2025年11月17日月曜日

立花孝志が逮捕-刑事司法が 一罰百戒の正義の裁き、郷原信郎の殊勲に拍手

「世に倦む日々氏」掲題の記事を出しました。
 同氏は「つばさの党の黒川敦彦が、昨年4月の衆院補選での他候補への選挙活動妨害で逮捕されたが、どう考えてもそれよりも数倍悪質で社会への悪影響が大きい立花孝志の兵庫県知事選での暴虐事案が、警察に見逃されるとは到底思えなかった。彼は法を舐めている。野放しにすれば被害がさらに拡大し、日本の民主主義の選挙の秩序が崩壊する。公正で安全な選挙が持続できなくなる。その前提を失う」、「一方彼によって自死に追い込まれた竹内英明氏は、同僚の県議が証言しているように兵庫県にとって有意な人材で将来さらに県への貢献が期待された政治家だった」と、先ず述べます。
 そして「兵庫県知事選をめぐる名誉毀損事件は、立花孝志 単独のものではなく、組織性と計画性と共謀性のあるものだ。デマと扇動と脅迫と嫌がらせが大規模かつ波状的に動員され、家族を威嚇し恐怖させた末に、人の命が奪われた深刻な刑事事件だ。主犯は立花孝志だが、加担した幇助犯が数百人のレベルで存在する警察と検察にはぜひ陰謀の全容を解明してもらいたい」、「立花孝志は悪の化身のような兇徒であり、法を蔑ろにし、詭弁を言い、犬笛を吹き、ウソと暴力による政敵の打倒と排除を強行し、悪をまかり通らせ、悪を蔓延らせる反社的な扇動者だ」と糾弾します。
           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
立花孝志が逮捕 - 刑事司法が一罰百戒の正義の裁き、郷原信郎の殊勲に拍手
                       世に倦む日日 2025年11月11日
立花孝志がやっと逮捕された。11/9、サンデーモーニングの視聴中、「風をよむ」の途中でテロップが流れ、逮捕の速報が伝えられた。あまりに遅い警察の捜査の動きだが、一つの朗報として歓迎したい。昨年の 11/28に上げた記事の中で、「少なくとも立花孝志の逮捕はあるだろう。それは法治国家として必須で必然の進行だ」と書いた。その前段に「私は、捜査当局は動くだろうと、希望的観測と言うより客観的予測に近いスタンスで今後を占っている」とも念押ししていた。警察は間違いなく立花孝志を逮捕するだろうと、確たる自信があったからそう判断した。ところが警察は全く動かず、あれほど証拠が万全で犯罪が明白な折田楓ルート - 公選法違反 - の捜査も進展がなく、斎藤元彦と立花孝志の重大犯罪は放置されたままだった。時間の経過と共に無罪放免が既成事実化する方向に空気が流れ、立花孝志の高笑いが聞こえ、苛立ちと歯噛みの日々が続くだけだった。

「少なくとも立花孝志の逮捕はあるだろう」と断言した昨年11月末は、竹内英明が自死する前の時点である。この段階で、すでに十分に逮捕予想を言上げする自信はあった。その根拠は、つばさの党の黒川敦彦が、昨年4月の衆院補選での他候補への選挙活動妨害で逮捕されていたからだ。黒川敦彦よりも数倍悪質で社会への悪影響が大きい立花孝志の兵庫県知事選での暴虐事案が、警察に見逃されるとは到底思えなかった。どう考えても立花孝志の方が罪が重い。法を舐めている。野放しにすれば被害がさらに拡大し、日本の民主主義の選挙の秩序が崩壊する。公正で安全な選挙が持続できなくなる。前提を失う。だが、警察は杳として動かず、逆に斎藤元彦を百条委で追及した元県議が脅迫に遭い、誹謗中傷の猛攻撃を受け、恐怖と錯乱で 1/18 に自死する進行になった。勝ち誇った立花孝志と支持者右翼が死体蹴りをするように元県議を侮辱・罵倒し、デマを吐き、拡散して悦に入っていた

私は絶望し、兵庫県の闇に関心を持つのをやめた。報道では、今回の逮捕の直接の容疑は、元県議が自死する前後の名誉毀損であり、昨年12月から今年1月のデマと誹謗中傷の扇動が問題になっている。もし、兵庫県警と神戸地検が機敏に動き、11月の選挙中の立花孝志の悪行に嫌疑をかけて、12月中に逮捕拘束していれば、竹内英明の悲劇の事態は防げただろう。だから、私はXで何度も書いたが、県警と地検の捜査はあまりに遅すぎた。竹内英明の事件に関しては、家族が被った苦難と不幸については、刑事司法当局にも責任があると言わざるを得ない。同僚の県議が証言しているように、竹内英明は兵庫県にとって有意な人材で、将来さらに県への貢献が期待された政治家だった。立花孝志の無法と混乱によって兵庫県が失った損失は大きく、兵庫県警には兵庫県出身で在住の兵庫県民も多くいるはずなのに、なぜ県全体を破壊する斎藤元彦と立花孝志の悪に立ち向かえないのか

救世主のように登場したのが郷原信郎上脇博之で、二人の尽力によって兵庫県の闇は問題解決への一歩を進み始めた。今年6月に遺族が立花孝志を刑事告訴するに際しては、元検事の郷原信郎によるサポートが大きかっただろう。上脇博之については、本当に何から何まで、民主主義でも人権でも、日本国民はお世話になっていて、感謝の言葉もない。日本の民主主義は上脇博之一人が支えていると言っても過言ではない。竹内英明の自死から告訴まで半年かかった。ここまで立花孝志の逮捕が遅れた理由は、による告訴に時間がかかった所為だ。もう少し早ければ、逮捕はもっと早かっただろう。だが、妻の告訴によって逮捕が実現した。それがなければ逮捕はなかった。例えば、立花から同じ脅迫を受け、誹謗中傷の攻撃と扇動を受けた奥谷謙一の被害については、刑事告訴は早かったが、警察は立花を逮捕せず書類送検で終わっている。逮捕まで行けたのは、自死という重い犠牲があったから

立花逮捕以後の直近の報道では、竹内英明への名誉毀損の犯罪認定について、例によって重箱をつつく浅薄な法律議論に流れ、有罪で懲役2年とか蝶々されている。前のNHKとの間で起こした事件で判決が確定しているところの、執行猶予4年の懲役1年6か月が、執行猶予が取り消されてどうのとか解説されている。が、そんな軽いものでは済まないだろう。竹内英明に対する名誉毀損だけでも、告訴状に書かれた6件すべて警察は認定して立件している。加えて、奥谷謙一への脅迫と名誉毀損もある。また、大津綾香が5月に刑事告訴した業務上横領の案件もある。いずれも公訴と裁判の日程は未定だが、検察は纏めて処理する計画と方針だろう。つまり、複数の被害者が告訴した複数の事件が立件され、再逮捕され、追起訴され、大掛かりな捕り物になるものと想像される。亀井正貴が言うような、一つの名誉毀損事案に焦点化した小さな裁判と審理では収まらない。また、民事訴訟も複数並行して行われる

大津綾香の告訴は業務上横領だが、糾弾する中身と目的は、立花孝志によるデマ・誹謗中傷によって自死に追い込まれた岩井清隆の仇討ち、真相究明と尊厳回復に他ならない。警察はこれも重く見ているはずだ。つまり、立花孝志は誹謗中傷の暴力で事実上2名の生命を奪っているのであり、その罪状と責任と向き合わせるためには、拘禁しての長期の取調べと訴追が必須なのだ。また、竹内英明を死に追いやった事件では、維新系の兵庫県議が暗躍し、立花孝志と連携して動いた疑惑がある。百条委の妨害を策し、文書や音声データを立花孝志に漏洩した増山誠と岸口実だが、TBSの報道1930でも詳しく検証・追及されていた。奥谷謙一は事件について「立花さん1人で創作してやったとは考えづらい。背後関係について真相を知り(略)たい」と述べている。兵庫県知事選をめぐる名誉毀損事件は、立花孝志単独のものではなく、組織性と計画性と共謀性のあるものだ。警察と検察にはぜひ陰謀の全容を解明してもらいたい

テレビでのこの事件報道では、弁護士が登場して名誉毀損についての枝葉末節のコメントを吐き散らしている。名誉毀損で逮捕は普通あり得ないとか、せいぜい罰金刑で済ませるのが通例なのに身柄拘束など行き過ぎだとか、そういう、恰も立花孝志を擁護して警察を牽制するような主張が流れている。不愉快で憤りを覚える。右翼の佞悪な言論工作だ。今回の名誉毀損は、ネット上の個人間のトラブルの事件ではない。百条委と知事選をめぐる政治的な意図と目的があり、デマと扇動と脅迫と嫌がらせが大規模かつ波状的に動員され、家族を威嚇し恐怖させた末に、人の命が奪われた深刻な刑事事件だ。主犯は立花孝志だが、加担した幇助犯が数百人のレベルで存在する。被害者の自死は重度の強迫性障害に陥った - その発症を余儀なくされた - 精神状態での結果であり、本人の自由な意思による行動ではない。本来、ここには業務上過失致死罪(5年以下の懲役)が適用されて然るべきだろう。重罪である。妥当な厳罰が適用されるべき重罪なのだ

今回の件について、われわれ市民が認識し理解すべき意味は、刑事司法(警察・検察)が決断をし、正義の裁きを下したという、単純だけれど重大な事実だ。倫理と正義の問題なのである。これ以外に解決はないのだ。立花孝志は悪の化身のような兇徒であり、法を蔑ろにし、詭弁を言い、犬笛を吹き、ウソと暴力による政敵の打倒と排除を強行し、悪をまかり通らせ、悪を蔓延らせる反社的な扇動者だしばき隊に類似している。立花孝志は野間易通にノウハウを学んだのかもしれない。われわれが考えるべきは、若狭勝も説明していたけれど、シンプルに、何が悪で何が正義かという問題であり、正義が実現されなくてはならないという基本命題である。正義は司法権力の裁きによって決定されるという事実だ。テクニカルな法律論に意味はない。日本では、逮捕・起訴された容疑者は99%有罪になる。冤罪という例外はあるけれど、事実上、警察・検察が司法権力の行使者として機能している。今回、逮捕という形で、ようやく刑事司法は市民の要請に応えた

正義を示した。要するに一罰百戒なのだ。ネットでの誹謗中傷の横行と氾濫は、こうした機会に司法権力が悪辣な扇動者と加害者を逮捕し、何をやってはいけないかを世間に指導するしかない。誹謗中傷や名誉毀損は、単なる罰金刑の軽罪で済む問題ではないという事例を厳に示し、個々の自制を誘う訓戒を社会に作っていくしかない。立花孝志がやっていたことは、警察が逮捕する前から犯罪であり、刑務所に入って当然の違法で凶悪な加害行為だった。市民社会の破壊だった。だが、誰もそれを言わず、マスコミで咎める者はなく、野放しどころか、立花孝志に順応して犯罪の幇助役に回る者ばかりが多かった。ネットでのデマと誹謗中傷がどうのとマスコミは論い、自らは公正で中立だと嘯き、自己の特権的立場を正当化するのだが、立花孝志を価値づけして宣伝していたのはマスコミである。批判していた論者など記憶にない。兵庫県知事選の後、ようやくTBSの報道特集が批判係を受け持ったのみ

ネットでデマと誹謗中傷が溢れているのは、誹謗中傷の悪の権化のような立花孝志が、賑々しく脚光を浴び、大手を振って世間を歩き、デマと扇動と悪罵で金儲けする政治稼業が繁盛しているからだ。そのゴロをマスコミが公認してお笑いキャラのような地位を与えて囃し立て、悪党の正体を正面から批判しないからだ。誹謗中傷を消費して享楽する市場があり、政治と結びついた誹謗中傷の大量生産者が喝采され注目を浴びる土台があり、それが清算されないからだ。立花孝志への擁護論を平気で言う論者がいて、それを言わせるテレビがあり、市民社会の正義の意味を否定する価値相対主義の思想が充満しているからだ。今回、刑事司法は悪を処断し鉄槌を下した。最低限の正義と良識を示した。その本質的意義を正しく認めなくてはいけない