「世に倦む日々」氏が掲題の記事を出しました。
川崎のストーカー殺人事件は殺人が実行されてから数ヶ月間も「放置」されていました。それ以前からストーカー事件として関与していた警察にも全く「事件」の認識がなかったとはお粗末窮まる話です。加えて何度も犯人宅を訪れていながら、床下のボックスは相手が拒否したから調査できなかったと弁解するに至っては、警察の「不作為」に加えて「無能」というしかありません。
この間何度も警察に訴えながら、その都度無視されてきた遺族(家族)の無念さは察するに余りあります。
そして事件が明らかになってからも、警察からは未だに不手際についての満足な釈明はなく、またメディア側からの追及もありません。メディアに取って警察は貴重な情報源そのものなので、サツ回りをさせられる若手記者たちにとっては良好な関係を維持することが大事で、逆に警察の機嫌を損ねれば記者会見への出席拒否の仕打ちに遭うので確かに敷居は高いのでしょうが、社会正義の立場に立てば、被害者の側に立って警察機構の怠慢や無能さを指摘するのが役割の筈です。
「世に倦む日々」氏は、メディアがダメならそれに代わるべき機関は色々ある筈として具体的にその可能性を考察しています。中でも秀逸なのは江川紹子氏の持つ影響力に注目し、彼女の「X投稿」を活用して世論を盛り上げる方法を指摘している点で、メディアもそれくらいの手段には思いつくべきです。
記事は「何もかも不発だった。誰も何もせず、果たすべき使命を怠り、時間だけが過ぎ、事件はネタとして消費されて大衆の意識から消えてゆく。真相は闇のまま。責任者は素知らぬ顔で居座り続け。」と結ばれています。
やり切れなさが伝わり、そしてそれに包まれる話です。
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川崎ストーカー殺人事件 - 警察の不作為、マスコミと野党と弁護士会の不作為
世に倦む日日 2025年5月13日
川崎のストーカー殺人事件について。遺体が発見されたのが 4/30 で、そこから2週間近く経つが、神奈川県警本部長の記者会見がテレビ報道に登場しない。私の市民感覚ではあり得ない話だが、どういうことなのだろう。Xを見ても、その欠落と不在を指摘する声がない。この事件に関する警察のコメントは、5/8 に警察庁長官が定例記者会見で発言しただけで、その中身は「県警に一連の対応状況を調査するよう指導する」という無内容なものだ。国民をバカにしたその場凌ぎの弁。新聞記者がどういう質問をしたのか知らないが、マスコミもよくこんな会見記事を報道にできたものだと思う。NHKも朝日も一列で同じで、その場で真相の追及をしていない。要するに、警察が逃げを打っていて、マスコミが警察に忖度して手抜きして逃がしている。この長官のコメントは、意訳すれば「神奈川県警の責任を問う意思はない」だ。
神奈川県警本部は定例会見を開いているはずだ。朝日の 5/8 の記事では、5/3 に神奈川県警がこの事件についてコメントした旨が載っていて、「一連の対応について『必要な措置を行ってきた』」と言っている。このコメントはテレビ各局でも報道されたが、県警本部長の映像はなく、カメラでの撮影はされていない。カメラを入れないという約束で、マスコミが神奈川県警に配慮し、神奈川県警がマスコミに書かせた図だ。県警の広報担当が(祝日に)番記者にコソコソ対応したのだろう。連休明けの 5/7-9 には何の情報発信もなかった。われわれが知りたいのは、家族が何度も川崎臨港署に相談に行き、被害を訴えていたのに、警察側が「事件性がない」と言って門前払いした経緯と理由である。実際、昨年末のストーカーの映像が証拠としてあり、提出されていたにもかかわらず、なぜ「事件性がない」という判断になったのか。
「被害届が取り下げられた」とか「二人が復縁したと認識した」とか、警察は姑息で噴飯な釈明をしているが、どう考えてもストーカー規制法の犯罪類型であり、警察が「禁止命令」を発動する事案である。典型的なパターンでだ。こうした事件が起きないようにするため、被害者を守るためにストーカー規制法が制定されている。この事件は明らかに警察の不作為による殺人事件で、警察が法律どおりに対処し行動していれば発生していない。直接の加害者は元交際相手の男だが、警察にも法律に則った措置を講じなかった重大な過失責任があり、結果的に、事実上の間接的加害者としての責任は免れ得ないだろう。男の度重なるストーカー行為を完全に放置しているし、被害者側の訴えを真面目に聴いていない。私は最初、この元交際相手が政治家か官僚か大学教授の息子で、そのために警察が捜査しなかったのではないかと疑った。が、どうやらそうでもないらしく、川崎臨港署の昨年からの対応の真相が理解できない。
神奈川県警は、13年前の2012年に逗子ストーカー殺人事件を発生させている。被害者が必死になって隠している個人情報を、あろうことか警察がストーカー犯の前で読み上げて教えてしまう失態を犯していた。今回の川崎の事件が起きた後、マスコミは、26年前の1999年の桶川ストーカー殺人事件を繰り返し紹介するけれど、なぜか逗子ストーカー殺人事件について触れない。マスコミが世論を刺激しないよう、神奈川県警への非難が盛り上がらないよう、意図的に伏せている気配が窺われる。マスコミが神奈川県警を庇っている。加えて言えば、9年前の2016年に起きた小金井ストーカー殺人未遂事件も、警察の怠慢と等閑によって惹き起こされたもので、これによってストーカー規制法の改正が図られた経緯があった。このときの世論の警察への批判は凄まじく、警察庁長官が「教訓を全国的に共有し適切な対応を徹底する」と反省の弁を述べている。
9年前の事件と顛末があり、ジェンダー主義の潮流があり、ストーカーへの取り締まりは厳重になっているものとばかり思っていたから、今回の事件は意外で、神奈川県警の不作為は理解不能としか言いようがない。川崎臨港署で被害者に対応した生活安全課の署員は、女性警官だったのだろうか。不思議に思うのは、「県警本部長を出せ」とか「神奈川県警にカメラの前で説明させろ」という声がネット(X)上で聞こえない点だ。このことは、今回の川崎臨港署の対応以上に不思議な点で、マスコミの「県警隠し」(=県警への忖度と無罪放免)を許してしまっている。マスコミの掘り下げのない報道、すなわち警察の時間稼ぎへの協力をそのまま受け流し、表面的な警察批判だけで終わっている。なぜ「県警本部長に会見させろ」とか「県警の定例会見を撮って映せ」という声が上がらないのだろう。急所を誰も衝かないのか。本当にこの問題に真剣に関心があるのだろうかと疑う。
福井県警本部長が 4/28 に就任の挨拶会見をしたときは、全国放送のテレビが奉祝と賛美の紹介報道をやっていた。が、これだけ重大な事件を惹き起こした神奈川県警本部長の定例会見を、テレビが撮って流さないのか全くわからない。例えば、ここで江川紹子がXに投稿し、「神奈川県警本部長の説明を聞きたい」と言えば、すぐにスポーツ紙か週刊誌のネット記者が取り上げ、それをヤフーニュースが転載し、世論が反響し、Xのトレンド欄で話題になるだろう。Xを見たNHKが江川紹子のインタビュー映像を撮り、7時のニュースで流し、神奈川県警本部長は逃げ道を塞がれる展開になるだろう。間違いなくそうなる。NHKが江川紹子の意見をオーソライズし、国民的正論にし、誰も否定できない方向性が出来上がる。そうなると、神奈川県警本部長はカメラ入りの記者会見に応じざるを得なくなり、早い話が、そこで詰んで辞任の幕となる。責任をとる形になる。それが自然な流れだ。
昨年の鹿児島県警の内部告発事件のときは、地元マスコミも東京マスコミもそれなりに頑張り、鹿児島県警本部長をカメラの前に立たせて釈明させる幕があった。鹿児島県議会も(当然とはいえ)よく奮闘し、県警本部長を召喚して追及する場面がNHKの全国放送で流されていた。市民感覚としては中途半端に終わって不満な結果に終わったが、県警本部長はほどなくして交替させられていて、事実上の引責が果たされている。今回の神奈川県警の場合は、人の命が失われているのであり、鹿児島県警本部長よりも重い責任が問われて当然だろう。現在、神奈川県議会は開会中だが、県警に事情を報告させるという情報はない。地元紙のカナコロの出番だが、県警と喧嘩したくないのか積極的な取材姿勢が見えない。それ以前に、何で国会で川崎ストーカー殺人事件が取り上げられず、野党議員が質問する場面がないのだろうと不審に思う。国会は会期中で、5/12 には予算委で消費税の議論をやっていた。
消費税も重要だが、この事件の警察対応はもっと重大で深刻な問題ではないのか。マスコミがまともに真相追及せず、警察を逃がしていて、国民は何も分からないままなのだから、野党議員が警察庁長官を呼んで問い質すしかない。今の状態が容認されれば、ストーカー規制法は何の意味も効用もなく、被害者は耐え続けるか殺されだけということになる。国会で議題にすれば、確実にテレビ報道の素材になっただろうし、登壇した議員の株が上がったに違いない。現在の国会は野党が優勢であり、議事は野党が主導できる。これほど重大な事件が起き、国民の関心が集まり、国民の警察不信が高まった状況で、どうして野党議員は活躍の出番を作ろうとしないのか。警察庁長官に答弁させ、川崎臨港署の対応の真実を衝き、警察の不作為を明らかにしようとしないのか。5月も3週目に入り、市民社会を恐怖させる事件が立て続けに起き、川崎ストーカー殺人事件への関心も徐々に薄れる趨勢となっている。
マスコミの責任と県議会・国会の野党の責任を述べたが、もう一つ、弁護士会の責任を見落としてはいけないと思う。神奈川県弁護士会と日本弁護士連合会はどうしてこの事件について声明を発表しないのだろう。日弁連がこの事件で何かコメントするのは当然で、警察批判をするのは当然の責務だ。現在の会長は日弁連初の女性会長で、女性初の東京弁護士会会長を務めた「虎に翼」である。今回のストーカー殺人事件について何も感じるところはないのだろうか。弁護士会が声明を出して記者会見すれば、マスコミはニュースに流しただろう。なぜ沈黙するのか分からない。そして、神奈川県弁護士会というのは旧横浜弁護士会である。横浜弁護士会と言えば、われわれが想起するのは坂本堤だ。生きていれば69歳。その知性・能力・人徳・勇気からして弁護士会のリーダーに収まっていたに違いなく、考えるだけで惜しまれるけれど、存命であったなら、今回の事件に沈黙したということがあるだろうか。
さらにもう一つ。最近のニュースで屡々登場する日本学術会議・法学委員会がある。日本学術会議の人文・社会部会副部長は只野正人という憲法学者で、杉原泰雄の弟子らしい(一橋)。日本学術会議について、もっと社会に積極的に発信してその存在感や貢献度を認められるべきという議論があり、その一方、独立した科学者の機関が政府からかかる指図を受ける言われはないという反論もある。が、せっかく法学委員会があるのだから、オーソリティの立場から、こうした時事の局面で市民の人権を守るべく適切な発言をする機会があってよいのではないか。弁護士会がそれをやっていれば、敢えて学術会議にお願いしたりしないが、最近は弁護士会が何もやらないので、その使命の一端を担ったらどうかと提案したい。最近の弁護士と大学教授は、Xアカウントを持ってテレビのコメンテーターのようなことをやり、芸能タレントのように無責任な発言を言い散らしている。インプレを稼いで悦んでいる。個人の意見で所属とは無関係ですなどとエクスキューズを掲げつつ。
拘束のない自由業の遊び人のように。権威を自慢するブランドの肩書きだけ見せびらかせながら。決して愉快な光景ではない。結局、県警本部長への責任追及はなかった。野党は国会で警察を糾弾しなかった。弁護士会は警察批判の声明を出さなかった。市民社会を守るはずの法学者の団体も動かなかった。何もかも不発だった。誰も何もせず、果たすべき使命を怠り、時間だけが過ぎ、事件はネタとして消費されて大衆の意識から消えてゆく。真相は闇のまま。責任者は素知らぬ顔で居座り続け。
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。