戦前、天皇絶対の専制政治下における国民弾圧の武器として猛威を振るった治安維持法の制定から今年で100年を迎えます。
同法は、天皇絶対体制である「国体」の変革を求めることを“極悪の犯罪”と見なし、日本共産党を最大の弾圧対象にし、「目的遂行罪」を設け、知識人、宗教者など幅広い人々の言論の自由を奪い、反戦運動を取り締まりました。
治安維持法は、天皇絶対主義下での戦争体制構築に向けての必須事項であるとともに、侵略戦争が拡大する中でより一層苛烈に運用されていきました。弾圧を担った特別高等警察(特高警察)は1933年、作家の小林多喜二を拷問して虐殺しました。
国内の検挙者は6万8千人を超え、弾圧による死者は、拷問で虐殺された93人を含め500人余に及びました。植民地の朝鮮や台湾、満州国でも死刑を含む弾圧が吹き荒れました。
その悪法は戦後45年10月15日に廃止されましたが、犠牲者に対して政府は謝罪も賠償もしていません。それどころか第2次安倍政権下で、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪法と新たな戦時体制の構築が一挙に加速しました。
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は31都道府県で民主団体と協力して集会や学習会、宣伝行動を多彩に計画しています。
しんぶん赤旗の3つの記事を紹介します。
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治安維持法100年 31都道府県で告発集会・宣伝 侵略遂行へ共産党・国民を弾圧
しんぶん赤旗 2025年2月26日
戦前、天皇絶対の専制政治による国民弾圧の武器として猛威を振るった治安維持法の制定(1925年3月19日成立、4月22日公布、5月12日施行)から今年で100年を迎えます。
同法は、天皇絶対の体制である「国体」の変革を求める主張や運動を“極悪の犯罪”と見なし、「君主制の廃止」「侵略戦争反対」を掲げる日本共産党を最大の弾圧対象にしました。28年には天皇の命令である緊急勅令で最高刑を死刑とし、「目的遂行罪」を設けて弾圧の対象を拡大。知識人、宗教者など幅広い人々の言論の自由を奪い、反戦運動を取り締まりました。
弾圧を担った特別高等警察(特高警察)は「おまえたちは陛下のご詔勅にそむいて反戦運動をやった。不忠の逆賊だ。そんな虫けらは殺してもよい」といって無法な拷問を加えました。
作家の小林多喜二は33年、特高の拷問で虐殺されました。取り調べを受けた女性は「特高は私を素裸にした」「手帚(ほうき)を持ってきて、その柄で、私が女であるが故の辱めを与えようとした」と証言しています。
同法による国内の検挙者は6万8千人を超え、弾圧による死者は拷問で虐殺された93人を含め500人余に及びました。植民地の朝鮮や台湾、かいらい政権「満州国」(中国東北部)でも死刑を含む弾圧が吹き荒れました。
戦後、45年10月15日、同法は政治的自由への弾圧と人道に反する悪法として廃止されましたが、その犠牲者に対して政府は謝罪も賠償もしていません。
今、大軍拡と敵基地攻撃能力の強化が進む中、警察権力の国民監視を拡大する悪法が目白押しです。特定秘密保護法、共謀罪法、経済秘密保護法に続き、石破茂政権は「能動的サイバー防御」法案を閣議決定しました。
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は31都道府県で民主団体と協力して集会や学習会、宣伝行動を多彩に計画。永島民男事務局長は「各地の画期的な取り込みは、国民の中に治安維持法の時代のようになっているという警戒心があるからです。運動をさらに広げていきたい」と話しています。
【2025 焦点・論点】 治安維持法の歴史と今
小樽商科大学名愉教授(日本近現代史)荻野富士夫さん
しんぶん赤旗 2025年2月26日
戦前の弾圧法として猛威を振るった治安維持法の施行から100年。石破茂政権が大軍拡を加速して戦争への道を歩む今、同法の歴史から何を学ぶべきか、小樽商科大学名誉教授の荻野富士夫さん(日本近現代史)に聞きました。 (伊藤紀夫)
おぎの・ふじお 1953年埼玉県生まれ。小樽闘科大学名誉教授。専攻は日本近現
代史。著書に『思想検事』『特高警察』『よみがえる戦時体制-治安体刑の歴
史と現在』『検証 治安維持法-なぜ「法の暴力」が蔓延したのか』など多数
侵略戦争と国民弾圧の武器「法の暴力」再来防ぐ運動を
-小説『一九二八年三月十五日』で日本共産党への大弾圧を告発した小林多喜二が特高警察の拷問で虐殺されるなど、治安維持法は希代の悪法といわれていますが。
治安維持法は「国体の変革」を目的とする結社の組織、加入に刑罰を科す法律でした。君主制の廃止を主張する日本共産党は「国体」を変革する「悪逆非道」で「不逞」な「秘密結社」として弾圧されたのです。1928年の三・一五事件では党員、労働組合員ら約1600人が検挙され、483人が起訴されました。
31年の満州事変(中国東北部への侵略)について多喜二は「戦争が外部に対する暴力的侵略であると同時に、国内においては反動的恐怖政治たらざるを得ない」と告発しました。治安維持法は「来るべき戦争遂行の準備」のための最強の武器となり、抵抗した多喜二は33年に虐殺されたのです。
-25年3月、治安維持法と同時に25歳以上の男性に選挙権を認める普通選挙法が成立します。共産党や民主的運動を抑えようという天皇制政府の意図が見えますね。
治安維持法には前史がありました。ロシアで社会主義革命、国内で米騒動が起こるという世界的な変動に統治体制の再編を迫られた政府は、20年前後から新たな洽安立法の準備を急ぎました。すでにある治安警察法では労働運動や農民運動の取り締まりには有効だが、「過激思想」の伝播や「秘密結社」には不十分と考えられました。22年の過激社会運動取締法案は廃案となりますが、その後も起草が続けられた結果、治安維持法、普通選挙法、日ソ基本条約が25年に三位一体で実現することになったわけです。
ー敗戦後に廃止されるまで20年間ですが、弾圧対象が拡大しますね。
前半10年間は共産党への弾圧に使われ、35年に組織的な運動を壊滅させるまで続きます。28年には最高刑を死刑に引き上げ、「目的遂行罪」を設けて共産党の目的のため活動していると特高が判断すれば検挙、投獄できる打ち出の小づちとして使われます。しかし、それはあくまでも共産党とその周辺という範囲の拡張解釈でした。
ところが、その後の10年間の拡張解釈では、社会民主主義、共産主義思想の啓蒙活動、大本数やキリスト教などの京教、反戦平和の主張にも襲いかかっていきました。
その中で「国体」は不可侵なものとして猛威を振るいます。「国体」は35年の天皇機関説事件を機とする「国体明徴」運動や国民精神総動員運動などを通じて、治安維持法という法的規範を飛び越えて国民全般を呪縛して侵略戦争へ動員していったのです。
-日本の植民地でも治安維持法は猛威を振るっていたのでしょうか。
植民地の朝鮮と台湾だけでなく、かいらい国家の「満州国」にも日本の治安維持法をモデルとした治安維持法が施行され、日本国内以上の「法の暴力」が吹き荒れました。日本の支配に抵抗する民族独立運動、抗日運動、共産主義運動を「国体の変革」をめざすものとして過酷に弾圧したのです。
日本では治安維持法による死刑判決はありません。朝鮮では主に刑法との併合罪ですが59人が、「満州国」ではおそらく2000人弱が死刑となっています。抵抗運動に対する見せしめという意味もありますが、絶対に許さないという意思を示すために、最高刑での処罰が横行しました。
-治安維持法は〝当時は適法だった″という政府の姿勢をどう見ますか。
共謀罪法の審議で金田勝年法相(当時)は「治安維持法は当時適法に制定された」とし、刑の執行も「適法」と答弁しました(2017年)。「悪法も法なり」という治安維持法擁護倫です。
治安維持法が悪法だということは今ある程度、理解されていると思います。たとえば、中学、高校の教科書では、25年の普通選挙法の実施と一緒に並んで治安維持法の記述があり、受験の試験問題にも出題されています。去年のテレビドラマ「虎と翼」にもありましたが、映画や小説も含め、特高の人権じゅうりんの拷問、自白の強要、検察や予審での虚偽の尋問調書で有罪に持っていくことは知られてきています。
そもそも社会変革の運動や思想を、強権で押さえ込むところに悪法の本質があります。天皇制政府が「不逞な輩」とした共産党の主張は植民地独立、男女普通選挙、言論・集会・出版・結社の自由、8時間労働制などですが、これらは戦後の憲法に盛り込まれた普遍的な価値観です。こうした主張を弾圧した法律は悪法でなくて何でしょうか。
-大軍拡に呼応して警察の権限を強化する立法が相次ぐ現状をどうとらえていますか。
「戦後レジームからの脱却」を掲げた安倍晋三政権下で特定秘密保護法、安保法制、共謀罪法と新たな戦時体制の構築が一挙に加速した当時、私は「新しい戦前」という言葉で表現しました。
今、大軍拡を進める石破政権が閣議決定した「能動的サイバー防御」法案は警察と自衛隊に強大な権限を与えて国民を監視する仕組みになっています。もう「新しい戦中」の前夜で、治安維持法は今も形を変えて生きているといえます。
52年に破壊活動防止法が制定されましたが、「治安維持法の再現」「特高警察の復活」という世論の猛反発の中で、その発動を阻んできました。「新しい戦中」にしないためには、戦時体制づくりの悪法の本質と問題点を洗いざらい指摘して反対運動を盛り上げ、国民が悪法を監視して歯止めをかけていくことが必要だと思っています。
治安維持法関連年表
しんぶん赤旗 2025年2月26日
1889年 2月11日 大日本帝国憲法発布
1894年 8月1日 日清戦争開始
1900年 3月10日 治安警察法公布(結社・集会・デモを規制)
1904年 2月10日 日露戦争開始
1911年 8月21日 警視庁に特高警察課設置
1922年 7月15日 日本共産党創立
1925年 3月29日 普通選挙法成立(男性25歳以上に選挙権)
4月22日 治安維持法公布(成立3月19日、施行5月12日)
1928年 2月20日 普通選挙法初の総選挙 労農党19万票獲得
3月15日 三・一五事件で共産党員と支持者1600人検挙
6月29日 緊急勅令で治安維持法改定=最高刑死刑・目的遂行罪新設
7月3日 特高警察課全県設置、思想検事各地裁配置
1929年 3月5日 治安維持法事後承諾案に反対した山本宣治刺殺される
4月16日 四・一六事件で1000人検挙
1931年 9月18日 満州事変=中国東北部に侵略(柳条湖事件)
1933年 2月20日 小林多喜二 築地署で拷問により虐殺される
3月27日 日本が国際連盟から脱退
1935年 12月8日 大本教弾圧
1936年 5月29日 思想犯保護観察法公布
11月25日 日独防共協定調印
1937年 7月7日 中国への全面侵略戦争開始(盧溝橋事件)
12月15日 第一次人民戦線事件446人検挙
1938年 4月1日 国家総動員法公布
11月29日 戸坂潤ら唯物論研究会幹部検挙
1940年 2月6日~ 生活綴方(つづりかた)教育関係者百数十人検挙
1941年 3月10日 改定治安維持法公布(予防拘禁制度導入)
12月8日 日本が米国の真珠湾を攻撃 太平洋戦争開始
12月9日 開戦非常措置で宮本百合子ほか1000人以上検挙
1944年 1月~翌年 横浜事件 『中央公論』改造』編集者ら検挙
1945年 8月9日 戸坂潤獄死
8月15日 終戦
9月26日 哲学者三木清獄死
10月10日 政治犯約3000人釈放
10月15日 治安維持法廃止
1952年 7月21日 破壊活動防止法、公安調査庁設置法公布
2013年 12月13日 特定秘密保護法公布
2015年 9月30日 安保法制(戦争法)公布
2017年 6月21日 共謀罪法公布
2025年 2月7日 「能動的サイバー防御」法案閣議決定
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。