しんぶん赤旗に「イチからわかる憲法9条」の連載が始まりました。
第1部 9条の誕生 (1)~(4)を紹介します。
以降、随時 同シリーズの記事を紹介します。
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イチからわかる憲法9条 第1部 9条の誕生(1)憲法とは
戦争をさせない縛り
しんぶん赤旗 2026年6月24日
高市政権は「戦争する国づくり」に向け憲法違反の大軍拡を進め、憲法9条の改憲を狙っています。一方、国会前など全国各地で「憲法守れ」と声を上げる行動が広がり、激動する内外情勢のもとでも、9条は確かにその役割を果たし続けています。そもそも憲法とは何か、9条はどう生まれ、どのような力を持つのか。憲法9条をシリーズで「イチ」から見つめ直します。
「どのような国をつくり上げたいのか。その理想の姿を物語るものが憲法だ」―。高市早苗首相は4月12日の自民党大会でこう述べ、憲法改定の「時は来た」と語りました。しかし、本当にそうでしょうか。
そもそも“憲法とは何か”から考えてみます。
日本弁護士連合会が2008年に出版した絵本『憲法って、何だろう?』は、
「憲法は、リーダーを縛るもの」だと説明しています。そして、「リーダーは、憲法に従う/なぜ?/リーダーも人間だから/かならずまちがうから/たいへんなことになるから」と続きます。
憲法は、政治に携わる者が守るべき最高法規であり、人権を守るために権力の行使に枠をはめる基本原理です。為政者が恣意(しい)的に権力を振るうことを防ぐ― ここにその本質があります。
日本国憲法第99条は、誰がこのルールを守るのかについて、次のように明記しています。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」―。憲法とは国家権力を縛るルールであることが、条文にはっきりと示されているのです。
近代憲法の出発点は「人権宣言」です。17~18世紀にかけての英米仏の「市民革命」の中で、自由や平等などの人権や主権在民の原理が打ち立てられました。そして、その成果を「法」として定めたものが憲法です。
したがって、憲法は特定の人間の理想の国家像を描くための文書ではありません。多様な価値観を持つ人々が共に生きるための共通ルールです。特定の立場の理想を憲法に書き込めば、憲法自体が国論を二分し、分断を招くという「たいへんなこと」を引き起こしかねません。
日本の戦前の経験が、その危険性を示しています。大日本帝国憲法は天皇に広範かつ絶対主義的な統治権を認め、国民の権利も「法律の範囲内」で制限できるとされていました。実際、治安維持法による言論弾圧や軍部の独走を止めることができず、日本はアジア諸国への侵略戦争へと突き進み、自国民の被害にとどまらず、他国の人々にも甚大な被害を与えました。
こうした反省のもとに制定されたのが日本国憲法です。だからこそ、憲法前文には「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と刻まれています。再び戦争を起こしてはならない―これが日本国憲法が政府に課した最大の縛りです。憲法9条は、この前文と一体のものとして生まれたのです。(つづく)
イチからわかる憲法9条 第1部 9条の誕生(2)二つの決意
侵略戦争反省の証し
しんぶん赤旗 2026年6月25日
日本国憲法の9条は第1項で「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は…永久にこれを放棄する」と戦争放棄を定め、第2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と戦力不保持と国の交戦権の否認を規定しています。世界の憲法の中で、平和主義を最も徹底したのが9条です。
9条は、日本の侵略戦争と植民支配への反省を土台に、国際的な戦争違法化の流れの中で、「再び戦争国家にならない」と「戦争のない世界の先駆けとなる」の二つの決意を表明しています。
憲法制定の国会で、吉田茂首相(当時)は9条制定の理由とし「従来近年の戦争は多く自衛権の名において、戦われたのであります。満洲事変しかり、大東亜戦争亦(また)しかりであります」と指摘し、他国から、「好戦国」ではないか、いつ再軍備して、「世界の平和を脅かさないともわからない」という日本への疑惑を晴らすためだと言っています(1946年6月26日 帝国議会衆院本会議)。アジアで2千万人、日本で300万人以上の犠牲を出した侵略戦争をおこした日本の「戦争をしない」という決意が、9条を生み出したのです。
さらに、吉田首相は、「九条の挿入をした政府の趣意」として、「日本国が列国に先だって、あるいは世界を率いて平和愛好の平和的条約を現出せしむる。その先駆けになって自から戦争を抛棄(ほうき)し、軍備を徹廃することによって」世界平和を実現するという決意で憲法改正案を提出したと述べています(46年7月15日 衆院憲法改正委小委員会)。
「戦争はいやだ」という多く人の声に、真正面から応えていこうとするのが憲法9条です。
イチからわかる憲法9条 第1部 9条の誕生(3)核戦争の体験
国連憲章からの飛躍
しんぶん赤旗 2026年6月26日
戦争を制限、禁止する取り決めは9条以前からありました。第1次世界大戦の反省から生まれた国際連盟の規約(1919年)や「戦争放棄に関する条約」(パリ不戦条約、28年)です。しかし、第2次世界大戦を防ぐことはできず、その反省も踏まえ国際連合憲章が調印(45年6月)されました。国連憲章の調印から1年後の46年11月に日本国憲法とその第9条は誕生します。国連憲章2条は「武力による威嚇又は武力の行使を…慎まなければならない」としました。9条では、さらに徹底し、「武力による威嚇又は武力の行使」を「放棄」しました。
9条は、戦力不保持と交戦権を否認するという、国連憲章にもない規定を持ち、「戦争をしない」ことを徹底させています。日本国憲法が前に向かって飛躍したことを示す条項です。
国連憲章調印から日本国憲法公布までの間に、広島、長崎への原爆投下(45年8月)がありました。二十数万人の命を奪い、二つの都市を廃虚にした原爆の悲劇。二度と起こさないという決意が、世界に先駆けて戦力を保持せず、交戦権を認めないとした2項を生み出しました。
憲法提案時は首相だった幣原喜重郎は、46年8月の憲法制定議会で「文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争がまず文明を全滅することになるでしょう」と警告しています。
日本国憲法発布後まもなく文部省が発行した『あたらしい憲法のはなし』では、戦力放棄について、「けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」と国民に呼びかけたのです。
イチからわかる憲法9条 第1部 9条の誕生(4)押しつけ論
戦争放棄 国民は歓迎
しんぶん赤旗 2026年6月28日
今の憲法、とりわけ9条は連合国軍総司令部(GHQ)に押しつけられたものだから、改正しなければならない― 。改憲勢力が唱える「押しつけ憲法論」はいまだに根強く、今国会の憲法審査会で、自民党議員は「独立主権国家の憲法として不自然だ」などと主張。参政党は繰り返し強調しています。しかし、憲法の成立過程は、「押しつけ論」が表層的な俗論であることを示しています。
1945年8月の敗戦で日本政府が受諾したポツダム宣言は、侵略戦争を遂行した勢力の一掃や基本的人権の確立などを要求。GHQはその実行のため、当初、日本政府側に憲法改正作業を任せました。
ところが、46年2月に幣原喜重郎内閣がGHQに提出した憲法草案は、明治憲法下の戦争遂行の核だった天皇制の改革を含まない内容だったのです。マッカーサーは日本政府に任せる方針を切り替え、GHQ自ら草案をつくり日本側に提示します。その際、マッカーサーは(1)天皇の権能は憲法に基づき、国民に対して責任を負う (2)戦争の放棄と陸海空軍の不保持 (3)封建制度の廃止―という三つの原則を提示しました。(2)の原則が現在の9条につながります。
これを受け日本政府は、同年3月、国民主権と戦争放棄を明記した草案要綱を公表しました。一方で、GHQは、草案要綱を作成するにあたり、自由民権運動以来の民間の憲法案を検討。検討された憲法案について、国民主権を採用していることなどをあげて、草案は「民主主義的で賛成できるもの」と評価していました。GHQの草案は、日本の良識的な意見を反映していました。
憲法の起草過程にGHQが関与したのは事実ですが、当時の日本政府にはポツダム宣言を反映した憲法を起草する力がなかったことや、民間の憲法草案が影響を与えたなどの事情がありました。
公表された草案要綱について毎日新聞が同年5月に実施した世論調査では、「象徴天皇制」の賛成は85%、「戦争放棄」賛成が70%。多くの国民に歓迎されていたことが分かります。国民の意に反して押しつけられたとはいえないのではないでしょうか。
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。