2025年5月1日木曜日

ストップ 学術会議解体法案 「平和と人類の福祉」への貢献

 しんぶん赤旗に掲題の記事が載りました。
 石破政権は今国会で学術会議解体法案の成立を狙っています。これに対し学術会議は、独立性・自律性を損なうなどの懸念を払拭する修正を求めることを4月14、15日の総会で表明しました。
 日本学術会議創設時からの学術会議が掲げた使命と、政府から「独立」してこそ果たされてきた役割について、小渾隆一東京慈恵会医科大学名誉教授にしんぶん赤旗がインタビューしました。
 はじめのところで小渾隆一氏は、「2010年、原子力委員会は『高レベル放射性廃棄物』の処分問題で学術会議に意見を求め、学術会議は『検討委員会』を設置し、私は連携会員として参加しました。12年に学術会議が提出した『回答』の趣旨は『脱原発』か『原発依存のできる限りの低減』かという大局的な方向性を先に決めないと、この問題は解決できない」ということと述べています。
 これは地質学会員を中心に組織した「検討委員会」が、約2年間に渡り調査した結果、「10万年安定な地盤は日本には存在しない。数百年が限度」であるので、「高レベル放射性廃棄物は取り出し可能な場所で暫定保管し、その間に最終処分の進め方で国民の合意を得るべきだと国に提言したもので、それは万人が認める非の打ちどころのない合理的なものでした。
 それと好対照をなすものが、その後第2次安倍内閣時代に同内閣が指名した専門家によって「高レベル放射性廃棄物の『埋設処分適地/地図』」が作成されましたが、それによると何と「日本にはいたるところに無数の適地がある」というもので、「まさによりどり見取り状態」になっていました。
          ……
 これは「利害関係のない」、例えば海外の専門家であれば決して認めないことを、安倍内閣が選定した専門家たちは平然と行ったわけで、もしも「独立性の高い学術会議」がなくなれば日本が「どんなことになるのか」を端的に示すものでした。
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ストップ 学術会議解体法案 「平和と人類の福祉」への貢献
                       しんぶん赤旗 2025年4月29日
 石破政権は今国会で学術会議解体法案の成立を狙っています。これに対し学術会議は、独立性・自律性を損なうなどの懸念を払拭する修正を求めることを14、15日の総会で表明しました。同法案には元学術会議会長や多数の学協会からも反対の声が上がっています。創設時からの学術会議が掲げた使命と、政府から「独立」してこそ果たされてきた役割について、小渾隆一東京慈恵会医科大学名誉教授に聞きました。         (今井千尋、若林明)

東京慈恵会医科大学名誉教授  隆一 さん
 現在の日本学術会議法(日学法)に基づく学術会議の活動は、日本という一つの国家や特定の産業界、今の世代だけのためのものではありません。日学法の前文に「平和的復興、人類社会の福祉に貢献」とありますが、学術会議は問とは人類の福祉と国際平和のためのもの″という立場で設立されました。戦前、科学が軍国主義に従属し、これに協力したことへの深い反省の上に立ち、科学者たちが安心して人類のために研究活動ができる環境を整えることを決意しました。

10万年先見すえ
 2010年、原子力委員会は「高レベル放射性廃棄物」の処分問題で学術会議に意見を求めました。学術会議は「検討委員会」を設置し、私は連携会員として参加しました。12年に学術会議が提出した「回答」の趣旨は「脱原発」か「原発依存のできる限りの低減」かという大局的な方向性を先に決めないと、この問題は解決できないということでした。
 自然科学者は「核のゴミは10万年単位でしか無害化されない」と言います。ならばこれは、社会科学者にとっては「10万年先を見すえた核のゴミの処分に関する民主主義的な決定」とはどうあるべきか、という課題です。現状では「核のゴミ」の最終処分地を現在の自治体やその住民が、将来世代に対しても含めて責任ある決断を下すのは荷が重すぎます。学術の立場だからこそ、こうした10万年先を展望した目線での対処を堂々と言える。このように独自の立場を確保することで、学術は「人類社会の福祉に貢献」することができるのです。
 私たちは、過去の歴史を振り返りながら将来世代のことも考えて、現在の選挙で投票し政治決定をするべきです。民意が正しい決断をする前提として、正確な知見を提示するのが学問の役割です。その知見の中でどれを選択するかは、時々の主権者とその代表である政治の責任です。
 学術会議の活動の独立性・自律性を脅かす法案によって「学問研究は今の政治と問題意識や時間軸を共有しろ」と政治が介入するのは、トランプ米大統領が行っているようなジェンダーや公衆衛生など自分に都合が悪い学問を邪険にすることと同じです。

介入し関係破壊
 学問は、中世の医療の本拠地が修道院であったように特定の宗教と結びついたこともありました。近代になり、科学的に国を治めようとした啓蒙専制君主の時代に、経世済民(経済)が始まりました。人類は常に学問と政治、経済との関わり方を模索してきましたが、お互いの立場、専門領域をわきまえるべきということを学んだはずです。
 学術会議会員の任命拒否の問題(2020年)は、菅義偉首相(当時)が人事でそれを破り、学術と政治の関係を破壊する許しがたいものです。

憲法に裏打ちされた組織
 学術会議の出発にあたり、日本国憲法が9条をもったこと、さらに、19条の思想・良心の自由、21条の表現の自由と23条の学問の自由、26条の教育を受ける・権利、これらを全部ひとそろえにして盛り込んだことは大きな意義があります

戦前の反省から
 戦前の日本は天皇中心主義です。教育は天皇のために行うものとして、「教育勅語」の理念に従わされました。子どもの立場、教育を受ける側からの権利ではありませんでした。学問の自由の憲法による保障がなく、「帝国大学令」では「国家ノ須要」、つまり国家が必要とする学問を究めることを求めています
 そして、思想・良心の自由がなかったか、共産主義「思想」を犯罪視する治安維持法をつくることができたのです。人間は何を考えても、人に迷惑をかけない限り自由だという近代憲法が打ち立てた思想・良心の自由は、日本国憲法が日本にもたらしたのです。
 しかし、思想・良心の自由や表現の自由を生んだフランスやドイツ、英国、米国などの国々でも、現実にはそれらは侵され続けています。だから、日本国憲法は97条で、基本的人権を犯すことができない永久の権利たと人々に自覚を促しているのです。
 日本国憲法が学問の自由を含めてこれほど人権規定を充実させているのは、アジア・太平洋戦争への反省があります。戦前、日本は天皇制国家のもと、学問の自由や教育の自由、思想・
良心の自由、表現の自由も、すべてをじゅうりんしながら、最終的に侵略戦争に突き進んでいきました。アジアの国々を中心に人々に大きな被害をもたらした日本が、その再出発として憲法9条とさまざまな人権を明記したことと、学術会議が「平和的復興と人類社会の福祉に貢献」(日学法前文)する役割を果たしてきたこととは相通じています。これらは、日本が守っていくべきかけがえのない特殊性″だと思います。

 自民党政権は、米国の軍産複合体を参考にして、日本が軍事産業や武器輸出で金もうけができるようにしようと狙っています。そういう中で、軍事研究や開発を推進し、戦闘機の共同開発と生産にまで乗り出しています。防衛省と軍需企業の技術力、研究開発力だけでは不十分だと考え、他の企業や研究所、大学に手を出そうとしています。典型的には2015年から始まった安全保障技術研究推進制度です。

軍事研究は麻薬
 学術会議は1950年と67年に「軍事研究を行わない」とする声明を発表し、それらの声明を「継承する」声明を2017年にも発表しました。声明は、大学の研究が軍事秘密に囲い込まれてしまうことを警告しています。軍事研究は発表の自由がなく、学問的批判にもさらされない。関わり始めたら最後、ほとんど「麻薬」の世界にはまり込むようなものです。声明はそれではいけないと学術の立場から問題提起をしたわけです。
 学術会議が、独立性・自律性を持って「人類の福祉」と「平和」の観点をもっていたからこそ出せた声明です。4月18日の衆院本会議で学術会議法案の審議入りの際に、ある議員は、まるで学術会議に「政治的中立性」が欠如しているかのような発言をしましたが、とんでもない中傷です。学術会議の独立性・自律性が失われることは、学術の世界だけでなく、全国民的、全人類的な損失となると思います。