世に倦む日々氏が掲題の記事を出しました。
中居正広の性犯罪について中居を擁護する一部が声を突出させ、被害者を誹謗中傷し非難する世論に勢いと弾みを作ることによって、中居正広とフジテレビの窮地を救おうと躍起になっているのに対して、世に倦む日々氏は、「被害者との間に示談が成立して解決金の支払いが合意されていることで全てが解決したとするのは大間違いで、それは民事責任の履行に過ぎず、刑事責任とは別問題である。被害者は『私は許してないし怒っている』と明言しているのが現実であって、実際には両者は和解していないし、取り交わされた示談書は両者の和解を最終決着させてない」としています。
この件について、フジテレビは「一切無関係」であることを強調し、中居も「お詫び」とした文書を出して、「示談が成立しているので今後は自由に芸能活動ができる」旨を宣言しました。
要するにフジと中井の両者は、「何ごともなかった」ことにして「従来通りの活動を継続したい」というのですが、本当にそんなことなのでしょうか。あまりにも空し過ぎる話です。
世に倦む日々氏は次のようにこの記事を結んでいます。
中居正広の騒動の広がりは、芸能マスコミ界に宿痾として存在する〝性上納システム”への批判的再認識を呼び起こすに相違なく、松本人志に対する世間の目を厳しくし、松本人志を擁護して復権を手助けする関係者の環境をタイトにするだろう。フジテレビの性上納システムで美味い汁を吸ったのは、果たして中居正広だけなのか。ジャニーズでも類似の問題が存在したが、性上納システム(という女性の人権を蹂躙する悪質な商慣習)を回していたマスコミは、フジテレビ一社だけなのか。2025年は、そうした問題に注目が集まる年になるだろう。
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中居正広の性犯罪と刑事責任 - 両者の和解は成立していない
世に倦む日日 2025年1月13日
1/9 に中居正広が性的トラブルについてコメントを発表して以降、先週末(1/10-12)にかけて、ネットとマスコミでこの問題への関心が一気に盛り上がり、喧々諤々の状況となっている。昨年の松本人志事件のパターンと全く同じだ。予想していたことだが、中居正広を擁護する一部が声を突出させ、Xタイムラインやヤフコメで被害者を糾弾して世論を扇動する動きが起こった。中居正広を擁護する集団は、松本人志を擁護する面々と同じであり、立花孝志や斎藤元彦を支援する勢力と特徴が重なっている。右翼ネオリベ系が多い。彼らは、自殺した元局長を侮辱し虐待するのと同じ態度と口調で、松本人志事件の被害者を罵倒し憎悪し、全く同じ目線と気分で中居正広事件の被害者を毒づいている。被害者(文春ではX子)を誹謗中傷し、被害者を非難する世論に勢いと弾みを作ることによって、中居正広とフジテレビの窮地を救おうと躍起になっている。
中居正広を擁護する右翼系の妄論があまりに鬱陶しいので、Xで反論を呟いたところ、予想外に多くの反響が返ってくる顛末となった。正月からXアカウントに張り付いて、忙しく監視と掃除のセキュア対策に追われる作業で時間が潰れた。愚蒙な彼らが理解していない盲点、あるいは意図的に瞞着して世論操作している論点は、民事責任と刑事責任の混同である。中居正広と被害者との間に起きたトラブルは、明らかに犯罪が成立する刑事事件であり、刑法177条の不同意性交等罪の案件だと推定されている。報道では、今のところ「意に沿わない性的行為」という表現に止まって具体的説明はないが、9000万円という異常に高額な解決金で示談されている以上、不同意性交以外にトラブルの中身は考えられない。不同意性交等罪は23年7月に強制性交等罪・準強制性交等罪から名前が変わった犯罪で、嘗ては強姦罪と呼ばれていた。基本的に同じ犯罪類型である。
中居正広とX子とは、不同意性交事件の加害者と被害者の関係になる。二者の間には示談書がすでに締結されていて、すなわち示談が成立して解決金の支払いが合意されているけれど、これはあくまで民事責任の履行であり、加害者が被害者に対する不法行為責任を果たすために損害賠償義務を負う法的な内容と形式である。刑事責任とは別問題だ。中居擁護の右翼系は、示談して解決金を払ったんだから責任問題はすべて終了だと言い張るが、刑事責任(犯罪の償い)は民法の賠償金で全解消される問題ではない。不同意性交は5年以上の懲役の刑罰が課されている重罪だ。今回、中居正広はトラブルの事実を認めていて争っていない。そして週刊誌の報道は、客観的には第三者が事件の所在を警察に通報したのと同じ意味になるわけだから、この情報を警察が捜査の端緒として認識し、捜査着手の必要を判断し始動させれば、法論理的には事件が立件され起訴される可能性もあり得る。
つまり、被害者の被害届なしに警察の捜査が始まる事態もある。刑事訴訟法189条は「司法警察職員は、犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査するものとする」と定めている。これが捜査の端緒の法規定であり、被害届だけが唯一の端緒すなわち捜査開始の前提条件ではないのだ。例えば、ある男が交通事故で子どもを轢き殺し、警察に届けを出さぬまま子どもの家族と内々に示談し、家族が1億円を受領して黙っていたところ、事件を目撃し証拠写真を撮っていた第三者が出現、警察に告発した場合などが想定できるだろう。男は民事責任は果たしたが、刑事責任は裁判で決まるところとなる。その意味で、リーガル的に中居正広の刑事責任はチャラになっていない。無論、大金を積んで素早く示談したことや、性犯罪という特殊な犯罪の性格を鑑みて、この件で中居正広が逮捕されるという展開はないだろう。だが、同様の被害者が2人、3人と出て来れば話は別になる。
ジャニーズ事務所の件もあり、警察・検察は看過できないだろう。これまでの報道や状況を見ると、また昨年の松本人志事件から考えると、中居正広の漁色病癖の毒牙にかかった犠牲者が他にもいておかしくない。以上、民事責任と刑事責任の違いを(一部は無知で、一部は故意に狡猾に)無視し、示談が済んだから犯罪事実も刑事責任も解消したと嘯くところの、中居擁護のネット右翼の詭弁と妄説を論破した。関連してもう一点、明確化を要するキーポイントがある。それは、中居正広を応援する側が撒き散らしているところの、両者が和解済みだという誤った言説と主張だ。彼らは、示談書で和解しているのに被害者が卑怯に蒸し返していると難癖をつけ、文春が不当に中居正広を叩いていると咆哮する。弁護士の福永哲也などがそう言い、ヤフーニュースがその扇動を拡散している。しかし、実際には両者は和解していない。取り交わされた示談書は、両者の和解を最終決着させてない。
被害者は文春誌上で「私は(中居正広を)許してないし怒っている」と明言している。もし和解が済んでいて、被害者が事件解決を納得していれば、このような激白は出ないだろう。文春での被害者の発言は、被害者側の弁護士も監査済みの表現であり、すなわち、こう誌面に載せても示談合意に違反せず、法的に問題ないという判断と確信の上で行われている。中居正広はコメント文で「示談が成立し、解決していることも事実です」と釈明しているが、この「解決」の意味は、われわれが普通にイメージする「両者の和解」ではない。民事上の損害賠償について解決したという意味である。つまり、和解に到達する全課題事項について一部だけが解決していて、残っている諸課題があるというのが真実なのだ。中居正広は、こうコメント文を細工することで、恰も全面和解が達成済みという印象を撒いているのであり、巧妙な情報工作で世間を誘導している。被害者を「示談違約者」の像に示唆している。
実際には和解は実現していない。この点を明確にする必要がある。注目するべきは、中居正広のコメント文において、一言も、被害者側が守秘義務を破ったとか、示談合意を反故にした等の言及をしていない点であり、その黙過こそが、示談書で和解が完全に達成されてない事実を看取する根拠となるだろう。通常なら、守秘義務をそちらが一方的に違背したのだから、こちらも損害賠償義務を留保させていただく、という対抗姿勢に出ておかしくない。要するに今回の示談書は、単に不法行為責任の損害賠償(解決金)について確定しただけで、他の重要事項は未決着なのだ。そう解釈するのが妥当だろう。おそらく未解決の課題として、①誠意ある謝罪、②納得できる真実の説明、③社会的責任のけじめ、が伏在するものと想定され、また、特にフジテレビの関与と性上納システムの問題解決が被害者の要求として強いのだろう。それらは、9000万円の金銭で責任と義務が包含・解消されるものではない。
一般の通念では、弁護士を介しての示談成立と聞けば、被害者と加害者が押印して手打ちしたのだから、そこで双方丸く収まって妥協と融和が進み、和解が全面的に実現したものと受け止める。だが、今回の中居正広と被害者との関係はそうではない。示談書で解決された課題は部分的であり、積み残しの項目が深刻に存在するのだ。中居正広は、コメント文で被害者に対して謝罪を述べていない。この点は、マスコミ報道でも怪訝な論調で指摘されていた。中居正広としては、せっかく奮発して9000万円支払い、これで帳消しで芸能活動を続行できると安心していたのに、豈図らんや週刊誌に暴露され、被害者が「私は許してない」と表明する挙に出たのだから、心中穏やかならず、とても素直に謝罪する心境にはなれないのに違いない。今回、「守秘義務」が崩れた真相については、解説に諸説あり、法律論としても、事実経緯の問題としても興味深い。中居正広とフジテレビは、まさに想定外の悪夢の事態だろう。
ネットで目に留まった某説では、人権と公序良俗の観点から、不同意性交という重大な犯罪に遭った被害者に対して、その後の示談で守秘義務を課すのは法的に不当という見解があった。成程と頷ける。1/12 のTBSの週末番組に出演した弁護士の細野敦は、守秘義務は加害者・被害者の甲乙だけに課されるものでその周囲には課されないと説明、例えば、示談前に被害者の相談を聞いて事情を知る第三者が週刊誌に情報提供したとしても、それは法的に問題ないと述べた。他の弁護士のコメントでも、第三者による週刊誌への告発が被害者の依頼や要請によるものと証明できない以上、もはや守秘義務云々を言い立てて責めるのは意味がなく、被害者を攻撃する理由にはならないという意見が多かった。週刊誌への漏洩は言わば自然現象的な結果であり、こうなった以上是非もなく、覆水盆に還らぬ既成事実として認めるべきという、中居正広とその擁護者には冷淡な醒めた見方が主流だ。両者の係争が新段階に入ったのだという認識である。
昨年の最後(12/29)の記事で次のように書いた。週刊文春は明らかに松本人志に照準を合わせてフォーカスしている。週刊文春と松本人志との戦いが続いている。今後の報道に注目したい。
中居正広の騒動の広がりは、芸能マスコミ界に宿痾として存在する〝性上納システム”への批判的再認識を呼び起こすに相違なく、松本人志に対する世間の目を厳しくし、松本人志を擁護して復権を手助けする関係者の環境をタイトにするだろう。フジテレビの性上納システムで美味い汁を吸ったのは、果たして中居正広だけなのか。ジャニーズでも類似の問題が存在したが、性上納システム(という女性の人権を蹂躙する悪質な商慣習)を回していたマスコミは、フジテレビ一社だけなのか。2025年は、そうした問題に注目が集まる年になるだろう。