を上乗せした際は、リバース現象が起こり、52議席減では済まない革命的な事態となる。現在自民党の小選挙区議員は132人いるが、一挙に半減するかもしれない。私は前回記事で、参政党から自民党に回帰する右翼票は限定的だろうという予想を述べた。その根拠は、移民やジェンダーの問題で参政党と自民党とは政策指針が異なるからであり、日本が新しい政治環境に変質しているからである。外国人問題(特に中国人)は必ず選挙の争点になるし、参政党はその要所を刺激して票を伸ばそうと思惑する。欧州的な極右政党として地盤を築く

公明党が自民党と決別し、その構図が固まるとき、自民党は分裂せざるを得ず、ハト派であれタカ派であれ、どの勢力がヘゲモニーを握って自民党を継承しても、今よりスケールの小さな政党と勢力に萎縮せざるを得ない。多党時代の一つの保守政党になり、他のどこかと合従連衡して政権を狙い奪い担う集団となり、選挙の度に不安定な政局や再編に直面して流動することとなるだろう。世襲制の政党である自民党からは人材が出ず、草の根が運動して支える魅力を持てない。資本家と富裕層を優遇する政策から脱却できない。一方、連立から離脱を果たし、裏金自民の呪縛と拘束から解放された公明党は、本来の結党の理念に即き、平和と中道と政治倫理のテーゼを掲げた野党に変身する。広宣流布の大義を追求する宗教的エートスを復活させ、選挙を通じた勢力挽回に挑むだろう。公明党の野党転身が奏効し、日本政治の景色が一変すると期待する。誰かがXに書き込んでいたが、公明党が自民党と連立を組んだ26年は、日本の失われた30年とそのまま被さる

あの山口二郎の「政治改革」の悪魔的愚策によって、どこまでも恨めしく厭わしい小選挙区制導入の過誤によって、公明党は野党として生きられなくなり、理念を捨てて卑屈な「下駄の雪」と化す運命を歩んでしまった。死んだ子どもの年を数えるようだが、残念でならない。私は竹入義勝の時代を覚えている。公明党の蘇生と新生を願い、平和と中道の旗を高く掲げるフレッシュな姿が躍動する今後を願う。何度も同じ議論をして恐縮だが、3本の基本対立軸で政党を配置した分析図に照らせば、公明党と最も理念・政策が近いのは立憲民主党である。さらに客観的に正視すれば、立憲よりも共産党に近い左側のポジションに公明党の党是が確認できる。国政で公明党が野党に復帰し、久しぶりに野党として活躍することは、市民として歓迎すべき出来事だ。ぜひ中国との長い友好関係の資産を活かし、北京と台北を往復し、台湾有事の回避に尽力することを願いたい。日本と東アジアの平和に貢献してもらいたい

2025年10月13日月曜日

ガザ 停戦 イスラエルとハマス「第1段階」 人質解放は13日か

 トランプ大統領は日本時間9日朝 SNSで、ガザでの戦闘を続けているイスラエルとイスラム組織ハマスが、トランプの発表した計画の「第1段階」で合意し、ハマスが拘束しているイスラエル人の人質は全員解放され、イスラエル軍がガザの一部区域から撤退すると説明しました。支援物資がガザに搬入されるといいます。
 問題は、イスラエル人の人質全員解放されハマスが武装解除した後に、イスラエルが誠実に虐殺行為を止めるかどうか―虚偽の口実をつけて再開しないかーですが。
 NHKとしんぶん赤旗の記事を紹介します。
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ガザ地区停戦 人質解放は13日朝か イスラエルのメディア伝える
                    NHK NEWS WEB 2025年10月12日
イスラエルとイスラム組織ハマスがガザ地区で停戦を開始してから48時間が経過しました。停戦後72時間以内とされる人質の解放をめぐり、イスラエルのメディアは現地時間の13日朝に始まるとの見方を伝えていて、人質の解放がいつどのように行われるかが焦点となっています。
アメリカのトランプ大統領の和平計画に基づき、イスラエルとハマスが合意した停戦は10日正午、日本時間の10日午後6時から始まりました。
ハマスの報道官は11日、アラブメディアに対し、停戦は維持されているとの認識を示したうえで、和平計画の第1段階の履行を完了させる考えを示したということです。
和平計画にはガザ地区で拘束されている48人の人質全員を停戦開始から72時間以内に解放することが盛り込まれていて、イスラエルのメディアは当局者が人質の家族らに対し、人質の解放が現地時間の13日朝に始まる見込みだと伝えたと報じています。
また、イスラエル軍のラジオ局は生存している20人の人質を一斉に解放するため、ハマス側が1か所に集める作業をしていて、解放は13日になるだろうとの見方を伝えています。
一方、一部のアラブメディアは12日に人質の解放を行う準備ができているとするハマスの情報筋の話を伝えていて、人質の解放がいつどのような形で行われるかが焦点となっています。

2年間、ずっと待っていた」人質の兄
ガザ地区で拘束されている人質が解放されるのを前に、人質の1人で日本のアニメのファンだというガイ・ギルボアダラルさん(24)の兄のガルさん(31)がNHKの取材に応じました。
この中でガルさんは「拘束されてから2年間、ずっと待っていた。あと1日、2日でここに帰ってくることが信じられない」と再会を待つ気持ちを語りました。
おととし10月7日、2人はともにガザ地区の近くで開かれた音楽イベントに参加していて、イスラム組織ハマスに襲撃されました。
ガルさんはくぼ地などに8時間隠れて無事でしたが、弟のガイさんは友人とともに連れ去られたということです。
弟が人質としてガザ地区で拘束され続けたこの2年間について、ガルさんは「どんな扱いを受けているのか、毎日、心配していた。生きているのか、帰ってくるのかも分からずに日々を過ごすことはとてもつらい気持ちだった」と振り返りました。
ガルさんによりますと、ガイさんはアニメなど日本文化が好きで、人質にならなければ去年の春には初めて日本を訪れる予定でした。
ガルさんは「ガイは独学で日本語を勉強していて、桜を見るために航空券も予約していた。解放されて最初にやりたいことの1つは日本に行くことだと思う」と話していました。

トランプ大統領 中東訪問の日程 人質の家族と面会も
アメリカ・ホワイトハウスは11日、トランプ大統領の中東訪問の日程を明らかにしました。
それによりますと、トランプ大統領はイスラエル最大の商業都市テルアビブに現地時間の13日午前9時半前に到着し、そのおよそ1時間半後、エルサレムにあるイスラエルの議会でイスラム組織ハマスに拘束されている人質の家族と面会する予定です。
そして午前11時、日本時間の13日午後5時からトランプ大統領はイスラエルの議会で演説するということです。
このあと、トランプ大統領はイスラエルとハマスによる間接協議が行われたエジプト東部のシャルムエルシェイクに向けてテルアビブを出発します。
シャルムエルシェイクに移動後、トランプ大統領は現地時間の13日午後2時半、日本時間の13日午後8時半から中東和平に向けた式典に出席するとしています。
そして式典に出席したあと、ホワイトハウスに戻るため、その日の夕方には現地を離れるということです。


ガザ 停戦へ合意 イスラエルとハマス「第1段階」 軍の一部撤退・全人質解放
                       しんぶん赤旗 2025年10月10日
【ワシントン=洞口昇幸】トランプ米大統領は米東部時間8日夜(日本時間9日朝)にSNSで、パレスチナ自治区ガザでの戦闘を続けているイスラエルとイスラム組織ハマスが、トランプ氏の発表した計画の「第1段階」で合意したと発表しました。ハマスが拘束しているイスラエル人の人質は全員解放され、イスラエル軍がガザの一部区域から撤退するとも説明しました。
 カタール外務省も「第1段階」の全ての内容で合意したと発表しました。イスラエル人の人質と、イスラエルが拘束しているパレスチナ人が解放され、支援物資がガザに搬入されるといいます。
 トランプ氏は「イスラエルとハマスがわれわれの和平計画の第1段階に署名したことを、とても誇りに思いながら発表する。全ての人質がまもなく解放され、イスラエルは合意した地点まで軍を撤退させる」と語り、「これは強固で持続可能で永続的な平和への第一歩だ。全当事者は公平に扱われる」と強調しました。
 同氏はまた、「今回の歴史的で前例のない出来事を実現するために協力してくれたカタールやエジプト、トルコの仲介者らに感謝する」と述べました。
 イスラエル人の人質48人のうち20人が生存しているとされ、トランプ氏は米FOXニュースとのインタビューで、人質が米時間13日に解放されると述べました。
 トランプ氏は9月29日に、ガザでの即時停戦や人質解放、停戦後のガザの統治について20項目に上る計画を発表し、イスラエルのネタニヤフ首相と合意。ハマス側に計画の受け入れを迫っていました。ただ、今回合意したという第1段階の詳細は明らかにされていません。
 ネタニヤフ氏は同日のトランプ氏との会談の際に、ハマスが計画を受け入れても、その後に妨害を行うならばガザでの軍事攻撃を続ける意向を示しています。トランプ、ネタニヤフの両氏は、国連加盟国の多くが支持するパレスチナ国家樹立とイスラエルとの平和共存による「2国家解決」には否定的です。


合意の厳格な実施 包括的和平実現を
                       しんぶん赤旗 2025年10月10日
志位議長が談話
 日本共産党の志位和夫議長は9日、「合意の厳格な実施、包括的和平の実現を―ガザ停戦合意の発表について」との談話を発表しました。全文は以下の通りです。
写真
 一、イスラエルとガザのイスラム組織ハマスによる停戦合意が発表されたことは、長く続いた惨劇を終わらせるための重要な一歩となりうるものであり、歓迎すべき前進である。合意の具体的な内容はまだ明らかにされていないが、双方が、今回の合意を厳格に実施し、ガザでの戦闘の終結、イスラエル軍の撤退、すべての人質の解放、人道支援の開始を行うことを強く求める。
 一、今回の合意を、一時的な停戦に終わらせず、恒久的で包括的な和平の実現につなげ、パレスチナの自決権を含む2国家解決に進むことが強く求められている。そのためには国連と国際社会の関与が不可欠である
 一、何よりも急がれるのは、ガザへの大規模な人道支援を直ちに再開することである。イスラエルは、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)をはじめ国際的な人道支援活動への妨害を直ちにやめるべきである。

石破首相の戦後80年所感(要旨)/戦後80年所感(全文)

 12日付のしんぶん赤旗に、石破茂首相が10日発表した戦後80年に関する「所感」の要旨が掲載されたので紹介します。
 併せて11日付の新潟日報に掲載された「所感」の全文(約6360字)を紹介します。

 先の戦争は朝鮮、中国への侵略で始まりましたが、記述はそれを引き起こした国内の諸事情に限定されていて「朝鮮」「中国」などの文字は全く記載されていません。「所感」は閣議で決定したものではなく石破首相個人のものとして発出されたので、それによって対外的な問題が生じることを避けたものと思われます。
 首相が最も注力した項目は「今日への教訓」と思われ 約2500字に及んでいます。
 全体的に この「所感」は克明に史実を踏まえたもので、石破氏の知識・認識の深さを思わせるものとなっています。

  追記.本ブログの記事は「文字起こし」をしたもので、まだ十分にチェックをしており
     ません。追ってチェックの上ミスがあれば修正します。
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石破首相の戦後80年所感
                       しんぶん赤旗 2025年10月12日
 石破茂首相が10日発表した戦後80年に関する「所感」の要旨は次の通りです。
      
 戦後50年、60年、70年の節目に内閣総理大臣談話が発出されており、歴史認識に関する歴代内閣の立場を私も引き継いでいく。
 過去の談話では、なぜあの戦争を避けることができなかったのかという点にはあまり触れられていない。
 開戦前に内閣が設置した「総力戦研究所」や陸軍省が設置したいわゆる「秋丸機関」等の予測によれば、敗戦は必然だった。政府・軍部もそれを認識しながら、どうして無謀な戦争に突き進み、国内外の多くの無事(むこ)の命を犠牲とする結果となってしまったのか。戦後80年の節目に考えたい。

【帝国憲法の問題
 大日本帝国憲法の下では、軍隊を指揮する権限である統帥権は独立したものとされ、「文民統制」の原則が、制度上存在しなかった。内閣総理大臣の権限も限られていた。

【政府の問題
 統帥権の意味が拡大解釈され、統帥権の独立が、軍の政策全般や予算に対する政府と議会の関与・統制を排除するための手段として、軍部によって利用されるようになっていった。1935年、憲法学者で貴族院議員の美濃部達吉の天皇機関説について、最終的には軍部の要求に屈して、従来通説的な立場とされていた天皇機関説を否定する国体明徴声明を2度にわたって発出し、美濃部の著作は発禁処分となった。

【議会の問題】
 本来は軍に対する統制を果たすべき議会も、その機能を失った。その最たる例が、斎藤隆夫衆院議員の除名問題だった。斎藤議員は1940年2月2日の衆院本会議で、戦争の泥沼化を批判し、戦争の目的について政府を厳しく追及した(反軍演説)。陸軍は、演説は陸軍を侮辱するものだと反発し、斎藤議員の辞職を要求、賛成296票、反対7票の圧倒的多数で除名された。当時の議事録は今もその3分の2が削除されたままだ。

【メディアの問題
 1920年代、メディアは日本の対外膨張に批判的で、ジャーナリスト時代の石橋湛山は植民地を放棄すべきとの論陣を張ったが、満州事変以来、積極的な戦争支持に変わった。戦争報道が「売れた」からで、新聞各紙は大きく発行部数を伸ばした。

【今日への教訓】
 戦後の日本で、文民統制は制度としては整備されている。他方、これらはあくまで制度であり、適切に運用することがなければ、その意味を成さない。
 政治の側は自衛隊を使いこなす能力と見識を十分に有する必要がある。現在の文民統制の制度を正しく理解し、適切に運用していく不断の努力が必要だ。無責任なポピュリズムに屈しない、大勢に流ざれない政治家としての衿持(きょうじ)と責任感を持たなければならない。
 自衛隊には、専門家集団としての立場から政治に対し積極的に説明し、意見を述べることが求められる。
 政府が誤った判断をせぬよう、歯止めの役割を果たすのが議会とメディアだ。国会には、政府の活動を適切にチェックする役割を果たすことが求められる。一時的な世論に迎合し、人気取り政策で国益を損なうような党利党略と己の保身に走ってはならない。使命感を持ったジャーナリズムを含む健全な言論空間が必要だ。過度な商業主義に陥ってはならず、偏狭なナショナリズム、差別や排外主義を許してはならない。


首相 戦後80年所感(全文)
                         新潟日報 2025年10月11日
 石破茂首相の戦後80年所感 全文は次の通り。

 戦後80年に寄せて

 (はじめに)
 先の大戦の終結から、80年がたちました。
 この80年間、わが国は一貫して、平和国家として歩み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。今日のわが国の平和と繁栄は、戦役者をはじめとする皆さまの尊い命と苦難の歴史の上に築かれたものです。
 私は、3月の硫黄島訪問、4月のフィリピン・カリラヤの比島戦役者の碑訪問、6月の沖縄全戦役者追悼式出席およびひめゆり平和祈念資料館訪問、8月の広島、長崎における原爆死没者・犠牲者慰霊式出席、終戦記念日の全国戦役者追悼式出席を通じて、先の大戦の反省と教訓を改めて深く胸に刻むことを誓いました。
 これまで戦後50年、60年、70年の節目に内閣総理大臣談話が発出されており、歴史認識に関する歴代内閣の立場については、私もこれを引き継いでいます。
 過去3度の談話においては、なぜあの戦争を避けることができなかったのかという点にはあまり触れられておりません。戦後70年談話においても、日本は「外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった」という節がありますが、それ以上の詳細は論じられておりません。
 国内の政治システムは、なぜ歯止めたりえなかったのか。
 第1次世界大戦を経て、世界が総力戦の時代に入っていた中にあって、開戦前に内閣が設置した「総力戦研究所」や陸軍省が設置したいわゆる「秋丸機関」等の予測によれば、敗戦は必然でした。多くの識者も戦争遂行の困難さを感じていました。
 政府および軍部の首脳陣もそれを認識しながら、どうして戦争を回避するという決断ができないまま、無謀な戦争に突き進み、国内外の多くの無辜の命を犠牲とする結果となってしまったのか。米内光政元首相の「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬよう注意願いたい」との指摘もあった中、なぜ、大きな路線の見直しができなかったのか。
 戦後80年の節目に、国民の皆さまと共に考えたいと思います。

 (大日本帝国憲法の問題点)
 まず、当時の制度上の問題が挙げられます。戦前の日本には、政治と軍事を適切に統合する仕組みがありませんでした。
 大日本帝国憲法の下では、軍隊を指揮する権限である統帥権は独立したものとされ、政治と軍事の関係において、常に政治すなわち文民が優位でなくてはならないという「文民統制」の原則が、制度上存在しなかったのです。
 内閣総理大臣の権限も限られたものでした。帝国憲法下では、内閣総理大臣を含む各国務大臣は対等な関係とされ、内閣総理大臣は首班とされつつも、内閣を統率するための指揮命令権限は制度上与えられていませんでした。
 それでも、日露戦争の頃までは、元老が、外交、軍事、財政を統合する役割を果たしていました。武士として軍事に従事した経歴を持つ元老たちは、軍事をよく理解した上で、これをコントロールすることができました。丸山男の言葉を借りれば、「元老・重臣など超憲法的存在の媒介」が、国家意思の一元化において重要な役割を果たしていました。
 元老が次第に世を去り、そうした非公式の仕組みが衰えた後には、大正デモクラシーの下、政党が政治と軍事の統合を試みました。
 第1次世界大戦によって世界に大きな変動が起こる中、日本は国際協調の主要な担い手のつとなり、国際連盟では常任理事国となりました。1920年代の政府の政策は、幣原外交に表れたように、帝国主義的膨張は抑制されていました。
 1920年代には、世論は軍に対して厳しく、政党は大規模な軍縮を主張していました。軍人は肩身の狭い思いをし、これに対する反発が、昭和期の軍部の台頭の背景の一つであったとされています。
 従来、統帥権は作戦指揮に関わる軍令に限られ、予算や体制整備に関わる軍政については、内閣の一員たる国務大臣の輔弼(ほひつ)事項として解釈運用されていました。文民統制の不在という制度上の問題を、元老、次に政党が、いねば運用によってカバーしていたものと考えます。

 (政府の問題)
 しかし、次第に統帥権の意味が拡大解釈され、統帥権の独立が、軍の政策全般や予算に対する政府および議会の関与・統制を排除するための手段として、軍部によって利用されるようになっていきました。
 政党内閣の時代、政党の間で、政権獲得のためにスキャンダル暴露合戦が行われ、政党は国民の信頼を失っていきました。1930年には、野党・立憲政友会は立憲民政党内閣を揺さぶるため、海軍の一部と手を組み、ロンドン海軍軍縮条約の批准を巡って、統帥権干犯であると主張し、政府を激しく攻撃しました。政府は、ロンドン海軍軍縮条約をかろうじて批准するに至りました。
 しかし、1935年、憲法学者で貴族院議員の美濃部達吉の天皇機関説について、立憲政友会が政府攻撃の材料としてこれを非難し、軍部も巻き込む政治問題に発展しました。ときの岡田啓介内閣は、学説上の問題は、「学者に委ねるよりほか仕方がない」として本問題から政治的に距離を置こうとしましたが、最終的には軍部の要求に屈して、従来通説的な立場とされていた天皇機関説を否定する国体明徴声明を2度にわたって発出し、美濃部の著作は発禁処分となりました。
 このようにして、政府は軍部に対する統制を失っていきます。

 (議会の問題)
 本来は軍に対する統制を果たすべき議会も、その機能を失っていきます。
 その最たる例が、斎藤隆夫衆議院議員の除名問題でした。斎藤議員は1940年2月2日の衆議院本会議において、戦争の泥沼化を批判し、戦争の目的について政府を厳しく追及しました。いわゆる反軍演説です。陸軍は、演説は陸軍を侮辱するものだとこれに激しく反発し、斎藤議員の辞職を要求、これに多くの議員は同調し、賛成296票、反対7票の圧倒的多数で斎藤議員は除名されました。これは議会の中で議員としての役割を果たそうとした稀有な例でしたが、当時の議事録は今もその3分の2が削除されたままとなっています。
 議会による軍への統制機能として極めて重要な予算審議においても、当時の議会は軍に対するチェック機能を果たしていたとは全く言い難い状況でした。1937年以降、臨時軍事費特別会計が設置され、1942年から45年にかけては、軍事費のほぼ全てが特別会計に計上されました。その特別会計の審議に当たって予算書に内訳は示されず、衆議院・貴族院とも基本的に秘密会で審議が行われ、審議時間も極めて短く、およ審議という名に値するものではありませんでした。
 戦況が悪化し、財政が逼迫(ひっぱく)する中にあっても、陸軍と海軍は組織の利益とメンツをかけ、予算獲得を巡り激しく争いました。
 加えて、大正後期から昭和初期にかけて、15年間に現役首相3人を含む多くの政治家が国粋主義者や青年将校らによって暗殺されていることを忘れてはなりません。暗殺されたのはいずれも国際協調を重視し、政治によって軍を統制しようとした政治家たちでした。
 五・一五事件や二・二六事件を含むこれらの事件が、その後、議会や政府関係者を含む文民が軍の政策や予算犯ついて自由に議論し行動する環境を大きく阻害したことは言うまでもありません。

 (メディアの問題)
 もう一つ、軽視してはならないのはメディアの問題です。
 1920年代、メディアは日本の対外膨張に批判的であり、ジャーナリスト時代の石橋湛山は、植民地を放棄すべきとの論陣を張りました。しかし、満州事変が起こった頃から、メディアの論調は、積極的な戦争支持に変わりました。戦争報道が「売れた」からであり、新聞各紙は大きく発行部数を伸ばしました。
 1929年の米国の大恐慌を契機として、欧米の経済は大きく傷つき、国内経済保護を理由に高関税政策をとったため、日本の輸出は大きな打撃を受けました。
 深刻な不況を背景のつとして、ナショナリズムが高揚し、ドイツではナチスが、イタリアではファシスト党が台頭しました。主要国の中でソ連のみが発展しているように見え、思想界においても、自由主義、民主主義、資本主義の時代は終わった、米英の時代は終わったとする論調が広がり、全体主義や国家社会主義を受け入れる土壌が形成されていきました。
 こうした状況において、関東軍の一部が満州事変を起こし、わずか1年半ほどで日本本土の数倍の土地を占領しました。新聞はこれを大々的に報道し、多くの国民はこれに幻惑され、ナショナリズムはさらに高まりました。
 日本外交について、吉野作造は満州事変における軍部の動きを批判し、清沢は松岡洋右による国際連盟からの脱退を厳しく批判するなど、一部鋭い批判もありましたが、の後、1937年秋ごろから、言論統制の強化により政策への批判は封じられ、戦争を積極的に支持する論調のみが国民に伝えられるようになりました。

 (情報収集・分析の問題)
 当時、政府をはじめとするわが国が、国際情勢を正しく認識できていたかも問い直す必要があります。例えば、ドイツとの間でソ連を対象とする軍事同盟を交渉している中にあって、
1939年8月、独ソ不可侵条約が締結され、時の平沼騏一郎内閣は「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」として総辞職します。国際情勢、軍事情勢について、十分な情報を収集できていたのか、得られた情報を正しく分析できていたのか、適切に共有できていたのかという問題がありました。

 (今日への教訓)
 戦後の日本において、文民統制は、制度としては整備されています。日本国憲法上、内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならないと定められています。また、自衛隊は、自衛隊法上、内閣総理大臣の指揮の下に置かれています。
 内閣総理大臣が内閣の首長であること、内閣は国会に対して連帯して責任を負うことが日本国憲法に明記され、内閣の統一性が制度上確保されました。
 さらに国家安全保障会議が設置され、外交と安全保障の総合調整が強化されています。情報収集・分析に係る政府の体制も改善されています。これらは時代に応じて、さらなる進展が求められます。
 政治と軍事を適切に統合する仕組みがなく、統帥権の独立の名の下に軍部が独走したという過去の苦い経験を踏まえて、制度的な手当ては行われました。他方、これらはあくまで制度であり、適切に運用することがなければ、その意味を成しません。
 政治の側は自衛隊を使いこなす能力と見識を十分に有する必要があります。現在の文民統制の制度を正しく理解し、適切に運用していく不断の努力が必要です。無責任なポピュリズムに屈しない、大勢に流されない政治家としての衿持(きょうじ)と責任感を持たなければなりません。
 自衛隊には、わが国を取り巻く国際軍事情勢や装備、部隊の運用について、専門家集団としての立場から政治に対し、積極的に説明し、意見を述べることが求められます。
 政治には、組織の縦割りを乗り越え、統合する責務があります。組織が割拠、対立し、日本の国益を見失うようなことがあってはなりません。陸軍と海軍とが互いの組織の論理を最優先として対立し、それぞれの内部においてすら、軍令と軍政とが連携を欠き、国家としての意思を一元化できないままに、国全体が戦争に導かれていった歴史を教訓としなければなりません。
 政治は常に国民全体の利益と福祉を考え、長期的な視点に立った合理的判断を心がけねばなりません。責任の所在が明確ではなく、状況が行き詰まる場合には、成功の可能性が低く、高リスクであっても、勇ましい声、大胆な解決策が受け入れられがちです。海軍の永野修身軍令部総長は、開戦を手術に例え、「相当の心配はありますが、この大病を癒やすには、大決心をもって、国難排除に決意するほかありません」、「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である」と述べ、東条英機陸軍大臣も、近衛文麿首相に対し、「人間、たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」と迫ったとされています。このように、冷静で合理的な判断よりも精神的・情緒的な判断が重視されてしまうことにより、国の進むべき針路を誤った歴史を繰り返してはなりません。
 政府が誤った判断をせぬよう、歯止めの役割を果たすのが議会とメディアです。
 国会には、憲法によって与えられた権能を行使することを通じて、政府の活動を適切にチェックする役割を果たすことが求められます。政治は一時的な世論に迎合し、人気取り政策に動いて国益を損なうような党利党略と己の保身に走っては決してなりません。
 使命感を持ったジャーナリズムを含む健全な言論空間が必要です。先の大戦でも、メディアが世論をあおり、国民を無謀な戦争に誘導する結果となりました。過度な商業主義に陥ってはならず、偏狭なナショナリズム、差別や排外主義を許してはなりません。
 安倍元首相が尊い命を落とされた事件を含め、暴力による政治の蹊願、自由な言論を脅かす差別的言辞は決して容認できません。
 これら全ての基盤となるのは、歴史に学ぶ姿勢です。過去を直視する勇気と誠実さ、他者の主張にも謙虚に耳を傾ける寛容さを持った本来のベラリズム、健全で強靭(きょうじん)な民主主義が何よりも大切です。
 ウィンストン・チャーチルが喝破したとおり、民主主義は決して完璧な政治形態ではありません。民主主義はコストと時間を必要とし、時に過ちを犯すものです。
 だからこそ、われわれは常に歴史の前に謙虚であるべきであり、教訓を深く胸に刻まなければなりません。
 自衛と抑止において実力組織を保持することは極めて重要です。私は抑止論を否定する立場には立ち得ません。現下の安全保障環境の下、それが責任ある安全保障政策を遂行する上での現実です。
 同時に、その国において比類ない力を有する実力組織が民主的統制を超えて暴走することがあれば、民主主義は一瞬にして崩壊し得る脆弱(ぜいじゃく)なものです。一方、文民たる政治家が判断を誤り、戦争に突き進んでいくことがないわけでもありません。文民統制、適切な政軍関係の必要性と重要性はいくら強調してもし過ぎることはありません。政府、議会、実力組織、メディア全てがこれを常に認識しなければならないのです。
 斎藤隆夫議員は反軍演説において、世界の歴史は戦争の歴史である、正義が勝つのではなく強者が弱者を征服するのが戦争であると論じ、これを無視して聖戦の美名に隠れて国家百年の大計を誤ることがあってはならないとして、リアリズムに基づく政策の重要性を主張し、衆議院から除名されました。
 翌年の衆議院防空法委員会において、陸軍省は、空襲の際に市民が避難することは、戦争継続意思の破綻になると述べ、これを否定しました。
 どちらも遠い過去の出来事ではありますが、議会の責務の放棄、精神主義の横行や人命・人権軽視の恐ろしさを伝えて余りあるものがあります。歴史に正面から向き合うことなくして、明るい未来は開けません。歴史に学ぶ重要性は、わが国が戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に置かれている今こそ、再認識されなければなりません。
 戦争の記憶を持っている人々の数が年々少なくなり、記憶の風化が危ぶまれている今だからこそ、若い世代も含め、国民一人一人が先の大戦や平和のありようについて能動的に考え、将来に生かしていくことで、平和国家としての礎が一層強化されていくものと信じます。
 私は、国民の皆さまと共に、先の大戦のさまざまな教訓を踏まえ、二度とあのような惨禍を繰り返すことのないよう、あたう限りの努力をしてまいります。

トランプの貿易戦争で、米国農家はすべてを失った(賀茂川耕助氏)

 海外記事を紹介する「耕助のブログ」に掲題の記事が載りました。
 トランプの中国に対する高関税が公式に裏目に出て、米国で最も重要な分野である農業を壊滅させました。
 米国は昨年は約120億ドル、その前年は140億ドル相当の大豆を輸出しましたが、20年ぶりに今年、中国は米国産大豆と新穀トウモロコシの購入をゼロにしました。それでトランプ政権は米国農家に160億ドル以上の支援を余儀なくされました。
 中国は世界最大の大豆需要国であるのに対して、米国は世界でも最も生産性の高い農業国で国内の消費量を40%上回る生産量があるので、これまでは米国の余剰分を中国が買うという双方にメリットのある協力ができていました。
 そのことからトランプは対中国の「関税を100%に」などという作戦を立てたのですが、中国が米国以外の購入先を選ぶのは極めて容易なことなので、結局中国にはまったく打撃を与えずに米国のみが多大な損失を蒙ることになったのでした。

 それは農作物に限りません。マイクロチップの中国市場でのシェアは150億ドルの価値があるので、Nvidiaは中国に販売する機会を認めるようトランプに働きかけてきました。最終的にそうなったのですが時すでに遅く、中国は逆に国内企業に対しこれらの米国製マイクロチップの購入を禁止しました。
 これにより第1四半期だけでNvidiaは未履行販売と収益損失による約70億ドルの損失を出しました。決してNvidiaの独占状態ではなかったのですから当然のことです。

 まだ数値化はされていませんが、レアアースの中国独占に基づく米国軍需産業のダメージは農作物の比ではありません。
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トランプの貿易戦争で、米国農家はすべてを失った
                 耕助のブログNo. 2681  2025年10月11日
    US Farmers Just Lost Everything in Trump Trade War
                           by Cyrus Janssen
世界はドナルド・トランプが国連で1時間にわたる演説を行い、米国経済がいかに強いか、そして自分がノーベル平和賞にふさわしいと自慢する様子を見守っていたが、実際のところトランプは米国で今まさに起こっている最大の災害の1つを隠そうとしていた。

トランプ関税戦争は2025年の主要な政治ニュースである。今我々はトランプの中国に対する関税が公式に裏目に出て、米国で最も重要な分野である農業を壊滅させたという具体的な証拠を手にした。
過去2年間、主流メディアは中国が製造業で過剰生産能力を抱えていると報じてきた。中国が輸出で国際市場を飽和状態にしているが、米国消費者が中国から良質な製品を適正価格で購入することがなぜ悪いことなのか、私には理解できない。しかし主流メディアが決して伝えない事実がある。米国は農業分野で巨大な過剰生産能力を抱えている。国内で生産される作物の40%以上が海外に輸出されなければならないのだ。米国は自国で消費できる量をはるかに超える作物を生産している。この米国人農家が真実を語るのを聞いてほしい。
「米国全土の畑で栽培される大豆の4列に1列は海外に輸出されねばならない。中国は世界最大の大豆輸入国だ。世界の市場の61%を輸入している」

米国には世界有数の優れた農地がある。世界的な穀倉地帯として知られる米国中部地域の大部分は農産物生産に最適な条件を備えている。米国の農家は中国との貿易によって長年にわたり富を得てきた。米国の農業雇用は、米国が中国へ農産物を輸出することで繁栄してきたのだ。
米国の農産物の海外への輸出比率がこれほど高いと、米国は農業のような脆弱で重要な産業の変化には非常に慎重になると思うだろう。しかしトランプ政権が繰り返し示したように、先を見越して二次的影響を考慮することは彼らの得意分野ではない。トランプは中国に対して全面的な貿易戦争を開始したが、自国の産業が抱える大きな弱点を認識できていなかった。トランプは世界中のすべての国が米国を必要としていると信じ込ませたい。しかし、世界秩序における中国の立場を忘れてはならない。中国は今、120か国以上にとって最大の貿易相手国なのだ。選択肢があるのは中国のほうである。だから中国は米国からの大豆購入を、世界中の親しい同盟国数カ国にシフトすることができた。もう一度、この苦しむ米国の農家が真実を語る話を聞いてほしい。
昨年、我々は約120億ドル、前年は140億ドル相当の大豆を輸出した。20年ぶりに今年、中国は米国産大豆をゼロ、新穀トウモロコシも購入はゼロになった。つまり120億ドルからゼロだ。彼らはどこから大豆を買っているのか。ブラジルだ。我々は関税戦争で市場シェアの42%を失った。トランプの関税戦争で中国は大豆の調達先をブラジルに切り替えたのだ。中国はブラジルのインフラに数十億ドルを投資した。彼らはアフリカにも進出し、アフリカで商業農業を始めるつもりだ。米国がUSAIDを止めたので中国はBRIをアフリカでもやるつもりだ。つまり米国は中国市場シェアをほぼ失ったのだ
中国がブラジルへ軸足を移した経緯、つまり中国が大豆や主要物資の調達先を他の国へ即座に容易に切り替えられたのは驚くべきことだ。ブラジル政府が過去2年で中国に大きく接近したことは周知の事実である。

トランプの貿易戦争の惨状を示す別の例がコーヒー産業に見られる。今年初め、トランプは183社のブラジルコーヒー輸出業者に対し米国市場へのコーヒー豆販売を禁止した。さて中国がどうしたと思う?なんと183社全てを中国市場に迎え入れたのだ。興味深いことに中国市場は世界で最も急成長しているコーヒー市場なのだ。これはまさに米国農家が認めた通りだ。米国が扉を閉ざせば、中国はブラジルやアフリカ大陸といった国々・地域に向けて新たな扉を開く。中国がBRIを通じて数十億ドルを投資してきた二つの地域だ。世界貿易の促進とさらなる拡大を目的としたBRIを通じて中国は数十億ドルの投資を行っている。

しかし農業部門はトランプの失敗した経済の多くの根本的な問題の氷山の一角に過ぎない。私はそのすべてと、中国が究極的な影響力を持つ立場にある理由を説明したい。
農家はこの一連の苦難の中で最悪の部分である。米国政府は決して過ちから学ばないのだ。そして今回が初めてではない。米国農家は中国との激しい貿易戦争の渦中に巻き込まれた。2019年のニューヨーク・タイムズ紙の記事を見れば明らかだ。トランプ政権は米国農家に160億ドル以上の支援を余儀なくされたことを認めている。この支援は中国市場を失った大豆とトウモロコシのシェア減少による短期的な落ち込みを乗り切るためだった。この話をさらに荒唐無稽にしているのは、米国の農家の大半が共和党支持者で、間違いなくトランプの再選運動を支持し「アメリカを再び偉大に」というスローガンを信じていたことだ。今、トランプを支持し投票した同じ農家たちが彼の失敗した貿易戦争の駒として苦しんでいる。そしてこの戦争はただ中国の力を増大させるだけなのだ。
中国は普通の貿易相手国ではない。世界の大半にとって、中国は最も重要な貿易相手国なのだ。中国はほとんどの農産物の世界一の消費国である。大半の農産物において中国が世界一の消費国であるのは14億人の人口を考えれば当然である。かし大豆に至ってはその格差はさらに極端で、中国の需要が世界の総需要の驚異的な54%を占める。つまり米国農家が中国を除く全世界市場を100%独占したとしても 中国のロスを埋め合わせられないのだ!だからこそ中国は米国の農業産業全体を一夜にして崩壊させ得る。
当然ながら、米国政府は農業の崩壊を決して許さないだろう。だから今後数ヶ月は注目だ。米国政府は間違いなく介入し、これらの農場を存続させるために数十億ドル規模の新たな支援策を講じざるを得ないだろう。これは政府支出がさらに数十億ドル増加し、37兆ドルに達している国家債務に上乗せされることを意味する。トランプ政権はこの状況に、ただただ債務を増やしてきただけなのだ。

世界は、米国と中国が協力するときに勝利する。中国は世界最大の大豆需要国であり、米国は世界でも最も生産性の高い農業国で、国内の消費量を 40% 上回る生産量がある。これは両国間の協力に最適な分野であり過去にもそうであった。しかし、このような双方にメリットのある協力の代わりに、トランプは率直に言って中国にまったく打撃を与えない政策を選択したのだ。
先ほどの、中国の投資がブラジルやアフリカに流れていることを指摘した米国人農家のビデオを覚えているだろうか。現在、中国はブラジル大西洋岸とペルー太平洋岸のチャンセ港を結ぶ大陸横断鉄道の建設に向け、巨額の投資を計画している。米国が世界各国に関税や制裁を課している間、中国は自国が最も得意とする分野、つまり様々な建設プロジェクトを行い、開発途上国に具体的な資産を提供して世界貿易の拡大を支援し、より多くのウィン・ウィンのパートナーシップを構築している。米国についても同じことが言えることを願うが、この貿易戦争は現在、米国を代表する多くの優良企業を痛めつけている

農機具メーカーのジョン・ディアを例に取ろう。同社は米国で最も有名な長期価値株の一つで、過去5年間で株価が112%以上上昇した企業だが、今、同社は需要減退と投資増加が悪のタイミングで重なり岐路に立たされ、関税の影響により6億ドル近くの損失を予測している。もう一つ、米国の大型車両製造大手キャタピラーも関税の結果、15億ドルの損失が見込まれている。最も悲しいのは、トランプは選挙運動で米国に製造業を取り戻すと公約したにもかかわらず、彼の矛盾した貿易戦争はその製造に必要なあらゆる投入コストを高騰させ、目標である製造の雇用を実際に米国に呼び戻すという試みに失敗していることだ。
トランプの貿易戦争は、米国経済のあらゆる側面に影響を与えている。米国が必死に維持しようとしているリーダーシップの分野、半導体産業にも影響を与えているNvidia は世界で最も価値のある企業で、その価値は 4 兆ドル以上に達し米国経済と株式市場の輝く星である。同社の株価は今年だけで 43% 上昇している。しかし多くの産業と同様、Nvidia も米国と中国間のこのひどい貿易戦争の真っ只中に巻き込まれている。数か月間、Nvidiaのジェンセン・ファンCEOはトランプ政権に対し、米国で最も価値のある企業がマイクロチップを中国に販売する機会を認めるよう働きかけてきた。中国市場でのシェアはNvidiaにとって驚異的な150億ドルの価値がある。トランプはついに同意したが、その後起こったことは誰もが予想外だった。中国が国内企業に対しこれらの米国製マイクロチップの購入を禁止したのである。これによりジェンセン・ファンとNvidia株主全員に大きな失望がもたらされた。第1四半期だけでNvidiaは未履行販売と収益損失による約70億ドルの費用を報告した。

ではこの貿易戦争の最大の犠牲者は誰か。それは一般の米国人だ。彼らがこの政権の貿易政策の代償を背負わされている。ほとんどの関税が直接米国の消費者に転嫁されるからだ。今後1~2年間の米国家計所得見通しを見ると米消費者コンフィデンス⇒信頼)は過去最低の41%に低下している。大半の米国人は今や米国経済に対して完全に悲観的な見方をしている。それには十分な理由がある。米国は現在、生活費危機に直面しており、あらゆる日々の支出がわずか 5 年前に比べて大幅に上昇したのだ。住宅価格は51% 上昇、ガソリンは 55% 上昇、1 ポンドのコーヒーは 97% 上昇、そして卵は170% という驚異的な上昇率だ。米国の一般市民は、生活のあらゆる面で圧迫されている。生活費の引き下げはトランプの主要な選挙公約だった。しかし2025年現在、有権者が目にするのは状況の悪化だけだ。当然のことながら、これはトランプ大統領の支持率急落につながっている。最近の Yuggov の世論調査によるとトランプの支持率は史上最低を記録し、17 ポイントも急落して大統領を支持する人はわずか 39% となった。このような支持率の急落は政権発足からわずか 9 ヶ月で前例のないことだ。しかし彼の関税政策が輸出を壊滅させ、雇用市場を崩壊させ、インフレを加速させ、成長を抑制し、消費者価格を上昇させたのだ。こうした壊滅的な数字にもかかわらず、トランプ政権はこの悲惨な道から後退する兆しを見せていない。むしろトランプは気にしていないようだ。

結局のところトランプ関税の真のコストは即時の経済的損失をはるかに超えている。それは、米国と世界の貿易パートナー間の信頼の長期的な低下、米国経済を支える産業の根本的な弱体化、そしてより良い未来を約束された人々の幻滅である。米国はこの問題を解決できるだろうか?この貿易戦争は、中国のような国々がいかに迅速に変化に適応できるかを示しており、一方、米国は自ら招いた危機の中で翻弄されている。真の問題は今後、米国がより大きく、より取り返しのつかない問題になる前に道修正できるかどうかである。日を追うごとに米国の同盟関係は弱まり、経済は悪化し、ドルは下落している。米国経済、そして米国は重大な危機に向かっている

https://www.youtube.com/watch?v=slRMZQhCCpQ&t=305s