国際ジャーナリスト組織が30日発表した「世界各国の報道の自由度ランキング」によると、日本は昨年の22位から更に大幅に順位を下げて53位とされました。
不名誉極まる順位ですが、これは政府や官僚のあり方に対する評価でもあるものの、「記者クラブ」という他国にはない制度を作って政府の広報機関になり下がっているマスメディアの責任が決定的に大きいと思われます。
原発事故に限らず殆どすべての分野において、絶えず政府寄りの報道をくり返していることに憤りを感じている人たちは極めて多い※のではないでしょうか。
※11月30日付「大新聞やテレビの報道は国民に信頼されていない」
戦後のいっときには大政翼賛会的報道を反省する声明等を出したメディアですが、ジャーナリズム精神、ジャーナリスト精神はその後どうなったのでしょうか。
武田邦彦教授が、マスメディアが堕落したのは、①戦前の国際連盟脱退でのメディアの対応と、②1971年の沖縄返還時の密約問題におけるメディアの対応とで、メディアは「言論によるテロリズムの力を自覚し、それを業績の拡大に結び付ける技」を会得したことによる、とするユニークで説得力のある説を紹介しています。
以下に東京新聞の記事と共に紹介します。
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報道の自由、日本大幅後退 原発事故「透明性欠く」
東京新聞 2013年2月1日
【パリ共同】国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は30日、世界各国の報道の自由度ランキングを発表し、日本は東京電力福島第1原発事故に関する情報の透明性が欠けるなどとして昨年の22位から大幅に順位を下げ、53位とされた。
原発事故をめぐっては情報公開が不十分だったほか公表された情報も錯綜したため、国民の不安を増幅させたと批判された経緯があり、こうした日本の状況に対するRSFの危惧が順位に反映された形だ。
リポートは日本について「福島(原発)事故に関わる情報へのアクセスが極端に制限され、透明性を欠いている」と指摘。
「新聞・テレビはデータでウソをつく」原因
武田邦彦 平成25年1月19日
(註. 事務局による要約文 下線と青字も事務局です)
(前 略)1933年に日本は満州の占領政策を続けるために国際連盟を脱退しました。このときの日本人は(国際連盟に)憤激して「脱退すべきだ!」という考えが大半でした。しかし国際的には独自の行動になったので、ちょうど、今の北朝鮮のような印象を持たれました。
その時に、毎日新聞は国際的なニュースをほぼそのまま流し、朝日新聞と読売新聞は世界の一般的なニュースを伝えず、日本の世論に迎合して、いわゆる「キャンペーン」を貼ったのです。
その結果、毎日新聞が停滞し、朝日新聞と読売新聞が大きく部数を伸ばして、逆転しました。さらに戦後、1971年の沖縄の返還を巡る密約問題(毎日新聞の西山太吉記者が密約を暴露し、後に正しかったことが明らかにされました)でも同じ事が起こり、毎日新聞の不買運動へと発展した(毎日新聞は倒産しそうになりました)。これを最後としてある編集部員の話として「言論によるテロリズムの効果とその商業的な骨法」が確認されたのです。(骨法:武技、闘技)
難しい言い回しなのですが、「言論によるテロリズム」とは、新聞、週刊誌、テレビが「あること無いこと、何でも報道すれば、社会はそれに反応して怒り狂い、特定の個人や団体を徹底的に痛めつける事ができる」ということです。
そして「その商業的な骨法」というのは、「テロをすれば、儲かる具体的な方法も身につけた」という意味です。(中 略)テレビ、週刊誌、新聞がその気になれば、日本人の劣情に訴えるキャンペーンを張り、それに異議を唱える人や団体を徹底的に叩けば何でもできるし、それが視聴率や販売部数を増やすことになる、その記事の書き方、報道の仕方、タイミングなどをすべて、国際連盟脱退事件や沖縄密約事件で会得したというワケです。
そしてこの2つの事件で「儲かった側」はつねに「政府に有利な報道」という特徴があります。脱退事件では松岡外相を支持し、沖縄密約では佐藤首相を擁護したのです。(中 略)
日本という国は四面を海に囲まれ、ほぼ単一民族で、天皇陛下を頂いていたと言うことから、日本には奴隷制度も無く、殿様は民のことを考えておおむね良い政治をしてきました。だから日本人の心の中は「お上は悪いことはしない。お上にたてついたらろくな事はない」という信念で固まっています。(中 略)
それ以後、つまり沖縄密約事件がおおよそのケリがついた1980年代から、日本のマスコミ(テレビ、新聞、週刊誌など)は「言論テロリズム」に統一され、「事実を伝える」ことは、それがあたりさわりが無い場合に限るという制限が加わったのです。
すでに、日本のマスコミは、会社組織で編集が経営から独立していないこと、記者クラブが閉鎖性を持っていること、一人一人が旧来の記者魂を持つことができないこと、それに加えて予算が厳しくなり、記者が満足できる取材ができないなどの状態にあり、なかなか「言論テロリズム」から回復することができないのです。
(後 略)