2025年10月15日水曜日

15- 公明党が連立離脱の衝撃 - 平和と中道と政治倫理を掲げた野党の復活を歓迎する(世に倦む日々)

 世に倦む日々氏が掲題の記事を出しました。説得力のある記事です。
 創価学会初代の牧口常三郎と二代の戸田城聖は、戦中に治安維持法で逮捕される迫害に遭い、転向を拒否した牧口は獄死させられています。そうした背景をもつ公明党は本来は平和志向の政党でした。
 ところが自民党と連立を組む中で結果的に戦争法の制定にまで協力しました。それを具体的に誘導したのは北側一雄議員(弁護士)で、彼自身は法案の一字一句まで入念にチェックして反映させたと主張しますが、現実にそうした思いは何ら反映されることはなく、安倍政権の下、急速に戦争をする国家へと変身しました。

 世に倦む日々氏は、公明党が自公連立から離脱した本当の理由は、政治資金問題よりも上位にある難題=憲法改正とスパイ防止法であり、「連立与党のままだとそこへ国民民主が割り込み、今秋にもスパイ防止法の上程と成立に加担させられ、来春には改憲発議に協力させられる立場になることが避けられない。そうなったとき、女性部を中心とした創価学会の反発と動揺は嘗てない規模で紛糾し、公明党が分裂する破滅に繋がってしまう」ことから、斎藤執行部は離脱やむなしの最終決断を下したのだろうと推理します。
 そうであれば公明党の斎藤執行部がこの段階で、何を措いても連立離脱に走ったことがよく理解できます。
 そして公明党の離脱による衆院選への影響について米重克洋の説を取り上げて、自民党は単純計算で52議席を失うと予測されるが、もし公明党が立憲候補の応援に回って票を上乗せした際は、52議席減では済まない革命的な事態になると述べます

 そして公明党が自民党と決別する構図が固まると自民党は分裂せざるを得ず、ハト派であれタカ派であれ、どの勢力が主導権を握って自民党を継承しても、今よりスケールの小さな政党と勢力に萎縮せざるを得ないと述べます。
 そして「自民の呪縛と拘束から解放された公明党は、本来の結党の理念に則り、平和と中道と政治倫理のテーゼを掲げた野党に変身し、広宣流布の大義を追求する宗教的倫理を復活させ、選挙を通じた勢力挽回に挑むので、日本政治の景色が一変すると期待する」と述べます。
 いずれにしても公明党が本来の平和を志向する政党に戻ることの効果は絶大です。
 こうして新たに平和指向の野党が誕生することは嬉しいことです。
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公明党が連立離脱の衝撃 - 平和と中道と政治倫理を掲げた野党の復活を歓迎する
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10/10、激震が走り、26年間続いた自公連立に終止符が打たれた。注目された高市早苗との党首会談の後、斎藤鉄夫が連立解消を発表した。日本の政治が大きく動く一日となった。斎藤鉄夫の会見を聞いてカタルシスを覚え、興奮の余韻がずっと続いている。禍福は糾える縄の如し。一週間前、10/4 の総裁選で高市早苗が選出された絵を見て、「憂鬱で神経が衰弱する」と悲嘆に暮れたばかりだった。今は気分が躁状態に変わっていて、政治に曙光が射した幸福感に心を弾ませている。天地雷鳴の逆転劇が遂に起こり、そして日本の政治は多党時代の混乱期に入った。明日何が起こるか分からず、毎日が怒涛の政局が続き、目まぐるしく情勢が変わってゆく。思えば、一年前の自民党総裁選からそれが始まっていて、二度の国政選挙を経てさらに激動と変容が続き、視界不良のアモルフ化が加速している。田崎史郎らがテレビに出ずっぱりの地平が続き、当面それが止まりそうにない

斉藤鉄夫の連立解消の弁は分かりやすかった。有権者国民と支持母体に対する素直な報告であり、特に学会女性部の党支援者を意識した語りだったが、言葉の一つ一つが納得でき、耳を傾ける者の心に響いて落ちる説明だった。政治家の言葉はこうじゃないといけないと思わせる、シンプルでストレートで意を尽くした内容だった。同時に、論理的に精密かつ堅牢に構成を練り、決断と行動の正当性を固めた政治家の言葉だった。会見後、ほとんどのテレビ局の報道番組に出演し、キャスターの質問に答えながら同じ説明を重ねて繰り返したが、おそらく、それを聞いて理解できないとか疑念が残るという感想を抱いた視聴者は一人もいなかっただろう。誰もが公明党の決断に共感を覚え、よくやったと積極的に評価したと想像する。地方を回って支援者の誰からも同じ苦情と要請を受けたのだというは、斎藤鉄夫の柔和で誠実な人柄も重なり、目に浮かぶような情景となって説得力を醸し出し

が、政治を分析する者としては、この衝撃の深部を整理し解読しないといけない。斎藤鉄夫の発表と西田実仁の補足が緻密であり、入念に準備された論理設定である事実を知るほどに、公明党の連立離脱の意思決定が早い時点で検討されていた真相が窺われる。無論、石破おろしがなければ、新総裁が林芳正であれば、対応と進行は違っていただろう。麻生・高市の新体制が公明党を排除する悪意を明確に持ち、国民・維新と連立組み換えに動く謀略が間違いないと判断できたが故に、言わば先手を打つ形で大胆な行動に出たのだ。その点は老獪な政治である。敢えて言えば、政治資金規制強化(窓口集約)の話は、周到な口実と言うか大義名分の形式なのである。公明党は自民党に対して、この政治資金問題の要請をずっと、いざというときに抜く伝家の宝刀として準備していて、マスコミと国民を納得させる連立解消の理由づけとして確保していた。最後の段階でこれが決別の理由なのだと主張するために。

本当の理由は、政治資金問題よりも上位にある難題があったはずで、それは憲法改正(9条2項と緊急事態条項)とスパイ防止法だと推測する。このまま麻生・高市の自民党と連立与党のままだと、そこへ国民民主が割り込み、スパイ防止法と憲法改正がアジェンダ⇒議題・実施事項)になり、今秋にもスパイ防止法の上程と成立に加担させられ、来春には改憲発議に協力させられる立場になる。それは避けられない。そうなったとき、女性部を中心とした創価学会の反発と動揺は嘗てない規模で紛糾し、公明党が分裂する破滅に繋がってしまう。そこに踏み込んではならず、斎藤執行部は離脱やむなしの最終決断を下したのだろう。創価学会初代の牧口常三郎と二代の戸田城聖は、戦中に治安維持法で逮捕される迫害に遭い、転向を拒否した牧口は獄死させられている。この法難と悲劇が学会と公明党の原点であり、平和の党を基礎づける物語として教義されている。その公明党が、スパイ防止法を成立させる与党の立場に立てるのか

つまり政治資金問題は表面の外皮で、本質はイデオロギー問題だったのだ。私は、焦点となるスパイ防止法に公明党がどのような態度を示すか注視していたが、総裁選を受けての連立更新のタイミングで、素早くその政局から脱出する挙に出た。学会組織の高齢化によって、また公明党が自民党化する矛盾と軋轢に苦しむ末端の疲弊消耗とエートス⇒道徳・倫理)薄弱化によって、公明党の集票能力は衰退し、票も議席も減少の坂道を転がり、党は危機的状況に陥っていた。そこへスパイ防止法だの憲法改正だのの破局が到来したら、女性部は壊滅的打撃を受け、学会も党も確実に崩壊していただろう。党を熱心に支える70代以上の学会員にとって、その政治は人生の否定を意味する。しかしまた、そうして平和勢力の契機を残す学会を分裂させ破壊することが、麻生・高市の獰猛な狙いであり、上からの政界再編を仕掛ける佞悪な目標であったと思われる。その仕掛け爆弾が爆発する間際、斎藤公明は身を翻して自民党から離れたのだ。

マスコミ報道のコメントでは、斎藤公明の離脱決定を肯定的に受け止め、その理由説明を合理的だと認める意見が多い。そして、その原因を作った麻生太郎の強引で傲慢な独裁手法を咎め、政治資金問題(=安倍派復権)に開き直る姿勢に批判的な論調が支配的だ。それが一般的な国民感情だろう。それではなぜ、麻生と高市はこんな無謀な暴走に出たのだろう。賭けに出たのは、斎藤公明ではなく麻生・高市の方である。高市自民が峻烈に公明斬りに動いたので、斎藤公明がそれより速いクロスカウンターで反撃してダウンを奪った。この政治の動機は、おそらく麻生太郎の年齢にある。85歳。長くない。悲願の憲法改正とスパイ防止法まで時間を待てないのだ。憲法改正を見ることなく、石原慎太郎も中曽根康弘も安倍晋三も渡辺恒雄も死んだ。渡辺昇一や竹村健一も死んだ。櫻井よしこも79歳になっている。このままでは、政権に入っている獅子身中の虫の公明党に足を引っ張られ、念願の国家体制変革が達成できない

国民民主の玉木雄一郎とは、麻生・高市はかなり以前から水面下で接触して謀議していたのだろう玉木がスパイ防止法制定を提唱したのは、記憶では参院選の前で、選挙の党公約に正式に掲げた。12年前の2013年、玉木は民主党の副幹事長で副政調会長だったが、秘密保護法に反対するポストを発している。スパイ防止法は、テクニカルな中身で止まった秘密保護法をさらに政治化し、言論思想統制の目的を明確化させた法律で、戦前の治安維持法と同じものだ。国民が戦争反対を言えなくする弾圧法制だ。そんな恐怖の政策を玉木が衆目を惹く形で正面に据えたのを見て、極秘裏に麻生・高市・櫻井らと会合を重ね、ポスト石破の新連立・右翼政権に向けて毒々しく密謀している可能性を私は疑った。7月の参院選では参政党もスパイ防止法をメインの公約に掲げて訴え、維新も行動を同期させ、参院選後は3野党で法案策定の作業が着々と進む展開になっていた公明党はそれを見て、最早待ったなしと覚悟を決めたのに違いない

公明党の離脱を受けて、マスコミは衆院選への影響を具体的に試算し始めている。様々な数字が出ているが、米重克洋の説では、公明党が小選挙区の自民現職に投票しなかった場合、単純計算で52議席を失うと予測されている。参政党に流れていた右翼票が自民候補に戻る効果も想定され、その際はこの数より減少幅は小さくなると見積もられるけれど、逆に、もし公明党が立憲候補の応援に回って票を上乗せした際は、リバース現象が起こり、52議席減では済まない革命的な事態となる。現在自民党の小選挙区議員は132人いるが、一挙に半減するかもしれない。私は前回記事で、参政党から自民党に回帰する右翼票は限定的だろうという予想を述べた。その根拠は、移民やジェンダーの問題で参政党と自民党とは政策指針が異なるからであり、日本が新しい政治環境に変質しているからである。外国人問題(特に中国人)は必ず選挙の争点になるし、参政党はその要所を刺激して票を伸ばそうと思惑する。欧州的な極右政党として地盤を築く

公明党が自民党と決別し、その構図が固まるとき、自民党は分裂せざるを得ず、ハト派であれタカ派であれ、どの勢力がヘゲモニーを握って自民党を継承しても、今よりスケールの小さな政党と勢力に萎縮せざるを得ない。多党時代の一つの保守政党になり、他のどこかと合従連衡して政権を狙い奪い担う集団となり、選挙の度に不安定な政局や再編に直面して流動することとなるだろう。世襲制の政党である自民党からは人材が出ず、草の根が運動して支える魅力を持てない。資本家と富裕層を優遇する政策から脱却できない。一方、連立から離脱を果たし、裏金自民の呪縛と拘束から解放された公明党は、本来の結党の理念に即き、平和と中道と政治倫理のテーゼを掲げた野党に変身する。広宣流布の大義を追求する宗教的エートスを復活させ、選挙を通じた勢力挽回に挑むだろう。公明党の野党転身が奏効し、日本政治の景色が一変すると期待する。誰かがXに書き込んでいたが、公明党が自民党と連立を組んだ26年は、日本の失われた30年とそのまま被さる

あの山口二郎の「政治改革」の悪魔的愚策によって、どこまでも恨めしく厭わしい小選挙区制導入の過誤によって、公明党は野党として生きられなくなり、理念を捨てて卑屈な「下駄の雪」と化す運命を歩んでしまった。死んだ子どもの年を数えるようだが、残念でならない。私は竹入義勝の時代を覚えている。公明党の蘇生と新生を願い、平和と中道の旗を高く掲げるフレッシュな姿が躍動する今後を願う。何度も同じ議論をして恐縮だが、3本の基本対立軸で政党を配置した分析図に照らせば、公明党と最も理念・政策が近いのは立憲民主党である。さらに客観的に正視すれば、立憲よりも共産党に近い左側のポジションに公明党の党是が確認できる。国政で公明党が野党に復帰し、久しぶりに野党として活躍することは、市民として歓迎すべき出来事だ。ぜひ中国との長い友好関係の資産を活かし、北京と台北を往復し、台湾有事の回避に尽力することを願いたい。日本と東アジアの平和に貢献してもらいたい