2015年12月13日日曜日

論議すべきは軽減税率ではなく増税中止

 軽減税率の報道が大々的に展開されていますが、議論すべきは消費税増税自体をすべきかどうかだ⇒増税はすべきではない、とする二つのブログを紹介します。
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論議すべきは軽減税率ではなく増税中止
植草一秀の「知られざる真実」 2015年12月12日
軽減税率の報道が大々的に展開されているが、こんなことで主権者は問題の本質を見誤ってはならない
あるべき税制を考えるなら、過去25年の日本の税収構造の変化を踏まえることが、まず優先されるべきだ。
いま論議されていることは、現在の8%の消費税率を2017年4月に10%に引き上げる際に、一部品目に限って、税率を8%に据え置くことである。
消費税の逆進性を緩和する などの言葉が使われるが、問題の本質からはまったくずれた論議である。
 
逆進性を緩和する、消費税の問題点を是正する、ということであるなら、生活必需品の非課税 税率ゼロを検討するべきだろう。
8%に据え置くか、10%に引き上げるか、などという話は、枝葉末節の論議だ。
それすら認めようとしない財務省の姿勢は言語道断を言わざるを得ない。
もともと、消費税を5%以上に引き上げる際に、消費税を引き上げる前に、官僚利権を断ち切るという話があった。その話について、何も進展がないのである。
 
財務省は消費税増税について提案するなら、その前に、財務省の天下り利権の縮小について、具体的な提案を示すべきである。
財務省の天下り利権の氷山の一角である、一部機関への天下りを根絶すること。最低限でも、これを実行する必要がある。
氷山の一角の一部機関への天下りとは、日本銀行、日本取引所日本政策投資銀行、国際協力銀行、日本政策金融公庫日本たばこ、日本郵政、横浜銀行、西日本シティ銀行、への天下りを、まずは全面廃止するべきだ。
「我が身を切る改革」をやってから、消費税増税の負担を求める、というのが、最低限の条件であるだろう。
この点に頬かむりをして、消費税大増税を規定路線であるかのように振る舞う財務省の基本姿勢を、主権者国民が糾弾する必要がある。
 
25年前の税収構造はこのようなものだった。
所得税 27兆円(91年度)
法人税 19兆円(89年度)
消費税  兆円(89年度)
だった。
これが2015年度は
所得税 16兆円
法人税 11兆円
消費税 17兆円
になっている。
富裕者の負担を徹底的に軽くして、中低所得者の負担を際限なく重くしているのである。
そこで出てくる論議が軽減税率だが、所得の少ない人々の生活を真剣に考えるなら、生活必需品非課税の検討以外にあり得ない。
メディアが、「10%を8%にするなどという些末な論議をするのではなく、生活必需品は無税、非課税にすることなどを検討するべきだ」との報道を大々的に展開するのなら分かる。
それを、「軽減税率の適用範囲を生鮮食料品にするか、加工食品や外食にまで広げるのかについて、自民党と公明党の合意がなかなか成立しない」などという、些末な論議を延々と繰り広げている。
そもそも、いま論じるべきテーマは、2017年4月の消費税10%の中止もしくは延期である。
法人税が減税に次ぐ減税、消費税が増税に次ぐ増税、ということを、主権者は絶対に容認できないはずだからだ。
 
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(以下は有料ブログのため非公開)
 
 
馬鹿な議論にウツツを抜かす自公与党の政治家たち。
日々雑感 2015年12月13日
<消費税率が10%になる2017年4月、食品全般の税率は現在の8%のまま据え置かれることになった。
 生鮮食品と加工食品の税率が異なる事態にはならず、売り場の大きな混乱は避けられそうだ。外食と食品の区別が課題となる。
 生鮮食品だけを8%にすると、食品表示法の分類に従えば「マグロの刺し身は8%、刺し身の盛り合わせは加工食品で10%」「カットレタスは8%、ミックスサラダは加工食品で10%」となる問題があった。
 加工食品の中で菓子や飲料を軽減対象にしない案も浮上したが、「菓子パンは菓子として10%にするか」「飲料のニンジンジュースは10%、野菜加工品のトマトジュースは8%になり、理解を得られるか」などと指摘されていた>(以上「読売新聞」より引用)
 
 連日のようにこの国のマスメディアでは大事のように「軽減税率」議論を報じているが、何のことはない、消費税を8㌫から10㌫に上げる際に食料品の税率を8㌫に据え置くかどうかという議論だ。そうした馬鹿な議論をする前に、まず現在の経済情勢で消費税を上げることが出来るか否かを議論すべきだ。
 安部自公内閣が消費税を5㌫から8㌫に増税して、回復しかけていた景気がどうなっているのか、アベノミクスト称する日銀の異次元金融緩和策の「円安」効果を帳消しにした消費増税の景気マイナス効果を碌に検証もしないで、再び消費税を増税しようとは狂気の沙汰だ。
 
「国民の生活が第一」の政治を行うのが政治家の使命のはずだ。財政当局の鼻息を窺って政治を行うのは木を見て森を見ない類の話だ。
 財政当局が真剣に「財政規律を守る」という覚悟を決めたのなら、まず身内の公務員報酬から削減すべきではないだろうか。どこの民間企業でも経営が悪化すれはせまず人件費の抑制に努める。つぎに不要不急の費用節減を図る。必要性の低い道路建設やダム建設を一時先延ばしして、財政再建に充当すべきとの議論がなぜ起こらないのだろうか。それどころか、毎年対前年増の予算を組み続けているではないか。それではどこまで「増税」しても、いつまでも歳入不足は解消しない
 
 社会保障費が増大しているから予算が年々拡大するのは止むを得ない、という言い訳が聞こえてくるが、それなら常軌を逸する支給額格差を放置したままの年金三制度をなぜ抜本的に一元化しようとしないのだろうか
 政治家がその気になれば世界のどこでも日本が戦争を起こせる国になる。それはこの夏に」立憲主義」とはいかなるものかを中学で学ばなかった馬鹿な自公政治家たちが示してくれた。それなら平均支給額で五倍以上も格差のある「年金」が社会保障の名に値するか否かは解らないでも、一元化するのは「戦争法」の強行可決よりも容易だろう。
 
 現役時代に従事した職により高級年金から、生活保護費以下の劣等年金まで厳然たる格差が日本国民なら漏れなく老後に着いて来る、というのは社会保障ではなく現役時代の職による既得権でしかない。年金こそは格差なき一律同額支給とすべきものだ。
 現役時代は能力や働き方に格差があって、手にする報酬に格差があるのはある程度止むを得ないことだが、老後の年金にまでその格差が及ぶというのは社会保障ではない。社会保障とは「負担は応能、支給は一律」が大原則だ。
 
 高額な医療保険料を支払っている人が病院へ行ったからといって、抱え切れないほどの薬をサービスされることはない。しかし年金は国民年金加入者から死ぬまで生活保護費以下の支給額で飢餓と背中合わせの生活を強いられる。それがこの国の年金制度だ。なぜ国民はバカバカしいと思わないのだろうか。なぜ年金一揆が起こらないのだろうか。なぜ怒れる国民年金加入者たちにより政権が瓦解しないのだろうか。そしてマスメディアは連日「軽減税率」議論にウツツを抜かす政治家たちの姿を追い回す。「国民の生活が第一」の政治を国民は今ほど必要としている時はないというにも拘らず。