世に倦む日々氏が掲題の記事を出しました、
同氏は、現下の「民主主義体制の下のマスコミ」は「高市政権肯定者」以外の識者は登場させないという姿勢を貫いているとして、次のように述べています。
「例えば、外務官僚の中でも、田中均や孫崎享や東郷和彦は活発に高市批判の論陣を張っているし、いわゆる安保の専門家でも布施祐仁や半田滋や前泊博盛がスタジオに出演すれば、議論のバランスが確保された番組が編成されるに違いない。
また、宮崎礼壹や長谷部恭男が出演して『存立危機事態』の解釈論を解説していれば、視聴者の高市発言への支持は低くなる影響に繋がっただろう。面妖きわまることに、こうした高市発言に批判的な立場の有識者はテレビに出る機会を全く与えられないのである」
そして、「既に戦争の前哨戦が始まっている。だけど、その認識がない」と述べます。
深刻な事態にあるということです。
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テレビ局はすでに軍事機関と化している - "情報戦・認知戦"の作戦遂行の戦場に
世に倦む日日 2025年12月18日
残念なことに、高市発言を撤回せよという声は日本国内では日に日に小さくなり、少数派の政治的立場になった。状況は高市早苗と右翼側の優勢に進み、高市発言は正しいと評価し認定する意見が多数だ。撤回する必要はない、撤回することは中国への屈服を意味するから絶対にだめだという主張が基調になっている。テレビは完全に制圧された。モーニングショーで玉川徹が細々と抵抗していたが、その絵も消えた。12/6 に起きた中国機のレーダー照射も、それが 11/7 の高市発言に端を発する事件であり、原因は高市と日本側にあるという本質論に遡及されず、一方的に中国側の危険な軍事的威嚇として報道され、日本側を被害者として捉える認識が固まっている。阿古智子や柳澤秀夫などテレビに登場する面々が「日本の中が分断されてはいけない」という戦争プロパガンダを執拗に発信していて、日本国民は全員が高市を正当化して日本政府の立場につけと吠えている。
中国側の発信はすべて「情報戦」であり、「認知戦」の材料であり、すなわちナラティブでプロパガンダだから、信用するな、操作されるなと言い、高市擁護で日本国内は纏まれと発破をかけている。テレビ報道はそれ一色で、それに反対する言論がなく、中和する議論が一切ない。3年前のウクライナ戦争のときと同じファッショ環境そのものだ。12/15 と12/16 の国会中継を見ていたが、日本共産党と立憲民主党の議員だけが弱々しい声で高市発言の撤回を求めていた。公明党の議員は質疑の議題に取り上げようともしない。世論が高市支持に染まっていて、マスコミが中国叩き一色だから、その空気に合わせて同調している。本来なら、国会で高市発言の撤回を求めなければいけない野党議員が、世論に阿って高市早苗に忖度し、発言撤回を強く求めないため、撤回を求める立場は日本国内で完全に異端になってしまった。中国悪玉論と暴支膺懲論ばかりが猖獗を極め、歯止めなく増長している。
そして相変わらず、日中間で新しい事件が起きない日が4日5日続けば、「時間をかけて沈静化するしかない」とか「冷静に対応すれば折れてくる」とか「国際世論を味方につければいい」をマスコミは繰り返している。高市発言の立場(台湾有事=日本有事)を正式な日本の国策と認め、全員がその位置に並んで高市を応援するようマスコミが扇動している。高市への反論を許さず、中国への敵視と憎悪のみへ誘導している。まさに戦争が始まっている状態と同じだ。放送法やBPOの原則的立場に立てば、テレビ報道は公平と中立が義務づけられているのだから、番組の中で両論併記の報道がされなければならない。マスコミが中国叩きと高市擁護ばかりに血道を上げる現在でも、世論調査の数字で撤回論は25%(毎日)を占めている。国会とネットの中には撤回論が依然として根強く存在する。その少数意見が報道の表面に反映されなければならず、それが民主主義体制の下のマスコミの姿だろう。
例えば、外務官僚の中でも、田中均や孫崎享や東郷和彦は活発に高市批判の論陣を張っているし、いわゆる安保の専門家でも布施祐仁や半田滋や前泊博盛がスタジオに出演すれば、議論のバランスが確保された番組が編成されるに違いない。また、宮崎礼壹や長谷部恭男が出演して「存立危機事態」の解釈論を解説していれば、視聴者の高市発言への支持は低くなる影響に繋がっただろう。面妖きわまることに、こうした高市発言に批判的な立場の有識者はテレビに出る機会を全く与えられないのである。TBSの報道1930について言えば、12/2 の石井正文と小原凡司と加藤青延が登場した放送回が典型的で象徴的だと言えるが、中国叩きと高市擁護で斉一化して押し固める内容だった。一瞥して、高市発言問題についての当該番組の報道は、小原凡司が仕切っている印象が強く、小原凡司と松原耕二の二人が相談して企画しているのではないかと私は内情を疑っている。‟情報戦・認知戦”の参謀として自ら出演して。
端的に言えば、小原凡司らのテレビ出演は、嘗てのわれわれの表象であるところの、単なる政治的な世論工作という範疇を超えて、軍事的な作戦任務の遂行の意味を帯びたものになっているのだろう。ウクライナ・オールスターズのテレビ出演も同様であり、日米同盟軍の参謀本部による作戦司令に基づいた動きとして看取できると思われる。‟日米同盟軍の参謀本部”などという概念を無前提に立論すると、いかにも陰謀論的なイメージが惹起され、読者は不興を覚えるに違いない。けれども、真実が何かは歴史が一回転した後で明らかになるはずだ。終戦となり東京裁判が開廷されるまで、日本国民は満州事変の真相を知らず、桜会などの陰謀を知らなかった。それを知ったときの衝撃は大きく、一夜にして日本軍(旧軍)は悪の化身となり、国民全体があの戦争を否定するようになるのである。現時点で、日本のテレビ局は戦争の作戦遂行機関(装備システム)の一つになっていて、報道番組の放送は作戦任務を実践する戦場空間と化している。
テレビで自由な議論が行われているのではない。戦争の前哨戦が始まっている。テレビはすでに国家による戦争の道具と化しており、専門家の皮を被った軍人(と半軍人)たちが全力で‟情報戦・認知戦”を行っている。軍事行動の現場だから、テレビの中に言論の自由はない。私はそう確信する。最早、松原耕二や大越健介が高市政権に忖度しているとか、CMを仕切る電通に頭が上がらないからとか、そういう段階と次元の問題ではないだろう。言論の牢獄と化した現状の説明と理解においては、例えば、今の中国やベトナムのテレビ局の報道を想像すればいい。当然ながら、その内容は党委員会によって裏で規律され統制されている。発信の中身はすべてプロパガンダの性格を帯びる。視聴者は、テレビに登場するキャスターや専門家たちの誰が党員なのか、その者たちの党内序列がどうで指揮命令系統がどうなっているか、正確に具体的には知らない。だが、薄々と内実は察知できる。今の日本のテレビはそれと同じで、‟党”を‟日米同盟”に置き換えればよいのだ。
テレ朝の報ステについて言えば、11/7 直後の一週間ほどは、大越健介にもこの件の報道で公平中立を意識した部分があった。この時点では、高市発言を批判する世論が半分程度あり、失言であり失態であると懸念する声が強かったので、大越健介も不偏不党に配慮していた。だが、11/18 に中国外交部の局長がポケットに手を突っ込んだ映像が出て以降は、態度を変え、中国叩きを貫徹する言論にシフトする。特に旋回の画期となったのは、11/25 に前駐中国大使の垂秀夫を出演させ、「絶対に(発言を)撤回してはいけない」と言わせた放送だ。それまでは、政治部デスクの千々岩森生に中国叩きと高市擁護を言わせ(右)、それを受けたコメントで大越健介が中和剤を撒き(左)、二人で論調の均衡を図っていた。が、垂秀夫の主張を”標準”として据えたところから、テレ朝はすべての報道番組(大下容子、上山千穂、有働由美子、、)で中国叩き・高市擁護の言論に収斂させるところとなる。日米同盟の‟制服軍人”を感じさせるのは千々岩森生だが、柳澤秀夫の猛毒も凄まじい。
ネットも基本的に同じであり、ヤフーニュースとXタイムラインは日米同盟の軍事的な論理と目的で編集されている。中国との‟情報戦”と‟認知戦”の武器として活用され、高市発言を擁護する記事と投稿ばかりがヤフーニュースとXタイムラインに並び、高市発言を支持する意識づけが読者に督促されている。マスコミが高市擁護と中国叩きで一色となり、ネットも同じく翼賛状態だから、世論調査で高市発言への支持が高く出るのは当然なのだ。逆に言えば、これだけ右翼論者を総動員して高市擁護と中国叩きの報道ばかり溢れさせているのに、その結果、高市発言を撤回せよという世論が多数になるのはおかしいのである。今のマスコミの世論調査は、自然で不可測な世論を調査で掬い取るのではなく、最初から数字ありきであり、この数字を出すというマスコミの意思が前提にあり、数字が自然になるように報道の論調を構成するのである。佐藤千矢子がヒステリックに石破おろしを扇動しまくった後で、石破政権の支持率が下がりましたという結果を作るのだ。因果を敷き導くのだ。
戦争の前哨戦が始まっている。だけど、その認識がない。高市発言の撤回を求める者は少なくないが、それを単に政局としてしか捉えてない者が多く、戦争が始まるという危機感がない。中国との戦争の恐怖をリアルに訴えている者がいない。実感が湧いておらず、批判の言葉が軽薄だ。一方、高市擁護のプロパガンダを上から佞悪に吐いている者(参謀)たちは、本当に中国と戦争を始めようと狂奔している。東アジアから手を引いて西半球に引き籠ろうとするアメリカを引き戻し、再び‟自由と民主主義の戦い”に関与させるため、台湾有事に至るプロセスを動かしステップを進めている。反共右翼のエリートとして信念的に、親米反中のオフィサーとして職業的に。他方、高市を支持する多数派の少なからずが、凡庸であるがゆえにマスコミの説明を信じて鵜呑みにし、ヤフーニュースに洗脳され、‟保守”というシンボルに帰依して、この問題についての自己の態度を決めている。日本の立場につき、日本を守ろうとし、悪である独裁国家の中国と戦おうとしている。普通の市井たちが。
まさに、戦争へのベルトコンベアに搭載されて移動している。大塚久雄が『社会科学の方法』の序盤で比喩して示唆していたような、満員の駅の通路で群衆に押され、自己の意思に反して否応なく不可抗力的に前へ進まざるを得ない状況になっている。戦争を止めるのは難しい。奇跡が起きるのを祈るしかない。
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。