植草一秀氏の掲題の2つの記事を紹介します。
1番目の記事では全国戦没者追悼式の高市式辞の問題点を指摘しています。
その問題点は全面に渡っているので要約は省略します。
2番目の記事では、日本は1945年8月14日にポツダム宣言を受諾し、翌15日にその旨を国民に伝えました。その後日本はGHQによる占領下に置かれました。
GHQの実務はG2=民政局が主導し、その下で日本の民主化が急速に進み平和憲法が制定されました。
しかし1947年にGHQの実権が突如G2=参謀2部に代わると、「民主化」という要素がなくなり、平和憲法とは対立する「再軍備」が進められるようになりました。
米国の占領政策が右翼化し日本の政府に対して対米国従属が強いられました。植草氏は、米国従属の旗頭になったのが吉田茂と岸信介であり、その延長線上に現在の高市内閣があると指摘します。
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反省もお詫びもない高市式辞
植草一秀の「知られざる真実」 2026年8月15日
ポツダム宣言受諾が国民に発表された1945年8月15日から81年が過ぎた。
政府の全国戦没者追悼式が開催され、高市首相が式辞を述べた。
「反省」の言葉はなく「アジア諸国の人々に損害と苦痛を与えた」の表現もなかった。
高市氏は「今日のわが国の平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の誠をささげます。」と述べた。
1995年の村山談話の表現と比較してみよう。村山首相は次のように述べた。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」
このことについて村山首相は「疑うべくもないこの歴史の事実」と表現した。
式典は戦没者追悼式である。高市氏は戦没者として
1.祖国の行く末を案じ、愛するご家族の幸せを願いながら、戦場にたおれた方々
2.広島と長崎での原子爆弾投下、各都市での爆撃、沖縄における地上戦などにより
犠牲となられた方々
3.終戦後、遠い異郷の地で亡くなられた方々
を明示した。しかし、これらの人々が亡くなった原因に言及しない。
この点で村山首相の談話は明確だった。原因について
「わが国が、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んだ」こととした。
村山首相は、この歴史の事実を踏まえて
「わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。」と宣言した。
歴史に向き合い、非を非として認め、反省し、お詫びするとともに未来に向けての決意を述べた。これこそが、追悼式での式辞にふさわしいものだ。
戦争で亡くなられた人々の大半は
「わが国が、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んだ」ことによって本人の意思に反して犠牲になった方々だ。
その犠牲者の多数は日本人でないアジアを中心とする外国の人々である。日本が国策を誤り、戦争への道を歩んだために、他国の市民も多数犠牲になった。
その最大の責任は日本にある。
日本の戦争責任に向き合い、反省し、お詫びをすることによって和解が成立する。
そして、二度と「過ち」を繰り返さぬことのないよう、不戦の誓いを確認することが求められる。
だが、高市氏の式辞には最重要の事項が脱落している。過去の「過ち」についての言及がない。「反省」の言葉もない。近隣諸国に対する「お詫び」の言葉もない。
極めつけは次の言い回し。「戦争の惨禍を、二度と繰り返させない。」戦争の惨禍を招いた責任ある当事者は日本政府であるから、「繰り返させない」ではなく「繰り返さない」でなければおかしい。
「繰り返させない」は戦争の惨禍を招いた責任を「他者=他国」に転嫁するもの。
これでは国策の誤りによって意に反して命を奪われた人々がまったく浮かばれない。
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高市戦争推進内閣を潰そう
植草一秀の「知られざる真実」 2026年8月15日
日本は1945年8月14日にポツダム宣言を受諾。翌8月15日にポツダム宣言受諾を国民に伝えた。そのときから81年の時間が経過する。
45年まで続いた戦争を実体験として記憶する者が著しく減少している。
敗戦後、日本は新しい憲法を定めた。憲法制定にGHQが深く関与したことは事実。
しかし、日本人だけに任せて良い憲法が制定されたとは思われない。
GHQの強い指導力があったおかげで良い憲法が制定された。日本の世界遺産である。
憲法制定を主導したのはGHQのGS=民政局。GSはその後、GHQでの主導権を失う。
GSに代わって主導権を握ったのがG2=参謀2部。この部分が決定的に重要だ。
1947年に歴史は断裂している。トルーマン・ドクトリンによって米国外交が大転換した。
これに連動して米国の対日占領政策も大転換した。
1947年まで日本の占領政策を主導したGSを米国Aとする。
47年以降、GHQ主導権はGSからG2に移行した。これを米国Bとしよう。
米国Aと米国Bはまったく違う。米国Aが民主主義国家日本を創った。米国Bは米国Aと敵対し、民主主義国家日本を破壊した。
日本国憲法制定に大きな影響を与えたのは米国A。だが、米国Bはこれが気に入らない。
現在の米国は米国B。だから、日本国憲法は邪魔な存在。このことを私たちは知らねばならない。
「戦後民主主義」の時代は1947年を境に終了した。
GHQトップに位置したのはダグラス・マッカーサー。マッカーサーは米国大統領就任を目指した。トルーマン大統領とは犬猿の仲だった。
このために、GHQ占領政策の転換には時間がかかった。47年から52年にかけて時間をかけて路線転換が実行された。
マッカーサー自身もトルーマンによって解任された。米国Aは米国本国において「排除の対象」とされた。
米国Aは「ニューディーラー」である。米国は「ニューディーラー」を共産主義者として排除の対象にした。だから、米国Bは日本国憲法を嫌う。日本国憲法は忌み嫌うべき米国Aの置き土産なのだ。日本国民はこの「ねじれ」を知らねばならない。
戦後民主主義は1947年に終焉している。米国は47年の日本国憲法体制の日本を忌み嫌っている。
重要なことは日本の主権者国民が47年までの戦後民主主義を支持するのか、それとも、47年以降の対米隷属日本を支持するのかである。
平和・人権・民主主義を基本に据えた戦後民主主義。
反・戦後民主主義は、平和主義否定、人権軽視、反民主主義である。
戦後民主主義の影響を受けたいくつかの良い政権が誕生した。片山哲内閣、芦田均内閣、石橋湛山内閣、鳩山一郎内閣だ。しかし、これらの内閣は米国Bと衝突した。
米国Bはこれらの内閣を忌み嫌い、殲滅した。
米国が新たに日本に創作した政権は対米隷属政権。その旗頭になったのが吉田茂と岸信介である。その延長線上に現在の高市内閣がある。高市内閣の根本は対米隷属。米国は日本を戦争をする国にしようとしている。
この方針に絶対服従しているのが高市内閣である。
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「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。