3・1ビキニデー 1954年3月1日未明、アメリカが太平洋ビキニ環礁において広島型原爆の約千倍の威力をもつ水爆実験をおこない、マーシャル諸島の人びとや多くの日本漁船などが被災しました。
焼津のマグロ漁船「第五福龍丸」は、米政府が指定した危険区域外で操業中であったにもかかわらず“死の灰”を浴び、23人の乗組員全員が急性放射能症にかかり、無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)はその年の9月に亡くなりました。
この3・1ビキニ事件は全国に原水爆禁止の声をまき起こし、3千数百万の原水爆禁止署名が集められ、翌55年8月に第1回原水爆禁止世界大会開催につながりました。
2月28日、3・1ビキニデー原水爆禁止日本原水協全国集会・全体集会が静岡市の会場とオンラインでつないで開かれ、約1000人が参加しました。
1日には「被爆80年を核兵器のない世界へと転換する年に」と2025年3・1ビキニデー集会が静岡県焼津市とオンラインを結んで開かれ、1800人が参加しあした。
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「核抑止」論 打破しよう 3・1ビキニデー日本原水協全国集会
しんぶん赤旗 2025年3月1日
(写真)各地からの運動が交流された日本原水協全国集会・全体集会=28日、静岡市駿河区
日本政府の核兵器禁止条約への参加や、核兵器廃絶の実現を求めて28日、3・1ビキニデー原水爆禁止日本協議会(日本原水協)全国集会・全体集会が静岡市の会場とオンラインでつないで開かれ、約1000人が参加しました。参加者は日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞への国民的共感を追い風に、「核の傘」=「核抑止」論を打破する運動を広げる決意を固め合いました。
主催者あいさつで全労連の秋山正臣議長は、日本政府が核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加を拒否したことに抗議しました。基調報告で日本原水協の安井正和事務局長は「禁止条約の署名・批准を求める自治体決議は697に広がっている。『非核日本キャンペーン』を市民、自治体ぐるみの運動へと広げよう」と呼びかけました。
神奈川県原爆被災者の会の東勝広事務局長は、戦後、米国の占領下で原爆被害の発言が制約されていた中で、ビキニ事件を機に被爆者が声をあげ、運動が広がったと発言。「日本被団協は、被爆者への国家補償と核兵器廃絶を求めてきた。過去の過ちを認めさせることで、未来においても過ちを繰り返させない力にしたい。運動の継承に協力を」と述べました。
韓国・全国民主労働組合総連盟(民主労総)のハム・ジェキュ副委員長は、韓国から核兵器廃絶運動に連帯する決意を語りました。
各地の運動交流では、日本被団協のノーベル平和賞受賞で広がっている変化が報告されました。
核廃絶の国民的合意築こう 3・1ビキニデー集会1800人
しんぶん赤旗 2025年3月2日
米国が南太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験による被災から71年の1日、「被爆80年を核兵器のない世界へと転換する年に」と2025年3・1ビキニデー集会が静岡県焼津市とオンラインを結んで開かれました。1800人が参加し、「被爆者とともに『日本も核兵器禁止条約に参加を』の声を大きく広げよう」とのアピールを採択しました。主催は原水爆禁止世界大会実行委員会と3・1ビキニデー静岡県実行委員会。
静岡県労働組合評議会の菊池仁議長が主催者あいさつし、中野弘道焼津市長、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の金本弘代表理事が来賓あいさつ。登壇した10人の被爆者が一人ひとり紹介され、ノーベル平和賞受賞を祝う花束が贈呈されると、会場から大きな拍手が送られました。
原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会の高草木博共同代表は主催者報告で、日本政府は3日からの禁止条約第3回締約国会議に出席すべきだと強調。日本被団協のノーベル平和賞受賞は「大きなチャンス」だと述べ「対話と署名の創意的な行動で、大きな国民的合意を築くために奮闘しよう」と呼びかけました。
特別企画で、長崎総合科学大学の大矢正人名誉教授は、すべての原爆被害者を被爆者と認めるべきだと指摘し、高知県の太平洋核被災支援センターの濱田郁夫共同代表は、ビキニ事件での同県のマグロ船の被災について告発。原水爆禁止世界大会実行委員会運営委員会の野口邦和共同代表は、太平洋での核実験による被害の全容解明、被災者への補償と救済を求めました。
福島、兵庫、静岡の代表が運動を報告しました。
松井一実広島市長、鈴木史朗長崎市長、日本共産党中央委員会などがメッセージを寄せました。