世に倦む日日氏が掲題の記事を出しました。
「小泉備蓄米政策」は、国民の72~74%という圧倒的な支持を得ていて、自民党の支持率までが6ポイントも上がったということです。このコメ暴騰を招来した原因が自民党政治に他ならないので、この現象は納得がいきません。
今回のコメの暴騰は販売仲介業者の一部による投機(隠匿)が原因なので、「コメ農家の収入改善のため高騰は止むを得ない」というのも間違いです。
世に倦む日日氏は、TVの解説者などに「コメ農家が安定的に暮らせる米価を目指さなければならない」という論調が見られるとして、それを「清少納言」流の「貴族リベラル」と批判します。
そして「5キロ4000円のコメなど高すぎて世界の誰も買わない。ドバイの王族たち向けの超富裕層市場にしか売れない贅沢商品」だと述べます。これは誰もが納得する話です。
いうまでもなくコメ農家が安定的に暮らせる政治は絶対的に必要です。しかし日本にはコメの生産が安く行われる立地条件がない中で、ストレートに販売米価によってコメ農家が安定的に暮らせる道を探ろうというのは無理です。従って「食糧安保」の概念をベースにした正しい政治こそがそこに求められるわけですが、それを目下の課題として最優先事項にするのは間違っています。
「経済弱者に取って目下の主食の暴騰がどんなに生活を圧迫しているのか」の視点こそがいま何よりも政治に求められています。今すべきことは「小泉備蓄米政策」の貫徹で コメ投機業者に勝つまでこの持久戦を戦い抜くしかありません。。
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備蓄米に並ぶ人々に冷淡な貴族リベラル - 3月末の”農家デモ”は何だったのか
世に倦む日日 2025年6月12日
6/9、ANNとNHKの世論調査が発表された。ANNでは、小泉備蓄米政策に対して「評価する」が72%となり、石破内閣の支持率が前回より6.8ポイント上がって34.4%となった。NHKでは、小泉備蓄米政策に対して74%が「評価する」と答え、内閣支持率は6ポイント上がって39%、自民党の支持率も5.2ポイント上がった。2週間前に始まったプロジェクトが世論に歓迎され、内閣支持率も政党支持率も引き上げた状況が確認される。予想したとおりの変化だ。7/20 の参院選に向けて一日一日と日程が埋まり、コメ政策が大きな国民的関心事となったまま選挙戦に突入しようとしている。テレビは朝も昼も夜もコメを話題にして刻々の動きを伝え、その中心には小泉進次郎のアップデートがある。ヤフーニュースでは、ここ数日、全国での小泉備蓄米新発売を伝える地方紙・地方局の報道が上がっている。愛知、九州、広島、東北、北海道、四国
その映像や写真に心を動かされる。沼津のスーパーでの「初売り」を撮った静岡朝日テレビの映像では、100人ほどが側道に行列を作り、整理券を得るために座り込んでいた。50代くらいの男性が「朝4時半から並んでます。少しでも安いお米を買いたかったんで」と疲れた表情でインタビューに答えている。小さな子どもを二人連れた父親もいた。地方局の取材映像なので、やらせやサクラの脚色は基本的にないだろうと思われる。地方より早く販売が始まった首都圏の映像でも、高齢者が多くいて、長い待ち時間に疲れ切った表情をしていたのが印象的だった。やっと手に入れた5キロの袋を両手で抱えて、目的をようやく遂げ、密集状態で待ち続ける辛苦から解放された安堵の気持ちが顔に浮かんでいた。愛知県の多治見のスーパーでの「初売り」の様子を中部経済新聞の記事が伝えていて、60代くらいの女性がコメ袋を抱えて嬉々とした場面の写真が印象深い。
2025年の現代史となった 小泉備蓄米 とは何かは、この備蓄米を買い求める行列に並んだ人々の表情と言葉にすべて言い表されているだろう。6/8 の鹿児島のディスカウント店では、雨の中を1200人が並んで待つ人々の姿が報道されている。たしかに、これだけ朝から晩まで備蓄米の話題をテレビが流して徹底的に宣伝・扇動すれば、大衆の間で〝お祭り”的なブームが起きて磁場に吸い寄せられるのは道理だろう。けれども、本質はそうした社会学的な側面にはない。真実の動機は沼津の男性が語ったとおりで、これは経済学的現象であり、今の日本の経済的真実を生々しく浮き上がらせた姿だ。4200円のコメを2000円で手に入れるため、消費者が忍耐して何時間も並んでいる。出費を節約するため、生活を防衛するため、この行動をとっている。6月第1週の川崎の絵では、行列で待ちくたびれた高齢者が「何でこんな目に遭うんだろう」という苦く重い顔をしていた。
2000円の節約のためにここまでしないといけないのかと、不条理を呑みこむ意識が顔に出ていた。厳しい生活環境の中では2000円の出費は小さくなく、その節約の意味は大きく、行列に並ぶ努力で入手できるのならそちらを選ぶのだ。その価値があると判断されるのだ。それが今の日本の低所得層の論理であり、コスパ基準の現実である。この行列は経済現象だ。われわれが想像しなくてはいけないのは、この経済現象のムーブメントが1か月後には政治現象に化けるかもしれないという可能性だろう。未明か早朝にスーパーやディスカウント店の前に来て、地べたに座って、何時間も立って並んで、安いコメを手に入れるために費やした労力は、どれほど客観的に不条理でも、その者にとっては価値があり意味のあるものだと総括される。その主観的な価値や意味は、どのようにして客観的な価値や意味になるのか。政治が媒介して、その努力が精神的に報われるときが来るのだ。
スーパーに並んだ大行列は、参院選の駅頭演説で小泉進次郎を歓呼する大群衆に転化し得る。そう考察するのが社会科学的な態度というものだろう。別角度から見れば、小泉備蓄米に群れをなして並ぶ人々の映像は、エンゲル係数が43年ぶりの高水準となり、貧富の差が拡大している日本の現実が可視化された象徴的な絵に他ならない。だが、テレビを見ていても、その真実を正しく看破した評論や解説に接する機会がない。テレビで吐かれるのは、いわゆる格差社会のアッパークラス、富裕層に属する者からの所見であり、問題の矮小化あるいはスリカエである。高見の見物目線でこの問題を捉えていて、備蓄米購入に並ぶ庶民の生活に寄り添う視角が全くない。6/8 放送のサンデーモーニングもそうだった。膳場貴子と元村有希子が、問題は国の農政の失策だと言い、小泉備蓄米政策の意義を相対化する主張を述べている。この問題についての左翼リベラルの言説は悉くこの論理で一貫している。
問題を抽象的次元の論点に変換して曖昧化工作をしている。コメ価格を引き下げなくてはいけないという意思がなく、投機でコメ価格が不当に高騰しているという認識がない。元村有希子は、コメ農家の時給が97円とか、コメ農家の数が半分に減るという一般論を繰り出し、生産農家擁護論を言い、恰も現在の高騰したコメ価格がやむを得ないもので受け入れるべきものだと示唆するコメントを発していた。「時給百円」論はこの春頃から盛んに言われ、生産農家への同情世論を醸成し、高騰するコメ価格を是認する方向に世論を誘導する役割を果たしてきた言説だ。だが、山下一仁の説明では、農家のコメによる所得は全体の5分の1であり、兼業農家として別収入を含めて経営と生計が維持されていて、ゆえに赤字でもコメ生産が続けられている内情がある。三菱総研の稲垣公雄の分析では、農家の84%が統計上や確定申告上は赤字だが、ほとんどが所得ベースでは赤字ではないと結論している。
「時給百円」論はレトリック(⇒修辞学 言葉のあや)である。今、ここであらためて審問しなくてはいけないのは、3/31 に行われた「令和の百姓一揆」と銘打たれたデモの真相だろう。農家ら3200人が参加し、トラクターで都内の道路を行進して集会した。マスコミが大きく取り上げて報道し、農家の言い分に同調する世論が作られる契機となった。否定的な見方をする報道は全くなかった。今でもこのデモと報道の影響は残っていて、「これまでの相対取引価格が安すぎた」「作れば作るほど赤字が出る」「このままでは営農を続けられない」という主張が説得力を持ち、支配的なメッセージとなって世間を頷かせている。4000円を超えたコメ価格に抵抗しづらい人々の心理的前提を作っている。貴族の発言に見える左翼リベラルの言説は、この農家デモの利害と主張に依拠したものだ。当時、X上は農家デモを応援して報道を拡散する左翼リベラルのポストで溢れた。私は、何かおかしいなと思い、追随を控えた。
あの農家デモは誰が仕組んだ政治だったのだろう。今、検証する必要がある。無論、私が指さしている疑惑の鉾先は農協だ。4月に入ってもコメ価格は下がらず、4000円を超えて値上がりし、マスコミに登場する「専門家」たちは「今後まだ上がる、下がらない、今年の概算金は高くなる」と言い、25年産新米の高騰あるいは高値維持を世間に常識化させる「予想」を撒いていた。私は「オリエント急行殺人事件」の比喩を用い、これらがすべて共謀共犯関係にあり、コメ投機の謀略が大規模に遂行されたものだと仮説した。決して大袈裟な表現ではなく、関係者すべてを含んで行われたコメ投機の謀略だったと断言できる。敢えて誇張して言うならば、弱者である国内消費者に仕向けられた冷酷かつ欺瞞的な戦争であり収奪だった。あの小泉備蓄米を待って行列する人々は、ガザの食糧配給に群がる人々と同じなのであり、われわれは二つの絵を本質的に同一だと洞察できなければならない。
少し考えれば、多少の知性があれば「オリエント急行殺人事件」の疑惑の構図は直観できるだろう。5キロ4000円のコメなど、どれほど日本産の銘柄だ高品質だと喧伝しても、高すぎて世界の誰も買わないのである。そのプレミアム(⇒高値)なコメは、ドバイの王族御用達の神戸ビーフと同じであり、世界の超富裕層市場にしか売れない贅沢商品なのだ。今、余ったコメは輸出すればいいと誰もが安易に口にするけれど、100万トン200万トン単位でそんな高額米がどこに売れると言うのだ。ほとんど同じ味のジャポニカ米がアメリカやタイやベトナムで生産されている。5キロ2000円でさえ競争力がなく、関税をなくせば忽ち輸入米に席巻されるのが現実なのに、5キロ4000円の輸出米が世界市場で売れて掃けるという想定が、どれほど空虚で根拠のない妄想であることか。数量を輸出したいのなら価格を下げないといけない。山下一仁もそう言っている。5キロ1200円まで落とすのだと。
膳場貴子や元村有希子の論調を聞いていると、枕草子の清少納言が京の郊外で田植えする農民を見下して軽蔑する筆致を想起させられる。住んでいる世界が違う。彼女たちの意図と思惑は、巷で高まっている小泉進次郎人気に水をさすことであり、参院選で自民党に票が流れないよう番組の視聴者に釘をさすことである。それしかない。彼女たちの目からは、2000円の古古米獲得に必死で行列する大衆は、自民党とワイドショーに操られて騒動する愚衆であり、たかが2000円の差益のために無駄なエネルギーを使って蠢いている、卑しく貧しく頭の悪い下賤の民なのだろう。内在する視線がない。生活に困窮しているからそうしているのだという理解がない。突き放していて意味を認めてない。その下賤の民が番組視聴者の過半かもしれない事実に気づかない貴族の彼女たちは、果たして自分たちのコメはどうやって調達しているのだろう。三越からの配達だろうか。ぜひ教えてもらいたいものだ。
小泉備蓄米の政治は激しい鍔迫り合いの中で一日一日進捗している。首都圏のスーパーでは、精米してから日数が経って売れ残りが心配される銘柄米を安売りする店が現れ始めた。4900円の商品に500円引きの札を貼っている。投機で儲けようとして(コメはないないと嘘を言いつつ)現物を抱えていた卸が焦り始めている。一方、精米設備を卸が押さえたためか、小泉備蓄米の流通が滞りを見せ、一週間経っても小売の手に届かないという状態になっている。熾烈な攻防が裏で演じられている。最後に、全国各地での小泉備蓄米販売のニュースを映像で見て、そこでインタビューされた人々の反応と感想を聞いて、率直に、何か勇気づけられる気分になってきた。記事中では「低所得層」だとか「困窮」だとか書いてきたが、日本国民はここにいて、ここに本当の姿があるのだ。自分と同じ普通の日本人がいる。「みんな頑張れ」とエールを送りたい。
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。