兵庫県知事に再選された斎藤知事は、いまだに副知事候補を決められずにいます。それは県職員の中に副知事を引き受ける人間がいないということです。
知事はいまもSNS動画の恰好な対象になっていて、「最近の動画」を検索すると驚くほど多くの動画がヒットして 中居正広と首位を争う状況です。
そしてどの動画でも「知事が徹底的に質問攻めにあう」シーンが殆どで、それに対して常に質問にかみ合う的確な回答は出されません。当然「更に問われる」ことになりますが、そうすると「壊れたレコード」状態になって、ひたすら同じ回答を繰り返すという流れになります。
多くのメディアが問題視している「故県民局長の個人情報の流出」は昨年来ずっと放置されたままになっています。知事が得意とする「第3者委員会」に預けるというのですが、流出の防止は知事の権限で職員に命令すれば済む話です。
知事は、自分に降りかかったケースでは即断即決で間違った扱いをしていながら、他者のことに関してはいくらでも放置するというこれ以上はない冷淡な態度を示しています。
彼が自尊心が異常に高く自己中心の人間であるのは明らかですが、彼の話の中に「なるほど」と思わせるような合理性が殆どないのは、本来優秀な人間ではないからでしょう。
名誉棄損という人権問題についての認識に欠け、どんなに批判されてもこんな的外れの対応しかできないのであれば公務員には不適当であり人の上に立つべきではありません。
東大教授の伊東 乾氏が掲題の記事を出しました。伊東氏は、斎藤氏は「低EQ(心の知能指数)」人材の一大産地の「東大」の中でも『超「低EQ」』であると述べています。
伊東氏のプロフィールについては上記の青字個所をクリックして下さい。
レオナルド・ダ・ビンチは超有名な画家ですが、同時に極めて優れた学者でもあり『完人』と称されました。そのことを想起させます。
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「斎藤知事」を生み出した「東大合格型ガリ勉学習」の罪と罰
「低EQ」人材がダメにしてきた国・県・官僚機構
伊東 乾 JBpress 2024.9.8
去る8月30日、そして9月6日に開かれた兵庫県議会「百条委員会」での斎藤元彦兵庫県知事の、責任逃れが唯一の目的となった見苦しい証言、発言の数々。すでにメディアでも大いに取り上げられ、ご存じの方も多いと思います。
議員はもとより各会派の政治家、県民、国民全般から総すかんの状態であるのは、不信任決議案が提案される見通しが報じられているところからも明らかと思います。
有権者の観点からすれば、あのように救いようのない発言を公の場でしてしまえば、県民の支持をすべて、未来永劫にわたって失うことは明らかです。
ところが、当の本人は弁護士と入念に打ち合わせ、責任さえ逃れられれば構わないと思考停止している様子が見て取れます。
これはいったいどういうことなのでしょうか?
一つの答えは超「低EQ」症状です。そういう心理になっている。
EQとは「心の知能指数」とも呼ばれる指標で、対人関係、対人能力を良好に発展させる基礎能力が著しく欠如している、あるいは極めて低い、もしくはそれらに顧慮しなくてもよい、という割り切りが、どこかでできてしまっている。
「低EQ」人材の一大産地は「東大」、私自身も40年来所属している「東京大学」で、とりわけ東大内、あるいはそこから役所系の現場に進んだ人間に「ある種のこと」が発生すると、割り方容易に「低EQ」化する症例が見られます。
その原因の一つを、ここではあえて「東大合格型学習」への過剰適応と見なして、今回は検討してみたいと思います。
現実の東京大学では、そういう19世紀からの困った遺制を何とか克服しようと、教官事務官みなで努力していることも、最初に記しておきます。
人間として最低な「答弁ごまかし」
斎藤知事の最低答弁を例示してみましょう。
8月30日の百条委員会で、日本共産党・庄本えつこ議員の決定的な質問を、斎藤知事がごまかした瞬間を引用してみます(公式動画の2時間10分50秒近辺以降)。
庄本議員:最後に一つ・・・もう過去は取り戻せないのでって、これからって、先ほど(知事は)おっしゃったんですけど、あの、えーと、告発者の方(西播磨県民局長)が「一死をもって抗議したい」と。
その「一死をもって抗議する」という意味は、知事はご存じですか?
斎藤知事:あの・・・。あの・・・、元県民局長が、あのぉ、亡くなられたことについては、心からお悔み申し上げたいと思ってます(幾度か頷いて黙り込む)。
議長:よろしいですか?
斎藤知事:先ほどのあの、喫茶店の件で補足ですけれど・・・。
何と、斎藤知事は逃げ場のない決定的な質問「一死をもって抗議」への返答を胡麻化して「先ほどの、あの、喫茶店の問題」という、どうでもいい話題に挿げ替え、その後30秒ほどだらだらとしゃべり倒し、その場の空気を誤魔化したつもりになっている。
あらゆる有権者が、何度でもこんな様子を録音、録画で確認できる状態になっている。人間として最低という表現をここでは躊躇なく選択せざるを得ません。
庄本議員:「一死をもって抗議する」という意味は、知事はご存じですか?
斎藤知事:お悔み申し上げたいと思ってます・・・。先ほどの喫茶店の件の補足ですけれども・・・。
このやりとりは、質問に対する答えになってますか?
なっていませんね、どこからどう見ても。自分が死に追い込んだ、年齢もキャリアも人物も、はるかに勝る県民局長の「一死をもっての抗議」を、お茶を濁してやり過ごそうとしている。
こんな体たらくでも、何とか「切り抜けられたらよかった」というのは、弁護士との想定問答集があるからでしょう。
「県民局長」と問われれば「お悔み」と、壊れたテープレコーダー反応で後は喋らない。そこで思考停止する心理機制になってしまっている。
その通りパフォーマンスすることが自己目的化している。
この種の反応してしまう人材が、東大合格型ガリ勉学習を続けてきた人には残念ながら一定数います。
もっと正確には「19~20世紀の東大入試なら胡麻化して合格できた、丸暗記=思考停止学習・条件反射」で、人生の成功体験が実現したと勘違いしている人です。
その典型が斎藤知事の答弁という形で露呈しているように思います。
「自分が人間として有権者からどう見られるか」といった等身大の感覚、血の通った実感ある理解は一切介在しない。
税務署の申告書類のように、事務的に文字を並べて「OKならOK」という、人の心情が一切抜け落ちた「正解丸写し」でOKというのが、超「低EQ」の原点です。
そういう20世紀型お勉強に過剰適応した学生たちと、今まで26年間、私自身かなりの数、ほかならぬ東京大学で向き合ってきた現実があります。
何やらせたいんだ、やってやるから優くれよ
以下のやりとりは「斎藤君」と近い学年、つまり20世紀最末期に、彼と同様、東京大学文科1、2類に在学した1年生で、実際にあった事例です。
過去四半世紀、いろいろなところで繰り返し書いてきた実例で、私が東大に着任し、文科1類から理科3類まで「全学共通・文理共通」情報処理 という科目を担当していた際の出来事です。
私の課題は「自分自身で興味ある問題を見つけ、それに対するアプローチ法を、ネットの検索も駆使し、文理の枠を超えた仲間と議論しながら発見的に回答する」という、やや込み入った「卒論型リポート」を、半年かけて完成させるというものです。
今現在も、形は違いますが、こういう各人の主体性に根を持つ課題を、私は基本常に設定します。
理由は、そうした能力がその後の人生で問われ、そうした問題解決が可能な人材が伸びるからにほかなりません。
例えば地震が起きた、原発が爆発したといった未曾有の事態が発生したとき、新たな情報を集め、仲間や専門家と協議し、限られた期間のうちに有効な施策を打ち出して行けるような人材の育成です。
当時はまだ工学部長だった小宮山宏教授と検討、カリキュラムとして全科類1年生に6年ほど実施し、書籍にもしました。
当時は「IT革命」の時期でしたから、「知識基盤」にはゲノム解析の自然言語処理エンジンを活用し、最新のデータマイニング技術確立に努めました。
しかし、ビジネスモデルが弱かった。同じ時期それをビジネスにしようとしたグーグルやフェイスブック(当時、現メタ)がどう伸びたかを考えていただければ、有効性の背景はお分かりになるでしょう。
しかし、私たちのブレーンはIBMやPwCで、かつ国立大学時代でしたから、ビッグデータビジネスという観点を我々は持たなかった。
結果、負け組の一部にしかならなかった。
2020年代、今度は生成AIで同じことが起きていますので、東京大学での人材育成でも同じ轍は踏まないよう、今現在も仕事しているわけですが、これは別論とします。
そして、これに180度逆行していたのが「20世紀東大入試合格ガリ勉型丸暗記」に過剰適応してしまった18歳や19歳たちだったのです。
最悪の例をご紹介しましょう。今現在は44~45歳くらいと思います、「斎藤君」より1、2学年下の男子2人が授業後の教卓にやって来たことがありました。
東大1年生A:先生さー、何やらせたいんだか、よく分かんねーんだよ。
私:課題はすべて、よく分かるように出題してサイトに置いてあるから、分からないわけないと思うけど、どういうこと?
東大1年生B:自分で何か考えろってんだろ? かったりーんだよそういうの。何やらせたいのさ? 何でもいいから言ってくれたら、それやってやるから、優くれよ。
私:ふーん、そういう了見で今までやってきたんだ・・・。
東大1年生A:何やらせたいの先生?
私:いやー、そういう考えで、永遠に優は出ないような採点基準だから、もう一度よく見直してごらん。
同じこと言いに何回来ても、答えは同じだから。自分の頭で考えてみるのが、ここでの課題だから。言ってること、分かる?
東大1年生AB:・・・・。
やり取りはここで終わりましたが、こういうタイプが40歳、50歳とそのまま大きくなったような連中がやらかしたケースも、実にたくさん目にしてきました。
「阿呆の法、利口の工」
今の学生たちみたいな了見のまま、大人になっていくと、どうなるか?
「前例はこれこれ」「昨年度はあれそれ」「判例ではかくかく」「通例はしかじか」みたいな、自分の頭で何か考えるのではなく、常にどこかに準備された正解があり、それに合致していることで「優秀」と持ち上げられる、困った高級官僚型人材が育ちます。
実のところ「東大教授」にもよくあります。
大学から出たことのない人間に散見され、特に東大法学部卒~すぐに助手~20代後半で助教授・・・みたいな、ずっとチヤホヤされてきた人材に多かった気がします。
事務官諸氏に習ったことに「阿呆の法、利口の工」という表現があります。
つまり、ずっと東大内しか知らない中年の東大法学部卒は阿呆が多く、修士を出て企業経験などを経て戻って来た民間や苦労の経験がある工学部教授は、練れた利口者が多いという、実に含蓄の深い表現です。
誤解のないように、ずっと大学内にいた東大法学部教授でも、團藤重光先生のような、完全に反対のケースも多数おられます。
團藤先生の場合、ご苦労は、特高警察、空襲、敗戦と飢餓による子供の死亡、そんな中でGHQとの交渉と刑事訴訟法執筆など、無数の修羅場によって磨かれた、大変なスケールの人格でした。
でもそうでない「阿呆の法」も、残念ながら存在するわけです。
かつ、その場合、それが壊れる瞬間というのが全員ほぼ例外なく、どこかで訪れるのです。それは次の2条件が重なるとき、高確率で「瞬間沸騰機」が暴発します。
A:「先例で対処できない事例」にぶち当たり、かつ
B:無意味に高すぎるプライドがへし折られる「自信喪失体験」に直面したときです。
例えば、
A:“お客さん”の出向官僚ではなく本物の知事に就任し、
B:現実に初めて直面し、高すぎるプライドがへし折られたとき。
周りの全員が、本当はダメな自分をバカにしている、という劣等感の塊となり、余裕ゼロ、すぐに瞬間沸騰したり、何かとおねだりを要求して自分が価値ある人間であるかのように自他ともに錯覚させようとする。
もちろん、誰もそんな錯覚はしていないのですが・・・。
そういうコミックを、別の例でもかなりの数目にしてきました。ここに実名で書けないのがとても残念です。
のちに東大で長の字が着くようになった例(結果的に文系が多かったですが)も含め、こういう瞬間沸騰機がぶっ壊れる瞬間を幾つ見たか、数え切れません。折を改めて社会に価値還元できたらと思っています。
以下ではこうした一般論を背景に、「斎藤元彦知事」のケースで記してみましょう。
創造経験のない中年がプライド毀損したとき
「斎藤元彦君」は1977年に神戸市で生まれ、中学高校は「進学校」で学んだと言います。現役で進学していたら。私の東大任官時点で修士2年次に相当する学年です。
さて「進学校」というのは、実は東大教官としてはちょっと要注意なのです。
丸暗記で、頭を使わずに入試だけ突破してきた学生は、入学後に伸びないケースが少なくないからです。
我々教官は教室で出身校など決して尋ねません。
みな一律に「自分の地アタマで考える」課題を与えますが、できる子と、苦手な子に分かれる現実があります。
過半は「地アタマ」で考えることに、当初はかなり当惑するようです。
そして、伸びる子の割合がだんだん高くなっていきますが、年次によりクラスにより、結果はまちまちです。
「斎藤君」の場合は、1浪して神戸、三宮の予備校で一生懸命勉強したのでしょう。そして東大文系では入りやすい「文科2類」に合格。
東大内ではかつて「理1文3ネコ文2」といって、文科2類の学生が勉強をしない様子は、昼寝ばかりしているネコよりもヒマそうだ、と言われた時期もありました。過去の話と思いますが・・・。
「斎藤君」もその時期のOBで、ネットの情報には「ろくろく授業に出なかった」とありました。しっかり1年留年しています。
1浪1留、2年滑ってからの社会デビューで、東大生として優秀な方かと問われれば、まあ、お分かりいただけるでしょう。大したエリートではありません。
「知事は典型的な東大エリートで、挫折を知らない」とか書いてある記事を見ますが、全くそんなことはない。
浪人留年その他、ダメ学生の経験はしっかりもっており、平凡な東大OBの一人に過ぎません。
何にしろ「斎藤君」は、浪人後の「正解をともかく書けばよい」ガリ勉で、何とか入試をクリアすると、主体性を求められる、大学らしい科目では軒並み単位を落として留年。
またこの時期、阪神淡路の震災で経済的苦境も経験したらしい記述も目にしました。
そこで一念発起したのか、経済学部進学後は再び、「公務員試験」という、これまた「正解をともかく書けばよい」ガリ勉で2度目の「成功体験」を身に着けたことになる。
ここで病膏肓に入ったことが察せられます。
つまり、「正解とされる文章を、弁護士とあらかじめ打ち合わせ、無味乾燥に繰り返しておけば、人生何とかなるものさ」というのが、本音に近いと察せられます。
実際、多いですよ、こういう処世訓の役人タイプの対応。
つまり、何か自分の手で生み出したり、ゼロから創り出したりする経験を持てないまま、よくいるタイプの、あまりできない留年生として、教養学部などの時期に大学以降の実力を伸ばす機会を逸して、結局、高校生程度のガリ勉延長で役所に入り、それで固まってしまう。
以下、資料から移します。
2002年4月、総務省入省、10月 三重県に1年間、出向(25歳)
2008年4月、新潟県佐渡市に「企画財政部長」として3年間、出向(31歳)
2012年12月、福島県相馬郡飯館村に派遣、震災復興関連業務(35歳)
2012年7月、宮城県に3年間出向、牛タン倶楽部*1のメンバーと懇意に
2018年4月、大阪府に「財務部財政課長」として出向。「維新」知事らと懇意に(41歳)
2021年3月、3年目の終わりに兵庫県知事候補に取り沙汰され、総務省退職。
退職当日記者会見を開き、7月の知事選で当選。(44歳)
*1=牛タン倶楽部とは、斎藤元彦・兵庫県知事を支えてきた兵庫県庁職員集団につけられたあだ名で、かつて知事が総務省から宮城県出向した時に仲良くなったことに由来している。
さて、上に()で記した年齢からの、各々3年間は「中央からの出向者」という「お客さん」状態で、本当の実務にはまずタッチせず、自治省総務省の意向を地方に伝える、あるいは地方の要望を中央にハンドリングするという、上澄み業務に終始していた可能性が考えられます。
ここで注意しなければならないのは、一見すると同じように見えるキャリアでも、一つひとつの時期を立派に過ごした人もいるという事実です。
京都大法学部から西播磨県民局長まで勤め上げた彼など、真っ先に挙げるべきでしょう。
でも地方では、国の補助を期待しますから、中央からの出向組は基本チヤホヤしてもらえる。
何をやっても表では「お上手お上手」、裏で何を言われているかは当人が聞くこともなく、何事も創り出す経験がないまま、佐渡3年、宮城3年、大阪3年、それに当初の三重1年と、10年間はお客さん状態の殿様役人生活で 実質的にまともな経験ができなかったリスクが懸念されるわけです。
そうであったと断言はできませんが、こういう若者が、年齢もキャリアも器量も完全に上の、でも立場は下という人間に、プライドを傷つけられたりすると、タチが悪く豹変し、手が付けられなくなる。
私はそういう「阿呆」が、たたき上げ「2種」のベテランに諭され、突然瞬間沸騰機で激高する瞬間を、東大内に限らず、この30年弱、様々な場で結構な数を目撃してきました。
虚勢しか張れない無内容な丸暗記の末路
百条委員会での斎藤知事とのやり取りでご説明しましょう。ひょうご県民連合、上野英一議員とのやり取りです。
上野議員:知事の人権感覚が、相当に普通の人とずれてるんではないかなと申し上げて、質問に入ります。日頃、職員に接するときには、どのような気持ちで接していますか? 簡潔に。
斎藤知事:・・・そうですね・・・それはあの・・・一緒に仕事していくんですから・・・ちゃんと話聞いたり・・・僕がこういうことやってほしいと伝える・・・そういう意識だと思います。
弁護士との想定問答集にない質問には、訥弁になりますが、この人の素がどんなものかが見えて興味深くもあります。
「ちゃんと話聞いたり」「僕がやってほしいことを伝える」が彼の素の「職員とのやりとり」との認識であるらしい。
上野議員とはこののち「知事は気が長い方か、短期と思っているか?」といったやり取りがあったのち、
上野議員:(兵庫県職員への百条委員会の公式)アンケートに、「知事は瞬間湯沸かし器、すぐ怒鳴る」という記載がたくさんあるんですね。
その典型が、東(西播磨・・・の誤りと思われる)播磨県民局の例の件ですね・・・。これが非常に多いんですよ、知事の場合ね。
知事は「きつく指導した」と言われてるんですね。これ、普通の人間ならこんなこと言いませんよ。
知事はね、確かにね、県のナンバーワンでありね、兵庫県の県政のね、最高の執行権威ではありますよ。
だけどね、知事が能力や知識、執権において、ナンバーワンとは言い切れませんよね?
ましてや、その県民局長はですね、行政経験も人生経験も豊かな人ですよね?
その人に対してですね、普通の人権感覚があればですね、そのような、怒鳴りつけるような対応にはならないと思うんですね・・・。
知事になるまでは対等の関係だったのに、知事様になった途端に (牛タン倶楽部の)メンバーに対しても怒鳴り散らす、知事レクでは片山(安孝)副知事に文房具を投げつける・・・。
私は今年2月の代表質問で、「未熟な議案提案になっている」と申し上げました。
そしたらですね、私は決して知事に対して未熟とは言っていないんですが、知事はその「未熟」という言葉に反応してですね、
「仮にも、県民の付託を受けてこの場にいる私に対して、失礼ではないか」というふうにおっしゃいました。
その後、小橋(浩一元理事、現在は総務部付)さんたちがいる自席に戻られて「あれは差別発言やった」と大きな声を出されました。
こんな知事にはついていけないと思いますが、いかでしょうか?
斎藤知事:はい、あのぉ・・・様々なご指摘いただきました。はい、あのぉ・・・私としての、思いはですね・・・。
弁護士からのティーチインでは、おそらく、アドリブで何か話すときは「思い」という表現をくっつけろ、とアドバイスされているのでしょう。
「思い」に対しては責任を訴求しにくいですから。
そして、「僕の気持ちはどーなの、こーなの」という、幼稚な言い訳としか有権者が解釈できない言い訳が続くわけで、これこそ「低EQ」と表現すべきでしょう。
典型的な「何の実績もない未熟な人間が、図星を指摘され(たと解釈し)てプライドを傷つけられ、なりふり構わず、おもちゃを何でも投げつけている幼児に似た状態」であるのが分かるかと思います。
まともに練れた首長なら、1期目は「ここでは皆さんの方が先輩ですから・・・」と下僚を立て、1期目はとにもかくにも役所内の把握に努めるのは、首長経験のある複数の友人から揃って聞くところです。
しかし、斎藤知事にはそういう器量が全くなかったようです。
知事就任直後から、ティーチインに際しても、自分が小ばかにされたように錯覚し、どなり散らし始めたのは、それまで中央から出向の「お客さん」部長、課長でしかなかったものが、本物の知事になりますから、当然まともなレクが入ります。
その機微が分からず、何も知らない自分を「馬鹿にされた」というコンプレックスの裏返し。
それまで常に、どこかに書いてある正解を丸写しして、お上手お上手と持ち上げられてきた幼稚な殿様気質のキャパシティを超え、対応不能で感情を爆発させるパターンを癖にしてしまったことが分かります。
つまり、「東大入試合格」を目指すガリ勉、その延長で公務員試験を突破する丸暗記と、その後19年間の役所生活で、三重1年、佐渡+宮城+大阪が3+3+3=9年、つまり、過半の10年が地方出向。
もしかして、そこで続けてきた「上澄み役所生活」で「殿様気分」が素になってしまったのかもしれません。
翻って、霞が関では昼夜を分かたず365日24時間のモーレツ勤務を強いられ、ここではパズルを解くように、自分の良心など無関係に、つまり極論すれば自らが人を死に追いやってしまっても、それに道義的責任など感じないような超「低EQ」思考停止を生活習慣にしてしまう。
アウシュヴィッツの看守が自宅で子供の誕生日を祝うような心理を素に、カニでもワインでも秘書課にすら分けずに自宅に持ち帰り「斎藤家の食卓」をにぎわして喜んでいるという、超低劣な幼稚知事を誕生させる傍ら、本当に必要な対処に現場で汗を流すといった経験を持たず中年になってしまっていますから、実は単なる無能な子供のような実力にとどまったまま、人間に進歩がありません。
その結果、40歳を過ぎていきなり本物の首長として、上澄みでは対処できない現実に直面、自らの無能を突き付けられ、無意味に高い天狗の鼻がへし折られ、人格が破綻、壊れてしまったものと推察されます。
あれこれ「おねだり体質」というのも、公務の規律はすっ飛ばして、自分はこんなふうに周りから大切にされる重要な人物なのだ、と確認し続けたい、実力も実績も人生経験も著しく貧弱な、哀れな実存の叫びとして典型的です。
県立高校内に設置された自動販売機から、知事自身の録音した声でメッセージが出る醜悪な自動販売機も目にしました。
ここまで気色悪いことを平気でできてしまうくらい、中身のない人間を、「20世紀東大合格型ガリ勉」と、その延長で上澄み役人生活を20年近くも送れてしまうという、歴史の間違いが作り出されてしまった。
そうした原点から改めていく必要があることを指摘したいと思います。
教育制度の失敗は、人の一生を台無しにします。斎藤元彦知事もある意味では、犠牲者とも言えます。
しかし、自分の不当な判断で複数の人を死に追いやるという、取り返しのつかない事態に直面しているはずなのに、それを直視できず、言葉だけ言い逃れればその場はやり過ごせると思えてしまう、パブロフの犬的学習の「成功体験」が、彼自身の人間らしい感情を圧殺し、ああいう非人間的な対応を取らせている因果を、国民はよく注視する必要があるでしょう。
ネットの揶揄では「サイコパス」などと記されていましたが、斎藤知事はサイコパスと判断される状況ではありません。
仮に、自分の家族や親族に、西播磨県民局長に起きたのと同様の事態が発生したら、実存が崩壊する程度には、元来は平凡な人間、小心で特段の業績もない一個人の本質が随所に見えています。
こうした人間を再生産しない、制度からの対策を私たちみなの未来のため、よく考える必要があります。
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。