世に倦む日々氏が掲題の記事を出しました。
28日、トランプの訪日を受け高市氏が首相として応対しました。そして首脳会談後、横須賀米軍基地の空母艦に移動し米兵を前に二人は演説しました。TVやネットに流れた映像を見ると、高市氏が「まるで喜び組の寵妾のようにトランプに媚び、絶賛と心酔の意を全身で表し、抱き寄せられて嬉々としている」もので 国民に衝撃を与えました。
世に倦む日々氏はその映像を見て、午後6時35分に率直な感想(かなり控えめな批判)をポストしたところ、1日で200万を超えるインプレ数に達したということです。
例によって右翼からの誹謗・罵倒もあったようですが、主体は明らかに「指摘への賛同」であり、高市氏の態度が国民に大変な違和感を与えたことは疑うべくもありません。そうした態度・行為は彼女の浅薄さを顕わして余りがあるもので、彼女の本性を見た思いがします。
世に倦む日々氏は引き続き「“卑屈”と“媚態”」をキーワードにした二つ目の文章をポストし、更に「ジェンダーロール」の問題にも「介入」したということです。
詳細は記事をご覧ください。
なお まるこ姫も29日~31日に批判のブログを3連投しました。
(タイトルをクリックすれば原記事にジャンプします)
2025/10/29 「高市総理」のトランプへのすさまじいポチ感
2025/10/30 トランプに媚びへつらう一国の総理、世界初じゃないの?
2025/10/31 トランプと習近平の会談を見たら高市は前座に見えてきた
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高市早苗の醜悪な媚売り - 日本が恥を晒して惨めに貢いだトランプ訪日の政治
世に倦む日日 2025年10月31日
トランプが訪日し、10/28、高市早苗と迎賓館で日米首脳会談をやり、横須賀米軍基地の空母艦内で米兵を前に二人で演説した。その映像がテレビとネットに流れ、ネット空間は賛否が分かれて騒然となった。高市がまるで喜び組の寵妾のようにトランプに媚び、高揚してぴょんぴょん跳び跳ね、絶賛と心酔の意を全身で表し、抱き寄せられて嬉々とするアピールをした。その映像が発信された直後からネットの中で大きな反響が沸き起こり、賛否が割れて激震する騒動となった。そこから時間が経った現在も興奮が覚めやらず余韻が続いている。トランプ訪日の政治は、このジョージワシントン艦内での高市の媚態パフォーマンスとそれへの反応が最も大きな事件だった。日本人の感情を揺さぶる衝撃だった。マスコミは、この話題について敢えて注目せず、防衛費がどうとか80兆円の投資がどうとかの方向に関心を逸らし、お茶を濁した官製報道で処理している。
自慢にならぬよう注意して振り返りたいが、今回、当該事件の中心に近い位置で役回りを果たした感覚が残っている。アメリカのテレビの映像がXで流れたのを見て、すぐに率直な感想をポストしたところ、1日で200万を超えるインプレ数が殺到した。投稿時刻は当日午後6時35分。これだけ大きく波紋を呼んだのは、3年前のニールマーレ事件(土佐市カフェ騒動)の渦中に嵌ったとき以来だ。おそらく、多くのXユーザーのタイムラインに流れたことだろう。政治家やマスコミ関係者の目にも留まったに違いない。右翼から誹謗と罵倒の嵐が襲来した。翌日10/29、Xの「おすすめユーザー」欄に初めて高市早苗のアカウントが表示されたので、監視を受けた気分でギョッとさせられた。内容的にはかなり控えめな批判だと心得るが、あの横須賀の屈辱の絵を見て我慢できないと憤った者が多く、批判の世論が怒涛の勢いで燃え上がって爆発する上で契機の一つになったかもしれない。
再読して妥当な正論だと思う。抑制的な認識と論調だ。本来、この批判内容は、当日夜のテレビの報道番組の出演者(政治記者とか国際政治学者とか)から発せられるべき指摘である。ニュースで映像を紹介した後に、スタジオの解説者が言う教科書的で標準的なコメントだろう。客観的に、明らかにこの愚挙は日本の国益を害する外交上の失態であり、配信された映像を見た人々は日本に失望し、日本への信頼を落とす結果になったはずだ。世界の人々は、日本の首相にこのような痴態と反動を演じて欲しくなかっただろう。マスコミと保守勢力がコミットする「アメリカ」や「日米同盟」には、アメリカのリベラルや民主党の存在も含まれる。アメリカ=トランプではない。トランプへのご機嫌取りが通商上必要でも、そこには限度と節度がある。高市の忖度は過剰で醜悪だ。理性と常識を持ったコメンテーターなら、良識を看板にする外交評論家なら、私の主張をそのままテレビで述べただろう。
が、テレビの報道番組では、誰もその正論を言わず、横須賀での一件について高市を持ち上げ、トランプを称賛し、華やかな日米同盟強化の演出だと言祝ぐだけだった。大越健介のコメントがそうだった。日米同盟側が予め仕組んだ作戦の意図どおり、マスコミは肯定的に映像を紹介し、共感共鳴の感想を持たせるように視聴者に仕向けた。10/28 夜のテレビ報道では、横須賀の狂乱政治の絵に対する違和感は誰からも出なかった。私は、私の投稿を毬谷友子がリポストし、さらに高市追撃に出て潮流を作っているのを確認し、二つ目の踏み込んだ投稿を発した。“卑屈”と“媚態”をキーワードに140字の構文を試みた。この政治局面の本質を射抜く言葉として二つを直観したからであり、批判の妥当性を根拠づける概念だと確信したからである。この二つの標語を核とした総括こそが肝要で、この場面を意味づけて一般を説得できる言論だろうと考えた。そしたら、ほぼ同時刻に志位和夫がXで“卑屈”と“媚態”を使っていた。
もう少し早く投稿しておけばよかったと後悔する。続けて、「ジェンダーロール」の問題にも介入することにした。何やら左翼がジェンダーロールを論点に切り出し、高市がトランプに媚びる態様について、日本特有のジェンダーの悪弊が要因だと言い上げ、日本社会のジェンダー後進性こそが元凶だと観念的に問題をスリ替える誤謬を犯しているように見えたからである。この種の(政治に男女の関係性が絡む)痴態と滑稽は、別に洋の東西関係なく、古今東西どこでも共通であり、人類の歴史が続くかぎり繰り返される噴飯で矮小な喜劇だろう。愚昧で猥俗だけれども、リアルの政治現場では永遠に有効で、それこそが小林節や長谷部恭男が憲法学の基礎で立憲主義を説く際に言う、「人間は不完全な存在」の命題を証明する一つの真実なのだ。60歳を超えると人間を変えることはできない。これまで続けて来た悪癖が必ず滲み出る。人生の“成功”を掴んできた本領が自然と発揮される。これはジェンダーの問題ではなく政治倫理の問題なのだ。
明らかに高市はトランプに媚びた視線を送っている。格下の女性が権力者に媚びて寵を乞う態度を全開させている。それは倫理的に、女性の尊厳を傷つける、不快感を催させる振る舞いであり、衆目の場で演じて他に見せてはいけない所作と行為だ。評価は悪くなる。なので、社会での女性一般はそのコードとプロトコル(⇒言語と文法)に即し、戒めの心構えと緊張感を持ち、常に周囲に誤解されぬよう男性と接している。関係性をコントロールしている。だが、高市の場合は例外で、若い頃からある種の反倫理主義のスタイルの標榜があった。例の地中海での淫蕩な武勇伝の自己宣伝があり、そして月刊誌が克明に報じた森喜朗との醜聞案件があった。倫理などどうでもいい、勝ってなんぼ、手段は選ばず出世すればいい、そうした志向性が顕著だ。同一の範疇に入るのが小池百合子であり、学歴経歴詐称疑惑が同じで、荒淫無類の森喜朗との噂も同じである。脱倫理の日本女性が成功し、東京都知事になり、総理大臣になった。ジェンダー論からの高市擁護が喧しいが、本当にそれでいいのだろうか。
このままだと、高市がロールモデル(⇒手本)となり、日本女性の生き方の模範的象徴となり、高市の出世物語と成功法則が正当化され、価値づけられ、それをトレース(⇒なぞる)しなさいという教育指導になる。長い間、日本女性は男支配の軛の下で抑圧され、能力を発揮できず、地位につけず、社会的成功を得ることができなかった。だが、高市早苗は総理大臣になり、小池百合子は東京都知事になり、二人は見事に最高の栄達を掴み取った。日本女性の積年の悲願を果たし、ガラスの天井を破壊した。日本の若い女子は二人の偉大な英雄を見倣うべし。二人の人生の方法と哲学を研究し、裏に隠れた“努力”と“奥技”を発見し習得して実践しなさい。という結論になりはしないか。私は、この脱倫理の思想こそが、新自由主義と二重構造で世界を制覇し改造した脱構築主義の本質だと言い、ブログ開始以来デモーニッシュ(⇒憑りつかれたよう)に批判を続けてきた。ジェンダー主義はその思想の一環であり、リベラリズムから派生した現代思想だ。田久保真紀や小川晶の鉄面皮も同じ問題である。
さて、トランプ訪日の政治の分析に移ろう。10/27 から 10/29 の日程で組まれた今回の日米の政治プロジェクトは、ほとんどアメリカ側が工程を設計したもので、アメリカCIAが仕切ったものだ。だから、共同記者会見もなく、政府共同発表もなかった。何時に何をするかも、プレスにどう発表するかも、すべてアメリカ側の主導であり発信である。無理もないと言うか、APECに合わせてトランプが訪日し、トランプ関税の“中身”を詰めて成果にするという計画までは、何か月も前に決まっていた予定だったが、日本の首相が誰になるか、それがいつ決まるかは全く見通しが立たず、日本政府(外務省)は具体的な準備ができなかった。帝王トランプと向き合う日本の首相が正式に決まったのは、訪日6日前の 10/21 のことだ。例えば、石破茂が粘って続けていたかもしれないし、下馬評どおり小泉進次郎だったかもしれない。玉木雄一郎になっていれば、アメリカ側も慌てただろう。日本政府はお手上げで、アメリカ主導の工程と“成果”を受け入れるしかなかった。
日米首脳会談の中身は、高市が 10/4 に新総裁になった後から外務省が協議して間に合わせたものだろう。特に中身はなく、目玉はノーベル平和賞推薦のプレゼントだった。防衛費3.5%が議題にならなかったのは、少数与党の国会対策の事情と選挙準備の必要からであり、そんな約束をしていれば、国会論戦で叩かれて支持率が下がり、解散総選挙に踏み込めない状況になるのが必至だったからだ。アメリカ側も政府間で何かを話し合って決める首脳会談には関心がなかった。政府同士ではなく、軍(日米同盟)が主役になったのが今回の幕である。ハイライトに設定した舞台は横須賀。米空母集会で高市がホステスの如く帝王に密着し歓喜して跳び跳ねる演出は、日米同盟(アメリカCIA)が手配した政治イベントだろう。日本の首相がトランプ支持集会で熱狂する女性の一人である事実をプレゼンテーションした図だ。米軍と自衛隊の支配服従関係を世界と米国内に示唆した政治だ。中国との戦争になったとき、米軍の司令官と自衛隊の司令官はこうした関係になるのだと。
そして、アメリカ側が提案・要請して高市早苗が賛じ応えた今回の政治のコンセプトは、安倍復活であり、安倍称揚であり、安倍思想で再結合・再強化する日米関係に他ならない。安倍晋三のグロテスクな右翼政治が復活し、永田町とマスコミとネットを覆っている。宮家邦彦、峯村健司、兼原信克、今井尚哉、、安倍政治の退場で一時引っ込んでいた連中がまたぞろ息を吹き返して跳梁跋扈している。まさに暗黒の時代の再来となった。今回の一件に接して強く思うのは、特にネット世論、ネット政治世界の分断だ。安倍政治を信奉して攻勢をかける右翼のエネルギーは凄まじい。SNSはそれを扇動している。だが同時に、安倍政治を拒否し、その復活を嫌忌し阻止しようとする側のエネルギーも強烈にある。ネットの中は、分断するアメリカに近似した模様になっている。一方で、日本という国の政治は、生理的に分断を嫌い、丸く一つに纏まる方向に絶えず力がはたらく体質が存在する。マスコミを見ても分かるように、スタジオで対立せず、全員が同じ見解だという表象を作る。中和をする。
右翼からすれば、欺瞞的に中和を図るマスコミの陳腐な努力や配慮が、無価値なオールドであり、唾棄すべき反日であり左翼性なのである。一つに丸めるマスコミの営為が、安倍路線で固まるとき、日本は真正のファシズム社会となり、スパイ防止法が制定される政治体制の国家となる。今回のトランプ訪日の政治は、脱安倍の路線に転換を試みていた石破茂を引き摺りおろした勢力が、勝利宣言と祝杯を上げる祝勝会のセレモニーとパーティだった。
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。