2025年6月30日月曜日

食料求め「死の旅」 ガザ やまぬ配給所付近への攻撃

 28日~29日付のしんぶん赤旗にガザに関する3つの記事が載りました。
 1・食料求め「死の旅」 ガザ やまぬ配給所付近への攻撃
 2・病院爆撃 軍が占拠 ガザ 英国人医師,本紙に語る
 3・発砲「群衆追い払うため」 イスラエル紙に兵士証言
 1:ガザでの食糧配給所は以前はUNRWA:国連パレスチナ難民救済事業機関が400カ所ほど運営していましたが、いまでは米国運営の3カ所のみになりました。
 しかしそこで食料を受け取るには「半数が命を落とすという危険」を冒さないと「飢えた子どもたちに食料を持ち帰れ」ません。文字通り「死の旅」です。
 そして「死の旅」の最終段階の配給所に辿りつけたとしても、実際に配給物を手にするためにはそこで「奪い合いと弱肉強食の世界」が繰り広げられるということです。
 ガザ住民のアルカファラナさんの体験談が載りました。
 2と3もガザの実態の報告です。

 併せて「耕助のブログ」の記事「私たち全員を殺す前にネタニヤフを止めろ」を紹介します。
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食料求め「死の旅」ガザやまぬ配給所付近への攻撃
                       しんぶん赤旗 2025年6月28日
【カイロ=米沢博史イスラエル軍は、イスラエル・ガザ地区の食料配給所付近で、食料を求める人々を射殺し続けています。ガザ当局が25日夜に発表したところでは、米国支援の「ガザ人道財団」が5月27日に食料配絵所を開設して以降、配給所付近で殺害されたのは549人、負傷したのは4066人、不明者は39人を数えます。この配給所に食料を受け取りに行くことはどれほど危険なのか。ガザ市西部の住民モアタズ・アルカファラナさん(38)が25日、SNSを通じてその体験を語ってくれました。

ガザ市西部の住民 モアタズ・アルカファラナさん
 私は、飢えに苦しむ家族8人のために、ガザ市西部のアズハル大学の避難所から南部ラファにある「米国支援センター」(食料配給所)に向かいました。それは半数が命を落とすといわれる「死の旅」でした
 犠牲祭(イスラム教の祭日)の前日、5日午後8時に出発し、35キロ以上の距離を夜通し歩き、翌朝2時半ごろ、ハンユニスの南西端に到着しました。
 イスラエル軍の検問所に近づくと、拡声器で「支援センターは閉鎖された。帰れ」と告げられました。しかし、経験者によれば、これは人々を追い返すための策略だということで、私はその場にとどまりました。

銃撃
 再び近づいたところ、今度は「3分以内に立ち去らなければ撃つ」と脅され、その言葉が終わる前から銃撃が始まりました
 叫び声が響き渡る中、銃声と弾丸が飛び交いました。若者たちが銃撃の合間を縫って負傷者を近隣の国際赤十字の施設まで運びましたが、途中で射殺される人もいました。
 私たちは恐怖と悲しみの中、海岸へと避難し、砂の上で夜を明かしました。翌朝6時45分、再び激しい銃撃が始まり、私たちは地面に伏せました。軍用機の音も聞こえました。
 私の心にあったのは、「死ぬこと」よりも、「子どもたちに食料を持ち帰れないこと」への恐れでした。飢えた子どもたぢが、私の帰りを待っているのです。
 午前8時、銃撃が一時やんだ隙に、経験者が「今だ!」と叫び、私たちは配給所に向けて突入を開始しました。隠れていた場所から一斉に走り出し、2キロ以上の距離を全力で駆け抜けました
 倒れている負傷者や遺体を目の当たりにしながらも、誰も立ち止まることはできません。後ろから押し寄せる群衆に踏み倒されたり、銃撃を受けたりする危険があり、命がけで走るしかありませんでした。
 イスラエルと米国の兵士たちは、映画さながらの装備で銃を構え、威嚇射撃を続けていました。私たちは丘を登り、物資のある場所へと殺到しました。そこでは奪い合いと弱肉強食の世界が広がっていました

脱出
 私は何とか食料袋を手に入れ、「死の地」から脱出しました。中身を確認すると、豆2kg、小麦粉2kg、パスタ4kg、ゴマペーストkg、調理油1、塩kg缶詰2個が入っていました。
 私は涙が止まりませんでした。このわずかな食料のために、私は命を賭け、負傷者を助けることもできなかったのです。みじめな「暗黒の犠牲祭」でした


病院爆撃 軍が占拠 ガザ 英国人医師,本紙に語る
                       しんぶん赤旗 2025年6月29日
【カイロ=米沢博史】パレスチナ・ガザ地区で先月末まで医療活動を行ってきた英国のビクトリア・ローズ医師に25日、現地の様子を電話で聞きました

ビクトリア・ローズ医師
 私は英国の慈善団体「IDEALS」の整形外科医として、2019年以降、何度もガザを訪問し医療支援を行ってきました。
 私がガザに行く理由は三つあります。目撃者として実態を伝えるため、現地の医師を支えるため、そして整形外科医として命を救う役割を果たすためです。
 戦争開始後も3回、ガザに行きましたが、直近の訪問(5月)がもっとも厳しいものでした。私の到着日には、欧州軍が占拠しました。どこもかしこも瓦礫(がれき)の山で、別世界に迷い込んだようでした。
 南部のテント村には百万人以上が劣悪な環境で生活しています。下水処理も清潔な水もなく、3月以降、援助物資は切届いていません。以前は、国連の各種機関やNGOが医療や衛生支援を行っていましたが、今は完全に停止しています
 住民の体重は大幅に落ち、子どもたちも年齢に対して小柄でやせています。気力も落ち、「死んだほうがまし」だと語る人が何人もいました。イスラエル軍がミルクの搬入を許可しないため、私がナセル病院にいた間にも60人の乳児が亡くなりました。これは明確な国際法違反です。
 家族の誰かを失った人はほぼ全員に上り手術中、この子どもの患者が家族で唯一の生存者だと聞かされることも珍しくありません。手足を失った子どもが一人でその障害と向き合わなければならないのです。
 現在、「ガザ人道財団」(GHF)の食料配給所は3ヵ所に限られています。その周辺で食料を求める人が銃撃され、多くの死傷者が発生しています
 イスラエル軍の発表はいつも事実と異なります。私は救急室に道ばれた15人の遺体を目の前にしながら、イスラエル軍が「誰も撃っていない」と発表するのを聞きました。その日、ナセル病院には銃創の患者が200人も運び込まれました。これだけの火力がある武器を持つのはイスラエル軍しかありません。撃たれた人も、「GHF側の人に撃たれた」と□々に語っていました
 交戦規定が守られていません。世界は政治以前の問題として、民間人の大量虐殺を止めなければなりません。


発砲「群衆追い払うため」 イスラエル紙に兵士証言
                       しんぶん赤旗 2025年6月29日
【カイロ=米沢博史イスラエル紙ハーレツ(電子版)は27日、「ガザで人道支援を待つ非武装の市民に、イスラエル軍が意図的に発砲」と題する記事を掲載し、軍の将校や兵士たちが、脅威が存在しないにもかかわらず「群衆を追い払う」目的で発砲するよう命じられたという証言を紹介しました。
 記事によると、配給所は朝の1時間だけ開設され、開所前や閉所後に群衆を追い払うため、発砲が行われます。ガザ市民は、配絵所がいつ開くのかを知らされていません。そのため発砲が開所と閉所の合図のような役割を果たしています
 兵士たちは、「ガザには非戦闘員はいない」と繰り返し教え込まれており、非武装の市民に対して、敵兵と同様に、重機関銃やグレネードランチャー (擲弾〈てきだん〉発射器)、迫撃砲など、考えられる限りの火器を実弾で使用していると証言しています。
 記事は最後に、軍はイスラム組織ハマスの妨害から食料配給所を守る活動を行っているにすぎないと強弁する軍報道官のコメントを載せています。
 ガザでの戦闘停止を求めるイスラエルの団体「人質のための兵士たち」は同日、声明を発表し、人道支援を受けに来た市民への発砲は違法な命令だと主張。兵士は従ってはならず、命令を下した指揮官は投獄されるべきだと訴えました


私たち全員を殺す前にネタニヤフを止めろ
                耕助のブログNo. 2577 2025年6月28日
    Stop Netanyahu Before He Gets Us All Killed
                     by Jeffrey D Sachs and Sybil Fares
ほぼ30年にわたり、イスラエルの首相ベンジャミン・ネタニヤフは中東を戦争と破壊の道に導いてきた。この男は暴力の火薬庫だ。彼が主導してきたすべての戦争を通じて、ネタニヤフは常に「大戦争」を夢見てきた:イラン政府を打倒し、政権を転覆させることだ。彼が長年望んできた戦争がまさに始まったばかりだ。ネタニヤフを止めなければ、私たちは皆、核の終末戦争で殺されるかもしれない。

ネタニヤフの戦争への執着は、彼の過激な師匠であるゼエヴ・ジャボティンスキー、イツハク・シャミル、メナヘム・ベギンに遡る。古い時代の人々はシオニストは目的を達成するために必要なあらゆる暴力  戦争、暗殺、テロ  を用いるべきだと信じていた
ネタニヤフの政治運動の創設者たちである「リクード」は、イギリス委任統治下にあったパレスチナ全土の排他的なシオニスト支配を主張した。1920年代初頭のイギリス委任統治開始時、イスラム教徒とキリスト教徒のアラブ人は人口の約87%を占め、ユダヤ人人口の10倍の土地を所有していた1948年時点でも、アラブ人はユダヤ人の約2倍の人口を占めていた。それでも、リクードの設立憲章(1977年)は「海とヨルダン川の間にはイスラエルの主権のみが存在する」と宣言した。現在では反ユダヤ主義と非難される「川から海まで」というスローガンは、実はリクードの反パレスチナ派の合言葉だった。
リクードの課題は国際法と道徳の両方が求める2国家解決を無視した、明白な違法性を持つ最大主義的な目標をどのように追求するかだった。

1996年、ネタニヤフと彼のアメリカ人顧問たちは「クリーン・ブレイク」戦略を考案した。彼らは、地域平和と引き換えにイスラエルは、1967年の戦争で占領したパレスチナ領土から撤退しないことを主張した。代わりにイスラエルは、中東を自らの好みに合わせて再編成する。重要なのは、この戦略は、これらの目標を達成するための米国を主要な勢力として想定していたことだ。つまり、パレスチナに対するイスラエルの支配に反対する政府を解体するために、地域で戦争を仕掛け、米国はイスラエルの代理として戦争を戦うよう求められた
クリーン・ブレイク戦略は9・11以降、米国とイスラエルによって効果的に実行された。NATO最高司令官ウェズリー・クラークが明らかにしたように、9.11直後、米国は「5年間で7カ国の政府を攻撃し破壊する」計画を立てていた。それらはイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、イランだった

最初の戦争は2003年初頭、イラク政府の打倒だった。米国がイラクで泥沼化したため、さらなる戦争の計画は延期された。それでも、米国は2005年のスーダンの分裂、2006年のイスラエルのレバノン侵攻、同年エチオピアのソマリア侵攻を支援した。2011年、オバマ政権はシリアに対するCIA作戦「ティンバー・シカモア」を開始し、イギリスとフランスと共に2011年の空爆キャンペーンを通じてリビア政府を転覆させた。今日、これらの国々は廃墟と化し、その多くは内戦に陥っている

ネタニヤフは、ポール・ウォルフォウィッツ、ダグラス・ファイト、ヴィクトリア・ヌランド、ヒラリー・クリントン、ジョー・バイデン、リチャード・パール、エリオット・アブラムスなど、米国政府内のネオコン同盟者たちとともに、公然と、あるいは裏で、これらの選択的戦争を熱狂的に支持してきた

2002年に米国議会で証言したネタニヤフはイラクでの悲惨な戦争を擁護し、「サダムとサダム政権を排除すれば、この地域には非常に大きな好影響が及ぶことを保証する」と宣言した。さらに、「隣国イランに住む人々、若者たち、そして多くの人々は、そのような政権、そのような専制君主の時代は終わったと口々に言うだろう」と続けた。また、彼は議会で「サダムが核兵器の開発を目指し、その開発を進めていることは、まったく疑いの余地がない」と虚偽の証言もした。

「新しい中東」を再構築するというスローガンは、これらの戦争のスローガンとなっている。それは1996年に「クリーン・ブレイク」で初めて提唱され、2006年にコンドリーザ・ライス国務長官によって普及した。イスラエルがレバノンを残酷に爆撃していた際、ライスは次のように述べた:
ここで私たちが目撃しているのは、ある意味で、新しい中東の誕生の苦しみであり、私たちが何をするにせよ、古い中東に戻るのではなく、新しい中東へと前進し続けていることを確信しなければならない。

2023年9月、ネタニヤフは国連総会で、パレスチナ国家を完全に抹消した「新しい中東」の地図を提示した。2024年9月、彼はこの計画をさらに詳細に説明し、中東の一部を「祝福された地」とし、レバノン、シリア、イラク、イランを含む部分を「呪われた地」と表現し、後者の国々での政権交代を主張した。
イスラエルのイランに対する戦争は、数十年にわたる戦略の最終段階だ。私たちは、過激なシオニストが米国の外交政策を操作してきた数十年の集大成を目撃している。

イスラエルのイラン攻撃の前提は、イランが核兵器の取得寸前だという主張だ。しかしイランは数十年にわたる米国の制裁の終了と引き換えに核オプションを放棄するため、繰り返し交渉を呼びかけてきた
1992年以来、ネタニヤフとその支持者は、イランが「数年間で」核保有国になると主張してきた1995年、イスラエル当局者と米国の支援者は5年というタイムラインを宣言した。2003年、イスラエルの軍事諜報局長は、イランが「2004年夏までに」核保有国になると述べた。2005年、モサドのトップは、イランが3年以内に核兵器を製造できると述べた。2012年、ネタニヤフは国連で「最初の核爆弾に必要な濃縮ウランを調達するまで、数ヶ月、あるいは数週間しか残されていない」と主張した。そして、このパターンは繰り返されてきた。
この30年以上にわたる期限の変更は予言の失敗ではなく、意図的な戦略の表れだ。これらの主張はプロパガンダであり、常に「存在の脅威」が存在している。さらに重要なことは、ネタニヤフがイランとの交渉は無駄だと偽って主張していることだ。

イランは、核兵器を望んでおらず、長い間交渉の準備をしてきたと繰り返し述べている。2003年10月、最高指導者アリ・ハメネイ師は、核兵器の製造と使用を禁じるファトワ(イスラム法上の見解)を発令した。この裁定は、2005年8月にウィーンで開催されたIAEA会議でイランが公式に引用し、以来、核兵器開発を阻む宗教的・法的障壁として言及されている。

イランの意図に懐疑的な人々にも、イランは独立した国際的な検証に基づく交渉による合意を一貫して主張してきた。これに対しシオニストロビーは、いかなる合意にも反対し、米国に対し、制裁を維持し、制裁解除と引き換えにIAEAの厳格な監視を認める合意を拒否するよう求めてきた。

2016年、オバマ政権は、英国、フランス、ドイツ、中国、ロシアとともに、イランとの間で「包括的共同行動計画(JCPOA)」に合意した。これは、制裁の緩和と引き換えに、イランの核開発を厳格に監視する画期的な合意だった。しかし、ネタニヤフとシオニストロビーの執拗な圧力の下、トランプ大統領は2018年に合意から離脱した。予想通り、イランがウラン濃縮を拡大すると、米国自身が放棄した合意を破ったとして非難された。二重基準とプロパガンダは明白だ。

2021年4月11日、イスラエルのモサドはイランのナタンズ核施設を攻撃した。攻撃後、イランは4月16日、交渉の切り札としてウラン濃縮をさらに拡大すると発表し、JCPOAのような合意の再交渉を繰り返し求めた。しかし、バイデン政権はすべての交渉を拒否した

トランプは2期目の就任当初、イランとの新たな交渉開始に合意した。イランは核兵器の放棄とIAEAの査察を受け入れると約束したが、民間目的でのウラン濃縮の権利は留保した。トランプ政権は当初この点に同意したように見えたが、その後方針を転換した。以来、5回の交渉が行われ、双方は毎回進展を報告してきた。

6回交渉は6月15日(日)に開催される予定だった。しかしその代わりに、イスラエルは6月12日にイランに対して先制攻撃を開始した。トランプは政権が今後の交渉について公に発言している最中に、米国がこの攻撃を事前に知っていたことを認めている。
イスラエルの攻撃は交渉が進展していた最中だけでなく、二国家解決を推進する国連パレスチナ会議の開催予定日の数日前に実施された。この会議は現在延期となっている。
イスラエルのイラン攻撃は、米国と欧州がイスラエル側、ロシアとパキスタンがイラン側に加わる全面戦争にエスカレートする危険性がある。複数の核保有国が対立し、世界が核の破滅に近づく状況が間もなく訪れる可能性がある。終末時計は1947年の設立以来、最も近い89秒前になっている。

過去30年間、ネタニヤフと米国の彼の支持者は、北アフリカ、アフリカの角、東地中海、西アジアにまたがる4,000キロメートルに及ぶ地域を破壊または不安定化させてきた。彼らの目的はパレスチナ支援政府を転覆させることでパレスチナ国家の設立を阻止することだった。世界はこのような過激主義よりも、もっと良いものを受け取るに値する。国連加盟国の180か国以上が2国家解決と地域の安定を求めている。それは、イスラエルが違法かつ過激な目的を追求するために、世界を核の破滅の瀬戸際に追い込むよりもはるかに理にかなっている

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