週刊文春がフジテレビ騒動に関して一部記事を訂正しました。
同誌を通読している識者たちからは「訂正の必要はない」のに文春が敢えて訂正をした背景についそれぞれ考察しています。きっと文春にはそれなりの「判断」があったからなのでしょう。
要するにその程度のことなのに、古市憲寿氏は「文春は廃刊にしたほうがいい」と、ほんこん氏は「週刊誌側も会見したら?」と、音喜多駿氏は「世紀の大誤報では」と、箕輪厚介氏は「会見なりを開くのが筋。さすがに許されない」(以上は添付の植草一秀氏の記事より)などと、まるで鬼の首を取ったかのように大騒ぎをしているのは滑稽なことです。
そうした言説に同調している人たちも同様です。
まるこ姫の掲題の記事を紹介します。
併せて、植草一秀氏のブログを紹介します。週刊文春が記事を訂正する必要がないことが説明されているからです(下線部)。
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「文春の訂正」にフジ社内は大はしゃぎ、フジ御用タレントたちも同じだ
まるこ姫の独り言 2025.02.01
文春が、フジテレビ騒動に関して一部記事を訂正した事で、これで文春を抑えることができると考えたのかフジ社内は大はしゃぎ状態だそうだが、フジ御用達芸能人や弁護士もこぞって文春を非難して、ある意味大はしゃぎ状態だ。
まずは、「文春の訂正記事でフジ社内は大はしゃぎ記事」
>「文春の訂正」にフジ社内は“大はしゃぎ”も…スポンサー“撤退”の動き加速か「新ドラマ出演時には連絡を」 1/30(木) 17:10配信 デイリー新潮 >女性と中居氏がトラブルになった2023年6月、フジの編成幹部が女性を中居宅に誘ったものの、急にキャンセルしたと文春は当初報じた。だが、訂正によると、実際には中居氏自身が女性を誘った。 |
文春の訂正・修正は「その日に関して」というだけだとしたら、その回は中居が女性を誘ったかもしれないが、もともとはA氏が主催者として会そのものをセッティングして来た歴史があるなら、文春記事すべてが否定されるものではないと思うが、フジ御用達芸人、芸能人、弁護士などがこぞって文春を非難している。
フジの社員も文春の訂正で勝ち誇っているかもしれないが、フジ御用達タレントたちも勝ち誇ったような発言の数々。
文春に廃刊をしろとまで言う古市。
>古市憲寿氏、記事訂正の『週刊文春』「廃刊した方がいい」「使命終えた」 “文藝春秋の社員”の思いも踏まえ 1/31(金) 16:02配信 オリコン >フジテレビの2回目会見を振り返る流れから、文春の記事訂正・謝罪に触れ、週刊誌報道の影響力の変容などをめぐって議論。古市氏は「週刊文春、廃刊した方がいいと思います。文藝春秋の社員もかわいそう。 |
さすがフジ御用達の古市だ。
文春の記事がほとんどでたらめならともかく、その回が女性を中居が誘ったか、フジテレビのA氏が誘ったかの違いで、今までフジのA氏が関与してきた事に変わりはない。
文春が指摘を受けて訂正し謝罪をしているのに「廃刊しろ」は無いだろうに。
他のメディア、特にフジテレビと違って文春はいつも何らかの疑問を投げかけてくる。
国民に取って必要な媒体だと思うが。
そのくらいの気概があるならぜひとも、この国で権力を持っている政権与党の裏金事件や統一教会問題や電通やパソナの中抜きなどに厳しく切り込んでもらいたい。
そして、他者に厳しく自分に甘いフジ御用の橋下徹まで参戦。
>橋下徹氏 文春の訂正の「大問題」指摘 「女性がいくら“延長”だと思っていようが」とも 1/30(木) 20:32配信 デイリースポーツ >文春から取材を受けた際に「しれっと誤りを上書きするのは不誠実」などと指摘。文春側は27日午前に有料電子版で修正、28日に公式HPで「おわびして訂正いたします」と謝罪を出した。文春はX子さんは「中居氏に誘われた」とした上で「A氏がセッティングしている会の“延長”と認識していた」ため、「A氏が件のトラブルに関与していた事実は変わらないと考えています」との主張をしている。 |
御用達 立川志らくも文春の訂正記事にやたら厳しい。
>立川志らく、「ゴシップ誌を信用しすぎ」 文春側をバッサリ「事実は中居君との間でトラブルがあった事だけ」 1/29(水) 15:25配信 中日スポーツ >文春は昨年12月、中居さんと女性との会食を巡るトラブルにフジテレビ社員の関与したと報じたが、28日になって内容を一部修正。女性はフジテレビ社員ではなく、「中居氏に誘われた」としつつ、「社員が件のトラブルに関与した事実は変わらないと考えています」と説明している。 |
志らくは、今回の件は憶測による憶測として中居と女性間のトラブルで終わらせたいようだがそんな小さな問題と違うと思う。
だったらなぜフジの役員を総動員して謝罪に追われているのか。
フジテレビが、トラブル発生を認識しながら、コンプライアンス推進室と情報共有しなかったのも問題だし、社長に女性と中居の案件が上がってきたのに、中居氏の番組を打ち切らなかった事等々、企業が続々とCMを引き上げたのは、フジテレビの人権に疎い企業体質が問題視されたからと違うのか。
文春の訂正記事をダシにして「世紀の大誤報」などと腐しても文春の記事はすべてが出鱈目ではないし、フジテレビの企業風土や不祥事が無かった事にはならない。
フジ免責アピールに懸命な面々
植草一秀の「知られざる真実」 2025年2月 1日
中居正広氏を巡るトラブルに関する報道の一部を週刊文春が訂正した。
問題の本質には関わらない細部の訂正である。
ところが、この訂正を針小棒大に取り上げる人物が存在する。
古市憲寿氏:「文春は廃刊にしたほうがいい」
ほんこん氏:「週刊誌側も会見したら?」
音喜多駿氏:「世紀の大誤報では」
箕輪厚介氏:「会見なりを開くのが筋。さすがに許されない」
フジサンケイグループはグループ崩壊の危機に直面している。
局面を打開するために文春訂正をゲームチェンジャーとして活用したいとの願望はよく分かる。
そのゲームチェンジに積極的に協力する面々をしっかりと記録しておくことが重要だ。何らかの意図、目的をもって行動していると推察される。
中居正広氏のトラブルが発生したのは2023年6月上旬、気候情報などを踏まえると6月2日夜との推察が示されている。この当該期日に女性X子さんが中居氏自宅に出向くきっかけは中居氏本人の勧誘であったと見られる。
この当該期日についてはフジテレビ社員A氏の直接関与はなかったと見られている。
しかし、中居氏とX子さんがプライベートで親しい関係にあったのではないと推察されている。
当該期日の直前に中居正広氏の自宅でBBQが行われ、このBBQにX子さんが参加していたとされる。このBBQ期日は2023年5月31日であったとされる。
BBQにはタレントのヒロミ氏や笑福亭鶴瓶氏も参加していたとされる。ヒロミ氏が明らかにしたのが、日程が2023年5月31日だったということ。
この日にゴルフが予定されていたが雨のために中止になった。そこで、中居氏が中居氏自宅でのBBQを提案し、ヒロミ氏や鶴瓶氏が参加したという。このBBQにフジテレビA氏およびフジテレビ関係者が多数参加したという。そのなかにX子さんが含まれていたとされる。
文春報道では、この日のBBQの延長でフジテレビA氏、中居氏、X子さんが寿司屋に移動して会話をしたとされている。そこで、携帯番号等の交換が行われ、中居氏がその携帯番号を使ってX子さんに当該期日の会食を呼び掛けたと推察されている。
中居氏がどのような文言でX子さんを誘ったのかは明らかでない。
しかし、X子さんサイドの文春等への情報提供によると、A氏等を含む複数での会食にX子さんを勧誘したと見られている。
X子さんは5月31日のBBQの延長の誘いとして中居氏宅への訪問を受諾したと見られる。
5月31日のBBQへのX子さんの参加がフジテレビ社員A氏の介在によるものであるならば、X子さんはフジテレビの業務の一環としてBBQへの参加を了承し、その後の会食への勧誘に応じたと推察される。現時点で事実関係の確認はなされていない。
もし、当該期日直前のBBQへのX子さんの参加もフジテレビ社員A氏が一切関与しておらず、中居氏が旧知のX子さんに直接勧誘し、X子さんが中居氏とのプライベートな関係からBBQに参加し、当該期日の中居氏宅訪問も中居氏が2人だけの会食であることを告げて勧誘し、これをX子さんが受諾したということであれば、フジテレビ社員の関与はなかったということになる。しかし、当該期日直前のBBQへのX子さんの参加に関してフジテレビ社員A氏の関与があったとなると、その直後の当該期日の問題はBBQの延長上の事案ということになる。
週刊文春は「(当該期日において)X子さんは中居に誘われた」「A氏がセッティングしている(BBQ等の)会の"延長"と認識していた」と発表したが、上記後段を前提とするなら、文春の説明は正当である。
週刊文春は昨年12月26日発売号で中居氏のトラブルについて、文春に先んじて第一報を報じた『女性セブン』を間接的に引用して次のように記述した。
「記事によると、2023年にX子さんは中居、フジテレビの編成幹部A氏と3人で会食する予定だったが、A氏がドタキャン。彼女と中居は2人で会食することになったが、そこでトラブルが発生。」
こう記述した上で、X子さんの知人の証言を紹介し、多人数の会食に誘われて応諾したが、結局他の参加者の参加がキャンセルとなり、2人での会合になったと伝えた。
これらの経緯が明らかにされる必要があり、すべての経緯においてフジテレビ社員A氏の関与がなかったことが明らかにされない限りは、フジテレビの関与が全否定されることにはならない。文春の訂正を針小棒大に取り扱い「世紀の大誤報」などと表現することが著しく「失当」である。
(後 略)