「世に倦む日々」氏が掲題の記事を掲げました。
これは13日の記事 ↓の続編です。
「トランプが日米安保条約の破棄を示唆? - 内田樹の所感とユネスコ憲章の理念」
実に斬新(というよりも「本来そうあるべきもの」)で、伸び伸びとした内容で、日米軍事同盟の桎梏から解放されることが、如何に思考を柔軟にし且つ「自由」で、誰に遠慮もない「平和志向」が可能であるかを、具体的に示した記事になっています。
憲法9条を持つ国でありながら、ここ数十年間日本を支配してきた軍事志向が、如何に国民の心を蝕んで来たのかを自覚させられます。いわば「世に倦む日々」氏の隠れていた側面を見せられた思いになります。
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日米安保条約解消後の日本の安全保障 - 新しいプラットフォームとソフトパワー
世に倦む日日 2025年3月18日
国家の安全保障は軍事ではなく外交によって、対話と親交によって実現するものだ。この原点が世界から見失われ、日本人も忘れてしまっている。例えば、よく言われる日本のパスポート最強論がある。日本のパスポートはビザなし渡航が可能な国・地域が193あり、世界ランキングでシンガポールに次ぐ第2位の評価を受けている。大いに誇るべき地位と実績であり、世界から信頼と支持を受けている証であり、日本の国力を表す重要な指標の一つだろう。この国家の実力は、明らかに安全保障を担保するソフトパワーの意味を持ち、その強さを示すベンチマークに違いない。この日本の国力は、決して日米軍事同盟によって培われたものではない。戦後日本の平和外交と経済発展によって達成された賜物である。9条を原則とする戦後日本が、腰を低くして謙虚に、世界の国々と全方位外交を努力してきた結果だ.
戦後日本の平和主義は、単に9条の看板を掲げるだけでなく、その実質を示すべく、どこまでも価値観中立の態度に徹し、向き合う国々のイデオロギーを否定せず相手を認める態度で臨んできた。ユネスコ憲章の理念をインプリメントした寛容で堅実な外交と通商を営んできた。国連憲章とユネスコ憲章と日本国憲法は、戦後世界の平和主義の原則を示す法典として三位一体のものである。嘗て世界中を敵にして戦争した国が、反省して、平和国家を志し、どの国とも対等平等で相互理解と相互利益をめざす国に変身した。中江兆民の洋学紳士が言う「無形の理義を用い」る国になった。その所産が現在のパスポート競争力に反映されていると言えるが、典型的な例として、日本が、90年代のタリバン政権のアフガニスタンとも国交を維持し、世界が人権の理由でタリバンを排除する中、独自に関係を継続していた事実がある.
日米安保条約が廃棄された後の日本の安全保障をどう考えるか。それは、内田樹が言うようなシミュレーションという軽い発想ではなく、もっと根本的なイマジネーションが問われる問題だろう。理念を明確にするところから始めないといけないし、日本の近現代史をトータルに踏まえた上でデザインを起こす必要がある。それは、国家百年の計を立案する知的作業そのものだ。同時に、単に日本だけを考えるのではなく、近隣諸国や世界全体を考えた新築のスキームの提案にならざるを得ず、もっと言えば、東アジア諸国と世界全体を大きく改造するコンセプトが立てられ、それに同調してもらい、その未来へ変化してもらうということを意味する。一緒になって全体が変わらなくてはいけない。韓国や北朝鮮や中国が、そしてアメリカとロシアが、その新しい構想に賛同し、同じ理念を共有するということである。具体的に論じよう。
日韓平和友好条約と日朝平和友好条約
日米安保が破棄され、日本がアメリカの属国ではなくなったとき、日本はどの国とパートナーの関係を組むか。当然ながら第一に重要なのは韓国という答えになる。日韓が緊密に連帯して中国やアメリカなどの大国と関係するという構図が描かれないといけない。日本の安全保障の安定を確保する上で、韓国との友好関係は決定的なものだ。それは韓国にとっても同じで、韓国が中国とアメリカとの間でバランスをとり、平和と安全を保持して生きていくにおいては、日本と最も親密なスクラムを組み、同じ方向性で外交安保に臨むというのが最適最善のあり方だろう。日本と韓国は、戦後欧州のドイツとフランスをモデルとした関係を組み、二国が常に団結することで互いの存在感と影響力を強めないといけない。アメリカや中国から見て、日韓が常に一体で、安保外交においては一つの国のように動くことが重要だ。そして、それは可能である。
可能であると言うより、現在その関係になってないことの方が不思議だと言うべきで、9条を基軸とした戦後日本の平和外交が東アジアで推進され、1995年の村山談話まで到達した先には、日韓が仏独的な一心同体の盟友関係になるのが当然の次の里程標だった。それを阻止し妨害したのが、アーミテージらネオコンCIAの干渉であり、反共清和会(小泉・安倍)の反動路線であったと言える。イマジネーションのレベルで言えば、即刻、1965年の日韓基本条約が破棄され、新しく日韓平和友好条約が締結されるべきだろう。日韓平和友好条約の前文の下書きというか基本思想は、すでに村山談話で書かれている。そこに何を加えるかは、韓国側の意見や着想を聞いてみたい気もするが、村山談話がベースとなるのは間違いないし、そうでなくてはならない。思えば、日韓基本条約という佞悪きわまる条約は、日米安保条約とセットの構造の冷戦体制の部品だった。
北朝鮮についてはどうするか。北朝鮮に対しても同じで、すみやかに日朝平和友好条約が締結されるべきである。そしてその素案は、すでに2002年の田中均が起草した日朝平壌宣言によって示されている。そこには、「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」とある。村山談話が反映されていること、あらためて指摘するまでもない。72年の日中共同声明、95年の村山談話、02年の日朝平壌宣言、この三つの国際法は、憲法9条を基軸とする戦後日本の平和外交のモニュメントとして三位一体の性格のものだ。本来、この宣言が発布された後、中国のときの国交正常化と同様に、すぐさま日朝平和友好条約の段取りへ向かうべきだった。北朝鮮を改革開放に誘い、資本を投下し、技術を教えて産業を育ませ、日本の援助と指導で経済成長させるべきだった。
それを不可能にしたのが、反共の青バッジ策動(国民運動!)であり、不可解きわまる日本の集団催眠と共同幻想である。これまた、ネオコンCIAと反共清和会による卑劣な操縦とその帰結と言えばそうなるが、21世紀の入り口から、日本は歪み、手に負えないヒステリーの精神病理症状となり、理性や良識で国家社会の舵を取ることができなくなった。日中平和友好条約の後、中国は25年間でGDPを40倍に膨らませている。もし青バッジ策動がなければ、北朝鮮も今頃、韓国の半分ほどのGDP規模に至っていただろう。とまれ、日米安保条約が解消される地平をイマジネーションしているわけだから、そのときは在韓米軍も撤収が必然で、北朝鮮がアメリカと軍事対峙する必要はなくなり、朝鮮半島に冷戦対立の契機は消えている。すなわち、北と南の間に統一の気運が進み、日本は、平和友好条約を二つも構える必要はなくなっているかもしれない。それが理想であり自然である。
日米軍事同盟が破棄される歴史的局面では、当然ながら米韓軍事同盟が止揚されている。韓国も自らの新しい安全保障体制を構想構築しないといけない。日本と韓国は、地理的地政学的条件を考えても、歴史的文化的関係性を考えても、経済のサイズやレベルを考えても、安全保障のパートナーとしてこれ以上ない好条件を持った二国である。日韓は、常に同じ論理と利害で外交安保の方針と立場を一つにできるし、協調結束して外の世界や大国(米中露欧)と向き合える。そうすることが国益にとってベストとなる二国だ。直面している課題も共通したものが多い。例えば、少子高齢化問題への取り組みなどは、日韓共同で真剣に知恵を出し合えばよいし、気候変動問題や資源エネルギー問題の対策も一緒に研究考案し、国際社会に政策発信すればいい。それから、生成AIの技術開発も、日韓で一つになって協力対処するのが望ましく、それが米中に劣後せずに地位と実力を築ける(日韓にとって唯一の)道だろう。
日露平和友好条約
72年の日中国交正常化を果たしたとき、田中角栄は、次はソ連と北朝鮮だなと言い、残された戦後日本の宿題の達成を派閥の子分たちに託していた。ソ連が崩壊してロシア連邦に変わったが、この遺志は未だ成就されていない。安倍晋三の対露外交は、北方領土返還を前に進める素振りをしながら、実際にはその意思が全くなく、単に選挙前の支持率目当てでパフォーマンスの手段にするのが目的だった。その浅薄な狙いをロシア側に見透かされ、外交上手のプーチンに逆手に取られ、お題目とは裏腹に北方領土返還の可能性は遠ざかり、四島のロシア領有の既成事実が固められる方向に進んでしまった。対韓国・対北朝鮮・対中国だけでなく、対ロシアでも、安倍晋三の反動と愚策の外交失態によって日本の国益は甚だしく毀損された。今となれば、四島の全面返還は困難な状況と言え、国後島と択捉島の間に線を引き、三島返還で手を打つしか現実的な選択肢はないのかもしれない。
ただ、ここで考えているのは日米安保破棄後のイマジネーションである。国際政治学者の多くが言うとおり、またロシア自身も説明してきたとおり、北方領土の問題解決と平和条約締結を阻んできたのは、日米安保条約(日米軍事同盟)の存在だった。日米安保条約があり、アメリカの軍事的脅威があるかぎり、日本の領土返還の要求には応じられない。島に米軍基地を設置されたら、軍事的テリトリーであるオホーツク海が奪われる可能性が大だからである。ということは、日米安保条約が破棄されるときは、日露間のその障害が除去される瞬間であり、日露平和友好条約がスムーズに結ばれる環境が出来するときだ。本当に何もかもが変わる。ロシアにとって日本は重要で魅力的な国で、西欧を牽制し、中国と均衡を図り、ユーラシア大陸大国として立場を安定させ地位を保つ上で、日本との友好関係は必須で焦眉の外交的課題と言える。極東地域の経済開発の上からもそれは宿年の目標だ。
日中友好の再構築とソフトパワー
中国との間には、72年の日中共同声明と日中平和友好条約がある。プラットフォームはあり、新規に何かを作る必要はない。必要なのは、互いの軍縮と不信除去だけであり、仲睦まじかった80年代の二国間関係に戻ることだけである。ただ、そのためには、単に日米安保条約が破棄され、日本国内の米軍基地が撤去されるだけでなく、中国の安保外交の政策思想が変わらないといけない。それは共産党独裁体制をやめよという意味ではない。80年代の日中友好全盛期も、中国は共産党独裁政権だった。中国が変わらなければならない点は、習近平の独善的で前近代的な世界観であり、清代皇帝の「三跪九叩頭」を思わせるグロテスクな中華帝国主義である。具体例を挙げれば、南シナ海全体の領有を正当化する九段線の暴論だ。胡錦涛時代は、このような国際法無視の異形な主張はしていなかった。行儀正しく原理原則を重んじる国だった。指導者が変わった途端、毛沢東の原始時代に戻った。
そうした働きかけがどこまで可能で、中国がどこまで応じるかは予測できない。だが、日本の対中原則は72年の日中共同声明にあり、これは普遍的に動かず未来永劫変わらない。その基本的立場を守りつつ、中国に道理を求め、洋学紳士的に道義を説いて中国の政策を変えさせる努力を行うべきだろう。具体的には、台湾への武力行使を放棄させ、香港を一国二制の原状に復せしめ、自治区の少数民族自治の逸脱を律して正させることである。南シナ海については、国際司法裁判所の判決に従わせることだ。日本が音頭をとって、南シナ海周辺諸国と中国との紛争を解決する枠組みを作る努力をすればよく、中国がそれを認める程度にまで信頼関係を回復すればいい。アメリカが日米安保条約を不要として放棄するときは、台湾独立とか台湾有事の工作や陰謀からも手を引いている想定になるわけで、あとは日本と中国が80年代に戻ればよく、その方向性になれば南シナ海問題や尖閣問題も解決するだろう
中国との関係の再構築においては、まず、東シナ海ガス田の共同開発を再立ち上げするところから始めればよい。日米同盟が解消されるという段階になれば、当然、東アジアではP5の1であり軍事大国である中国の影響力が増す。アメリカの影響力が後退している。その21世紀の情勢の中で、日本は韓国と組み、ASEANと連携することで、中国の大国主義的な生理と欲望を制止し、この地域の平和を守り、各国の主権を守り、協調と繁栄の世界を築くことができるに違いない。日本は、日本が変わることで、すなわち日本が戦後の平和主義と日中友好の原点に即くことで、中国に対するソフトパワーを持つことができる。中国にとって日本は、今なお自らの将来の手本を提供する国であり社会である。中国の人々もいずれは9条の理想に頷き、9条を国家安全保障の理念に据える時代が来るだろう。われわれはその未来を信じ、洋学紳士や安倍能成や大江健三郎のように気高く道理を説くべきで、理想とはそういうものだ
【補遺】
日本の政治思想史の中に家康の元和偃武があり、その平和主義を実現する安保政策として柳生家の活人剣があり、公儀兵法としての正式採用と教育啓蒙がある。9条の思想的源流として発見し措定できる画期的事実だろう。同じように、中国には古代戦国の諸子百家に墨子と墨家の存在があり、儒家と匹敵するほどの隆盛を極めていた歴史的経緯があった。墨家の思想的特徴は、平和主義と博愛主義であり、非攻と無差別平等の実践を提唱する。すなわち、9条やユネスコ憲章の源流的要素は中国史にも実在したのであり、2400年前の紀元前に遡って活動が確認できる。であるならば、中国の指導部や民衆が9条の理念に頷く可能性も十分あると期待してよい。東洋世界に生き、同じ文字を使い、古典を同じうする者同士として、理想を説き、信義を訴える挑戦を日本人はするべきだ。中国から納得と共感と同意を得て、同じ方向性を共有するべく、渾身のエバンジェリズム(⇒福音伝道)を試みるべきだ。
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。