植草一秀氏が掲題の記事を出しました。
米価は備蓄米を放出しても一向に下がらずむしろ上がり気味です。22年度には5キロ当たり1250円ほどであった米価がこの2年間で5千円近くに上がり、4倍ほどに上昇しました。
超贅沢品であるなら兎も角 主食なのですから、もしも血気逸る国民性であったなら暴動も起こり兼ねないことでしょう。背景には「コメ不足」がありますが、直接的には流通関係者らの儲け指向の思惑がこの事態を生み出しました。
政府は1995年の食管制度廃止以降、コメの在庫が過剰にならないように減反政策を継続してきました。その結果、いまでは「時給10円」といわれる米作に新たに従事する人たちがいないという状態になりました。もはや「食糧安全保障」とは全く無縁の状況です。
米価の異常高騰を鎮めるためには備蓄米の大々的放出や緊急の輸入米で凌ぐしかありませんが、然るべき年月を掛けて「コメの生産体制」を根本から立て直すことが求められています。
植草氏は「結論として最優先するべき課題はコメの自給体制強化。これまで政府は減反政策を続けてきた結果として、供給不足が顕在化した」として、まず「コメの生産を拡大する政策方針を明示する必要があ」り、「そのためにはコメ農家の所得を補償」し、「農家が永続してコメ生産を行う意欲を持てる所得環境を整備することが必要不可欠」であると述べます。
そして、「消費者に対してコメを低い価格で提供するには、政府が『逆ザヤ』分を財政負担すればよい」のであって、そのための「新しい食料価格管理制度を構築するべきである」と述べます。
併せて世に倦む日々氏の記事「おぼろげながら浮かんできた〝闇米″の真相と将来モデル ー 庶民の主食は輸入米に」を紹介します。
こちらは「食糧安保」の観念を抜きにして論じています。
(お知らせ 都合により29日(木)の記事の更新は夕刻になります)
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低価格目的の輸入拡大は愚策
植草一秀の「知られざる真実」 2025年5月25日
令和の米騒動。
コメの小売価格が2倍に暴騰した。価格を下落させるには供給を増やすしかない。
江藤拓農水相が更迭されて小泉進次郎氏が新農相に起用された。
小泉氏は政府備蓄米を低価格で放出する方針を表明した。小売価格5キロ2000円で販売すると表明した。
しかし、販売と同時に瞬間蒸発することになるだろう。すべての国民が購入希望の全量を購入できる保証はない。
政府の備蓄が枯渇すれば供給は途絶える。小泉新農相が石破内閣の救世主になるとは考えられない。念頭にあるのは参院選。参院選に向けて政府批判、自公批判を鎮火できればよい。
そのような近視眼的発想で対応策が示されているに過ぎないと思われる。
その場を取り繕うだけの〈弥縫策(びほうさく)〉である可能性が高い。
警戒が必要であるのは、コメ輸入を一気に拡大する路線が想定されている疑い。
この問題を考える視点が三つある。
第一の視点は消費者視点。
消費者は5キロ2000円だったコメ価格がいきなり5キロ4000円を突破して打撃を蒙っている。
第二の視点は生産者。
コメ農家は苦しめられている。生産に要する費用が増加の一途を辿る一方でコメの買い入れ価格は低下傾向をたどってきた。コメ農家の所得は時給換算で10円との数値も示されている。
これでは農家の存続を展望できない。まさに〈頑張っているのに報われない〉現実が広がっている。
第三の視点は食料安保。
国民が生存するためには食料が必要不可欠。世界はいつ飢饉に見舞われるか分からない。
日本の食料自給率はカロリーベースで38%。海外からの食料供給が断ち切られれば国民は餓死してしまう。国民の生命と生活を守るためには食料自給体制の確立が必要不可欠。
日本国民の主食であるコメの安定的な国内自給体制を維持することが必要だ。
メディアの論調を見ると第一の消費者の視点だけしか語られていない。
第二の生産者の視点からの問題提起に対しては冷ややかに扱う傾向がある。
イソップ寓話に「おなかと手足のけんか」というものがある。
手足が、おなかは自分で動かぬのに食べ物をもらって食べるばかりでずるいと怒り、動くことをやめる。すると、栄養が手足に行き渡らなくなり、おなかだけでなく、手足もふらふらになる。手足はおなかと手足が相互依存関係にあることに気付く。
消費者の視点で価格の下落ばかりを求めて、国内でコメを生産する生産者が消滅すればどうなるのか。コメの国内自給は消滅する。海外からのコメ供給が途絶えれば消費者も餓死してしまう。三つの視点のすべてを考えることが必要だ。
結論として最優先するべき課題はコメの自給体制強化だ。
これまで政府は減反政策を続けてきた。名目上は減反政策をやめたとしながら、実際には生産制限が実行されてきた。この結果として供給不足が顕在化した。
コメの生産を拡大する政策方針を明示する必要がある。
しかし、そのためにはコメ農家の所得を補償する必要がある。
農家が永続してコメ生産を行う意欲を持てる所得環境を整備することが必要不可欠。
他方、消費者に対してコメを低い価格で提供する必要があるなら、政府が「逆ザヤ」分を財政負担すればよい。新しい食料価格管理制度を構築するべきである。
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おぼろげながら浮かんできた〝闇米″の真相と将来モデル ー 庶民の主食は輸入米に
世に倦む日日 2025年5月24日
5/21、江藤拓が舌禍事件で農水相を引責辞任、小泉進次郎が後任に就いた。失言の内容は、週末 5/18 の自民党佐賀県連での集会で「私はコメは買ったことはありません。支援者の方々がたくさんコメをくださる。売るほどあります」と発言したもの。週明けから大事件となってマスコミで炎上、野党が国会で追及・糾弾して政局となり、森山裕と石破茂が更迭を判断した。この事件について最初に思うのは、コメを買ったことがないのは江藤拓だけではないだろうということだ。おそらく、自民党議員の大半がコメを寄贈されているはずだし、世襲議員は代々同じルートから豪勢に提供を受けているだろう。自民党議員だけでなく野党議員も、選挙区が地方で当選回数の多い者は挨拶代わりに頂戴しているに違いない。家族がスーパーで2キロとか5キロの袋を買っているという議員が何人いるか、誰か探偵し調査してもらいたいものだ。
前回、「オリエント急行殺人事件」の比喩で、関係者の全員がコメ価格つり上げの犯人だと書いた。最初に23年産米の作柄不良と供給不足があり、これを利用した投機筋の買い占めが起こり、価格高騰が始まった。農協と農水省と関係業者がこれに便乗し、価格をつり上げる方向で進め、政治家とマスコミもそれに加担して価格高騰を「自然現象」化して行ったため、高騰は止まらず5キロ4000円を超える水準にまで到達した。JA全中の山野徹が 5/13 に発言した「決して高いと思わない」という本音が、この問題の真相をよく露呈している。関係者全員が意図的に周到につり上げてきたのだ。24年産の新米が出回れば下がるとか、備蓄米が放出されれば落ち着くはずだとか、ウソを重ねて消費者を騙しながら。そして、価格が下がるとか落ち着くという見方を報道で出したときは、必ず、専門家を登場させ、価格は下がらないだろうという予測を言わせていた。
手の込んだ芝居を、マスコミ(特にNHK)含めた総がかりでやってきた。あらためて確認したいが、24年の主食米の生産量は23年よりも18万トン増加しているのである。23年は猛暑による高温障害で不作だったが、24年は作柄指数102の「やや良」で順調に収穫され、作付面積も増えていた。生産量の増加によって需給は逼迫するはずがなかった。だが、実際の市場では1年で5キロ2000円から4200円に高騰しており、店頭には常にコメが品薄で、小売店には入荷が細く難しく、消費者がコメを探し回る状態が続いていた。流通の末端と消費の現場ではコメ不足が常態化した。明らかに流通過程でコメが隠匿されていて、暴利を得ようと業者が溜め込んでいる卑劣な事実がある。マスコミと政治家はそれを「目詰まり」と呼んでいる。どこまでも「作為」を「自然」にして正当化したい日本の思想性がある。支配層が弱者を言葉で騙す手法がある、
一体、何が起きているのか。「オリエント急行殺人事件」の比喩記事を上げた後、薄っすらと頭に浮かんだもう一つの仮説がある。農協などが価格つり上げ目的で蓄蔵し供給制限している数量の他に、おそらく、コメ農家が直接売ったり配ったりしている数量が膨大にあるのだ。つまり、江藤拓のような形態でコメを確保している者が相当数いるのである。東京新聞(共同)の記事では、24年産米は、生産量は18万トン増えたのに集荷量が21万トン減ったと書いている。ここに真相の一端が窺える。農家が集荷先である農協に卸してない。昨年の夏から、コメ不足と価格高騰で国民にはコメの入手が大問題になっていた。農家にコネがある者は「何とか分けてもらえませんか」と切願しただろう。生産農家だけでなく、集荷業者にもそうした依頼は横から届いただろうし、そこに地方議員などの政治家が絡んで口利きすれば、農協は「分かりました」と二つ返事で融通したに違いない。
そうした、いわば「闇米」的に流れたコメが大量にあり、入手した各家庭が数量を備蓄していて、それが現在のコメ不足の正体の一面なのではないか。そう想像する。今、店頭のコメ不足は地方でも甚だしく、東京以上に地方のスーパーが品薄状態になっている。が、何となく、地方の消費者にコメの不足感がない。切実で深刻な窮迫感が強く漂って来ない。本当に困っていて必要な人たちは、そうした「闇米」の方法で調達して問題解決しているのではないか。であれば、その人々にとっては4000円超のコメ価格高騰はただのニュースであり、リアルな生活苦の問題ではないことになる。この推理と仮説が正しいのかどうかは、現時点では証明しようもなく、妄想と言われればそれまでだが、もし核心を衝いていたなら、いずれコメ余剰という展開と帰結になるだろう。各家庭で買い溜めしたコメ(闇米)は消費しなくてはならないからだ。不安心理で余分に備蓄した分は市場での需要減となる。
前回記事の延長になるが、今回のコメ価格の問題は、日本人の食生活の水準低下が構造的・長期的に決せられた厳しい事態ではないかと悲観する。2022年の厚労省の所得分布調査によれば、世帯所得の中央値は423万円で、400万円未満が46.4%を占めている。この階層は従来のようにコシヒカリを常食にできず、①麺類・パン、②麦飯・かて飯、③輸入米 を主食にする食習慣に変えるよう経済的に強制されるのだ。「貧乏人は輸入米を食え」である。財政難の自治体によっては、学校給食も安い輸入米に切り替わるだろう。その悲観的な想像が浮かんだ理由は、アメリカで売れている日本車の記事が目に留まったからだ。2024年の販売ランキングで、日本車はベスト10の中に6車種入っていて大健闘している。RAV4、CR-V、カローラ、カムリ、ローグ、シビック。車好きのアメリカ人に愛され信頼されている。性能と品質がよく、スタイリッシュでコストパフォーマンスがいい。
日本メーカーは、こんな車を主力製品で作ってアメリカで売っているのである。この断面を見る限り、日本経済は相変わらず繁栄していて、トランプの幼児的な被害者意識にも一理あると感じさせられる。2万5000ドルから3万5000ドル。360万円から500万円の価格帯。これが日本車の人気の売れ筋で、ボリュームゾーンの製品だ。一方、日本の自動車市場を見てみよう。2024年の販売台数の1位はN-BOXで、ベスト10ランキングに軽自動車が4車種も入っている。あとは、カローラ、ヤリス、シエンタ、ノート、フリードとコンパクトカーが続々揃い、170万円から260万円の価格帯の製品ばかりが並ぶ。先日、三重県の高速道路を外国人が逆走していた車もそうだったし、そのニュース映像で登場する諸車もコンパクトカーやミニバンが多かった。日本が作って世界に売っている車と、日本人が国内で乗っている車は異なっていて、安価で粗末な車で国内市場を埋めている。
購買力がないから、軽自動車とコンパクトカーの需要しかないのだ。これが日本経済の実態であり真実である。素晴らしい高性能の製品は作れるけれど、多数が貧乏なので購入できない。国内で売れない。富裕層だけが高い車を買える。残念な事実だが、われわれの真実の姿と言える。30年前はこうではなかった。1992年には、パジェロが月間販売台数でカローラを抜いたなどという情報がある。いつの間にか日本の道路を走る車は軽自動車ばかりになった。そしてこの経過と境遇について、日本人は「自然」の為せるしかたない問題として受け止めていて、「作為」による積み重ねの結果として捉えていない。「自然」に順応するように状況を認識し、誤った政策によって抱え込まされた社会矛盾として総括しない。とまれ、石破茂と新農水相に就任した小泉進次郎は、外国産米もどんどん輸入して「供給不足」を埋めるという方針を語っていた。従来は、国産米を守るため輸入米は禁止が国是だったはずだが、方針を転換した。
マスコミ論者も、全員がそう言っている。誰も反論しない。コメ輸入解禁への異論や抵抗は一部しかない。となれば、いま1キロ341円かかっている関税はゼロにされ、5キロ3335円のカルローズ米は1705円分安くなって1630円の販売価格になるだろう。日本の中低所得層の消費者にとって手頃な値段になる。タイ産日本米も5キロで1000円から1500円で、これが関税ゼロで日本市場に入って来る。物価高に苦しむ庶民にとっては救世主的な存在となり、国産銘柄米から輸入米に主食を切り替える国民が大量に出ると予想される。中国産ジャポニカ米も同じで、5キロ1000円の「五常大米」というコメが日本人に非常に評判がいい。コメの関税をゼロにすれば、スーパーで販売される主力は輸入米に置き換わるはずだ。その結果、富裕層だけが高い国産コシヒカリを食べるようになり、輸入米にリプレイスされた大量の国産銘柄米は輸出品となり、アメリカや中国などの富裕層を顧客とする贅沢な高級商品となる。
以上のことは石破茂も言っていて、この問題の報道で登場するマスコミの論調が同じで、全員がこの方向性を唱えている。もっともっと多く日本で増産して、増産したコメを海外で売って稼げと。国産銘柄米は海外で高く売って稼げと言い、国内の庶民は安い輸入米を買って食べよと言う。小泉進次郎が売る5キロ2000円の備蓄米は、この二重構造のモデルを定着させる予行演習なのだろう。すなわち、かくして日本のコメの生産と市場は日本の自動車のそれと同じモデルになる。日本人は高品質高性能のものを作れるけれど、貧乏なのでそれを自らの消費に回せず、稼ぐためだけに作ることになる。ただ、この二重構造のモデルが本当に成功裏に実現するかどうか、私には疑問がある。というのは、例えば「五常大米」のように、すでに日本人が日本産銘柄米と同等の味だと認めている中国産ジャポニカ米もあるのだ。この中国産米が、あるいはタイ産米が、高価な日本産米よりも将来の国際市場で競争力を持つ可能性は十分に考えられる。
世界の富裕層が、日本産ブランド米ではなく、中国産やタイ産やベトナム産のコメを選ぶ予測は十分に成り立つ。それは、自動車がすでにその変化を見せ始めていて、東南アジア市場ではBYDの進出が著しく、日本車が独占していたシェアを奪われている。日本人は、自分たちが作るものは何でも高性能高品質で、世界の中で最高のブランド力があり、永久に世界の顧客が嬉々として飛びつくものだと思い込んでうぬぼれているけれど、世界の市場の刻々はそんな甘いものではない。私は、日本のコメは、輸出に頼って作り過ぎると余ると警戒する。海外富裕層に依存した安易な輸出論には陥穽と限界があるはずで、その政策の突進は失敗に終わるだろう。最後に、子どもの頃(万博の年)、トヨタセリカやギャランGTOが新登場して華麗に走っているのを見た私は、ときどき正直に思うのだ。今、日本人は何でこんな夢のない小さな安い車に乗っているんだろうと。インドのタタなのかと。
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。